以前に紀伊路の研修をお願いした時に、都合が合わずに参加できなかった部分があり、歩いた区間が飛び飛びになっていたので、山中渓からしらみ潰しに歩いています。
今回は紀伊宮原駅~湯浅駅までです。
本当は紀伊内原駅まで歩いたのですが、シリーズ化をするとかなりの長編になってしまうので、湯浅駅で一旦区切ります。

天神社
すみません、写真を撮るのを忘れました。
案内板より
天神社は学問の神様を言われる菅原道真公を祭る。
「流れ天神」の異名があり、室町時代(1488年)の有田川大洪水のとき、粟生村(現有田川町)の四社明神が流されこの地に漂着した。
一度は粟生村に返されたが、五年後の大洪水に天神社のみ再び流されこの地に漂着した。
以来五百年余りこの地の守護神として祭られ、熊野詣の人々もこの神前で旅の安全を祈ってきた由緒ある神社である。
祭日は毎年一月二十五日の初祭りと七月二十五日の夏祭りである。
七月二十四日の宵宮祭りは近在からの参拝者も多く夜店も出て夜空をこがす打ち上げ花火は夏の夜の風物詩として現在も継承されている。
「流れ天神」の異名があり、室町時代(1488年)の有田川大洪水のとき、粟生村(現有田川町)の四社明神が流されこの地に漂着した。
一度は粟生村に返されたが、五年後の大洪水に天神社のみ再び流されこの地に漂着した。
以来五百年余りこの地の守護神として祭られ、熊野詣の人々もこの神前で旅の安全を祈ってきた由緒ある神社である。
祭日は毎年一月二十五日の初祭りと七月二十五日の夏祭りである。
七月二十四日の宵宮祭りは近在からの参拝者も多く夜店も出て夜空をこがす打ち上げ花火は夏の夜の風物詩として現在も継承されている。
再び流されてこの地にたどり着いたとは、よほどここの居心地が良かったのかもしれません(笑)
菅原道真公といえば学問の神様として有名ですが、遣唐使を廃止したお方です。
なぜ遣唐使を廃止したのかは、こちらをご参照ください。
唐との関係
菅原道真と遣唐使廃止
近くにもうひとつ、「熊野参詣道について」という説明看板があります。
山口王子社から宮原の集落を通り「宮原の渡」で有田川を渡り、糸我にいたる。
江戸時代紀州藩はこの道を官道とし、この宮原に宿駅をもうけ交通の要所とした。
ここは常に人や馬が準備されおおいに賑わった。
有田川畔の天神社のそばに「札場地蔵」とよばれる祠があり、有田川が増水したとき、ここの川止めの制札を建てたのである。
白倉山麓には重要文化財木造十一面観音立像のある広利寺、県指定法燈国師関係史料のある禅宗の円満寺が所在する。
また、県指定無形民俗文化財「有田川の鵜飼」は六百年前の応永年間に始められたともいわれ、「徒歩(かち)づかい」という特殊な漁法が伝承されている。
江戸時代紀州藩はこの道を官道とし、この宮原に宿駅をもうけ交通の要所とした。
ここは常に人や馬が準備されおおいに賑わった。
有田川畔の天神社のそばに「札場地蔵」とよばれる祠があり、有田川が増水したとき、ここの川止めの制札を建てたのである。
白倉山麓には重要文化財木造十一面観音立像のある広利寺、県指定法燈国師関係史料のある禅宗の円満寺が所在する。
また、県指定無形民俗文化財「有田川の鵜飼」は六百年前の応永年間に始められたともいわれ、「徒歩(かち)づかい」という特殊な漁法が伝承されている。
制札とは道や神社などに立てる札のことで、現在では禁止事項などを書いています。
鵜飼の漁法、徒歩づかいについてはこちらをご参照ください。
有田川の鵜飼
