
前回まではこちらをご参照ください。
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽①
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽②
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽③
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽④
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽⑤
中山王子
しばらく道なりに進み、踏切を渡ったところに中山王子跡があります。
説明看板より
かつて、京都から熊野三山までの熊野参詣道に、八十余ヶ所の王子社が祀られていました。
王子社というのは、俗に「熊野九十九王子」といわれる熊野権現の御子神を祀る社のことです。
中山王子は紀伊国に入って最初の王子社で、藤原定家の日記、建仁元年(1201年)十月八日条に、その名が見られます。
また、この付近は「雄の山中」といわれたところから、藤原頼資(よりすけ)の日記では「山中王子」と書かれ、承元4年(1210年)四月二十四日条に、修明門院が山中王子に参詣し、峠で雄山の人たちや無縁者等に、帷(かたびら)五、六十両ほどを、ふるまったと記されています。
江戸時代には、道沿いに、周囲三十六間の境内があり、王子権現社が祀られていたようですが、明治時代に春日神社に合祀され、旧跡も鉄道の敷設によって無くなりました。
王子社というのは、俗に「熊野九十九王子」といわれる熊野権現の御子神を祀る社のことです。
中山王子は紀伊国に入って最初の王子社で、藤原定家の日記、建仁元年(1201年)十月八日条に、その名が見られます。
また、この付近は「雄の山中」といわれたところから、藤原頼資(よりすけ)の日記では「山中王子」と書かれ、承元4年(1210年)四月二十四日条に、修明門院が山中王子に参詣し、峠で雄山の人たちや無縁者等に、帷(かたびら)五、六十両ほどを、ふるまったと記されています。
江戸時代には、道沿いに、周囲三十六間の境内があり、王子権現社が祀られていたようですが、明治時代に春日神社に合祀され、旧跡も鉄道の敷設によって無くなりました。
また、「葛城第四番・入江之宿滝畑行処」という看板もあります。
1.葛木第四番経塚
境谷村入口の桜地蔵経塚
山中渓関所跡の経塚
2.中山権現
滝畑村入口の中山王子(跡)
3.音無しの滝(不動の滝)
滝崖面に不動丸カンマン字有り
滝崖右上に八大龍王石祠有り
4.春日神社
右 丹生明神
主 春日大神
左 熊野権現
5.金剛童子(南谷池)
葛木修験第四の宿「入江の宿」は、紀泉の国境で、祓い橋で身を清めて入峰の規則
葛木修験では極めて重要な位置です。
ありがたや菩提の入江にたどりきて
来しかた思いて心あらたに
宝照院鉄山 記
とあります。
カンマンとは、不動明王など各尊を一字で表した梵字のことをいうそうです。
入江宿滝畑の金剛童子についての説明もあります。
日本遺産葛木修験行所 葛木之峯西北位結界
入江宿滝畑の金剛童子
昔、役行者は葛木二十八宿の霊場を不動堅固に保つために葛木の八方位に各金剛童子を配し結界しました。
役行者が大峰山上ヶ岳で三世救済の金剛蔵王権現をご感得になられた際にその湧出岩から続いて十五体の金剛童子が出現になりました。
行者は葛木大峰の全霊域の清浄を保ち乱れぬように両峰にこの金剛童子を配置し両峰に結界を張られたのです。
大峰に八大金剛童子を、葛木には七大金剛童子を配して結界しました。
更には両峰の護法善神として大峰に八大龍王、葛木には七大竜王を勧請しました。
この葛木第三入江宿の滝畑には宿着童子が配祀され西北位に入り江を結界しています。
この故にこの峯域を入江の宿と称します。
さて、この金剛童子(宿着童子)は村置くのこの南谷池に鎮座します。
悠久の激動苦難の時代を超えてこの葛木一円を村落を諸悪鬼から堅固に守護しています。
宝照院鉄山 記
入江宿滝畑の金剛童子
昔、役行者は葛木二十八宿の霊場を不動堅固に保つために葛木の八方位に各金剛童子を配し結界しました。
役行者が大峰山上ヶ岳で三世救済の金剛蔵王権現をご感得になられた際にその湧出岩から続いて十五体の金剛童子が出現になりました。
行者は葛木大峰の全霊域の清浄を保ち乱れぬように両峰にこの金剛童子を配置し両峰に結界を張られたのです。
大峰に八大金剛童子を、葛木には七大金剛童子を配して結界しました。
更には両峰の護法善神として大峰に八大龍王、葛木には七大竜王を勧請しました。
この葛木第三入江宿の滝畑には宿着童子が配祀され西北位に入り江を結界しています。
この故にこの峯域を入江の宿と称します。
さて、この金剛童子(宿着童子)は村置くのこの南谷池に鎮座します。
悠久の激動苦難の時代を超えてこの葛木一円を村落を諸悪鬼から堅固に守護しています。
宝照院鉄山 記
