前回まではこちらをご参照ください。
【紀伊路】紀伊宮原駅~湯浅駅①
【紀伊路】紀伊宮原駅~湯浅駅②

糸我稲荷神社

すみません、この神社については詳しいことは分かりません。
ただ、京都の伏見稲荷の創建よりも60年古く、日本最古の稲荷神社と言われているそうです。
そういえば、新宮の阿須賀神社境内にある稲荷神社も相当古く、こちらも日本最古と聞いたことがあります。
さらには、京都伏見稲荷はここから勧請されたという説を唱える人もいるとか。
ちなみに、奈良県の玉置神社の三柱神社は、この稲荷神社から勧請されたという記録が社伝に残っていると聞いたことがあります。
はたしてどちらが古いのかは分かりませんが、「相当古い」ということは確かなようです。
糸我稲荷神社楠の大木
説明板より
稲荷神社の楠の木は、記録によると明治十三年までは四本あったとされています。
現在は三本であるがその配置から見ると境内の四隅に計画的に植えられていたことがうかがえます。
三本とも樹勢は旺盛で、それぞれの幹の廻りは5メートルから6.5メートルに達し、樹齢も五百年以上を経ており、市内最大のものです。
鳥居に掲げられた「本朝最初」の扁額にふさわしく稲荷神社の歴史を物語る大木です。
現在は三本であるがその配置から見ると境内の四隅に計画的に植えられていたことがうかがえます。
三本とも樹勢は旺盛で、それぞれの幹の廻りは5メートルから6.5メートルに達し、樹齢も五百年以上を経ており、市内最大のものです。
鳥居に掲げられた「本朝最初」の扁額にふさわしく稲荷神社の歴史を物語る大木です。
糸我稲荷神社の隣には、くまの古道歴史民俗資料館があります。
ここで様々な熊野古道にまつわる情報が展示されていますが、あいにくこの日は休業日で入ることができませんでした。
開館時間は9:30~17:00。
水曜、木曜は定休日です。
・・・定休日。
それも二連休。
やる気の高さがうかがえます。
糸我王子

説明板より
藤原宗忠は、天仁二年(1109)十月十八日に、有田川に係る仮橋を渡って、伊止賀(いとが)坂を登っていますが、王子の名は、その時の日記には書かれていません。
それから約百年後、藤原定家は後鳥羽上皇の熊野御幸に随行して、「いとカ王子」に参っています。
「糸我王子」と正しく書いたのは、藤原頼資の日記です。
頼資は修明門院に随行して、承元四年(1210)四月二十五日に、この王子社に参拝しています。
糸我王子社は近世には廃絶していたらしく、「紀伊続風土記」に、「廃糸我王子」と記されています。
また、この付近には、江戸時代に「水王子社」と「上王子社」がありましたが、地元では、上王子社を糸我王子に比定しています。
両王子社は明治時代、稲荷神社合祀されましたが、平成七年愛郷会の人たちによって、当地に糸我王子として再建されました。
それから約百年後、藤原定家は後鳥羽上皇の熊野御幸に随行して、「いとカ王子」に参っています。
「糸我王子」と正しく書いたのは、藤原頼資の日記です。
頼資は修明門院に随行して、承元四年(1210)四月二十五日に、この王子社に参拝しています。
糸我王子社は近世には廃絶していたらしく、「紀伊続風土記」に、「廃糸我王子」と記されています。
また、この付近には、江戸時代に「水王子社」と「上王子社」がありましたが、地元では、上王子社を糸我王子に比定しています。
両王子社は明治時代、稲荷神社合祀されましたが、平成七年愛郷会の人たちによって、当地に糸我王子として再建されました。
文中に出てくる「伊止賀」は、おそらく当て字でしょう。
近露王子を「近津湯」と書いているのもそうですね。
昔は、音に合わせて感じを当てることがよく行われていたようです。
【紀伊路】紀伊宮原駅~湯浅駅④に続きます。
