【熊野古道紀伊路】紀伊宮原駅~西御坊駅④

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【熊野古道紀伊路】紀伊宮原駅~西御坊駅②
【熊野古道紀伊路】紀伊宮原駅~西御坊駅③

髪長姫と道成寺

吉田八幡神社の下に、髪長姫の物語を書いた看板がありました。

7世紀後半、九海士の里で誕生した宮子には大きくなっても髪が生えませんでした。

ある年、九海士の里は不漁。不漁の原因は海底から射す不思議な光でした。

宮子の母・渚は「娘に髪が生えないのは前世の報い。私が罪滅ぼしをすれば・・・」と自ら犠牲となって里人を救おうと海に飛び込みました。
海中に深く潜り、光り輝いているものを確かめると、それは小さな黄金の観音様でした。

渚は海中から観音様を拾い上げると庵に大切に祀りました。

光が消えた海では大漁続きとなりました。里人たちは渚を限りなく尊敬しましたが、渚は手柄を誇ることもなく謙虚に里人のため礼拝を続けました。

ある夜、渚に観音様が現れます。夢の中で髪の生えないかわいそうな娘のことを訴えました。
夢から覚めると宮子に美しい髪が生えており、宮子の父・早鷹と渚は大変喜び、観音様のおかげと大変感謝しました。

年頃になると髪ものび、とても美しい黒髪であったので「髪長姫」と呼ばれるようになりました。

ある日宮子の美しい黒髪をツバメがくわえ、奈良の都の当時勢力を誇っていた藤原不比等の宮殿まで運びました。
不比等はその美しい髪を見て「この髪の持ち主を宮仕えに迎えよう」と養女に迎えるのでした。

藤原不比等の養女となった宮子は、文武天皇の御后となり、奈良の東大寺を建立した聖武天皇をお産みになりました。

宮子は奈良に行っても故郷の九海士の里を忘れられず、特に庵に残してきた観音様気になり悩んでいました。
その悩みはやがて天皇のお耳に達し、「宮子に長く美しい髪を与えた観音様を祀るお寺を造立せよ」との勅命により、道成寺が建立されたと言われています。

本当にツバメが髪をくわえて行ったのかかどうかは分かりませんが、神社仏閣の由緒って、どこまでが本当でどこまでが「盛られた」話なのか分からないところがまた面白いと思います。

弘法大師が唐から三鈷杵を投げたとか(笑)
3つの月が降りてきたとか。
熊野の神々が岩に降りたとか。

熊野権現垂迹縁起の記述は、個人的に嘘だと思っていますがね。

道成寺

お参りしたあと、住職さんの道成寺と安珍清姫のお話を聞きました。

道成寺の説明では真面目?にされていましたが、安珍清姫の絵解き説法は冗談を交えて非常に面白かったです。
ちょっと綾小路きみまろのように、聴衆をちょっとイジるという印象でした。

今回お話いただいた方は、英語でも説法ができるそうなので、外国人をお連れすれば喜んでくれると思います。

安珍清姫のお話は、元になったお話がありますが、そのご紹介はまたの機会に。

要約版はこちらをご参考にされてください。
安珍と清姫の物語

和歌山県の地図には、「蛇塚」と書かれていたので行ってみましたが、特に説明看板もなく、これが何なのかはよく分かりません。

【熊野古道紀伊路】紀伊内原駅~西御坊駅④に続きます。

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