前回まではこちらをご参照ください。
【紀伊路】紀伊宮原駅~湯浅駅①
【紀伊路】紀伊宮原駅~湯浅駅②
【紀伊路】紀伊宮原駅~湯浅駅③
糸我峠
峠ふもとの道標から約0.8km、20分で峠に到着します。
途中、一部未舗装の道があります。

案内板より
熊野参詣道紀伊路の有田市と湯浅町の跨る丘陵を南北に越えるのが糸我峠である。
古代からの交通の要衝地であり、「万葉集」七巻に「足代(あて)過ぎて 絲鹿(いとか)の山の桜花 散らずあらなむ 還り来るまで」と詠まれている。
「熊野御幸記」には、イトかの王子に参ず又険阻(けんそ)を凌ぎてイトか山を昇る」と記されている。
「平家物語」の巻第六「祇園女御」には、糸我峠における伝説が記されている。
平忠盛は白河院が寵愛していた祇園女御を賜っていたが、その女御は白河院の子を孕んでいたので、白河院は「生まれる子が女子であれば我が子にし、男子であれば忠盛の子にして武士にせよ。」と仰せになられた。
まもなく男子が産まれ、忠盛はそのことを奏上しようと思っていたが、適当な機会がなかった。
白河院が熊野御幸の途中、糸我峠に輿を据えさせてしばらくご休憩なされた。
その時、忠盛は藪にぬかご(山芋)がいくつもあったのを見つけてそれを採り、白河院に「いもが子ははふほどにこそなりにけれ」と申し上げた。
すると院は直ちにお気づきになり、「ただもり取りてやしなひにせよ」と後の句をお付けになられた。
忠盛は山芋にかけて女御が男子を産んだことを報告し、院もすぐに察知して連歌にてこれを詠まれた。
この時から忠盛は自分の子として養うようになり、その男子が後の平清盛であるという。
近世の様子として、文化8年(1811)発行の「紀伊国名所図会」に、「道を挟んで二軒の茶店があり、名産の蜜柑を貯へおきて盛暑のころ是を往来の人に鬻(ひさ)ぐ其氣味佳妙(そのきみかみょう)にして金掌玉露(きんしょうぎょくろ)にも勝るとして他郷の人ハ殊更に驚嘆す」との記述があり、現在と同じ場所に峠と一里塚や古道が描かれている。
現状の道は、有田市糸我から湯浅町吉川に抜ける里道であり、大部分は蜜柑栽培の作業道となっている。
峠から糸我側には七曲がりと呼ばれる地道が続いている。
峠から吉川側の道は、簡易舗装されているものの大規模な改変はされておらず、往時の計上を保持しているものと考えられる。
このように、糸我峠は、古代から交通の要衝地であり、和歌山県の歴史を考えるうえで重要な交通関連の史跡であるため、平成27年10月7日に国の史跡「熊野参詣道」に追加指定されている。
古代からの交通の要衝地であり、「万葉集」七巻に「足代(あて)過ぎて 絲鹿(いとか)の山の桜花 散らずあらなむ 還り来るまで」と詠まれている。
「熊野御幸記」には、イトかの王子に参ず又険阻(けんそ)を凌ぎてイトか山を昇る」と記されている。
「平家物語」の巻第六「祇園女御」には、糸我峠における伝説が記されている。
平忠盛は白河院が寵愛していた祇園女御を賜っていたが、その女御は白河院の子を孕んでいたので、白河院は「生まれる子が女子であれば我が子にし、男子であれば忠盛の子にして武士にせよ。」と仰せになられた。
まもなく男子が産まれ、忠盛はそのことを奏上しようと思っていたが、適当な機会がなかった。
白河院が熊野御幸の途中、糸我峠に輿を据えさせてしばらくご休憩なされた。
その時、忠盛は藪にぬかご(山芋)がいくつもあったのを見つけてそれを採り、白河院に「いもが子ははふほどにこそなりにけれ」と申し上げた。
すると院は直ちにお気づきになり、「ただもり取りてやしなひにせよ」と後の句をお付けになられた。
忠盛は山芋にかけて女御が男子を産んだことを報告し、院もすぐに察知して連歌にてこれを詠まれた。
この時から忠盛は自分の子として養うようになり、その男子が後の平清盛であるという。
近世の様子として、文化8年(1811)発行の「紀伊国名所図会」に、「道を挟んで二軒の茶店があり、名産の蜜柑を貯へおきて盛暑のころ是を往来の人に鬻(ひさ)ぐ其氣味佳妙(そのきみかみょう)にして金掌玉露(きんしょうぎょくろ)にも勝るとして他郷の人ハ殊更に驚嘆す」との記述があり、現在と同じ場所に峠と一里塚や古道が描かれている。
現状の道は、有田市糸我から湯浅町吉川に抜ける里道であり、大部分は蜜柑栽培の作業道となっている。
峠から糸我側には七曲がりと呼ばれる地道が続いている。
峠から吉川側の道は、簡易舗装されているものの大規模な改変はされておらず、往時の計上を保持しているものと考えられる。
このように、糸我峠は、古代から交通の要衝地であり、和歌山県の歴史を考えるうえで重要な交通関連の史跡であるため、平成27年10月7日に国の史跡「熊野参詣道」に追加指定されている。
なかなか読みごたえがあります(笑)
歩いている時にこれをじっくり読んでいる人はおそらくいないでしょうね(笑)
しかし、この糸我峠にはそれだけのお話が詰まっているところであるということですね。
峠からの眺望はすばらしいです。
険阻とは地勢の厳しい様のことを言います。
藤原宗忠の中右記には滝尻の上りのことを「崔嵬険阻(さいかいけんそ)」と表現しています。
崔嵬とは岩がごろごろしていて険しい様のことを言います。
崔嵬(さいかい)
険阻(けんそ)
「名産の蜜柑を貯へおきて」は、蔵出しみかんのことでしょうか?
蔵出しみかん
しかし、蔵出しみかんの出荷は1月下旬とのことなので、また違うミカンのことでしょうかね。とても「盛暑の頃」までは持たないのでは?
また、峠には説明板にあった歌を刻んだ碑が立っています。

糸我峠を下りきったあたりに吉川老人憩いの家があります。
トイレもできます。

建物から想像するに、トイレの様子を想像してから実際に見ると結構キレイで、いい意味で期待を裏切ってくれます。
ベンチもあるので少し休憩もできます。
以前案内してもらった時は、ここでお昼を食べました。
