【紀伊路】山中渓~伊太祈曽⑤

前回まではこちらをご参照ください。
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽①
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽②
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽③
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽④

今回は地図上でこのあたりのお話です。

日本最後の仇討ち場

関所跡からほどなくして、和歌山と大阪の県境に入ります。
この県境に「境橋」という橋がありますが、そこが「最後の仇討ちの場所」とされているところです。

阪南ライオンズクラブの石碑より

安政4年(1857年)土佐藩士広井大六は、同藩士棚橋三郎に、口論の末切り捨てられた。

大六の一子岩之助は、当時江戸に申し出て、いわゆる「あだうち免許状」を与えられた。

(安政5年)岩之助は、加太にひそんでいた三郎を発見し、紀州藩へ改めて、あだうちを申し出たところ、紀州藩としては「三郎を国払いとし境橋より追放するので、あだうちをしたければ境橋付近、和泉側にて、すべし・・・」と伝えられた。

文久3年(1863年)、岩之助は境橋の北側で三郎を待ち受け、みごとにあだうちを果たしたとされる。

これは、日本で許された最後のあだうちであると伝えられる。

・・・紀州藩って、結構和泉にいろんな人を追放してますね(笑)

ところで、敵討ち(仇討ち)の制度って、ご存知でしたか?
敵討ち

江戸にはきちんと制度化されて法的にも許されていたんですよね。
しかし、1873年(明治時代)に禁止されました。
中には女敵討ち(めがたきうち)もあり、婚外の性交渉をした妻とその相手に対して行うことができたのだとか。
不倫が横行している今の世であればどうなっているでしょうね(笑)

葛城修験行場

説明看板があるのですが、残念ながら字がかすれて読めないところがありますので、読めるところを抜粋して要約します。

この場所は葛木修験の行者をはじめ、旅人もみなこの境川で身を清めてからお国入りをした、大事な行場の一つです。
ここには桜の大木があり、地蔵尊が祀られていました。現在は境谷村の入口に移されて祭祀されています。

これくらいしか判読できませんが、葛城修験の行場であることは間違いないようです。

平成30年に行者さんが訪れているようです。

葛城修験についてはこちらをご参照ください。
日本遺産 葛城修験

【紀伊路】山中渓~伊太祈曽⑥へ続く

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA