
熊野古道について、素朴な疑問にお答えいたします。
今回は、熊野古道は何県にあるのか?という疑問です。
よく見かける記事では、まず「そもそも論」から入って結論は後・・・というものが多いですが、私は結論からいきます(笑)
熊野古道は和歌山県、大阪府、奈良県、三重県の4県にまたがっています。
大阪の窪津を起点とし、山中渓を経て和歌山県に入ります。
和歌山県では、田辺市でさらに中辺路と大辺路に分かれ、中辺路は紀伊半島を横切る形で、大辺路は紀伊半島の海岸線を通ります。
中辺路を通ればまず本宮大社に、大辺路を通れば那智大社に到着します。
一方、真言密教の聖地・高野山に端を発し、奈良県を通って熊野本宮大社に至るルート、小辺路があります。
出発と終点は和歌山県ですが、小辺路の大部分は実は奈良県を通っています。
小辺路は1000m級の峠越えを3回しなければならない、熊野古道の中では厳しいルートです。
次に、伊勢の神宮から三重県の主に海岸線を通る伊勢路があります。
伊勢路は三重県熊野市有馬で、本宮大社に向かうルートと、速玉大社に向かうルートに分かれます。
本宮大社に向かう道を「本宮道」と呼びますが、これまでの海を眺めながらの景色とは一変し、山中を歩くようになります。
そしてもう一つ、奈良の吉野から、熊野本宮大社に至る道、大峰奥駈道があります。
この道は修験者の修行の道であり、そもそも熊野古道を拓いたのはこの修験者であったとされています。
この大峰奥駈道が最も厳しいルートです(私はまだ歩いたことがありませんが・・・何か気が乗らないんですよね)
奈良の吉野は桜で有名ですが、これは修験道の開祖・役行者が最初に蔵王権現を感得した時に桜でそれを彫ったということにちなんで、桜が修験道のご神木となったためです。
以後、信者が桜を次々に植え、現在のような桜の名所になったそうです。
ちなみに、本宮大社の旧社地・大斎原(おおゆのはら)から、山中に大峰奥駈道を見ることができますが、一番分かりやすいのは桜の開花時季です。
ここにもたくさんの桜が植えられています。
このころになると、山がピンクに染まるので一目でわかります。
そもそも、「熊野古道」という呼称も昭和になってからのもので、以前は「熊野道」とか「熊野街道」などと呼ばれていました。
大辺路などでよく見かける道標地蔵には「右 くまのみち 左 やまみち」などと刻まれています。
考えてみれば、当時の人にとっては「古道」ではなく「現役の道」なわけで、「古道」という発想は生まれなくて当然と言われれば納得します。
また、大阪では「熊野古道」よりも「小栗街道」と言ったほうがピンと来る方が多いようです。
小栗とは小栗判官のことで、照手姫と結婚をしたまではよかったのですが、それを照手姫の父に無断でしたことにより父の怒りを買い、毒殺されてしまった人物のことです。
しかし、小栗判官は閻魔大王によって餓鬼阿弥となりこの世に生き返らされ、本宮の湯の峰温泉で見事に復活し、照手姫とも再開し、めでたし、めでたしというお話(かいつまみすぎ)によるものです。
その小栗判官が引き車に引かれて通った道が熊野古道とリンクしている部分があり、それを「小栗街道」と呼んでいます。
小栗判官と照手姫の物語や、小栗街道については、またの機会に詳しくお話をしようと思います。
ということで、熊野古道は和歌山県、大阪府、奈良県、三重県にありますというお話でした。













