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聖徳太子と十七条憲法①
聖徳太子と十七条憲法②
福沢諭吉をはじめとする幕末の翻訳家たちは、「憲法」と「constitution」と一体化させてしまうと大きな誤解を生んでしまうので、「憲法」ではなく「律法」という言葉を使っています。
「フランス律法」「プロイセン律法」など。
ところが、明治6年の大日本帝国憲法のスタートの時に、熊本藩士の林正明と津山藩の箕作麟祥(みつくり あきよし)がそれぞれフランス憲法や合衆国憲法を翻訳するにあたって、「きっとこれは十七条憲法と同じだろうから、『憲法』という文字を使ってしまえ」ということで「憲法」という漢字を使ってしまいました。
大日本帝国憲法は西洋の「constitution」に真似事であって、時代の変遷によって内容を変えていかなければならないものであったにも関わらず、まったく改正されずに時代にそぐわないものになり、その結果日本は「敗戦」を味わってしまうことになりました。
昭和22年、日本は連合国の統治下にありました。
占領統治下というとことは、日本には主権はなく、GHQが占領軍として日本を統治していました。
この占領軍が「日本人服務規程」として、日本人のための「The Constitution of Japan」を作り、「お前たちは占領統治化の日本人として、ここに書いてある通りにしろ」と言って渡されたものが「日本国憲法」なのです。
これまでのお話から判断すると、「日本国憲法」の「憲法」という言葉が、いかにおかしいものかがよく分かります。
