
今日は、神社での参拝方法を分解する・柏手編です。
柏手(かしわで)の語源は定かではありませんが、拍手(はくしゅ)の誤写であるとか、手を合わせた形が柏の葉に似ているからとか、昔は柏の葉に食事を盛り、感謝の意味を込めて手を打っていたことに由来するという説があります。
まあ、とにかく手を打つことです。
今日はその柏手の作法について、一般に「作法」とされている打ち方と、小笠原流での打ち方を照らし合わせてお話をします。
神社本庁と小笠原流の違い
神社本庁では
「胸の前で両手を合わせ、右手を少しずらします」
としています。
これは神社本庁だけではなく、この作法が一般的とされています。
一方、小笠原流では右手をずらすことはせず、揃えたまま打ちます。
右手をずらす意味、ずらさない意味
では、右手をずらす意味とは何でしょうか?
所作にはおおかた、そうなった理由があるはずです。
一つは、神への敬意を表すためであるとされています。
陰陽の考えに基づくものだと思いますが、左が陽で神、右が陰で人を表すことから、右を少し下げるのだという考え方です。
もう一つは、柏手を2回打ったあとでずらした右手を揃えますが、これは右手がずれている時点ではまだ神と一体になっておらず、その後に指を揃えることで初めて神と一体となり、その力を得ることを表すのだとか。
また、手をずらすことにより、よりはっきりと音が鳴るからとも言われています。
はっきりとした音は神様にも伝わりやすいのでは?と言われているとか。
では、小笠原流はなぜそういった考え方がないのでしょうか?
理由は単純明快です。
本来、手をずらして打つ動作は「ご飯が出来たよ~」など、人を呼ぶ時にしか打たないそうです。
なので、小笠原流では「神様用」と「人間用」で、打ち方を区別しているんですね。
また、手をずらして打つことではっきりとした音が鳴るといいますが、練習すれば揃えた状態でもはっきりときれいな音が出せます。
「二礼二拍手一礼」が「作法」となったのは、戦後とか明治時代とか言われていますので、長い長い神道の歴史から見てつい最近のことです。
それまではその土地や社によって、あるいは人それぞれの参拝方法があったものだと思います。
柏手の「右手をずらす」という作法も、戦後の後付けかもしれませんね。
なんでわざわざ「神様とまだ一体でない」という状態を作り出す必要があるのか、その意味がわかりません。
ならば最初から「神様と一体でありますように」という願いを込めて揃えて打つ方が理に適っていると思いますがね。
どちらをお客様にお伝えするか(あるいは両方をお伝えするか)はおまかせしますが、「常識」とされていることが、実はその理由がそんなに説得力がなかったなんてこともあります。
この柏手の例も私はそう思います。
常識を疑ってみるとか、その理由を探ることも大切なのかもしれませんね。
手を開くのは肩幅まで
ガイドの中には「さてみなさん、お手を拝借ぅ~!」と言わんばかりに両手をいっぱいに開いて柏手を打つ人がいます。
入門 小笠原流礼法によると、武家社会では直垂(ひたたれ)のように袖の大きな装束を着用した場合は手をいっぱいに開いて打っていたそうですが、現在のような洋服や着物では、そのような所作は不自然です。
小笠原流でも、神社本庁でも、手を開く幅は肩幅までとされています。
直垂については、装束の種類(直垂)をご参照ください。
今日ご紹介した柏手を始め、姿勢、室内出入りの作法、物の持ち方・受け渡し、訪問・来客の作法、和服の扱い、暮らしの心得、食事の心得など、小笠原流礼法の初歩を網羅しています。
本書に書かれている作法は本当に無駄がなく、体の構造に沿った非常に美しい所作です。
勉強して損はないと思います。
恥ずかしくない作法で正しく人と接していきたいものですね。
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