神社参拝について お参りまでの作法①

過去の記事についてはこちらもご参照ください。
神社参拝について(お賽銭編)
神社参拝について(神社ではどんなことを祈るのか)
神社の参拝について

知っているようで知らない神社参拝の作法。

今回はお参りまでの作法についてです。

先にお断りをしておきます。

必ずしも私の言っていることが正しいとは限

りません。

神社や地方、人によっても違う場合がありま

すのでご了承ください。

あくまでもご参考程度にお願いいたします。

鳥居

鳥居をくぐる前に一礼をします。

この時、帽子を脱ぎます。

一応、正中を外して入りましょう。

入る際、鳥居に向かって右側から入る場合は

右足から、左から入る場合は左足からです。

これは、例えば右側から入る場合に左足から

入ると、

  • 神様(中心)にお尻を向けることになる
  • 神様に対して蹴りを入れることになる

という理由からです。

ただ、これと反対のことを言っている人もい

ます ので (神社本庁とか)、あまり気にし

なくてもいいと思います。

ただ、フォーマルなマナーとしては気にする

必要があると思います。

たとえば葬儀に参列した際、喪主の親族が並

んでいる側の足から一歩を踏み出して歩くと

します。

この場合、小笠原弓馬術礼法では、その親族を蹴るという意味になる

ので失礼にあたると教わりました。

また、正座から立つ場合も、上座側の足から

立ち上がることは失礼にあたります。

玉砂利・鈴

神社ではよく、玉砂利を敷いています。

「ザッ、ザッ・・・」という音は、神様に会

う前に精神を落ち着け、心を清めるという意

味があります。

同じように、鈴がついているところでは鈴を

鳴らしますが、あれは「私が来ましたよ」と

か「神様に気づいてもらうため」という意味

ではなく「場を清める・心を清める・祈る心

を引き締める」という意味です。

鈴の音は魔除けの力があると信じられていま

す。

巫女さんの持っている鈴にも同じような意味

があります。

音って神道では結構重要なんです。

歩きながら玉砂利を踏みしめる音を聞きなが

ら心を落ち着け、神前に向かいます。

長くなりましたので次回以降に続きます。

神社参拝について(神社ではどんなことを祈るのか?)

前回はお賽銭についてお話をしました。

今回は、お賽銭をあげたあと、いったいど

んなことを祈るのかについてお話をします。

まず、住所と名前と年齢を述べます。

日本の神様はキリスト教やイスラム教や真

言密教のような「全知全能の神・創造主」

ではありませんので、どこの誰なのかを言

う必要があります。

ちなみに、神道では「天之御中主(あめの

みなかぬし)」という神様がこれにあたり

ます。

次に宣誓をします。

お願いごとではなく宣誓です。

ここでお願い事をする人が多いと思います

が、本来神社は自分の目標を宣誓したり、

日ごろの感謝を述べるところです。

「祈る」の語源は「自分の意思を宣言する」

→「意を宣(の)る」→「意宣る」とか

「神の意に乗る」というところから来てい

ると聞いたことがあります。

決してお願い事をしてはいけないというわ

けではありませんが、お願い事がある場合

は言葉を選んで述べる必要があります。

例えば、私がよく使うのは「今日は〇〇か

らお越しのお客様〇名をお連れいたします。

道中の安全と、良き旅のお手伝いができる

よう、最大限の努力をいたしますので、お

導き・お守りくださいますよう、お願い申

し上げます」です。

前号で「内向き・外向き」のお話をしまし

たが、これなら「外向き」ですよね?

最後にその神社の神様とご眷属(けんぞく)

様の開運を祈ります。

あれ?

と思いました?

ポイントがここなんですよね。

「私」ではなく「神様」の開運です。

これは私見ですが、これをいつも最後に入

れると、自然と普段の意識も「外向き」に

なってきます。

それを意図したものなのかなと思います。

これは極論ですが、世界でただ一人、自分

だけ生き残ったとしたら幸せでしょうか?

あとに残されるのは孤独と困難しかありま

せん。

誰とも協力できず、話すこともできない。

自分一人で生きていくしかない。

これで本当に幸せでしょうか?

自分だけ儲かればいいという考えも似てい

ると思います。

今だけ金だけ自分だけ・・・

今はそういった人が多すぎます。

自分もお金を儲けるけれど、他の人にも儲

けてもらってみんなで幸せになる。

たとえば、イベントをやっても、当会だけ

儲けるのではなく、他の商店も巻き込んで

少しでも地元にお金を落としてもらう。

お客様に喜んでもらうためには、団体の垣

根を越えて情報共有をする。

旅行会社さんが困っていれば、他の団体の

ガイドさんにも仕事を紹介する。

単なるお人好しではいけませんが、私はそ

の意識でやっています。

今まで「内向き」に祈っていた方は「神様

の開運」を祈りの最後に入れてみてくださ

い。

ご参考までに、こちらも読んでみてくださ

い。

正しい神社参拝のススメ

上記記事中の「正中」に関しては伊勢では

「それは行きすぎた考え方です」と聞いた

ことはありますが・・・

ちなみに、天津祝詞(あまつのりとは以

前わたしもよく神社で奏上をしていました

が、今はあまりしていません(汗)

しかし、毎晩神棚に祈る時には「いろは」

「ひふみ」の祝詞と一緒に必ず奏上をして

います。

現在神社で奏上されている天津祝詞はGHQ

によって削除されている部分があります。

日本は言霊の国。

昔からある大和言葉が消えつつあり、随分と

その力が弱まったといいますが、それでも世

界の言語の中ではいまだに強い力が籠ってい

る言語なのだそうです。

神社参拝について(お賽銭の金額編)

お客様にお賽銭の金額を聞かれた時、どう答えますか?

「お賽銭をあげるなら5円がいい。

『神様とご縁が結ばれますように』というところからきています」

・・・こういった説明をよく聞きます。

でも、ちょっと待ってください。

むかしむかし、人はもともと、神社で米や野菜、

時には馬などの「現物」を奉納していました。

それが時代が下ってお金に代わりました。

現代の「お祝いは物よりも、何でも買える商品券で」

という考えに似ていると思います。

ただ、神様にはお金の価値は分からないと聞いたことがあります。

その証拠に・・・かどうかは分かりませんが、

私の知り合いがある大きな神社で「100円を5円に両替してほしい」と

お願いしたら断られたそうです。

もし、神社側も「お賽銭をあげるなら5円」という認識でいるならば、

両替用の5円を大量に用意しているはずですよね?

ということは、神社側には「お賽銭は5円」

などという認識はないということになります。

5円の人と多額の寄付をする人

では、なぜお賽銭に5円を入れる人がいたり、

それとは逆に多額の寄付をする人がいるのでしょうか?

青岸渡寺では今、150年ぶりに行者堂が再建されています。

この行者堂は、大阪のあるお金持ちの方から

1億円の寄付があったから建てられるようになったのだそうです。

ここまで行かなくても、まとまった金額を

神社やお寺に寄付する人はけっこういます。

私もたまに寄付をしますが、

「この神社がずっと残ってほしい」

「これで社殿の修繕費や神社の運営に」

「おかげさまで無事に暮らせています、ありがとうございます」

という思いによるものです。

まとまった金額を寄付する人全員が

この思いを持っているわけではないとは思います。

中には「いっぱい寄付をすればご神徳が得られる」と

思っている人もいるかもしれません。

しかし、おそらくですが、まとまった寄付をする人には、

そういった人はほとんどいないと思います。

神社の運営は厳しい

神社の運営は主に寄付で成り立っているので、

「経営」が厳しい状態です。

お寺も今は檀家が少なくなって大変だと聞いたことがあります。

滝尻王子の近くで店を営んでいる「あんちゃん」から

「ガイドさんはパフォーマンスでもいいからお賽銭をあげてほしい。

外国人が増えたけどお賽銭を入れてくれないから一向に寄付が集まらず、修繕費が出ない」

という話を聞きました。

内向きか外向きか

要はその人の気持ちがどっちに向いているかだと思います。

「5円で神様とご縁を」と思っている人は、

願い事が自分(内)に向いています。

他方、まとまった寄付をする人は願い事が神社(神様・外)に向いています。

もちろん、自分の願い事をしてはいけないということはありませんが、

毎回毎回「ご縁ができますように」という思いで5円をあげる人というのは結局

「自分のことしか考えていない」ということになると思います。

神様にお金の価値が分からないとするならば、

一番大切なのはその人の気持ちです。

金額は関係ありません。

その時にあげたい金額をあげればいいと思います。

お参りに来た人の気持ちが自分本位なのか、利他なのか、

神様もそこを見ていらっしゃると思います。

ガイドの時にどのようにお客様にお伝えするかはお任せします。

ただ、今回お伝えしたことを踏まえていただければ幸いです。

ちなみに、私はだいたい100円から1000円をあげることが多いです。

硬貨でなくてもいいんです。

梅の収穫などでまとまった収入があった時などは、

そのいただいた金額の1割を地元の神社に寄付しています。

なので、時には万単位になることもあります。

あ、あくまでも気持ちですからね。

「こうしろ」と言っているわけではありません。

ただ、私の気持ちとして、この土地で働けて、

そのおかげで得たお金だからと思っているからです。

繰り返しになりますが、お賽銭は金額ではなく気持ちです。

神社参拝については、こちらもご参照ください。
神社の参拝について

神社の参拝について

早いもので2022年も半分が過ぎましたね。

今日は近くの神社にお参りをして来ました。

そこで、今回は神社のお参りについてのお話です。

朔日参拝

皆さんは神社にどれくらいの頻度でお参りしていますか?

私は毎月1日に、地元の神社に可能な限り参拝しています。

1日に行けない場合でも、その月のどこかの日に必ず参るようにしています。

何でも、1日にお参りすると神様が喜ぶのだとか。

本当の所はまさに「神のみぞ知る」でしょうが、「1日にお参りする」と決めておけば、その月のお参りを忘れることはありませんので、いずれにしてもいいことだと思います。

大体、大きな神社をはじめ、地元の神社でも、1日には拝殿を開けてお供えをしているところが結構あります。
普段はなかなか見ることができない拝殿の中を見ることができたり、普段はなかなかお会いできない宮司さんもいたりしますので、ちょっとしたお話も聞けるかもしれません。

皆さんも、一度朔日参りをしてみてはいかがでしょうか?

神様が喜ぶこと

「神様が喜ぶ」といえば、たとえば、参道を掃除するといった少しばかりの奉仕をするのもいいとされています。

また、最近は新型コロナの影響で手水舎の水を使えなくしているところがあります。

そういったお社では、ペットボトルに入れた水を持参して、その水で手と口を清めるのもいいらしいです。

いつお参りするのがいいのか?

お参りするのにも、いい時間帯と悪い時間帯があるようです。

私が聞いた話では、午後2時に一番神威が高まるので、その時間がベストだとのことです。
あとは、朝もいいようです。

どこかで聞いた話なので、うろ覚えで申し訳ありませんが、神社も多くの人がお参りすると、人の欲で汚れるというか、その欲によって悪い影響を受けるらしいのです。
それを、その神社で働いていらっしゃる神様(ご眷属様?)が掃除をして清めるのだとか。
なので、朝は人の欲がキレイに取り払われている状態なので、いいという話です。

逆に夜は避けたほうがいいようです。

これも聞いた話なのでうろ覚えですが、夜というのは、この世にとどまって修行をされている方が神社で修行をされるので、夜にお参りするとその方々の修行の邪魔になるからなのだとか。

多分ですが、大晦日はいいのでは?と思いますがね。

ご存知の方がいましたら教えてください。

また、お賽銭が飛び交うような日に行くことも良くないようです。
おそらくですが、これもやはり人の欲に影響されやすいからなのでしょう。

私はもともと人混みが嫌いなので、あえてお正月を外してお参りをしています。
代わりに、旧正月にお参りするようにしています。
なので、お正月は参拝したい気持ちをグッと我慢しています。

何を祈るのか?

よく、二礼二拍手一礼だけをして去っていく人がいます。
「作法だけ守れば、私の思っていることは分かってくれている」と思われているのでしょうか?

私から見れば、せっかくお参りに来ているのに、もったいないなあと思ってしまいます。

日本の神様は全知全能ではありませんので、きちんと自分がどこの誰で、どのようなことを伝えに来たのか、きちんと意思をお伝えしないと分かってくれないようです。

まず、住所、名前、年齢を言います。
日本の神様は、ホツマツタヱによればすべて人間だった方々です。
なので、どこのだれだかは分からないのでしょうね。

また、「神社はお願い事をする所ではない」という認識って、結構広まっているように思いますが、決してお願い事してはいけないということではありません。

たとえば、「これから◯◯に頑張りますので、お導き、お守りよろしくお願いいたします」のようなことなら大丈夫です。

「いい人が見つかりますように」とかは、やはりその人にとってどの人がいい人なのか神様には分からないので良くないようです。
しかし、縁結びが得意な神様はたしかにいらっしゃるようです。
これも、人によって得意分野が違うということと同じで、神様にもそれぞれの得意分野があるということだと思います。

「祈る」という言葉は、「(自分の)意を宣(の)る」から来ているのだとか。
あるいは「(神の)意に乗る」から来たということも聞いたことがあります。

ということで、「祈る」は「意宣る」「意乗る」であり、自分がどう頑張るのかを神様に宣誓したり、神様の意思に合わせるという意味があると思います。
なので「お願い事をしてはいけない」というのは、ある意味あたっているのではないかと思います。

ちなみに、私は個人的な宣誓と一緒に、公的な?こともお祈りしています。

それは「日本国、日本国民の繁栄・開運、世界の平和、天皇・皇后両陛下のご健康とご開運、天皇家のご繁栄・ご開運、上皇様・上皇后様のご健康・ご開運」です。

別に「やりなさい」と言っているわけではありませんよ(笑)

そして、最後ですが、これが一番重要かもです。

それは、そこにいらっしゃるご祭神のご繁栄・ご開運を祈るということです。

「え?自分じゃないの?」

と思われる方もいると思いますが、神様の開運を祈るところに、やはり神様は昔一人の人であったということが窺えるのではないでしょうか?

日本の神様は、キリスト教やイスラム教のような絶対神ではありません。

天之御中主(アメノミナカヌシ)様のような神様もいらっしゃいますが、基本は何度もお伝えしているように、もともとは人だったのです。

国常立大神も、天照大神も、ニニギノミコトも、スサノオノミコトも、猿田彦大神も、タケミカヅチノミコトも。

私たちのご先祖様をずっとたどっていけば、これらの神様に当たるわけです。
そういった意味で、神社にお参りするということは、ある意味先祖供養でもあるわけです。

その「ご先祖様」は、今も日本や世界の平和のために、私たちを見守ってくだっさっていると思います。
ご先祖様が幸せになれば、私たちも幸せになる。
なので、ご先祖様の開運を祈るということは、当然のように思います。

今度神社にお参りされる時には、ぜひこれらのことに意識を向けていただけたらと思います。

神社での参拝作法については、こちらをご参照ください。
神社での参拝作法を分解する ~拝礼編~
神社での参拝作法を分解する ~鳥居の出入り編~
神社での参拝作法を分解する ~参道編~
神社での参拝作法を分解する ~手水舎編~
神社での参拝作法を分解する ~柏手編~
神社での参拝方法を分解する ~足の運び編~

お賽銭、小銭はやめましょう

今日は、なぜタイトルのようなことになるのかをお話します。

竹田恒泰さんのYou Tube動画で、ゆうちょ銀行がついにATMへ硬貨で入金するのに、手数料がかかるという内容のものがありました。
おっしゃる通りだと思ったので、その大まかな内容をシェアさせていただきます(最後の部分はわたしの意見?です)

最後の砦、ゆうちょ銀行

他行はすでに硬貨入金に対する手数料を取っていましたが、ゆうちょ銀行が最後の砦でした。
しかし、1月17日から「硬貨1枚につき110円(ATM)」という、とんでもない額を負担しなければいけないことになります。

1円硬貨1枚をATMに預けるだけで110円かかるようになります。
ちょっとひどくないですか?

理由は、たいていのゆうちょ銀行では、ATMは1台しか設置しておらず、硬貨の入金によって時間がかかり、他のお客様の迷惑になるからとか、輸送費、他のコインなどの混入でATMが故障し、その修繕費用がかかるから・・・なのだそうですが、大企業の中で一番儲かっているのが銀行です。

その額はグループごとで1兆円あり、その中の数億円かかるからというのは、おかしな話です。

困惑する事業者

このルールが適用されて一番困るのが、駄菓子屋さん、慈善団体など、小銭を主体として取引をしている事業者です。
その中でも神社は特に打撃を受けるのではないでしょうか。
集まったお賽銭を銀行に預けようものなら、利益が出なくなります。
仮に5円玉をATMに51枚持って行けば、5,355円の赤字です。
窓口は51枚から有料になり、51枚だと手数料が550円かかります。
なので、窓口に預けても295円の赤字です。

5円はご縁?

5円をお賽銭に使う理由でよく言われているのが「ご縁」と「5円」をかけて「ご縁がありますように」というものですが、あれはただのダジャレです。
神社への参拝は、神様のご自宅に訪問するようなものです。
神社は本来、厳密に言えばお願い事をするところではありませんが、お願い事をする人も多いでしょう。
その際に「供物」を持っていきます。
友達の家に行くのにも、手ぶらで行く人はあまりいないでしょう。
何か手土産を持っていきますが、1,000円のものでもちょっとショボいですよね。
そのことを考えると、神様にお願い事をするのに5円って、それは虫が良すぎませんか?

ということで、硬貨の入金は手数料がかかるので、お賽銭はお札にしましょう。

わたしは最近、氏神さんなどにお参りする際は、たいていお札を入れています。
正直、「ちょっと痛いな」と思うこともありますが、不思議とそれが原因で金運が下がるということはなく、むしろお金の回りが良くなったような気がします。
ただ、「これくらい奮発したのだから、これくらいの見返りがあるだろう」という打算が入るとなぜかダメです。
わたしの経験ですが、この打算が入ると後で余計に出費がかさんだりします。
神様はちゃんと人の心はお見通しのようです。
「神社の運営のために」という素直な気持ちで入れたいものです。





神社での参拝方法を分解する ~鳥居の出入り編~

今日は、神社での参拝方法、鳥居の出入りです。

鳥居を入る前、出た後に一礼をすることは、このブログを読まれている方ならばご存知だと思います(伊勢ではかなりの参拝者が横入りをしていましたが)

鳥居をくぐる時

では、入る際にどの足から入りますか?

これは自分の立つ位置によって変わります。
例えば、鳥居に向かって左に立っている場合は左足(外側)からはいります。
様々な説があるようですが、これは正中に対してお尻を向けないようにするためだとか。
神社での作法ではありませんが、小笠原流では、たとえば葬儀の時に遺族の方がいらっしゃる方の足から歩き始めることは、その方々を蹴ることにあたるので失礼だと聞きました。
目上などの方がいる場合は、その反対側から足を出すということですので、鳥居をくぐる時も、神様がいらっしゃる方(お社の中心)から足を出すことは失礼にあたるのだと思います。

なので、反対に向かって右に立っている場合は右から・・・ということになります。

鳥居を出た後

鳥居を出た後にも、小笠原流では回り方があります。
ちょっと写真が見にくいのですが、写真をつけて解説をします。

まず、鳥居を出たところです。
この場合は鳥居の左側から出たという設定でお話をします。

まず、左足の土踏まずの部分を、写真のように右足の前にT字形にかけます。

前から見たところ

次に、左足の土踏まずの部分を、右足のかかと部分に移動させ逆のT字「⊥」の形にします。
この時点で体は135度回転しています。

横から見たところ

最後に左足を右足に揃えると、体が180度回転しています。

礼をします。

なお、鳥居の右から出た場合は、足の運びが左右逆になります。
つまり、鳥居をくぐる前と同様、中心にお尻を向けないように回るということです。

振り返って歩き始める時は、神社での参拝方法を分解する ~足の運び編~をご参照ください。

神社での参拝方法を分解する ~二礼→柏手→祈りまでの所作編~

今日は二礼の後、柏手を打って祈るまでの所作についてお話します。
この所作については、小笠原流以外で教えているところはないと思います。

神社本庁その他で一般に言われている所作をおさらいしましょう。

1.二礼する
2.手を合わせ、右手をずらす(第一関節分下げる)
3.柏手を打つ ずらした右手を左手に揃える
4.祈る

でした。
単に柏手を打って祈るということしか教えていません。

一方、小笠原流では、

1.二礼する
2.一旦胸の前で手を合わせる
3.合わせた手を前方に出し、柏手を打つ準備をする

4.柏手を打つ(指はずらさない)
5.合掌したまま胸の前に再び戻す
6.祈る

です。
二礼の後の祈りまでの所作についてまで教えています。

文章だと分かりづらいので、写真を少し入れて補足します。

2.胸の前で手を合わせる

二礼のあと、まず胸の前で一旦手を合わせます。
ちなみにこれは、祈る時と同じ姿勢です。

3.合わせた手を前方に出し、柏手を打つ準備をする

次に、合わせた手をそのまま前に出します。
「前に出す」と言っても、肘を伸ばし切ることはしません。
2の姿勢のままで柏手を打つことは美しい所作とは言えませんし、柏手を打つ手にも力が入りません。

柏手を打ったら、再び2の姿勢に戻し、祈ります。

この時、少し頭を下げる(軽く屈体する)と軽い合掌礼のような形になりますので、「頭を垂れながら祈っている」ような形になり、なお良いです。

合掌の手の形は、神社での参拝方法を分解する ~合掌編~をご参照ください。

実際にやってもらえばお分かりになると思いますが、この動作は無駄がなく、かつ、美しいです。
これは小笠原流の教えである「実用・省略・美」に適った動作と言えるでしょう。

ぜひ実践してみてください。

神社での参拝方法を分解する ~参道編~

瀧原宮の参道

右側通行?左側通行?

鳥居をくぐったあと、気になるのが参道の右側を歩くのか、左側を歩くのかです。
親切に書いてくれているところはそのとおりに従えばいいですが、「そんなの関係ない」という方はさておき、何も案内がない時は迷ってしまいますよね。

以前聞いた話では、「手水舎がある方を歩く」というものでした。
つまり、手水舎が参道の右側にあれば右側通行、左側にあれば左側通行という具合です。
伊勢の神宮では、内宮は「右側通行」、外宮は「左側通行」と立て札に書かれていますが、たしかに内宮の手水舎は右側、外宮は左側にあります。

しかし、何回も行ったことがあり、どちら側に手水舎があるのか分かっている場合や、参道を歩く前に手水舎が見えればいいですが、そうとも限りません。
では、そのような場合はどうすればいいのでしょうか?

すみません、はっきり言って分かりません(笑)

分からなければ周りの参拝者に合わせて歩くか、周りにいない場合は、どっちでもいいんじゃないですかね?

参道の真ん中は通らない?

参道を歩く際の注意点として、よく「正中(参道の真ん中)を通らない」と言われています。
正中は、神様の通り道とされているため、人がそこを通ることは避けるように書かれている神社も見かけます。

しかし、以前内宮を案内していただいた伊勢神宮崇敬会の方のお話を結論から言うと、「正中を避けるという考えは元々なく、あれは行き過ぎた考え方です。どこを歩いていただいても構いません」ということをお聞きしました。

確かに、伊勢の神宮の参拝方法を見ると「正中を避けろ」という記述はありません。
伊勢神宮・参拝の作法とマナー

一体いつからそういった考えが生まれたのかは分かりませんが、戦後「二礼二拍手一礼」でほとんど統一された参拝作法の背景から読み解くと、これも後付の考えなのかもしれませんね。

どちらを支持するかはおまかせしますが、私はあまり行き過ぎた考えは、かえって参拝を窮屈なものにしてしまうのではないか、と思っています。
なので、最近はあまり正中を気にすることがなくなりました。

あ、「正中を通るな」と立て札などがある場合は別ですよ。
ない時は気にせず歩いています。

人は「ダメだ」と言われると「そうなのかなあ」と思いますし、「別にどっちでもいい」と言われても「そうかなあ」と思うということに気付かされました。

ちなみに、参道に敷き詰められている玉砂利ですが、あの「ザッザッ」と踏みしめる音で、心を清める意味があるそうです。
たまに外国人のお客様から、なぜ玉砂利が敷いてあるのかについて質問を受けますよ。
参道がやたら長いのも、本殿に到着するまでに心を清め、気持ちを落ち着けるためなんでしょうね。
神道は「祓い清め」をどこまでも重要視していますよね。

神社での参拝方法を分解する ~手水舎編~

月読宮

今日は神社での参拝方法を分解する「手水舎編」です。

鳥居をくぐってまず説明するのがこの手水舎での作法。
ガイドであれば正確にお客様にお伝えできるようにしておきたいところです。
しかしながら、社殿での参拝と同じように、間違った作法を教えているガイドをよく見かけます。
また、その土地によって独特な作法もありますので、あわせてお話をします。

手水舎は「てみずや」「てみずしゃ」「ちょうずや」「ちょうずしゃ」など様々な呼び名がありますが、まあ、どれでも呼びやすいものでいいと思います。

ちなみに私は「てみずや」派です(笑)

手水舎の起源

以前は川で禊をして神社の聖域に入ることが慣わしでした。
熊野では、大斎原へ入るには、音無川を渡らなければなりませんでしたし、那智大社では大門坂に入る前(振ヶ瀬橋があるところ)で禊をし、神倉神社でも同様でした(今その川はドブ川になっていますので、とてもではないですが無理です)
江戸期に入ってからは音無川に橋がかけられましたが、それでも川で禊をする参詣者が多くいたと聞きます。

また、お燈まつりの日には、王子ヶ浜で禊をする方もいます。
ある地元の人に聞くと「あれはコアな人がやることだ」と聞きましたが(笑)
コアな方、読んでいましたらすみません。

また、歴史を遡ると、藤原定家は風邪を引いている中、田辺の浜で潮垢離をさせられたと、彼の日記に文句を書いています。
田辺からはいよいよ熊野の聖域に入るとされていたため、そこで禊をすることが重要と考えられていたのでしょう。
禊はそれで終わりません。
富田川(石田川・いわたがわ)は、熊野の聖域から流れてくる初めての川なので、ここでの禊も重要視されていたようです。
藤原宗忠の中右記によると、一ノ瀬(市ノ瀬)あたりから滝尻王子にいたるまで19回も富田川を渡渉したと記録されています。

なので、神社の聖域に入ることはもちろん、場所的に聖域と考えられていた所に入る前には、禊を行う慣習があったようです。

現在の手水舎での清めは、その簡略版です。
・・・昔に生まれていなくてよかった(笑)

ある語り部さんからのお話では、「災いをもたらすところを清める」と聞きました。
たしかに、手も口もそうですよね。

ちなみに、「一ノ瀬」は現在「市ノ瀬」となっていますが、昔は「六ノ瀬」まであったと聞いたことがあります。

水を掬う

さて、本題です。
神社によって、「柄杓を取る前に軽く一礼をする」など、細かいところの違いはありますが、今回は割愛します。

まず、柄杓を取り、水を掬います。
「龍の口から汲まなければいけない」とか、そういう決まりはないと思います。
伊勢の神宮や本宮大社の階段の途中にある手水舎は、そういった類のものがありませんので。
あれば汲んでもいいかもしれませんが、チョロチョロ出ている水を柄杓一杯まで汲むのは時間もかかります。
他の参拝者の迷惑にならないようにしたいものです。
私は、よっぽど淀んだ水でなければ、手水鉢にある水を掬います。

左→右→左

まず、左手を洗い、右手を洗います。
次に左手に水を受け、その水で口をすすぎます。
次にもう一度左手を洗います。
最後に柄杓を立てて次の参拝者のために柄に水を流します。

ここまでの一連の所作を、一杯の水で行います。
足りなくなったら再び汲んでもいいですが、慣れれば一杯ですべて洗うことができるようになります。
途中で水がなくなる人は、修行が足りん(笑)

さて、新宮では少し作法が違うようです。
はじめに左を洗い、右を洗う、ここまでは同じです。
次に、龍の口(または蛇口)から新たに水を汲み、その水で口をすすぎ、左手を洗う、柄杓を立てて柄杓に水を流す・・・といった具合です。
「郷に入れば郷に従え」なので、その土地に作法があれば、それで行うのもいいと思います。

なぜ、左から先なのか、これは陰陽の考え方に基づくと思っています。
陰陽では、左が陽で右が陰、左が先で右が後だからです。
たしか、ホツマツタヱに「左が先で右が後」という記述があったかと思います。
ホツマツタヱでは「ヲ」と「メ」ですがね。
中国の陰陽五行は、日本発祥です。

話がそれましたが、左→右→左手で水を受けて口をすすぐ・・・で終わりとしているところもあります。

あるガイドさんと一緒に仕事をした時に、彼の手水舎での説明は左→右手で水を受けて口をすすぐ→終わり・・・でした。
これは明らかにおかしいです。
彼の立場というものがありますのであえて突っ込みませんでしたが、間違った作法を広めていると考えれば、やはり確認をしておくべきだったのではないかと反省しています。

神社での参拝方法を分解する ~足の運び編~

今日は神社での参拝方法を分解する「足の運び編」です。

あなたは、社殿の前で二礼二拍手一礼をしたあと、どのようにしてその場を去りますか?
色々調べましたが、細かく指南されているところが見当たりません。
たまに聞く話として、「お尻を神様に向けると失礼だから、正面を向いたまま2、3歩下がる」くらいのものです。

小笠原流では、そのことについてもきちんと教えてくれます。

社殿に向かって右側に立っている場合

その例として、社殿に向かって右側に立っている場合でお話します。

①お参りを終えると、両足を揃えている状態から左足を後方(右足の外側)に引きます。
この時、残した右足は正面を向いたままです、

足を引くことによって自然に頭がさがり、お辞儀をしているような所作になりますので、神様に対しても失礼にはなりません。

②次に残している右足を引き、左足に揃えます。
この時点で、社殿に対して横向きになっています。

③次に左足を90度程度開いて向きを変え・・・(普通に踏み出してもかまいません)

④最後に右足を踏み出し、普通に歩いてその場を離れます。

まっすぐ後ろに2、3歩下がると他の参拝者にぶつかる可能性もあります。
また、すぐ後ろが階段のような場所では危険です。

いずれにしても、最終的には神様にお尻を向けてしまいますので、安全かつ失礼のない小笠原流でされてみてはいかがでしょうか?

なお、社殿に向かって左側に立っている場合は逆の動き、つまり、右足を引く→引いた右足に左足を引いて揃える→右足を踏み出す→左足から歩き始める・・・となります。