
今回も小名木善行さんのお話のまとめと、わたしがこれまでに学んだことについて書きたいと思います。
岡本太郎と太陽の塔
「芸術は爆発だ!」の岡本太郎さん、実は「縄文ファン」で、あの有名な作品「太陽の塔」は、縄文式土器をモチーフに作られたものだそうです。
その岡本太郎さんは「縄文時代」ではなく「縄文文明だ」と主張されていたそうです。
縄文時代とその文化
縄文時代は、今から1万7000年前(!)から、3000年前頃まで、14000年に渡って続いた時代です。
西暦はたった(?)2000年です。
その約7倍の長きに渡り続いた時代です。
縄文遺跡は日本各地で発見されており、数万箇所あるそうですが、「◯◯貝塚」と呼ばれている遺跡は縄文遺跡なのだそうです。
世界各地の遺跡から出土しているもので、いまだかつて縄文遺跡から一つも発見されていないものがあります。
何だと思います?
縄文時代について勉強された方や、小名木さんのお話を聞いたことのある方ならお分かりかもしれません。
答えは「対人用の武器」です。
この14000年の長きに渡り、争いの痕跡が発見されていないのです。
中には頭蓋骨に穴が開いたものが発見されていますが、それが果たして争いによってもたらされたものなのか、事故によるものなのかははっきりと分からないらしいです。
ただ、そういった頭蓋骨も全体の1%しかなく、また、損傷部分が頭蓋骨だけなので、争いではなかったのかもしれません。
もし、争いによってのものであれば、体の他の部分にも損傷が見つかってもおかしくはありませんが、それが発見されていません。
一応、矢尻や石斧が発見されていますが、石斧は対人用にしては柄が長すぎで、人をそれで打とうとするなら柄が折れてしまうらしく、矢尻も対人用にしては小さすぎることから、小動物を狩るためのものだったようです。
このことから、日本人は元来争いを好む民族ではなく、そのDNAがわれわれ日本人の奥にあるのかもしれません。
議論をする時でも、感情的になって言い争ったとしても、殴り合ったりとか暴力に訴えて、最後には武器を突きつけて相手に無理やり従わせるということをせず、どこか共通点や共感点を見つけていくという方法を取ります。
こうした「争わない姿勢」が、縄文時代から学ぶ最も重要な部分であると小名木さんはおっしゃいます。
「歴史とは争いの歴史」ではない
よく「歴史とは争いの歴史」と聞きます。
歴史には戦いがつきものだと。
しかし、以上のお話からも分かるように、日本にははるか昔には争いはなく、人々が協力しあいながら平和に暮らしていたのではないかと思わせます。
「戦いの歴史」が始まったのは、長い縄文の平和な時代から見れば「つい最近」の話なのです。
これをよく表す言葉として「天皇を中心とした」といいます。
「天皇を頂点とした」ではないのです。
天皇を「頂点」とすれば、権力や武力で国民を支配してしまう意味になります。
これは他の大陸の国々のやり方です。
そうではなく、天皇も人々の気持ちや意見を汲み取り、国民とともに生きることで人々からの信頼を得られ、そこから自然と崇められるような存在になられたのだと思います。
「崇めさせる」のではなく、国民が自発的に「崇める」
まさに人々をしらす(知らす・治らす)、つまり、国民を「大御宝」とし、「天皇と国民は一体」として国民を大切にしてきたからこそ、人々から崇められるようになったのでしょう。
その証拠として、京都御所は中学生でも簡単に乗り越えられるような低い塀しかありません。
普通の他国の王であれば、鉄壁の堀と城壁で城を取り囲み、命を狙われないようにしています。
天皇がお住まいになられるところは、それをする必要がなかったことを表します。
古来から争いを好まない文化は今、「ただのお人好し」になっているきらいがありますが、曖昧な気質とともに、日本人特有の文化でもあると思います。
ただ、それでは済まない状態になって来ていることは事実です。
話し合いで納得してくれるような相手が周りにいない今の状態では、毅然とした態度で、時には武力を盾にしながら(武力を行使するという意味ではありません)外交をする必要がある時代に来ていると思います。
