大辺路 古座駅~紀伊田原駅

昨日に引き続き、今日も古道歩きをしてきました。

今日は古座駅から紀伊田原駅まで、約12kmのコースです。
10:40に古座駅を出発し、15:00頃に紀伊田原駅に到着しました。

古座駅から虫喰岩までは、しばらく古座・古座川の町中を歩きます。
町中では地元のおっちゃんに「どこまで行くん?」と声をかけられました。
古道歩きはこうした人との会話も楽しいものです。

虫喰岩を過ぎ、池野山衛生センターからは古道らしい道がしばらく続きます。

途中、「いがみの滝」で瞑想。

いがみの滝からはアスファルトが延々と続きます。
これがなかなかしんどいです。

しかし、天気もよく、風もあまりなく、気持ちよく歩くことができました。

今年の目標は、年間1000km歩くことです。
一回で10kmを歩くとなると、年間100回歩くことになります。
できるかどうか分かりませんが(笑)
今年はすでに20km以上歩いています。
明日は再び、高校時代の友達と、長井坂を歩きます。

あけましておめでとうございます

今年もよろしくお願いいたします。

2020年4月から1年間、毎日更新をしていましたが、もっと内容を良くしたいという理由で毎日更新をやめた結果、一気に更新本数が減ってしまいました(笑)

ということで、今年からまた毎日更新にチャレンジしたいと思います。

「一年の計は元旦にあり」とよく言いますが、そんな今年は元日から熊野古道大辺路・長井坂を歩いてきました。

以前歩いた時は馬転坂を登りきったところに観音様があり、そこのベンチで海を眺めながら休憩ができました。

こんな感じ

しかし、今回は様相がまったく変わっていて結構ショックを受けました。

絶句です

観音様へと通じる道は立入禁止になっており、観音様と太陽光パネルを遥か下に見ながら、高巻きに迂回する道を通るようになっていました。
道自体は歩きやすくてそれなりにきれいでしたが、大辺路刈り開き隊のみなさんがせっかく刈り開いた道も一部破壊されていました。

高巻きに迂回したあとも視界に飛び込んでくる太陽光パネル

本来の古道に合流してからは、気持ちのいいいつもの長井坂でした。
この日は時間もたっぷりあったので、寄り道をしたり写真を撮ったりしながらゆっくりと歩きました。

終点に到着したのは出発から6時間後。
かなりゆっくり歩きました。
普通であれば5時間程度で歩けます。

明日はまた別の大辺路を歩きます。
中辺路は、さすがに飽きましたので(笑)

熊野古道大辺路 紀伊有田駅~古座駅②

今日は昨日の続きです。
袋港を過ぎ、国道から写真の高架をくぐって古道に入ります。

しばらく道なりです。
意外に「米どころ」が出てきます。
結構広いです。

国道に接近。
車の音が聞こえてきます。
ここに展望台への道があります。
ちょっと寄り道します。

展望台。入口から約200mで到着します。
右手に見える磯が橋杭岩、向かいは大島です。
ちなみに、串本節に登場する「ここは串本、向かいは大島」のくだりは、元は「ここは大島、向かいは串本」だったそうです。

左手には九龍島(くろしま)と鯛島が見えます。

道標地蔵横の角柱。
「右は鬮之川(くじのかわ)袋」と読めます。
「袋」の続きは「袋港に至ル」と書かれているそうです。

道標地蔵。
「右ハわかやまみち、左ハみさきみち」と刻まれています。
以前はここから100m余り串本寄りの古道「しりで坂」の上り口にあったそうですが、現在の道が出来てから移転されたそうです。
地蔵さんって、こういった話が多いですね。

国道からは再び横道に入り、道沿いに進みます。

懐かしい看板を見つけました。
この町並みは、昭和の香りが漂っていて好きです。

13:50 養春小学校跡

養春(ようしゅん)小学校跡。
閉校が決まっているにも関わらず、立派な校舎が建築されたことに地元住民からは疑問声が上がり、物議を醸したとか。
現在は洋菓子店が入っています。

養春小学校からほどなくして国道に出ます。
国道を出て写真のホテルから再び「裏道」に入ります。

途中、鯛島が見えます。

しばらく道なりです。

お堂があります。
中にはお地蔵さんと徳本上人名号碑があります。
この名号碑にはきちんと花押が刻まれていました。

JAみくまの西向支所に出ました。
古座駅までもうすぐです。
7月22日午後8時頃には、この前で「西向の獅子舞」の「総神楽」が開催されます。
総神楽とは、すべての演目を演じることで、細かい所作やダイナミックな所作が織り交ぜられた舞は、非常に見応えがあります。
以前は紀南各地の獅子舞を見に回っていましたが、ここは2度見に来たことがあります。

14:45 古座駅

今回の距離は14.5km、所要時間は約4時間でした。

タイムスケジュール

10:40 紀伊有田駅
11:05 串本海中公園
11:25 海門庵
12:10 袋港
13:20 展望台
13:30 道標地蔵
13:50 養春小学校
14:35 JAみくまの 西向支所
14:45 古座駅

熊野古道大辺路 紀伊有田駅~古座駅

前回8月17日の続きから歩いてきました。
今回は紀伊有田駅~古座駅まで、約14.5 kmです。

10:40 紀伊有田駅

古座駅に車を置き、紀伊有田駅を出発しました。

紀伊有田駅から約300 mで国道に出ますが、少し脇道を歩きます。

徳本上人名号碑。しかしこれは後から徳本上人名号碑に変えられたもので、裏には以前の文字が彫られています。
徳本上人名号碑は、和歌山県に170基あると言われています。
ただ、いわゆる「本物」にはきちんと花押がありますが、大辺路沿いのものにはそれが彫られていないものが多く、果たしてどのようないきさつで建立されたのかは不明です。

国道沿いに進み、トンネルの手前で左に迂回をします。

しばらく細道を歩きます。
以前は「逢坂峠」があったそうですが、明治36年の県道改修で約30m 掘り下げられた結果、古道が消滅したそうです。
おそらく、この下の写真のがそうなのでしょう。
大規模な掘割があり、この上に橋がかかっています。
以前上野さんに案内をしてもらった時、その橋が古道だったと聞いたように記憶しています。

11:05 串本海中公園

国道に出て間もなく、串本海中公園に到着します。
この日は立ち寄る用事がなかったのでスルーしましたが、前回研修をした時はここで昼食を取りました。

11:25 海門庵

国道から約300 m 入ったところにあります。
以前上野さんい教えていただきました。

弘法大師の作とされる子安地蔵が安置されているそうです。
また、串本の無量寺の創建庵とされているとか。

高富の徳本上人名号碑。やはり花押はありません。

二色の集落を通り、国道に出ます。
ちょうどトルコのお守りのモニュメントがあります。
そのお守りから道を挟んだ小高い山の山頂には、丹敷戸畔(にしきとべ)の墓があるそうです。

丹敷戸畔と言えば、神武東征の折に、神武天皇軍と一戦を交えた一族で、丹敷戸畔の「にしき」とは水銀を意味するそうです。
当時の紀南地方は水銀をはじめとした地下資源が豊富にあったことから、結構栄えていたそうです。
その一族を率いたのが丹敷戸畔であり、女酋長だったという話が残っています。

また、国道沿いには弘法大師像がありますが、以前は大師堂があったそうです。

写真の横断歩道を渡り、右へルートを取ります。
ここでは踏切を渡って左に行くルートもあるそうですが、現在は通行できないそうです。

袋港。以前は商港として、また、古座鯨方の捕鯨基地として栄えたそうです。

この続きはまた明日です。


熊野古道大辺路 見老津駅~紀伊有田駅⑩

今回は、見老津駅から紀伊有田駅までのタイムスケジュールを掲載します。
今回一人で歩いたということもあり、ペースは結構早めでした。
だいたい、1時間に4キロ平均です。

お客様をもしお連れするのであれば、説明の時間もありますのでこの時間は参考にならないかもしれませんが、「正味の歩行時間」と考えていただければと思います。
通過地点名の横は、見老津駅からの距離を表しています。
アプリが最近きちんと働いてくれないので、正確がどうかは分かりません。
あくまでも参考程度に留めておいてください。

06:35 見老津駅
07:00 童謡の国 2.1

07:10 江須崎入口 2.5
07:20 春日神社 3.0
07:25 江須崎灯台 3.3
07:35 江須崎入口 3.8
07:55 道の駅すさみ 5.7
08:10 ローソンすさみ町江住店 6.4
09:00 里野海水浴場 10.0
09:25 国道42号線 10.6
10:15 和深駅 13.5
10:40 新田平見入口 15.3
10:50 新田平見終わり 15.6
11:15 田子駅 17.3
11:45 富山平見入口 18.4
12:00 サンワ 19.4
12:10 浜歩き 19.8
12:20 徳大明神社 20.6
13:10 飛渡谷道入口 23.6
13:45 展望台 25.0
14:05 紀伊有田駅 26.1  

こうして往時の人々が歩いた道をたどることができるのも、大辺路刈り開き隊さんのご尽力のおかげです。
本当に頭が下がる思いです。
これは三重の伊勢路にも同じことが言えます。

地元を愛することがいかに大切か、ということを今回の伊勢路・大辺路を歩いて感じました。
地元を愛することは、ひいては国を愛することにつながります。
現在、学校では自虐史観による教育がなされ、自分の国に誇りを持てない人間を量産している最悪の状況です。

この状況を何としても変えなければ、万一チャイナにこの国が乗っ取られるようなことがあった場合、将来わたしたちがこうして熊野古道を歩いたり、神社仏閣を巡ることすら、できなくなる可能性もあります。

まずは身近なところから愛で、徐々にその範囲を広げられるような、そんな教育をしていくことができれば・・・と考えています。

いつまでもお花畑思考では、しまいにチベット、ウイグル、香港のようになってしまいますよ。
魔の手はもうそこまで来ています。

話がそれました(笑)

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

熊野古道大辺路 見老津駅~紀伊有田駅⑨

前回は飛渡谷道(とびやたにみち)入口まででした。
目的地の紀伊有田駅まであと少しです。

この区間も、2016年に世界遺産に追加登録されたところです。

さっき歩いてきた道を一旦横切ります。

田並と有田の境界標柱。
昔は地先権の争いが、どこの村にもあったようです。
だいたい、隣近所の村とか、個人レベルでいうと、ご近所さんとか、国レベルでいうと日本と韓国とか、日本と中国とか、オーストラリアとニュージーランドとか、だいたい「ご近所さん」というのはあまり仲がよろしくないことが多いです。
付かず離れず、ある程度距離を保ってお付きあいをしていく方法が一番だと思います。

飛渡谷道の終わりです。
再度、道に合流します。

しばらく道なりに進むと、道標がありますのでそちらに進みます。

この道を上ります。

再び道に出ます。

そして再び古道に入ります。

途中、荒れたところがありました。

ここは危険です。
道が崩れていますので慎重に階段まで下ります。

ルートは階段をそのまま下りますが、展望台があるのでちょっと寄り道をします。

以前はベンチがあったように記憶していましたが、今はありません。
向こうに見えている「平見」は、潮岬です。

展望台から戻り、坂道を下りると道標があります。
紀伊有田駅まで850m。
もうすぐです。

国道に出て、しばらく道なりです。

紀伊有田駅へと向かう分岐に、新しく作られたトイレがありました。
男女兼用ですので、大人数のときはちょっと困ります。
管理状態は・・・お世辞にも行き届いているとは言えない状態でした。

14:05 紀伊有田駅

ようやく目的地に到着です。
出発から約7時間半、26.1 km でした。
14:34の電車に乗り、見老津駅まで帰りました。
予定では16:00頃に到着する予定でしたが、一人ということもあってちょっと飛ばしてしまいました。

全体のタイムスケジュールは、明日に掲載させていただきます。
読んでいただき、ありがとうございました。

熊野古道大辺路 見老津駅~紀伊有田駅⑧

前回は、ドライブインサンワ跡まででした。
今回はその続きです。

ドライブイン・サンワ跡

本来は、このサンワ敷地内のガソリンスタンド跡の裏手に熊野古道があり、敷石をした箇所やお地蔵さんなどもあるようですが、その先は農道で切断されていて現在は通れないようです。
仕方がないので国道を歩きます。

車に気をつけながら・・・

しかし、あまりにも車の往来が激しかったため、たまらず浜に下りました。
しかしこの浜、以前上野さんの案内で歩いた時にも通っていて、ジオ関係の話をしていただきました。
また、サンゴが打ち上がっていて、歩くたびに「カキンカキン」と乾いた音がします。
このサンゴを使って、漆喰を作る工場があったと聞きました。
串本には、その漆喰を使った家が現在もなお残っています。

ここは満潮では渡れないかもしれません。
この手前に国道に出る坂がありますので、そこから出た方が賢明かもしれません。

干潮でこれですから・・・

12:20 徳大明神社

境内の写真を撮るのを忘れてお参りしてしまいまいた。
紀伊続風土記によると、御祭神は分からないとのことです。
境内には丸石があり、昔は力比べに使ったとか。

12:40 串本町田並に入りました。
照りつける太陽・・・この日はかなり「浄化」されました(笑)

掘割。国道を通す際に、山を削って道を敷設したところです。
掘割はいたるところにあり、大辺路では長井坂に上がる手前の丸山の掘割がよく知られています。
国道が出来る前に、おそらくそのてっぺんあたりにこの墓石があったのでしょう。
以前はこの周辺に、墓石や地蔵が数基あったそうです。

エーコープ田並店を通過して間もなく、飛渡谷道への入口へと向かいます。
信号があるので、国道を横切る形で細い道へと入ります。

ここはちょっと間違いそうです。
道標がないと思いきや・・・

写真右手のブロック塀に貼り付けられています。

短いですが、長距離を歩き、浜を歩き、日向の中を歩いた足には結構堪えました。

舗装道に出て、少し歩くと、飛渡谷道入口です。

13:10 飛渡谷道入口

出発から約6時間半、23.6 km。
入口には案内看板もあり、幟も立っていますので分かりやすいです。
ここでしばし休憩。
今回、今日ご紹介した区間が一番きつかったです。
日傘は差していますがそれでも暑かったですし、風が吹いていたのは良かったのですが、今度は傘が風に煽られてうまく差せない状態でした。
とにかく暑かったです。

今回はここまでです。
この続きはまた明日に。

熊野古道大辺路 見老津駅~紀伊有田駅⑦

前回は、新田平見から国道に出たところまででした。
今回はその続きからです。

ここを左折。

ここからはしばらく、集落の中を縦横無尽状態で進みます。
いずれの分岐も道標を立ててくれていますので、見落としさえしなければ迷うことはありません。
以前歩いた時は、道標が老朽化で見えなくなっていて迷いましたが、今は新調してくれているので分かりやすいです。

ここを左折。
すぐに右折。

上記写真の所に、安指平見大師堂(あざしひらみだいしどう)があります。
大辺路沿いも弘法大師信仰の遺跡が多いところです。
こちらの大師堂の台座は道標も兼ねていたらしいです。
台座には「弘化二巳七月 右ハカイ道 安指組 □北世話人 □□戊吉」と書かれています。

写真が斜めっていますが・・・

大師堂の向かいから真っ直ぐ道が伸びています。
その先で突き当りますのでそこを右に、そしてすぐ左に入ります。

ここを右。
そしてすぐに左です。

階段を下りると、線路と平行するように坂道が続きます。

坂道を下りきったところに道標があります。
田子(たこ)駅に向かいます。
小学生の頃、「夏レク」というイベントが毎年あり、6年の時に潮岬青少年の家に1泊2日で行きました。
串本駅まで電車を使いましたが、もちろん各駅停車なので駅ごとに止まります。
「次は田子、田子」というアナウンスが流れた瞬間、生徒の間で一斉に笑いが起こりました。
・・・子供ですね。

ここを左に。

徳本上人名号碑・・・らしいです。
紀伊路のものとは随分と違いますが、今も地元の方々によってきちんと管理されています。

徳本上人名号碑から国道42号線に出ます。

田子駅に向かって左折です。

11:15 田子駅

田子駅。
出発から約5時間、17.3 kmです。
トイレはありますが、汲み取り式です。
ここですこし休憩をしました。
とにかく暑い。

田子駅からしばらく歩けば再び国道です。
お地蔵さんがありましたが、海の方を向いています。
正面から拝みたかったのですが、車の往来が激しくて危ないので断念。

民家の裏に、徳本上人名号碑があります。
これは「和歌山県街道マップ 熊野古道 大辺路」に書かれていますが、「あそこです」と実際に教えてもらわないとわかりません。
私たちは上野さんに教えていただきました。

そして再び国道から外れます。
この先にダイビングの基地があり、その先のトンネルを抜けると、世界遺産・富山平見道(とみやまひらみみち)です。

11:45 富山平見入口

この小さな橋を渡れば、富山平見です。
スタートから約5時間15分、18.4 km です。

富山平見の石畳。
ここも2016年に世界遺産に追加登録されたところです。

富山平見を抜けると、民家(多分もう住んでいない)横に作られた橋を渡ります。

舗装道に出ますが、またすぐに山道に入ります。

ちょっと写真では見にくいですが、道標があります。

ここで線路にぶち当たります。
おそらく、この線路を横切る形で古道があったものと思われます。
しかし、今は渡ることができませんので、線路を迂回する急な斜面を下りて行きます。

下りきったところ。
道らしいものが見当たりませんが、「下りきったら左」と覚えておきましょう。
左をよく見るとトンネルの入口があります。
そのトンネルをくぐると、以前のドライブイン・サンワに出ます。

トンネルを抜けたところ。

ここでサイレンが鳴りました。
そう、この日は終戦記念日でした。
しばし佇んで、先の大戦でこの国を守らんがために戦って命を落とされた英霊に感謝、そして、無差別爆撃により命を失った罪の無い民間の方々に黙祷を捧げました。

12:00 サンワ

今はもうやっていませんが、以前ここにサンワというドライブインがありました。
ここまで 19.4 km です。
次の目的地は、飛渡谷道(とびやたにみち)です。
この日は、ここからが地獄でした。

今日はここまでです。
この続きはまた明日です。

熊野古道大辺路 見老津駅~紀伊有田駅⑥

今回は和深駅からです。
和深駅の前に道標がありますので、それに従って進みます。

本来のルートですが、跨線橋が老朽化のため通行できませんので矢印に従い、国道に出ます。

これを見ると、中辺路を知っている人間は懐かしさを覚えます。
国道を渡ったところ。トンネルまで直進します。

トンネル手前で道標に従って左折、新田平見(にったひらみ)に向かいます。

道標に従い左に。

どこか懐かしさを感じる集落の中を進みます。
冬に歩くと、穏やかな日の元、気持ちよく歩くことができます。

写真の青い箱の横に細い道があり、道標があります。

少し下りると分岐がありますが、道標がありません。
ここは真っ直ぐです。
ちなみに、左に下りても同じようなところに出ます(←間違った人)

道を抜けると道標があります。

トンネルを抜け、道標に従い・・・

ここで国道を横切って真っ直ぐ進みます。
この日は交通量が多く、なかなか渡ることができませんでした。
・・・ほんまに「帰省客まばら」なんやな?紀伊民報さん。

国道を横切り、道なりに進むと大辺路の看板があります。

指が・・・

この道標を過ぎれば、すぐに新田平見です。
紀伊半島の南西部に多く「平見」と呼ばれるところがあります。
平見とは、波が打ち寄せていた海岸が隆起してできた海岸段丘(かいがんだんきゅう)のことです。

平見とはこんな感じ。

平見は、隆起した地形ということで川がなく、その両端を流れていることが多いそうです。
なので、栽培できる作物が限られていて、サツマイモや麦などの乾燥に強いものが栽培されていたそうです。

一方、紀伊半島の南東部(三重県側)に行くと、「ひょっこりひょうたん島」が重なったかのような地形が多くなり、全く対照的になるのが面白いところです。

三重の地形。

この道標を過ぎれば、すぐ新田平見入口です。
新田平見も、2016年に世界遺産に追加登録されたところです。

振り返ったところ。

新田平見はすぐに終わり、再び国道に。
しばらく進むと道標が現れますので、そこを左折です。

この続きはまた明日です。
本当に細切れですみません・・・

熊野古道大辺路 見老津駅~紀伊有田駅⑤

串本町に入ってから間もなく、左車線にガードレールが現れます。
車に気をつけながら渡ると、広い歩道?がありますので、そこを通ります。

「ようこそ串本町へ」の看板があります。
その近くが三叉路になっていて、道標が立っていますので、そこを左に進みます。

ここを左。

山道の終わりにお墓があります。
ここを直進です。

お墓は右手。

お社の横を通ります。
以前、上野さんに案内していただいた時、ここに生えているタブノキの説明をしていただきました。
線香の原料は杉の葉ですが、それだけでは棒状にならないので、タブノキの葉をつなぎとして使います。
紀南地方には、このタブノキがたくさん生えているため、昔の子供たちはその葉を集めたそうです。
そして、串本方面(だったかな?)から定期的に買いに来る人にそれを売って小遣いを稼いだとか。

お社を過ぎると再び国道です。
このコースは国道→熊野古道と目まぐるしく出入りします。
初めて歩いた人は、多分間違うと思います。

見よ、この見るからに暑そうな道を(笑)

ここは歩道が狭くなっていて非常に危ないです。
車の気配がない時を狙って一気に抜けます。

しばらく歩くと分岐が出てきます。
道標に沿って進みます(写真の分岐を左折です)

古道が現れます。

そして和深の集落に出ます。
大辺路は、こういった集落の中を通ることが多いですのですが、わたしは結構この雰囲気が好きです。

おおな伝説の看板があります。
おおなとは、「大菜」で、高菜の別名だそうです。
その大菜が取れる頃にこの魚が取れることから「おおな魚」と呼ばれるようになったそうです。
この「おおな魚」、標準和名は「イシナギ」です。
イシナギはハタ科の魚です。
もうないかもしれないですが、白浜の釣具屋にこの魚のバカデカい魚拓がありました。

伝説については、こちらの看板に書かれています。
見えないって?
要約すると、昔むかし、凍りつくような寒い日のこと、一人の僧が空腹と寒さに疲れ切って和深の村にたどり着いた。
僧は村の人に食べ物をお願いしたところ、自分が食べるはずだった弁当を差し上げたところ、その僧はたいそう喜んだ。
そして「この一里沖に大きな魚がいるから漁に行きなさい」とお告げをして去っていった。

翌春、漁師たちは不漁にあえいでいたが、ふと僧の話を思い出し、僧の指定したところに行ってみると、見たことのない大きな魚が釣れた。

「あの僧は弘法大師だったのだ。お大師様のお恵みじゃ」と、村人はたいそう喜んだ・・・

こんな感じです。

集落を抜け、和深駅へと進みます。

和深駅に向かって右、階段があります。
この階段が昔の熊野古道だったそうです。
今は国道に分断されて通行できないとのことです。
大辺路は、国道と鉄道に結構破壊されているのが残念です。

トイレは昨年(2019年)あたりに改修され、きれいになっています。

今日はここまでです。
細切れですみません・・・