「この国、あげる」
中華民国が建国された時、東トルキスタンはまだチャイナの一部ではありませんでした。
しかし、チャイナが建国された時、ソ連の支配下にあった当時の東トルキスタンは、中国にプレゼントされたのです。
まるで物を取り扱うような扱いで、東トルキスタンはチャイナの支配下に入ってしまうことになります。
それはこのような経緯があったそうです。
1933年11月 第一次東トルキスタン・イスラム共和国建国が建国されます。
これを「第一次共和国」と呼びます。
この時代に、大統領、総理大臣、内閣、憲法ができます。
これは、独裁か王政しかない当時のイスラム世界では画期的な出来事で、立派な近代民主国家でした。
現在残っている東トルキスタンの国旗や国章は、この当時にできたものです。
しかし、スターリン率いる当時のソ連から見れば、このことは脅威でした。
早速、同じ年の1933年12月に、ソ連は5000人の赤軍を東トルキスタンに派遣し、空爆を開始。
また、中国人系の軍閥や回族武装集団を支援し、国内で工作活動を開始。
たった半年で東トルキスタンは潰されてしまいました。
この後、今度はソ連が東トルキスタン独立の支援をするようになります。
え?どういうこと?と思いましたが、それにはきちんとした理由がありました。
東トルキスタンからソ連に留学した学生たちの中に、ソ連KGBのスパイになって戻って来た人たちがいたのです。
彼らは、社会主義国家を建国しようと動き始めます。
その人たちが中心になって、「東トルキスタン独立戦争」ともう一度し、1944年11月12日「第二次東トルキスタン・イスラム共和国」が建国されます。
しかし、この国はソ連のスパイが多数入り込んでいたため社会主義化が進み、完全にソ連のコントロール下に置かれるようになります。
1949年、北京において毛沢東による中華人民共和国が建国されると、ソ連は東トルキスタンをチャイナにプレゼントしてしまいます。
同年12月、早速20万人の人民解放軍を東トルキスタンに派遣して侵略し、東トルキスタン共和国軍を武装解除します。
1953年、東トルキスタン共和国軍を人民解放軍に編入します。
1962年、インドとチャイナの間で紛争が起き、その際に東トルキスタン共和国軍が派遣され、多くの兵士が命を落とします。
それでも残った人々は、粛清に次ぐ粛清によって処刑され、チャイナに忠誠を誓った人だけが残ったそうです。
この、他国の人間を戦地に繰り出させるという手段はチャイナの常套手段のようです。
