
今日は神社での参拝方法を分解する「手水舎編」です。
鳥居をくぐってまず説明するのがこの手水舎での作法。
ガイドであれば正確にお客様にお伝えできるようにしておきたいところです。
しかしながら、社殿での参拝と同じように、間違った作法を教えているガイドをよく見かけます。
また、その土地によって独特な作法もありますので、あわせてお話をします。
手水舎は「てみずや」「てみずしゃ」「ちょうずや」「ちょうずしゃ」など様々な呼び名がありますが、まあ、どれでも呼びやすいものでいいと思います。
ちなみに私は「てみずや」派です(笑)
手水舎の起源
以前は川で禊をして神社の聖域に入ることが慣わしでした。
熊野では、大斎原へ入るには、音無川を渡らなければなりませんでしたし、那智大社では大門坂に入る前(振ヶ瀬橋があるところ)で禊をし、神倉神社でも同様でした(今その川はドブ川になっていますので、とてもではないですが無理です)
江戸期に入ってからは音無川に橋がかけられましたが、それでも川で禊をする参詣者が多くいたと聞きます。
また、お燈まつりの日には、王子ヶ浜で禊をする方もいます。
ある地元の人に聞くと「あれはコアな人がやることだ」と聞きましたが(笑)
コアな方、読んでいましたらすみません。
また、歴史を遡ると、藤原定家は風邪を引いている中、田辺の浜で潮垢離をさせられたと、彼の日記に文句を書いています。
田辺からはいよいよ熊野の聖域に入るとされていたため、そこで禊をすることが重要と考えられていたのでしょう。
禊はそれで終わりません。
富田川(石田川・いわたがわ)は、熊野の聖域から流れてくる初めての川なので、ここでの禊も重要視されていたようです。
藤原宗忠の中右記によると、一ノ瀬(市ノ瀬)あたりから滝尻王子にいたるまで19回も富田川を渡渉したと記録されています。
なので、神社の聖域に入ることはもちろん、場所的に聖域と考えられていた所に入る前には、禊を行う慣習があったようです。
現在の手水舎での清めは、その簡略版です。
・・・昔に生まれていなくてよかった(笑)
ある語り部さんからのお話では、「災いをもたらすところを清める」と聞きました。
たしかに、手も口もそうですよね。
ちなみに、「一ノ瀬」は現在「市ノ瀬」となっていますが、昔は「六ノ瀬」まであったと聞いたことがあります。
水を掬う
さて、本題です。
神社によって、「柄杓を取る前に軽く一礼をする」など、細かいところの違いはありますが、今回は割愛します。
まず、柄杓を取り、水を掬います。
「龍の口から汲まなければいけない」とか、そういう決まりはないと思います。
伊勢の神宮や本宮大社の階段の途中にある手水舎は、そういった類のものがありませんので。
あれば汲んでもいいかもしれませんが、チョロチョロ出ている水を柄杓一杯まで汲むのは時間もかかります。
他の参拝者の迷惑にならないようにしたいものです。
私は、よっぽど淀んだ水でなければ、手水鉢にある水を掬います。
左→右→左
まず、左手を洗い、右手を洗います。
次に左手に水を受け、その水で口をすすぎます。
次にもう一度左手を洗います。
最後に柄杓を立てて次の参拝者のために柄に水を流します。
ここまでの一連の所作を、一杯の水で行います。
足りなくなったら再び汲んでもいいですが、慣れれば一杯ですべて洗うことができるようになります。
途中で水がなくなる人は、修行が足りん(笑)
さて、新宮では少し作法が違うようです。
はじめに左を洗い、右を洗う、ここまでは同じです。
次に、龍の口(または蛇口)から新たに水を汲み、その水で口をすすぎ、左手を洗う、柄杓を立てて柄杓に水を流す・・・といった具合です。
「郷に入れば郷に従え」なので、その土地に作法があれば、それで行うのもいいと思います。
なぜ、左から先なのか、これは陰陽の考え方に基づくと思っています。
陰陽では、左が陽で右が陰、左が先で右が後だからです。
たしか、ホツマツタヱに「左が先で右が後」という記述があったかと思います。
ホツマツタヱでは「ヲ」と「メ」ですがね。
中国の陰陽五行は、日本発祥です。
話がそれましたが、左→右→左手で水を受けて口をすすぐ・・・で終わりとしているところもあります。
あるガイドさんと一緒に仕事をした時に、彼の手水舎での説明は左→右手で水を受けて口をすすぐ→終わり・・・でした。
これは明らかにおかしいです。
彼の立場というものがありますのであえて突っ込みませんでしたが、間違った作法を広めていると考えれば、やはり確認をしておくべきだったのではないかと反省しています。
