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國破れてマッカーサー①
「マッカーサー直筆」憲法
1945年10月11日、マッカーサーは幣原首相に明治憲法の改正を命じます。
同じ日、近衛文麿は天皇から憲法草案に着するように正式に命じられます。
同じ日に憲法改正の公式委員会が2つ出来上がりました。
幣原首相は、松本烝治(じょうじ)を委員長に任命します。
同じ日に同じ委員会ができたため、2つの委員会の長は犬猿の仲でした。
近衛文麿がまず憲法草案をマッカーサーに提出しますが、却下。
その結果、マッカーサーは近衛を戦犯容疑者の一人に指名し、巣鴨刑務所の出頭するように命じます。
近衛は、これを「耐え難いことである」と服毒自殺。
続いて、松本草案が提出されますが、これも「即死」
「却下」の一番大きな原因は、天皇に関する内容が、マッカーサーの考えと違っていたからです。
さて、マッカーサー自身はどれだけ憲法草案に「肩入れ」をしていたのでしょうか?
以下引用です。
彼の回想は、己の偉業を守るための大失態の隠蔽か。
(中略)
モスクワ協定に基づき、憲法改正について、自分はいかなる行動もとらないと言ったのは、嘘だった。
事実、マッカーサーと彼の部下たちは、新憲法草案に関して日本の指導者とたびたび会い、協議をしていたので、マッカーサーは松本が、自分の考えを反映するものと期待していた。
裏切られたと思ったマッカーサーは、憲法改正に手を出さないとの態度をかなぐり捨て、第一分子の民政局長ホイットニーに、自分の直筆のノートを手渡し、憲法草案を書けと命じた。
そうして、民政局は6日で憲法草案を作成します。
それを松本と外相の吉田に手渡しました。
「ホイットニー准将は私に、GHQが松本草案に満足していないので、このモデル草案をもってきた。この草案に基づいて、できるだけ早く、改正案を作成せよと命令した。草案はアメリカ政府ならびに極東委員会の承認を得るものであろうと言い、もし日本側が即刻改正案を提出しなければ、天皇になにが起こってもGHQがは知らないぞ、とまで言った」
ホイットニーは、「内閣が草案を差し出さねば、マッカーサー元帥はこの草案を(政府を通さずに)国民の前に提出する用意がある」と言った。
日本保守派は、天皇を救うためならば何でもすることを、GHQは毎日のように見ていた。
「48時間以内に返答せよ」とホイットニーは吉田に命令する。内閣も大衝撃を受けた。
こうしてとうとう、「新憲法」が誕生します。
しかし、幣原はAP記者に、「日本側が天皇の新しい定義として国家の象徴を提案した」と語っている。
そう言え、とマッカーサーからの厳命だったのだろう。
天皇が「国家の象徴(シンボル)」という発想は、当時の日本人には不可能な考え方だ。「シンボル」はアメリカ人の発想だ。
このあと、マッカーサーは声明を発表します。
しかし、自責の念に駆られたのか、マッカーサーの死期が近づいてきた時に自伝にこう書いています。
どの口が言っているんでしょうか。
第九条・軍人の白昼夢
「新憲法」の特徴として、西先生は2点挙げています。
一つは人権・市民権の保障、もう一つは9条です。
「特徴」ではない。第九条は昭和憲法の礎石である。
第九条の上に「戦後日本」が作られた。
敗戦直後の虚脱状態にあった日本国民から、平和という甘い言葉を使い、「愛国心」と「誇り」を誘い出し、マッカーサーは素手で扼殺(やくさつ)した。
その死体が第九条だ。
マッカーサーは後に言い訳をしています。
最初の釈明。
マッカーサーがトルーマン大統領に解任された三週間後、1951(昭和26)年5月5日、アメリカ会議の公聴会で、第九条は「幣原首相が新憲法の中に書き入れた」と断言した。
第二回目は、彼の「回顧録」の中で少々込み入った言い訳をする。
「(幣原首相は)1945年1月24日正午、私の司令室に来て、ペニシリンについて礼を言った。私は彼がどこか当惑げで躊躇しているのに気付いたので、言いたいことがあるなら率直に話すように勧めた。すると、彼は新憲法が最終決定する時には、いわゆる戦争放棄条項を含めるよう要求した。彼はまた、いかなる軍事機構も禁止するように提案した」
理由は明白です。
冷戦が激化し、中国が共産主義の下に大革命を成功させ、ソ連が原爆実験に成功し、朝鮮半島がいまにも戦争になりそうになり、あたかもアジア全土が共産主義の下に屈服されられるのではないかという情勢が目の前に展開したので、吉田首相に命じて警察予備隊を創設し、共産主義に対して国防・自衛をするようにと命じた。
日本を弱体化させ、自衛権を奪ったツケが早くも顕現化したのです。
言い訳はまだ続きます。
それ故に、マッカーサーは逃げ口上を並べ立て、責任を回避しようとする。
「世界情勢が変わり、全人類が自由の防衛のため武器をもって立ち上がり、日本も危険に晒される事態となった時には、国の資源の許す限り、日本も最大の防衛力を発揮すべきである。憲法第九条は最高の理想から出たものだが、挑発しないのに攻撃された場合でも自衛権を持たないという解釈は、どうこじつけても出てこない」
そしてとうとう、戦後わずか5年の1950年6月25日に朝鮮戦争が始まります。
もはや「戦争放棄」などと言っていられなくなりました。
現に機雷掃討で日本がすでに駆り出されています。
マッカーサーは「失敗者」です。
日本がなぜチャイナや満州を守っていたか、分からなかったんでしょうね。
ただ単に「俺たちがそこの資源を得るためには日本の存在が邪魔だ。追い払ってやれ」という、目の前の利益しか見えていなかったのでしょうね。
朝鮮には当然自国を防衛するような国力がない。
チャイナが共産化すれば、すぐに日本は危なくなる。ということが日本にはすでに見えていたのです。
そして、ソ連はアメリカと日本を戦わせ、両国の国力を奪って疲弊したところに攻め入るという「漁夫の利」をまんまと得たのでした。
九条は、いまだに日本を縛り付けています。
自分の家を守るのに、近所の強い人にお金を払って守ってもらうんですか?
その人は、本当にあなたを守ってくれますか?
強盗が押し入って来ても「話し合えば分かる。話し合おう」と言えば相手は納得して話し合いに応じてくれると思いますか?
「私は武器を持っていません」と言えば相手は強盗に来ないのですか?
「武器を持てば強盗に入られます。武器は持つな!」
もっと言えば「傘を持つと雨が降ります。だから傘は持つな」と言っているのと同じです。
滑稽ですよね?
共産党や公明党が言っているのは、これと同等のことです。
国防についてはまたの機会に触れたいと思います。
本は戦後の悲劇「平和教育」、そして終わらぬ「戦後」の始まりへと続きますが、続きはぜひ書籍を読んでいただければと思います。
この本の中で、日本占領初期にGHQの労働部で労働法立案に関わったヘレン・ミアーズは至極真っ当なことを言っています。
アメリカの鏡・日本
最後に、この本に書かれている彼女の見解が紹介されていますので、それをご紹介して終わりたいと思います。
彼女によれば、ペリーの黒船から終戦までの日米関係は次のようなものだ。
アメリカ政府は、日本が朝鮮半島やアジア大陸へ侵略をしたから日米戦争になったとアメリカ国民と世界中に言い触らしているが、世界地図を見れば、どの国がアジアへ進出したか歴然としている。
我々アメリカが遠く離れたアジアへ乗り込んでいったのだ。
日本は、アメリカ大陸へも、ヨーロッパ大陸へも進出していない。
アメリカは、アジアで日本が邪魔になったので、無理難題を投げつけ、日本を窮地へ追い込んだ。
日本は、自衛のために闘うより他に生きる道はなかったのだ。
アメリカは、勝つことの解っていた戦争に日本を引き摺り込み、日本を徹底的に破壊し、力尽き果てた日本兵と一般市民を殺しまくり、勝敗のついた後でも、原子爆弾を二発も使い、さらなる大量殺戮を実行した。
占領下、GHQは狂気の軍国主義日本を民主平和国家にすると独善的な言葉を使っているが、すばらしい文化と長い歴史を持っている日本に武力でアメリカ様式を押し付けているだけだ。
私たちの国と子孫を守るため、勇敢に散って行かれた英霊の方々は、今の日本の姿を見てどう思っておられるでしょうか?
「私たちが残したかった日本ではない」
という答えが返って来そうです。
身を挺して我が国のために戦ってくれた英霊の方々、すべてに感謝を申し上げます。
