すみません、以下の神社、すべて写真が見当たりません。
見つけ次第アップします。
浜王子(王子神社)
創建年代は定かではありませんが、記録による初見は1473年の「九十九王子記」です。
定家が熊野に参詣した際にこの王子があったのかどうかは分かりません。
ご祭神は、神武天皇の兄神・稲飯命(いないのみこと)と三毛入野命(みけいりののみこと)です。
神武東征の折、熊野の暴風雨に遭い、この二柱の神が海に身を投げて嵐を鎮めたという話から、このお社の祭神になられたそうです。
1879年に阿須賀神社に合祀されましたが、1926年に復祀されています。
かつてはこのお社の境内地もかなり広かったらしいですが、1946年の南海地震の後、住宅建設の必要に迫られ、住宅地に変わってしまったとのことです。
金光稲荷神社
高野坂の途中にあるお社。
ここは三輪崎の鬼門(北東)にあたるため、ここにお稲荷さんを勧請してきたそうです。
鬼門除けに稲荷神社が建てられることがあるので、おそらくそういう意味があったのではないでしょうか。
三輪崎は古座、太地と並んで紀南の代表的な捕鯨の地でした。
漁師町なので、各家庭には神棚を設ける空間があったのですが、核家族化や西洋建築の普及によって、神棚をお祀りする場所がなくなったため、以前は結構ここに神棚を持ってきていた住民がいたようです。
境内には刃刺(はざし)が祀ったと言われる祠があります。
その祠の裏には、鯨が尾びれを海面から突き出している絵が彫られていると聞いたことがあるのですが、今は摩耗が激しくて確認できません。
浜の宮王子
現在は王子跡で社はありませんが、境内には熊野山三所大神社(くまのさんしょおおみわやしろ)があります。
このお社と補陀洛山寺が隣接しているので、神仏習合を見ることができる珍しい場所です(那智大社と青岸渡寺もそうですが)
那智参詣曼荼羅にも描かれていますが、当時は鳥居のすぐ前が浜で、そこから補陀落渡海が行われていました。
今回は、神社のご紹介なので割愛します。
補陀落渡海についてはこちら
補陀落渡海(瀬川さんのお話まとめ)
ご祭神は夫須美大神・家津美御子大神・速玉大神の三神。
この主祭神三柱の座像は、国の重要文化財に指定されています。
像は輿に乗ったカヤ製の座像で、この社殿の裏にある倉庫に保管されていると聞いたことがありますが、そのお姿を見た人は、私の知っている人の中にはいません。
本殿向かって右には、丹敷戸畔(にしきとべ)を祀る祠があります。
あまり記録がないので詳細は不明ですが、神武東征の折、ここで神武天皇の軍勢と戦った一族とされています。
丹敷とは水銀、戸畔とは女酋長のことを表す言葉だそうです。
かつて熊野は地下資源が豊富で、つい昭和の時代まで、この近辺にも銅山がありました。
一説によると、かつての上皇・法皇が熊野に足しげく通ったのも、この地下資源の利権を得るためではなかったのではないか?とも言われています。
市野々王子
祭神は天照大神、天忍穂耳命、鵜萱草葺不合命、金山彦命。
元は100mほど離れた場所、「お杉社」にありましたが、江戸時代に現在の地に移されました。お杉社には、天照大神が降臨したとされる影向石があります。
ここはかつて、熊野詣の最後の起点として栄えたところです。大門坂にある多富気王子は歴史的に浅いですが、この市野々王子は歴史が古く熊野御幸の時代にも登場しています。
市野々地区の住民は那智山の氏子にあたり、ヤタガラスの子孫とされています。
那智の扇祭り(火祭)は、元々この地区の氏子が担っていました。現在は人数不足のために那智勝浦全体で担っているそうです。
この地の住民は巡礼者をもてなしたり、市を開いたりしており、また宿場としても栄えました。
神社横手には米を一時的に収める郷倉があります。普段は屋根がなく米を保存する時にだけ垂木を渡し上から葉を被せて屋根にしたとのことです。
以上、今回は熊野古道中辺路沿いにある神社についてご紹介させていただきました。
機会を見て、紀伊路や大辺路の神社についてもご紹介できればと思っています。
