
今回は神社の役割についてです。
現在の神社は、単にお参りに行くだけのものになっていますが、昔は様々な重要な役割があったことをご存知ですか?
米の管理場
昔は、出来上がった米はすべて神社に奉納していました。
米を預かった神社は、一定の時期がくれば籾米(もみまい)を育てて苗を作って農家に配り、農家はそれで再び稲を植える、そしてその稲を再び収穫して神社に奉納するというサイクルがありました。
米は長期保存ができるため、その年に奉納した米は蓄えられ、古古米(3年経った米)が人々に配らていました。
税としての米
お米の管理はそれだけにとどまりません。
農家から奉納された米の2~3割、全体としては概ね半分を県単位の神社、または国司に税として納めます。
「納税」を受けた国司は、その3割を地元のために取っておき、残りの2割を中央(朝廷)に送ります。
全国で収穫されて集まったその2割の米を中央が管理し、災害などが起こって米が穫れなくなった地域があればその地域へ分配するという仕組みを取っていました。
地域によっては、自分たちが治めた何倍のも量の米を返してもらうことができました。
日本における年貢制度は、災害保険としての意味合いがあったのです。
人々が集う場所
田植えをする時に水を引く順番を決める時など、村で会議をする時などはすべて神社で行っていました。
今であれば公民館とか農協などで話し合いがされると思いますが、昔は神社がその場所でした。
話し合いの場が神社から公民館になったのは、戦後にGHQが取った政策の一つです。
そして収穫があると神社で祭りをします。
これはいまだに残っています。
神社のネットワーク
中央で元号や暦が変わると、神社のネットワークを使って全国津々浦々にその情報が浸透していきました。
中央(朝廷)の命令は天社(あまつやしろ)に下され、次に国社(くにつやしろ・都道府県単位の神社)に伝えられ、神地(かむどころ・市町村単位の神社)に伝えられ、市町村単位の神社は神戸(かむべ・町内ごとの氏神様)へと伝えられる仕組みがありました。
その速度は日本全国津々浦々、3日もあれば中央からの意向が全部に伝わったそうです。
新しい制度によって、全国ではどのようになっているのか、いい方向に行っているのか、またはその逆なのかを、今度はその情報を神戸(かむべ)から上に上げていきました。
神社のネットワークを使って我が国の統治が行われていたと同時に、人々と密接な関係があり、生活に密着していたことが伺えます。
神社のネットワークについては、こちらの記事もご参照ください。
歴史に学ぶ重要性(一国であり続けることの意味)
