熊野古道の神社⑤

湯川王子

「湯川」という地名は古くから見られ、定家が後鳥羽上皇に随行した際にはすでにありました。
定家は近露を出発したあと、この湯川で宿泊をしています。
また、1210年には修明門院が参詣した際には「湯川王子」という名が見られることから、この王子は少なくとも800年前には存在していたことは確かなようです。

熊野古道中辺路沿いで社殿がある王子社は非常に少ないことが特徴ですが、この湯川王子は健在です。
この王子もやはり、1909年に近野神社に合祀されていますが、1983年に地元出身の方々の寄付によって再建されました。

ただ、車ではアクセスが難しい場所にありますので、車で訪れることは難しいでしょう。
行けなくはないですが、どう頑張っても少しは歩かないといけません。

ケヤキ

神社合祀前の時代には、境内にケヤキの巨木があったそうです。
このケヤキの内部が腐ったからという理由で伐採をしたところ、200匹のムササビや数百のフクロウやミミズクが飛び出したと言われています。
その切り株の広さは畳8畳分あったと言われています。

祭り

今も続いているのかは分かりませんが、2020年11月23日にここを歩いた時には、ちょうどその時が湯川王子の祭りの日でした。
普通、神社の祭りの神事は神主さんが執り行いますが、ここでは田辺市のお寺からお坊さんを呼んでいました。
湯川出身の方々も一緒に来られていました。

社殿横にお坊さんがいます

湯川氏と湯川集落

現在は「道湯川(どうゆかわ)」という呼称になっていますが、本来は「湯川」という集落でした。

本宮にも湯川という地名があり、これと分けるために「道」をつけたのだそうです。
地元の方々をこれを嫌ったという話を聞いたことがあります。
私の出身は白浜ですが、仮に同じ地名が他にあり、私たちが住んでいる白浜を「これからは『道白浜』と呼ぶ」と言われれば、やはりいい気はしません。
「なんでうちが名前を変えなければいけないのか?あっちの方が上ということか?」となると思います。

湯川一族は、甲斐武田の流れをくむとされ、彼らが熊野に落ちてきてこの地名である湯川を名乗ったとされています。
彼らは武士であったため、古道沿いの山賊を取り締まっていました。
その成果が認められて日高の領地を授かります。

湯川一族の出世頭、湯川直春は、秀吉の紀州攻めの際には上富田の山本氏とともに徹底抗戦をし、秀吉軍を手こずらせます。

業を煮やした秀吉は、湯川・山本氏に和議を申し入れ、二人は大和郡山城に向かいますが、そこで湯川直春は毒殺され、身の危険を感じて城を脱出した山本氏は、仲間だと思っていた藤堂高虎に殺害されてしまいました。

この事件以来、両氏の勢力は急激に衰えてしまったとのことです。

今はすでにここには誰もいませんが、1902年~1945年までは義務教育免除地でした。

詳しい話は、ガイドと一緒に歩きながらにしましょう(笑)

ガイドのご用命はこちらから。
一般社団法人 和歌山地域通訳案内士会

熊野古道の神社④

近野神社

1906年に神社合祀が始まり、ここ熊野では1907年から1909年にかけて合祀の嵐が吹き荒れました。
終息は1920年であり、この間、和歌山県と三重県では顕著に神社合祀が行われ、5819社あった神社は1908年末には1922社にまで激減しました。

取り壊された神社がある中、この神社は逆に近野地域にある神社や王子、あるいはすでに無くなって「社なし」となった王子も含めてここに合祀されています。

合祀された王子は、大坂本王子、近露王子、継桜王子、比曽原王子、中川王子、小広王子、岩上王子、湯川王子の8社(継桜王子は復祀)

合祀された神社は春日神社、丹生神社、八幡神社、稲荷神社、下永井八幡神社、大畑八幡神社、湯川の王子神社、地主神社など8社で、計16社が合祀されていました。

1907年には宮ノ上にある金刀比羅神社に合祀されていましたが、手狭になったために1908年に現在地に遷座されました。

今「近露王子公園」となっている場所にはかつて春日神社があり、かなり大きな規模の神社だったと聞いたことがあります。
その春日神社も近野神社に合祀され、「目通り1丈8尺(約3.3m)以上ある古老杉三本」も伐採されました。

継桜王子

2020年の社殿(2017年に塗り替えが施されています)

ヒノキから桜の花が咲いていたという故事から名づけられた王子。
普通、王子の名前は地名に由来することが多いですが、この王子は故事にちなんだ名前が付けられている珍しい王子です。

境内には9本(実際に数える8本しかないと思うのですが)の「野中の一方杉」があります。
枝のすべてが南を向いていることからこの名前が付けられています。
一説には「枝が那智大社の方を向いている」とありますが、単に太陽が当たる方に向いているだけです(笑)

よく「〇〇の一本松」のように「野中の一本杉」と勘違いされる方がいますが、「一本」ではなく「一方」です。

これらの杉は、先出の神社合祀の際に切り倒されずに生き残った木です。

かつてはこういった巨木は40本ほど(31本とも)あったそうですが、神社合祀の際に切り倒されたそうです。

南方熊楠の神社合祀反対運動なければ、これら現存する9本も見ることが出来なかったでしょうね。

神社合祀のあと、1950年に復祀されています。
地元の人々にとっては、心の拠り所だったのでしょう。
ご神体はなくなっても(近野神社に移っても)、いつでも再びお迎えできるように社殿は残していたそうです。

11月3日の14時頃からは「野中の獅子舞」が奉納されます。
薄暗くなった境内に差し込む太陽と相まって、幻想的な舞を見ることができます。

動画はこちら

花懸かり①
花懸かり②

2017年に社殿が塗り替えられ、以前に描かれていた絵も復活しています。
・・・最近は結構色あせていますが。

塗り替えだけではなく、基礎の石を整備したり、腐食した木材は新材に替えられています。

総事業費は約1750万円(!)

背面

神社合祀に関する意見

南方熊楠による、近野近辺の神社合祀の当時の様子を神社合祀に関する意見より引用します。

*******************
合祀濫用のもっともはなはだしき一例は紀州西牟婁郡近野村で、この村には史書に明記せる古帝皇奉幣の古社六つあり(近露王子、野中王子、比曽原王子、中川王子、湯川王子、小広王子)。

一村に至尊、ことにわが朝の英主と聞こえたる後鳥羽院の御史蹟六つまで存するは、恐悦に堪えざるべきはずなるに、二、三の村民、村吏ら、神林を伐りて営利せんがため、不都合にも平田内相すでに地方官を戒飭かいちょくし、五千円を積まずとも維持確実ならば合祀に及ばずと令したるはるか後に、いずれも維持困難なりといつわり、樹木も地価も皆無なる禿山頂へ、その地に何の由緒なき無格社金毘羅社というを突然造立し、村中の神社大小十二ことごとくこれに合祀し、合祀の日、神職、衆人と神体を玩弄してその評価をなすこと古道具に異ならず。この神職はもと負荷人足にもちにんそくの成上りで、一昨冬妻と口論し、妻首くくり死せる者なり。かくて神林伐採の許可を得たるが、その春日社趾には目通り一丈八尺以上の周囲ある古老杉三本あり。

 また野中王子社趾には、いわゆる一方杉とて、大老杉、目通り周囲一丈三尺以上のもの八本あり。そのうち両社共に周囲二丈五尺の杉各一本は、白井博士の説に、実に本邦無類の巨樹とのことなり。またこれら大木の周囲にはコバンモチというこの国希有の珍木の大樹あり。托生蘭たくせいらん石松類なんかくらんるい等に奇物多し。年代や大いさよりいうも、珍種の分布上より見るも、本邦の誇りとすべきところなる上、古帝皇将相が熊野詣りごとに歎賞され、旧藩主も一代に一度は必ずその下をよぎりて神徳を老樹の高きによそえ仰がれたるなり。すべてかかる老大樹の保存には周囲の状態をいささかも変ぜざるを要することなれば、いかにもして同林の保存を計らんと、熊楠ら必死になりて抗議し、史蹟保存会の白井、戸川〔(残花)〕二氏また、再度まで県知事に告げ訴うるところあり。知事はその意を諒とし、同林伐採を止めんとせしも、属僚輩かくては県庁の威厳を損ずべしとて、その一部分ことに一方杉に近き樹林を伐らしめたり。過ちを改めざるを過ちと言うとあるに、入らぬところに意地を立て、熊楠はともあれ他の諸碩学の学問上の希望を容れられざりしは遺憾なり。かくのごとく合祀励行のために人民中すでに姦徒輩出し、手付金を取りかわし、神林を伐りあるき、さしも木の国と呼ばれし紀伊の国に樹木著しく少なくなりゆき、濫伐のあまり、大水風害年々聞いて常事となすに至り、人民多くは淳樸の風を失い、少数人の懐が肥ゆるほど村落は日に凋落し行くこそ無残なれ。
*******************

熊楠は「牟婁新報」「大阪毎日新聞」「大阪朝日新聞」「東京朝日新聞」にも神社合祀反対の投稿をし、さらに東京帝国大学で植物学の権威である松村任三(じんぞう)に対しても長文の手紙を寄せ、当時の内閣法制局参事官でもあり、民俗学者の第一人でもある柳田國男が「南方二書」として印刷し、関係者に配布して熊楠の運動を助けました。

それでも飽き足らず(?)1910年8月、夏期教育講習が田辺中学校であり、それに出席していた神社合祀を進める県の田村某氏に直訴しようと会場を訪れたところ、入場を阻止されたので、標本を入れている信玄袋を投げ込んだところこれが「家宅侵入罪」となり、18日間監獄に入れられました。

熊楠の残した功績は非常に大きいですね。

引用元:
和歌山県神社庁
南方熊楠記念館
産経新聞
青空文庫

熊野古道の神社③

高原熊野神社

創建は1403年、本宮から勧請されたと伝わり、熊野古道中辺路では最も古い神社とされています。

このお社は王子には含まれておらず、地元の氏神さんとして存在してます。

祭神はスサノオノミコト、速玉さん、アマテラス様。

・・・本宮から勧請されて来たのに、イザナミさんがいません。

これは憶測ですが、本宮の主祭神がイザナミさんからスサノオさんに変わってから勧請されたのかもしれません。

ここにも、神仏習合が現れています。

ご神体は、熊野ならでは?の懸け仏(十一面観音)です。

十一面観音であれば、本宮ではアマテラスさんと同一とされています。
ということは、こちらの主祭神はアマテラスさんなのかどうか?私には分かりません。

社殿は春日造りの桧皮葺で、桧皮は約30年に1回葺き替えられています。

この葺き替えには相当な金額がかかります。
桧皮葺に最適な樹齢100年以上のヒノキが入手困難であることと、桧皮葺職人の技術的な面からなのだそうです。

1938年 30万円
1968年 200万円
1998年 2000万円
2016年 1400万円

クスノキ

樹齢の話

境内には、樹齢800年~1000年と言われるクスノキが3本あります。

なぜ、切ってもいない木の樹齢が分かるのか?
不思議ではありませんか?

1950年のジェーン台風がこの地方を襲った際に、このクスノキの近くにあった杉の巨木が倒れたそうです。
その倒れた杉の年輪を数えたところ、800年を超えているということが分かったそうです。
そこから、このクスノキの樹齢を推定したとのことです。

境内社務所の裏手にあるクスノキが一番大きいです。

このうちのどのクスノキのものかは分かりませんが、ここよりずっと下にある石船川の護岸工事をしている際に、クスノキの根っこが出てきたという話があります。

神社から川まではクスノキがありませんので、このクスノキの根っこだということになったようです。

信じるか信じないかは、お任せします。

クスノキの用途と意味

クスノキと言えば樟脳で有名ですね。
あと、海外の方ならタイガーバームの原料と言えば分かってくれます。

クスノキは、よく神社に植えられています。
お寺にはイチョウ。
聞いた話では、海南の藤白神社や田辺市の蟻通神社のクスノキは、神社が火事に見舞われた時に白い水?を出して延焼を防いだという話が残っているそうです。
イチョウにも似たような話があります。
昔は防火の意味で植えられたのかもしれません。

あとは、神聖な木、または縁起のいい木という意味合いもあるようです。
現在では「サカキ」といえば、あのサカキですが、昔は杉、松、クスノキ、ツバキなどもそういわれていたようです。

これらはすべて常緑樹です。
常緑樹は葉が全部落ちることはありませんので「永遠」を意味するというところから植えられたという話もあるようです。

サカキの語源は「栄木」「境木」のようです。
俗世間と神域を分ける境目の木、その神社が栄えるという意味合いもあったようです。

熊野古道のクスノキ

中辺路沿いには、クスノキが自然に生えているのが珍しいです。
神社の境内でも珍しいです。
そういう理由からかは分かりませんが、「熊野古道にはクスノキがない」と言っている人があいます。
しかし、それは中辺路の話であって、これが大辺路では様相は一変します。
いたるところにクスノキが自然に生えています。

私はよく「熊野古道は中辺路だけではない。熊野古道の他のルートのことも知って初めて『熊野古道のガイド』と言える」と会員には言っています。

井の中の蛙にならないように、物事を俯瞰する習慣をつけていただきたいものです。

南方熊楠とクスノキ

よく「南方熊楠が神社合祀反対運動でこのクスノキを守った」という解釈をする人がいますが、ちょっと違います。

この鎮守の森を守ったのは、当時の高原村の村長・宮本わぞう(漢字が分かりません)さんです。

当時の高原村の集落は95軒(現在は42軒)
その村人たちは、村民の憩いの場がなくなる、鎮守の森がなくなるということを懸念し、行政に陳情した結果、ある条件を元に許可を得ます。

その条件とは、基本金5000円を拠出することと、神社に宮司を置くこと。

この5000円、今の金額に換算すると約1億にもなるそうです。

宮本氏は、県の官吏が来た際には、栗栖川や田辺の新地の料理屋に連れて行き、「待ってくれ」と言って何度も先延ばしにしていました。

そこへ、南方熊楠の神社合祀反対運動の波が押し寄せ、この件はうやむやになったというのがこの話の真相のようです。

なので、熊楠は間接的にこの森を救ったと言えることができると思います。


熊野古道の神社②

滝尻王子

現在の正式な名称は「滝尻王子宮十郷神社」です。

創建は定かではありませんが、奈良時代の末頃とも言われています。
少なくとも藤原宗忠が記した「中右記(1109年)」には記載がありますので、その頃にはすでに王子として存在したいたようです。

中右記には「初めて御山の内に入る」とも書かれ、ここからが熊野の神域の入口とされていました。

現在の名前は、1908年から1909年にかけてこの地域で起こった神社合祀によって、滝尻周辺の神社がここに集められてきたことにちなんだものです。

「十郷」とは栗栖川の厳島神社・杵荒神社・石船の八柱神社・小皆の竃神社・水上の岩戸別神社・内井川の若宮神社・熊野川の若宮神社・真砂の八幡神社2社・北郡の日吉神社・西谷の大山祇神社を指します。

かつての参詣者たちは、滝尻王子に入る際には目の前を流れる石田川(いわたがわ。現・富田川)と石船川(いしぶりがわ)で禊をしてから入ったそうです。

石田川は観音菩薩の補陀落浄土から流れてくる水、石船川は薬師如来の瑠璃光浄土からながれてくる水とされていたようですが、石田川は薬師如来、石船川が千手観音、あるいはその逆・・・というようにこの解釈は分かれています。

地元の語り部さんからは、
「石船川を擁す分領山には平安時代から千手観音が祀られている。
石田川の少し上流域には「釜ん滝」というところがあり、遠い昔には釜ん滝という場所には薬師如来が祀られていることから、石船川には千手観音、石田川には薬師如来が宿ると考えている」
とお聞きしました。

祭神と五体王子

滝尻王子は、五体王子の一つとして数えられ、最も格式の高い王子社として数えられています。

五体王子とは、熊野の御子神5柱すべての神が祀られている王子のことです。

五体王子はこの他に海南市の藤白王子、印南町の切目王子、上富田町の稲葉根王子、田辺市の発心門王子があり、全部で5つあります。

5つあるので「五大王子」と勘違いされている方もいるようですが、正式には「五体」です。

その御子神とは、アマテラスオオミカミ、アメノオシホミミノミコト、ニニギノミコト、ヒコホホデミノミコト、ウガヤフキアエズノミコトを指します。

本宮のかつての主祭神・イザナミノミコトの、いわゆる「子孫」に当たる神々なので、「御子神」という表現はちょっと違うと思いますが、一応「御子神」と言われていますので、ここではそう表現します。

ちなみに、私がガイドをする時は「decendants」を使います。

王子にはそれぞれ「金剛童子」が祀られていたそうです。
この金剛童子は熊野の神の眷属にあたる神で、参詣者の道中の安全を守る神とされていました。

滝尻王子には、平安末期に作成された金剛童子像(35.8cm)が祀られていましたが、現在は県立博物館で保存されています。
2011年の台風12号で滝尻王子が浸水し、像への被害は免れたものの、今後もその懸念があることから、移転されたとのことです。
現在はその複製が祀られています。

和歌会と歌碑

後鳥羽上皇4回目の御幸・建仁元年(1201年)には、ここで和歌会が開かれています。

和歌会ではお題が与えられ、そのお題を元に歌をつくり、披露します。

この日のお題は2つ。

河辺落葉

(山姫が美しく染め上げた秋は暮れてしまったと、いったい誰が言ったのだろうか。岩田川には、山姫の袖、すなわち川に落ちた色鮮やかな紅葉が、まだ波を越えてゆくことであるよ)

旅宿冬月

たきがはのひびきはいそぐたびのいほを いづかにすぐるふゆのゆ月かげ

(滝川の響きがせわしなく聞こえる旅の庵を、光を投げかけて、静かに通り過ぎてゆく冬の月であるよ)

定家はこのあと退出して少し眠り、12人が支える輿に乗って「山中」の小屋に泊まっています。

この「小屋」は大門王子付近であったろうと言われています。

ここで定家は「嵐が寒く、とても耐え難い」と嘆いています。

後鳥羽上皇も歌を2首詠んでいます。
そのうちの1首が境内の石碑に刻まれています。

おもいやる かものうはけのいかならむ しもさへわたる 山河の水

この時は旧暦の10月に来られているので、太陽暦にすれば11月の終わり頃にあたります。
この歌は、秋から冬にかけての熊野詣の厳しさを詠っているとか、石田川に浮かぶ鴨を見て、京都の鴨川の鴨を思い出して懐かしんでいるとかいう意味だと聞いたことがあります。

ちなみに、この歌のお題は「山河水鳥」です。

この碑に使われている石は、承久の変(乱)のあと、後鳥羽上皇が隠岐に流され、そこで余生を過ごしたその隠岐から持って来られたものです。

石碑の裏には、この碑を建立する際に寄付をした方々の名前とともに、
「平和は何よりも尊い。戦争の愚かさを体験した我ら飛行兵9名は、恒久平和の願いをこの碑に託す」と刻まれています。

「飛行兵」とは特攻兵のことです。

この碑には、後鳥羽上皇でさえ戦を起こしたけれども、戦争はいけない。これから先は誰も経験してはならないし、経験させてもいけない。という、反戦の意味が込められています。

経塚跡

平安の代には「末法思想」が世の中を席巻し、死後の世界への関心が高まり、各地に経塚が多くつくられるようになりました。
熊野も例外ではなく、特に神仏習合の色合いが強かったこともあってか、多くの経塚が残されています。

経塚とは、いわゆるタイムカプセルで、経文などを経筒という銅製の筒にいれて埋納したものです。
経文と一緒に他の貴重なものなどを納めることも多く、ここ滝尻王子の経塚からは鈴、刀、合子、鏡などが一緒に発見されています。

経塚跡はこの先の熊野古道沿いの剣ノ山、本宮の備崎、飛瀧神社入口(現在は駐車場)などでも発見されています。

かつての境内

現在はその面影はありませんが、以前(といっても昭和の時代)には社務所や宮司さんの社宅、土俵などもあったそうです。

以前は10月10日が祭りの日で(現在は11月3日)、この日に子供の相撲大会が開催されていました。

勝ち抜けば景品もあったようです。

現在(1999年以降)は、熊野古道へは社殿の裏から入るようになっていますが、実はあの道は山仕事をする人たちの杣道であり、本来は宮司さんの社宅があった裏手から、急なつづら折れの道を上ったそうです。

まさに「己が手を立てるが如し」だったそうです。

奥州の藤原秀衡が子供に恵まれなかったために熊野権現に願ったところ、見事懐妊されました。
そのお礼参りに、妻(側室とも)と共に7か月の身重で滝尻まで来られた際に、黒漆塗小太刀とミニチュア版の七堂伽藍を建立したと伝えられています。

残念ながら、その七堂伽藍は秀吉の紀州攻めの際に焼失してしまったと伝わります。
なお、黒漆塗小太刀は県立博物館に所蔵されています。

今回は他の神社もご紹介する予定でしたが、分量が少し多いので今日はこの変でご勘弁を。


熊野古道の神社

熊野古道沿いには王子をはじめとした神社が点在しています。

今回は、熊野古道中辺路沿いの、社殿がある神社のみに的を絞ってご紹介いたします。

王子とは?

熊野古道沿いには王子(神社)が点在しています。

王子とは、かつての上皇・法皇たちがこぞって熊野詣に来られた時に、道中の安全を祈願するお社のことを言います。

王子では奉幣、里神楽、読経、和歌会(わかえ)、相撲など、様々な催し物が開催され、それらが神前への奉納とされていました。

王子は修験者(「山伏」とも。修験道の行者)によって整備されたものです。

王子のコンセプトは、修験者の修行の道・大峰奥駈道(おおみねおくがけみち)に見える「靡(なびき)」のコンセプトそのものであり、修験者は靡で読経などをしながら本宮(または吉野)を目指しますので、それを熊野古道に当てはめたと考えるのが自然ではないかと思います。

他にも、王子の役割としては、次のことが言われています。

1.道しるべ
2.熊野三山(本宮、速玉、那智)の遥拝所
3.休憩所・宿泊所

王子は道しるべ的な役割もあり、きちんと道を逸れていないことを示す役割もあったようです。

よく「王子は遥拝所だった」という話も聞きますが、そういった資料は確認できていないようです。
なので、「王子は遥拝所」という解釈は違うかもしれません。
または、当時はそう思って参詣していた人もいたかもしれませんが、記録としては残っていないのかもしれません。

王子周辺には宿があるところもあり、結果的に王子周辺で宿泊することもありました。

あとは、「休憩所であった」とも聞きますが、王子では様々な儀式をするので、その結果休憩ができたのであり、本来の目的ではなかったかと思います。

「王子」の由来

王子の由来については諸説ありはっきりしていません。

「熊野三山の御子神が祀られているから」とか、

「インドのマガタ国から飛来した王一族が仏となり、その仏が熊野の神と習合し、その子息のことを言っているから」だとか、

「修験者を守護する神、王子に祀られている神が『金剛童子』であり、その「童子」が転訛して『王子』になったから」などと言われています。

2番目の「インドのマガタ国云々・・・」という説は、1163年の長勘寛文(ちょうかんかんもん)の一部である「熊野権現垂迹縁起(くまのごんげんすいじゃくえんぎ)」に記載されているとのことですが、私はこの「熊野権現垂迹縁起」は胡散臭いと思っています。
本宮大社の成り立ち(三体の月がイチイの木に降りてきて・・・という話)についても、この熊野権現垂迹縁起からのものですが、私個人的には腹に落ちていません。

あくまでも個人的な意見ということをご理解いただいた上でですが、これらはホツマツタヱを読めば腹に落ちると思います。
はじめてのホツマツタヱ 天の巻

ホツマツタヱを読むと、新宮市の「新宮参詣曼荼羅図」で、インドから神々がやって来る姿が描かれていますが、個人的にこんなことを伝えていいのか?と疑問に思っています。

日本の神々がインドからやってきた・・・

いい加減、「今の日本があるのは海外のおかげ」という認識、やめませんか?

もちろん、海外のおかげもありましたが、それは、日本に元々あったものにうまく取り入れて発展したのであって、「日本には元々何もなく、文明的に遅れていたから海外の力が必要だった」的な解釈は、私は違うと思います。

これを語ると長くなりますので、またの機会に譲ります。

熊野御幸の転機

上皇・法皇による熊野詣(上皇・法皇の熊野詣は「御幸」と言います)は、907年の宇多法皇に始まり、1281年の亀山上皇まで、374年に渡り、約100回も行われました。

しかし、承久の変(乱)の後は後嵯峨上皇の2回、亀山上皇の1回と、急激に少なくなります。

理由は、承久の変以降は戦乱に代になったからということと、熊野御幸には莫大な費用がかかるからだと聞いたことがあります。
私は、この変を境に、朝廷と幕府の力関係が逆転し、鎌倉幕府に荘園を没収され、朝廷の財力がなくなったことに起因するものと思っています。

最後の亀山上皇の御幸の年は、元寇(弘安の役)があった年で、亀山上皇はこの国を守ってもらうための祈願を伊勢の神宮でされているそうです。

おそらく、そういった意味合いで熊野にも来られたのではないかと思っています。

上皇・法皇による熊野御幸がなくなってからは王子も廃れ、五体王子の一つでもある滝尻王子でさえもかなり荒廃が進んでいたといいます。

その後、1723年に時の紀州藩主・徳川宗直が、かつて王子があったとされる場所に緑泥片岩製の石碑を建立します。

現在、多くの王子は「跡」として残っている状態で、社のあるところは限られています。

次回は主要な王子や、熊野古道沿いにある神社をご紹介いたします。

神様の立場になって考える

川口社長は、何をお願いしたのですか?と聞きました。

すると、意外なことに、川口社長は「何もお願いしていない」というのです。

あのね、山下さん、神様にお願い事をしてはダメだよ。

お願いではなく、誓いを立てないと。

仮に、山下さんが神様だったとするよね。目の前に、一方的にお願いばかりする人と、「必ず〇〇します」と誓いを立てる人が現れたら、どっちを応援したくなる?後者だよね?

ー 中略 ー

川口社長は私に、神社はお願いをする場所ではなく、誓いを立てるところだと教えてくださったのです。

ー山下 誠司ー 「年収1億円になる人の習慣」より

神社はお願いをするところではなく、誓いを立てるところということは、以前の記事でもご紹介しました。

神社参拝について(神社ではどんなことを祈るのか)

この、川口社長のお話の中で、自分がもし、神様の立場だったら?という視点が、刺さりました。

私も、曲がりなりにも一団体の代表ですので、このことがよーくわかります。
会員からお願いされた時と、誓いを立てられた時では、やはり後者の方を応援したくなります。

私は、お願いばかりしてくる人や、自分の利益になるようなことしか提案してこない人のことを「クレクレ星人」と言っていますが、こういった人からの要望は、高確率で突っぱねています。

その先に自分の利益しか見えてこないからです。

私は団体全体を見て、それが団体やお客様、ガイドすべてに利益になるようなことであれば進んで取り入れますが、自利の提案だと見抜いた時には、採用はしません。
団体は、一個人の欲望を叶えるためのものではないからです。

稲盛和夫さんもおっしゃっていますが、自利ではなく、利他の精神が必要だと、私も思っています。

Giver、Taker、Matcherという言葉を聞いたことがある方も多いと思いますが、成功している人に多いのはGiverなんだそうです。

相手がTakerでない限り、与えられた人には返報性の法則が働き、「何かこの人のためにお返しがしたい」と思うはずです。

もちろん、見返りを求めて打算的に与えても見返りはありませんが、お互いが利他の精神(Giverの精神)であれば、そこは天国になると、私は思っています。

天国と地獄についての記事はこちら
お寺体験@福勝寺

天国と地獄を上手く言い表している稲森さんの著書はこちら
生き方

では、「お願い」と「誓い」の違いは具体的に何でしょうか?
この違いについても、山下さんの著書で分かりやすく説明してくれています。

神様お願いです!受からせてください!

というのが神頼み、

僕は絶対に受かりたいので、一生懸命やります。神様、どうぞ見守ってください。

というのが誓い、だそうです。

非常に分かりやすい例えだと思います。

あなたも一度、神様の立場になったつもりで物事を考えてみはいかがでしょうか?

ガイド時の注意事項7選

ガイドというと、「知識を売る仕事」というイメージがあり、スポットについての知識を覚えることだけに目が行きがちですが、それだけでは不十分です。

これが行き過ぎると、「知識の押し売り」になり、よくある「俺の話を聞け」と言わんばかりの、自己陶酔型のおっさんのようになりがちです。
逆ギレ

今回は、知識面ではなく、技術面での注意事項をお伝えいたします。

これは、当会の認定試験でのチェック項目にもなっています。

1.全員とアイコンタクトを取るように心がける

まずはアイコンタクトです。
たとえば、お客様が5人いたとします。

説明をする時には、その5人全員の目を見ながらします。

大切なのは「ここにいる全員、私の大切なお客様ですよ」ということをアピールして、お客様にも自己重要感を持っていただくためです。

中には一人だけを見て説明をする人もいますが、これをしてしまうと周りの人は「私は別にどうでもいいのか」という気持ちにさせてしまう恐れがあります。

大人数の場合はなかなか難しい部分はありますが、説明をする時は全員の目を見ながら話すよう心がけましょう。

2.特定の人とばかり話さない

これはよく苦情であがってくる項目です。

特に、熊野古道のガイドは、歩きながらお客様と会話する時間が多いため、少人数であれば問題ありませんが、大人数になると、後ろの人までその会話の内容が聞き取れないという状態になります。

なので、どうしても自分の近くにいる人と話をしてしまう傾向にあります。

これはある程度仕方のないことですが、一点だけ注意が必要です。

それは、お客様から質問が出た時です。

その中でも、「これは全員に共有したほうがいいな」と感じた質問に対しては、全員に共有するようにします。

例えば「そんな昔に、どうやって熊野古道は有名になったのか?」という質問が出たとします。

もし自分がお客様だったら、答えを聞きたいと思いませんか?

こういった質問は、その人だけに答えるのではなく、一旦「これは他の方にも共有しますので、後でお答えします」と言って、広い場所で止まってから「今こういう質問がありました」と、質問とあわせて回答をするようにするといいです。

これは熊野古道のみならず、バスツアーでも同じです。

前列の席に座っている人から質問を受けた場合、後ろに座っているお客様には、その質問が聞こえません。

ガイドはマイクを使って答えるので、回答だけが聞ける状態です。

こういう場合も「今こういう質問がありましたのでお答えします」と言ってから回答をします。

特定の人とだけ話さないように注意しましょう。

3.お客様の方を見て話す

これも試験中によくあるのですが、例えばお地蔵さんの説明をする場合に、お地蔵に向かって話す人が多いです。

話を聞いてくれるのはお客様です(笑)

お客様に向かって話しましょう。

声は、顔を向いている方向と、上方向によく届きます。

バスに乗っている時に後ろの人の会話がよく聞こえるのも、このためです。

お地蔵さんの方を向くと、その声はお地蔵さんに届きます。

また、歩いている時に前を向いたまま説明をする人がいますが、これでは後ろの人はまず聞こえません。

特に危険箇所などで注意喚起をする時には、一旦立ち止まって、お客様の方を向いて話してください。

歩きながら後ろを向くことは避けましょう。

4.通路を空けて説明をする

先日の認定試験の時は、団体が多く歩いていたので、語り部さんや英語ガイドさんが結構いました。

その中で、ある英語ガイドさんがスポット説明をしている時に、お客様を道いっぱいに広げて説明をしていました。

私たちが近づいたことにも気付かず、ずっと説明をしています。

気づいたツアーリーダーさんが道を空けるように促し、やっと通ることができました。

それでも、そのガイドさんは私たちが目の前を通るまで説明に没頭し、全く気付いていませんでした。

お客様の人数が多いと、こういったことがよく起こります。

私は一度、研修の時に、他のハイカーが近づいてきたのを知って道を空けるように参加者に促したのですが、時すでに遅しでした。

道を空けておけよ!

普通、旦那がこういうと、奥さんは「まぁまぁ、あなた」みたいに、その旦那をなだめる役に回ることが多いのですが、

あなた、ガイドでしょ!?

と追い打ちをかけられました(笑)

ちなみにこの夫婦は日本人です。

話はそれますが、私は日本人の方がやりにくいです。

結構「文句言い」が多いからです。

あとはそのくせ反応も薄く、何を考えているのか分かりにくいという点も挙げられます。

欧米人は言葉と態度にそのまま出るし、リアクションが大きいので本当に分かりやすいです。

まあ、これは私の力量が足りないのでしょう。

旦那のことを「あなた」と言っている人を聞いたことはありませんが(笑)

5.写真はお客様全員に見えるように工夫する

説明の補足としてファイルに写真などを入れておいて説明することを当会会員にも勧めています。

そのファイルを活用することはいいことなのですが、見せ方が残念な人がいます。

これも先ほどの声と一緒で、お客様に向けて見せないと、全員が見ることができません。

中にはファイルを水平に持って、自分の方に向けている人がいます。

もうこれでは「自分に説明している」という、シュールな光景になってしまいます。

大人数の場合は、ファイルを正面に持って、左右にゆっくり振りながら見せるなど、全員が見られるように工夫をすることが大切です。

6.時折後方に注意をする

熊野古道を歩くと、お客様によって体力もまちまちなので、ペースが違うということがよく起こります。

中には遅れがちになる人もいます。

そういう人に限って「周りに迷惑をかけたくない」という心理が働き、列の後ろを歩きたがります。

後ろを歩くので余計に遅れます。

結果、どんどん遅れてきます。

ガイドは常にそういったお客様を気にかけて歩く必要があります。

中には「行軍」のように後ろも見ずにガンガン歩くガイドがいますが、これではお客様に何かあった時に発見が遅れてしまいます。

また、そればかりではなく、お客様の急な異変に気付けない時もあります。

そうならないためにも、後ろは時々振り返って注意を払うようにしましょう。

あと、遅れがちにな人は嫌がりますが、ガイドのすぐ後ろを歩いてもらい、周りの人はそのペースに合わせてもらうという方法もあります。

7.他のガイドさんとかち合ったときは先の人が優先

他のガイドさんとかち合った時には、先に説明をしているガイドさんの説明が終わってそこを離れてから入るようにします。

待機している間に、先に入っているガイドさんに声が届かない範囲でおおかたの説明をしておくといいです。

そのガイドさんが立ち去った後に、その「現物」を確認していただき、補足の説明や質問を受けるといいでしょう。

あるベテランガイドさんからこのように言われたことがありました。

〇〇さん、私が説明をしているところに来て、マイクで説明を始めた

先に来ている人の説明の上から、マイクで説明を被せる・・・もうこれは最悪です。

お互いプロとしての意識を持って、譲り合いの精神を忘れないようにしていただきたいものです。

熊野古道であれば、先に説明スポットに入っている人が優先になりますが、たとえば神社の境内などではどうすればいいと思いますか?

神社の境内であれば、他にも説明スポットがありますので、先にそこを説明しておくということもできます。

「ストーリー的にこの順番でなければ」という場合は別ですが。

まとめ

以上、ガイド時の注意事項7選についてお話をしました。

1.全員とアイコンタクトを取る
2.特定の人とばかり話さない
3.お客様の方を見て話す
4.通路を空けて説明をする
5.写真はお客様全員に見えるように工夫する
6.時折後方に注意をする
7.他のガイドさんとかち合ったときは先の人が優先

以上、ご参考になれば幸いです。

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ガイドに興味のある方は、こちらからお問い合わせください。
一般社団法人 和歌山地域通訳案内士会

相手のことを知ろうとする大切さ

ガイドとは、ただ単に説明だけをすればいいものではありません。

お客様との会話の中から、お客様の興味のあることを見つけ、その話題について会話をして親睦を深めることも重要です。

ガイドの時間は非常に限られています。

その短い時間の中で、いかに距離を縮められるかが、終了後の印象にもかかってきます。

今回は、お客様とのコミュニケーションの取り方とそのコツ、心得などをご紹介します。

「私はあなたが好きです。あなたのおかげで私はとても嬉しい。あなたにお目にかかって嬉しい」
犬が可愛がられるゆえんである。

私はイチゴ・クリームが大好物だが、魚は、どういうわけけミミズが大好物だ。
だから魚を釣りをする場合、自分の好物のことは考えず、魚の好物のことを考える。
イチゴ・クリームを餌に使わず、ミミズを針につけて魚の前に差し出し、「一つ、いかが」とやる。

ーデール・カーネギーー 「人を動かす」より

相手にミミズを与える

最近登山にハマってるんですよ

そうなんですね(終わり)

たまにこういう会話があったりします。

最悪、無反応で返事すらない時があります。

自分に興味がないものについてはまったく無関心で、質問すらしない人っています。

相手がせっかく打ち解けられるきっかけを与えてくれているのに、そのチャンスを逃しているかもしれませんよ。

これはどうでしょう。

最近登山にハマってるんですよ

面白そうですね!よく行く山とかありますか?

最近は近所の◯◯山に良く行きます。今度屋久島に行くのでトレーニングです

屋久島に行くんですか!いいなぁ!私は体力もないので行きたくても行けないでしょうね

私も今回初めてなので体力的に不安で・・・雨も多いと聞いたので、安全面を考えてガイドをお願いしようかと思っています

登山に行く時はいつもガイドをお願いするんですか?

いやぁ、実は今回が初めてなんですよ。初めてづくしで不安でいっぱいですが・・・〇〇さんは、何か趣味とかあるんですか?

相手に「ミミズ」を与えている会話ですよね。

これは極端な例かもしれませんが、何を言いたいかと言うと「私はあなたに興味を持っていますよ」ということを相手に分かってもらうことの重要さです。

色んな話題を提供してくる人も、結局は「自分に興味がある話題」であったりします。

自分視点なんです。

人は自分の話をしたがるものです。

自分の話を聞いてくれる人、共感してくれる人には、返報性の法則が働きます。

返報性の法則とは、何か相手にしてもらった時に「こちらも何かお返ししなければ」という心理が働くことを言います。

スーパーの無料試食なんかも、この返報性の法則を利用しています。

相手の話を聞いてあげ、返報性の法則が働くと、こちらの話も聞いてくれるようになります。

すると、お互いの会話が弾み、お客様との距離が縮まります。

中庸であることも大切

そして、いかに業務を真面目に遂行しても、ただ真面目に淡々とやっているだけでは相手に喜んでもらえません。

チャランポランはいけませんが、真面目すぎるのも相手に魅力がないと感じられてしまいます。

真面目ジメジメ・・・(斎藤一人さんの言葉ですよ。私が言っているのではありませんよ)

硬すぎるのは良くありません。

緩すぎるのも良くありません。

何でも中庸です。

人間、少しくらい緩い方が魅力的になるものなんですよ。

相手も気持ちは同じ

さて、これは実際にあった話ですが、お客様から何かスポーツをやっているのか?とよく聞かれました。

「私は空手と古武道をやっています」と言ったら、本当に色々質問してきます。

もう鬱陶しいほど(笑)

逆にうちの会員さんや、周りの人は、質問はおろか、まるで聞いていなかったかのように無反応を決め込む人もいます。

空手について質問されたことはまったくありません(笑)

あ、一人だけいました。

みなさん、よくご存知なんですね!(笑)

だから質問しないんですよね?

ガイド中、空手のことについて聞かれた事がある人もいると思います。

その時にどう答えたんですかね?

話がそれましたが、質問をしてくるということは、お客様も私と打ち解けよう、知ろうとする努力をされているからです。

相手もこちら側と同じ気持ちです。

それを、自分が興味ない、あるいはその知識がないからと言って「そうなんですね」とか、最悪な場合、無反応な対応で終わる人に限って、知識に偏りがあるがゆえにだまされたりします。

知らない情報にフタをすると、後でとんでもないことが起こったりします。

なぜなら、人をだまそうとする手口を知らないからです。

知らなければ、知ろうとしてください。

・・・何も「私のことをかまってください!」と言っているのではありませんよ(笑)

業務をただするだけでは極論、オーディオガイドで事足ります。

あるいは「説明板を読んでください」で事足ります。

相手が人間である以上会話があり、その人にしかないストーリーもあるからガイドとしての価値があるんです。

なので、相手の興味のあることや主張も聞いてあげてください。

たとえお客様の主張が間違っていても、まずは共感してあげることです(同意するということではありません)

「でも」「だって」を使って頭から否定すると、相手は自分の人格まで否定された気分になり、心を閉ざします。

否定と議論(特に論破)はご法度です。

「負けて勝つ」という気持ちが大切です。

それでも地球は回っているんです。

間違っている人には、そのうち気付きを得るようなことが起こります。

相手に失礼のないように

「お前は懐(なつ)いてけーへんからな・・・」

高校を卒業して和歌山市で就職した時、同じ郷里の大先輩からボソッとこう言われたことがあります。

私はスナックなどに酒を飲みに行くことが嫌いだったので(食わず嫌いです)そういうところに連れて行かれるのが本当に嫌でした。

ある日、誘ってくれたその先輩に向かって「もう帰ります」と言って、店から歩いて帰ってしまいました。

本当に失礼なことをしてしまったと反省しています。

ここまでとはいかなくても「早く帰りたいオーラむき出し」も同列です。

相手にはそれが伝わっています。

伝わっている時点で失礼にあたります。

そのうち誘ってくれなくなります。

当時は「何で仕事の仲間とプライベートの時まで付き合わんとあかんねん。仕事だけやっといたらええやろ」とか「こんなことよりギターの練習したいねん」とか思っていました。

しかし、今思えば「あの時、もっと先輩の好意に甘えておけばよかったな」と後悔しています。

先輩も、やはりこちらと打ち解けたかったのだと思います。

特に同じ郷里だったので特別可愛がってやりたいと思っていたのでしょうね。

何も嫌いな人間をわざわざ誘ったりはしませんから。

自分のことや、その先輩の色んなストーリーを話したり聞いたりして打ち解けるチャンスを自ら断ってしまったことは後悔しかありませんでした。

仕事ももっとやりやすくなっていたでしょうね。

あの時は、ギターの練習とか、目先のことだけしか考えておらず、長期的な視点に欠けていました。

今度は上の立場になってつくづく実感しています。

それからその先輩は二度と私を誘ってくれなくなりました。

ガイドでは、お客様といられる時間は非常に限られています。

その中で、いかにここ(和歌山)での体験を印象付けるかは、ガイドにも大きな役割があります。

自分ばかり話すのではなく、ぜひ相手にもしゃべらせてあげてください。

そして共感しながら聞いてあげてください。

話の切れ間にお客様が話した単語を繰り返すだけでも効果はあります。

そして、できればお客様が話されていることについて質問を入れてください。

話がさらに深くなって理解不能になる時がありますが(笑)

でも、「相手を理解しよう」「打ち解けよう」という姿勢は相手にも伝わります。

「嫌やし興味のない話やけど、付き合ってあげよう」とか

「お客様と晩ご飯かぁ、面倒くさいなぁ」

という気持ちも相手に伝わります。

人間関係は、形だけで相手を満足させられるような、そんな易しいものではありません。

気持ちも非常に重要です。

無反応は最悪です。

「面倒くさい」という言葉も私は大嫌いです。

しゃべりっぱなし、聞きっぱなしはどちらも疲れます。

適度にその役割を交替しながら、お客様との距離を縮めていってください。

そして「私はあなたと一緒にいられて嬉しい」という気持ちを持って接してください。

・・・「犬のように相手の顔を舐めろ」とか「体と摺り寄せろ」とか言っているのではありませんよ(笑)

そして、「説明そっちのけでお客様と会話をしろ」と言っているのではありませんよ、念のため。

まとめ

以上、相手のことを知ろうとする大切さについてお話をしました。

相手に興味のある話題を仕向ける
・チャランポラン、真面目過ぎもNG

・共感する。否定・論破は避ける
・相手もあなたのことを知ろうとしていることを認識する

・相手にも話をさせる
相手に興味を持つ
・言葉に表さなくても態度で通じる

以上、ご参考になれば幸いです。

冬の熊野古道

果無峠越 2024年2月24日

熊野古道は冬でも歩けるのか?とよくお客様に聞かれます。
結論から言って「コースによっては歩けます」なんですが、海外のエージェントでは「(中辺路でも)冬は閉めている」と言われたお客様もいました。

小辺路ではかなり雪が積もりますので、冬はやめておいた方が無難です。
私たちは2月末に果無峠越だけ歩きました。2月も終わりとなると、春の空気感が漂ってきますが、やはり峠はまだまだ冬でした。

中辺路では、近露、野中、道湯川のように寒いエリアはありますが、雪が積もって歩けないということは「あまり」ありません。
以前2月の研修で高原~近露王子まで歩いた時は、結構雪が積もっていて怖かったですが・・・

今年の冬は、本宮でも1回雪で歩けない(歩こうと思えば歩けたが・・・)時がありましたが、近露などに比べれば、本宮は比較的暖かいです。
本宮では、雪は確かに降りますが、うっすら積もることはあっても、歩けなくなるくらい積もるということはあまりありません。

ただ、紀伊田辺駅から本宮方面に行く場合、バスならまず問題なく行くことができますが、自家用車で向かう場合は、道湯川の小広峠は積雪の恐れがありますので、スタッドレスタイヤを履いておいた方が無難です。

小広峠の積雪情報は、こちらのFBページで確認することもできます。
国道311号「小広峠」の凍結情報

積雪があった場合は写真のようになる時があります(常にこういう状態ということではありません)

小広峠

そこを過ぎれば、あとはさほど雪で心配になる道路はありません。

新宮方面から本宮まで車で来る場合は、雪の心配はまずありません。

私たちガイドも、冬場は念のためにスタッドレスタイヤを履いています。
・・・活躍しない年もありますが。

冬場は、川湯温泉の「仙人風呂」など、冬にしか楽しむことができないイベントもあります。
夜の仙人風呂は幻想的でオススメですよ。

2024年12月29日追記

12月29日、滝尻王子~近露王子まで歩いてきました。
前日の28日、午後からの降雪の影響で十丈王子手前付近からうっすらと雪が積もっていました。
上多和茶屋跡(このコースの最高点で687m)の手前からは写真のような状態でした。
ちなみに、前日の28日、当日29日の田辺市の最高気温は共に9℃でした。
ただ、上多和茶屋跡を過ぎてからしばらく下りると、雪はありませんでした。

しかし最近はチャイニーズが増えましたね。

大辺路がオススメ

道路、古道で雪の心配をほとんどしなくてもいいのは大辺路です。

大辺路は大部分が海岸線沿いに面していますので、雪もあまり降りませんし、積もるということはまずありません。

富田坂、仏坂、長井坂、八郎峠~湯川駅あたりがオススメです。
熊野古道大辺路

熊野古道は中辺路だけではありません。

この冬は大辺路を歩いてみてはいかがでしょうか?

熊野古道のクマ騒動と相手を知ることの大切さ

最近、熊野古道でクマの目撃例があります。
熊野古道伊勢路ツヅラト峠では70代の女性が熊に襲われ大けがをしたそうです。
【注意】熊野古道で熊の出没がありましたのでご注意ください

熊野市や尾鷲市内でも目撃情報がありますので十分ご注意ください。

また、中辺路でも目撃情報がありますのでご注意を。
詳しい情報はこちら

ただ、中には誤認では?というものもあります。

今年(2024年)の5月に、滝尻~高原間の胎内くぐりあたりで目撃されたものは、地元の人が飼っていた黒い大型犬が逃げ出して、その辺りをウロウロしていたものを、外国人が見つけて熊と誤認したという話を聞きました。

祓殿王子手前で目撃されたものはカモシカではないか?という見方が強いとのことです。

いずれも目撃者は外国人。

以前聞いた話では、タヌキの子供を見て「クマだ!」と騒いでいた外国人もいたとか。

ツキノワグマがどういったものかを知らないので、特に外国人が多い中辺路では、目撃例の中には誤認も含まれているものが結構あるのかもしれません。

私自身も、はっきりと間近で見たことなかったので、三重県大紀町にある大内山動物園に行ってわざわざ見てきました。

https://photos.app.goo.gl/3bnknwPpKGB7hEmk9

ツキノワグマはさほど大型のクマではないので、他の動物と見間違えることがあるのでしょう。

とにかく、何でもそうなのですが、まずは相手がどういったものかを知ることが、過度な恐れを抱かずにすむ一番の方法です。

昆虫のアブひとつをとっても、それが吸血をするものなのか、花の蜜を吸うものなのかを知らないと、すべてのアブが怖くなると思います。

「あ、これは花の蜜を吸うやつやから大丈夫」と知っていれば、それだけ「怖い」と思う回数も減ります。

もう一つ例に挙げると、秋になれば、ホシホウジャクやオオスカシバという、スズメガの仲間が頻繁に飛びます。
これらは、オレンジや黄色や赤の服を着ていると花と間違えて人に寄って来て周りをホバリングしながら飛んで回ることがあります。

これを知らない人はハチと勘違いして「わぁぁ!」と言って騒ぎ始めます。

ホシホウジャク
オオスカシバ

こいつらは高速飛行する蛾であり、何ら危害を加えるものではありません。

以前の記事「熊野の危険な生き物たち(ヘビ編)」でもお伝えしている通り、どんなヘビが毒を持っていて、どんなヘビが無毒なのかだけでも知っていれば、さほど恐れる必要はなくなります。
「生理的に受け付けない」という人は別ですが・・・。

クマが出没するようになった要因

こちらも以前の記事でお伝えしていますが、その一つとして、古道で食べ物やゴミを捨てる人が増えて来たというものが挙げられると思います。

餌付けの問題

つい最近も、発心門王子~本宮大社間のある地点で、おにぎり3つとおはぎ2つが捨てられていました。

イノシシやシカ、サルは雑食です。

こういったものもエサに十分なり得ます。

また、人間が食べないものでも、ヤツらにとっては十分にエサになるものもあります。

例えばバナナの皮とか、リンゴの芯とか。

特にイノシシは腐って液状になった果物でも食べます。

古道に動物を呼ばないためにも、絶対に食べ物は捨てないよう、お願いいたします。

クマ鈴は効果があるのか?

クマ鈴って効果があるのか?という議論が結構あります。
私も試したことはありませんのではっきりとは言えないですが、結論から言ってあるようです。

日本人に多い(というか、日本人しか見ない)ですが、クマ鈴を絶えず「チリンチリン」と鳴らしながら歩いている方を見かけます。

ただ、ガイドが絶えずお客様の前で「チリンチリン」鳴らすのは考えものです。

いくらクマよけだと言っても、お客様にとっては「騒音」に聞こえる場合もあります。
せっかく都会の喧騒から離れて静かで自然豊かな場所に来られている方にとっては、それを台無しにしてしまう可能性もあります。

なので、ストッパー付きの鈴を用意しておき、必要と思われる場所、特に、クマの目撃情報があった場所や注意喚起の看板がある場所の付近や、単独で歩くときなどは鳴らすといいと思います。

ストッパー付きのベルはこちら

東京ベル(Tokyo Bell) (TOKYO BELL) TB-K1 BEAR BELL 森の鈴 ゴールド

ただ、「これを付けているから安全」というような過信をせずに、周囲の状況に注意を払うことが重要かと思います。

ハイカーが捨てたゴミが間接的な餌付けになり、「人間が捨てたゴミ→人間はエサ」という認識に発展し、北海道では実際に人間が襲われたケース(この場合はヒグマですが)が発生しています。

熊鈴って効果あるの?と専門家に聞いてわかった登山者がすべき本当のクマ対策

登山者の最大のクマ対策は遭わないこと|熊鈴の有効性と知っておくべき前提【クマとの共存。vol.1】

こういった場合は、クマ鈴の音が逆にクマを呼び寄せることになる場合があるとのことですので、やはり過信は禁物です。

クマは本来、警戒心が強く、特にツキノワグマは人間の姿を見れば逃げて行きます。
私も一度、渓流釣りで山深く入った時に、逃げているツキノワグマらしきものを見かけました。
すでにはるか遠くを走っていたので何も起こりませんでしたが、やはり気持ち悪くなったので釣りをやめて帰りました。

今回のツヅラト峠での女性が、どんな状況で襲われたのかは分かりません。
本当にお気の毒ですが、この理由が、人間が捨てたものに味をしめて来るようになったのではないと祈りたいものです。

もし単独で歩かれる場合で不安な方は、ガイドと一緒に歩きましょう。
お問い合わせはこちらから

一般社団法人 和歌山地域通訳案内士会