滝尻~高原が一通り終わりましたので、今回からは高原~近露王子について数回に分けてお話をします。
庚申さん
滝尻~高原の間にも庚申さんがありましたが、こちらでご説明を。

庚申さんとは、平たく言えば村の守り神です。
疫病や災いを村に入れないようにするため、だいたいは集落や村の出入り口にあたる場所に安置されています。
「庚申」とは「かのえさる」であり、十干と十二支の組み合わせによるものです。
十干とは、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸で、読み方は「こう・おつ・へい・てい・ぼ・き・こう・しん・じん・き」です。
さて、ここから話がややこしくなってきます。
この十干に、「陰陽五行」の五行「木火土金水」をあてはめ、「甲・乙=木」「丙・丁=火」「戊・己=土」「庚・辛=金」「壬・癸=水」とします。
ここからさらに、五行を兄(え)と弟(と)に分け、木=木の兄(きのえ)・木の弟(きのと)、火=火の兄(ひのえ)・火の弟(ひのと)、土=土の兄(つちのえ)・土の弟(つちのと)、金=金の兄(かのえ)・金の弟(かのと)、水=水の兄(みずのえ)・水の弟(みずのと)に分けます。
これで10通りです。
ひとまず十干は置いておきます。
次に十二支です。
これはみなさんご存知の通り、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の十二支です。
さきほどの十干の10と、この十二支の12を順番に組み合わせていくと、「金の兄(かのえ)」と「申(さる)」が合わさるタイミングがあります。
このタイミングを「かのえさる」と言います。
「金の兄」は十干でいうところの「庚」にあたるので、「庚」と「申」の組み合わせをもって「庚申(こうしん)」といいます。
10と12の組み合わせの最小公倍数は60です。
つまり、60回に一度「庚」と「申」の組み合わせが起こることになります。
この60日に一度来る日を「庚申の日」とし、この日は人々の体の中にある「三尸(さんし)の虫」が、人が寝静まったころに這い出て、その60日の間で、その人が働いた悪事を天帝に告げ口されると信じられていました。
天帝にひと度告げ口をされると、その人の寿命が縮んでしまうと信じられていたので、この日は、当時の人々は眠らずに一ヶ所に集まり食事をしたり酒を飲んだりして夜明けまで過ごしたそうです。
この集まりは、当時の貴重な情報交流の場であったようです。
三猿
庚申さんの像の下部には、だいたい三匹の猿が彫られています。
この三匹の猿は「見ざる・言わざる・聞かざる」を表していて、それぞれの猿が目と口と耳を押さえているのを見ることができます。
この由来については諸説あるようですが、私が聞いた話では「三尸の虫が這い出ないように穴を塞いでいる」というものがあります。
しかし、これでは鼻を押さえていなければ穴を塞いだことにはなっていないので、この説は違うのではないかと思っています。
私は、三尸の虫によって(悪事を)見られない・(天帝に)告げ口されない・(悪いことを)聞かれないようにするという意味ではないかと思っています。
あるいは、人々への戒めとして、(悪いものを)見ない・(悪口を)言わない・(悪いことや他人の悪口を)聞かないようにするためではないかとも思っています。
中国やタイなどでは四匹目の猿もいて、股間を押さえている「せざる」もあることから、やはり戒めとして三猿が彫られているのだと思います。
ちなみに、ここの庚申さんの説明板では「この庚申さんから夜間時々光が出ている」そうで、那須亀太郎さんが18歳の時にここを通りかかった時、ダイヤのような光を頂き、元気に過ごさせてもらっているそうです。
陰陽五行は日本由来?
さて、話は少しそれますが、陰陽五行は元来縄文時代の日本からその考えが始まり、それが中国に伝わり日本に「逆輸入」されたという見解もあります。
「陰陽」は「ヲ」と「メ」、五行は「うつほ(空)」「かせ(風)」「ほ(火)」「みつ(水)」「はに(土)」であり、これが日本語の母音のそれぞれ「あ」「い」「う」「え」「お」に当てはまります。
現在、ひらがなは表音文字として認識されていますが、古代の五十音にあたる文字にはそれぞれに意味があったそうです。
その代表例が「あいうえお」です。
すべての音がこの5つの母音・あいうえおに集約されることから、宇宙の根幹をなす5元素としてみなされていたそうです。
「ヲシテのあいうえおと空風火水地」もご参照いただければと思います。
今日はここまでです。






















