ガイド料金と後継者問題

現在、おかげさまでMi-Kumanoの依頼件数は2014年以降右肩上がりで成長を続けており、ガイドの育成が急務となっています。和歌山県では特区通訳案内士の育成をしていますが、それだけではガイドとしてすぐに使い物にならないため、ライセンスを取得してからお客様を実際にご案内できるまでに相当な時間を要します。これが今私どもが抱えている問題なのですが、これとは別に現在日本語の語り部団体の方からお聞きする中で「後継者が入ってこない」「語り部の高齢化が顕著」という問題があります。

これは育成以前の問題です。

熊野の歴史や民話を、訪れたお客様にご紹介する重要な役割を担う語り部においては、これは由々しき事態です。

では、なぜこのような問題が起こるのか?

その理由の一つにガイド料金の安さが挙げられると思います。

言い方は悪いですが、現地までの交通費と時間、下見やたくさんの事前準備をかけて小遣い稼ぎ程度の報酬しか入らないのであれば、若い世代には魅力的には映らないでしょう。お金がすべてではありませんが、その努力に見合う報酬がなければやる気も起こらないし魅力も感じないですよね。

厳しい言い方ですが、これでは報酬を度外視した、語り部に強い憧れを持った人物しか入っては来ないでしょう。むしろ入って来なくて当然です。若い世代を取り入れたいのであれば、定年退職後の小遣い稼ぎ程度の報酬ではなく、きちんとした報酬を支払える体制作りが必要だと感じます。あまり言うと内政干渉になるのでこれ以上言いませんが。

Mi-Kumanoは後発団体として発足し、地元の語り部団体の皆さまに多大なご理解・ご支援をいただいた経緯もあって、日本人案内の料金でさえも他の語り部団体より高めです。一番安直に依頼件数を伸ばすやり方は他の団体より安く設定することですが、これは頭の悪い人間がやることです。値下げ競争は失業する人を増やすだけで何の得にもなりはしません。わたしはそれをガソリンスタンドで嫌というほど見て来ました。

ガソリンスタンドの仕事はある程度の作業なら誰でもできる仕事ですが、語り部は安全・時間管理、記憶力(知識)、体力、リーダーシップを要しますのでそうはいきません。そのような業界で値下げをすることは、将来を見据えず今の自分たちだけ得をすればいいという愚かな考えから発生するとしか言いようがありません。

外国人の案内となると、当然これに外国語のスキルが求められます。また、外国のお客様は個の主張が強く、コントロールに苦慮することもしばしばですので料金はもっと高めです。当然ですよね。これは、料金を高め(高いとは思っていませんが)に設定することにより、ガイドもそれに見合う案内、向上心を常に心がける動機ともなり、その努力に見合うだけの報酬を支払えるようにするためです。

語り部団体の料金体系と通訳案内士の料金体系の違いもありますが、Mi-Kumano発足当時に語り部団体の料金体系に倣って料金を設定したため、現在でも通訳案内士のレートとは大きく違う部分もありますし、現在でもその歪みに苦慮している部分も確かにあります。本音はもっと料金を上げたいのですが、なかなか今まで懇意にしていただいているお客様には、値上げをお願いすることは非常に難しいです。下げることは簡単ですがね。

また、ガイドだけではなく、事務局の運営費もガイド料から賄わなくてはなりませんので当然その分も加味しなくてはなりません。以前あるお客様から「私がガイドをしていた時は○○円だったよ。Mi-Kumanoさんは高いねぇ」と言われたことがありましたが、これも言い方は悪いですが頭が悪いとしか言いようがありません。「あなたに入った金額が○○円なだけであって、実際事務所はもっともらっているはずだよ」と言いたい。うちも当然ガイド料のすべてがガイドに渡るわけではありませんから。

文句ばかりになってしまいましたが、このブログの趣旨に沿った「本音」の部分でもあります。

p.s.

文句のついでにもう一つ、逆にガイド料について「安い」とか「もう少し考慮して」というガイドに限って、それほどのスキルがないことが多いです。であればもっとスキルを磨いてから言ってくださいね。

天皇陛下(お客様からの質問)

前回の更新から約1カ月、更新も放置状態となりましたが、12月も近くなり、繁忙期もそろそろ終わりに近づいてきました。12月~2月にかけては、熊野古道のガイドには文字通り「冬の時代」がやってきます。

この時期をいかに乗り切るかが最大の課題でもあります。

さて、先日あるお客様から、天皇についてたくさんの質問を受けました。

その中かからいくつかピックアップしたいと思います(以下の内容をすべてお伝えしたわけではありません)

■天皇ってどんな存在?

これは日本人でもうまく答えられないのではないでしょうか?

学校ではただ単に「日本国の象徴」としか教えられていませんし。

「象徴」と漠然と言われても子供心に「ふーん」って程度にしか理解していなかったので、大人になるまで、それもここ数年前まで納得のいく答えを見つけることができませんでした。というか、知ろうとしていなかったからですが。これは日本国憲法がGHQによって作成された際「Symbol」という記述をそのまま「象徴」と翻訳したために起こった現象です。

では、天皇陛下とはどんな存在なのか?

一言でいうと「神道の頂点に立つ祭祀王」であり、「祈りの存在」です。

陛下は今でも毎日、国民の幸福・平和を祈り続けておられます。

遠い昔、人々の間には争い事や邪気をぶつけ合うことなどもなく、神の恵みに感謝をし、お互いが和の精神で協力し合う平和な時代がありました。

人々は完璧な清廉潔白であったわけではなく、もちろん善を行うための「磨き砂」として少しの邪気は持ち合わせていましたが、それをうまくコントロールしていたそうです。

しかし、邪気は正の感情の何倍もの強いエネルギーを持っており簡単に増幅してしまう力があります。いつしか、人々の心は神から遠くなり、我欲を持つ人間が多く現れ、邪気をぶつけ合うまでになりました。神は、このままでは人々が神から遠のき、邪気に満ちた世界になってしまうことを危惧され、神と交信のできる人間を遣い、人々の心を正しい方向へと導く存在を世に降ろされました。

それが天皇陛下です。

それでも、歴史的には政治的に利用されたり、暗殺されたり、現在では本当に象徴としか、あえて言葉を悪く言えば飾りになっている感も否めません。そういった状況からか、「天皇は必要ない」という人まで現れ始めました。ただ、ここで勘違いしないでいただきたいのは、元来の天皇の能力を封印させてしまったのは、我々の負の感情・邪気だということです。

■女系天皇ではダメなの?

ダメです。

一見、女系天皇を容認しないのは女性差別と捉えられるかもしれませんが、実際には男性が差別?されているといっていいでしょう。

その証拠に、一般女性は皇族の方々と結婚し、皇族の一員となることができますが、一般男性にはそれは一切許されていません。そこで血統が変わってしまうからです。
血統が変わることは、国号が変わることを意味します。

女性天皇がいらしたことは事実ですが、それは男系の女性天皇であって、女系ではありません。
あくまでも即位した天皇が幼い間の中継ぎであり、結婚さえも許されていませんでした。なので、全員一般男性と結婚はしておりません。

ここで「天照大神は女性なのに?」とおっしゃる方がいますが、はっきりと「天照は女性である」という記述は、日本書紀には「姉」と書かれてはいますが、それが正しいとは限りません。
歴史書は、その時の政権によってつごうのいいように書き換えられるのが常です。
ホツマツタヱが偽書と言う前に、日本書紀や古事記の真偽について語られないのはおかしいと思います。

そのホツマツタヱでは、天照大神(ホツマツタヱでは「アマテル」)はれっきとした男性であり、12人の皇后がいたと書かれています。

また、「アマカミ」とは、国を司る人物の称号であって、現在「天照大神」として広く知られている神様はその8代目アマカミにあたる人物だったそうです。

そして、素戔嗚尊と天照大神の誓約(うけい)の場面ですが、ホツマツタヱでは素戔嗚尊とワカヒメになっています。
ワカヒメとは、イザナギ・イザナミの第一子で、アマテルの姉にあたります。
アマテルの姉に当たるということは当然、素戔嗚尊の姉にもあたります。
ホツマツタヱではワカヒメなのに、日本書紀や古事記ではなぜか天照大神になっています。
ここが、「天照大神は女性」とされた大きな理由だと思います。

「それでも」とおっしゃる方は、伊勢の神宮に奉納されている衣装がすべて男性用だということについてどう説明されますか?

■もし、後継者が今後女性しかいなくなった場合はどうなるの?

時としてこういった難しい質問をされるかたがいらっしゃいますが、本当に素朴な疑問ですよね。

「私の意見として」という前置きをして、過去にGHQによって分離させられた11の宮家を復活させるのが一番だと思いますとお答えしました。

ただ、すでに一般社会の人間となってしまった方々が、皇族復帰を望まれるのかどうかはわかりませんが。

 

以前にも書きましたが、日本は世界の親国であり、天皇陛下はその頂点に立たれているお方です。

その天皇家がなくなれば日本もなくなり、世界がなくなることを意味します。

現在は「象徴」としか認識されていませんが、それでも陛下は日々、私たちの平和、国の安寧を祈り続けられており、その姿勢は歴代天皇と変わりはないはずです。様々な危機を乗り越えながら、万世一系で126代も続いた国は日本より他はありません。これを偶然と言えるでしょうか?それほど天皇家は重要な存在で神によって守られているとしか思えません。また、その国に生まれた私たちも重要な役割を担っていることを自覚し、世界を平和に導くことができるよう、邪気をぶつけ合うことなく、和を以って世界の模範となることが世界平和へのカギとなるのではないでしょうか?

私たちも、天皇家が未来永劫続くよう、祈り続けることが大切だと私は思います。

時間を守ってもらうには?

台風が近づいていますね。

その影響でスケジュールが前倒しになり、手配に四苦八苦しました。

さて、海外のお客様、特に南国のお客様は時間の感覚が私たちと全く違い、彼らと一緒にいると、こちらまでそのペースに巻き込まれがちになります。

遅刻なんてしても悪びれることなく、それどころか当たり前です。

日本でもそうですが、いわゆる「○○時間」と言われるものがありますよね?私の住んでいた場所も「湯崎時間」というものがあり、仮に集合が夜7時だとすると、だいたいみんなが集まるのが7時30分~8時頃だったりします。それと似ています。

話は逸れますが、以前沖縄に行った時に、お世話になったホテルのご夫婦に朝から色々ともてなしてくれ、約束をしていた時間にどうも間に合いそうにない時間になってきました。

「すみません、ここから○○までどれくらいかかりますか?」

「1時間くらいかな?大丈夫、島時間だから」

と言われ、実際に待ち合わせ場所に遅れて行ってみると(タクシーに道を間違われた)その方も30分の遅刻・・・

島時間、恐るべしです(笑)

外国でも、やはり南方系の国々の方々はそれに近いものがあります。

メキシコ、シンガポール、フィリピン・・・

ただ、あることが予定にあると、時間通りに現れたりします。

それはバスや電車の時間です。

ですので、もし予定にそれが入っているならば、それらを使って「脅し」を掛けることにより、時間を守ってくれるようになったりします。ほんと効果てきめんです。

「明日は○時○分のバスに乗れなければ宿に行けない。タクシーもないので(本宮には現在本当にありません)朝7時30分に出発します」

「明日は○時○分のバスに乗らなければ次は1時間30分後しかないので、必ず8:00に宿を出ます」

というと、ほぼ言うことを聞いてくれます。

中には例外的に超わがままなお客様もいらっしゃいますが、それは稀です。

昨日も「16:30分の新幹線に乗れるように朝8:45分のボートに乗って必ず来てください」というと、

「9:00ではだめ?」

「だめです。乗り遅れたくないでしょう?」

「OK」

と言ってくれましたが、半信半疑でした。これまでの4日間、時間通りに現れたことは一度もなかったので、一応遅れることも想定に入れて時間を決めてはいましたので、「時間通りに現れてくれればラッキー」程度に考えていたのですが、きちんと時間通りに現れました。やればできるやん。5日間のツアー中、時間通りに来てくれたのはこれが最初で最後でしたが。

おかげで新幹線も乗り遅れずに済みました。

もしお客様が遅れがちな方々で、行程にバスや電車の時間があるならこの手を使ってみてください。

しかしこれも、日本の交通機関が時間通りに来るから使える技ですよね。

p.s.

先日のスイスのお客様は、私が30分前に待ち合わせ場所に行くと、すでに来てくれていました。

さすが日本とならんでpunctualな国の方々ですね。

トレッキングポールは安全?

ここ熊野では繁忙期を迎え、更新も滞りがちになってしまっております。

さて、今回はトレッキングポール(ウォーキングスティック)の安全性についてお話しようと思います。

最近、当たり前のように使用されているトレッキングポール。特に脚力に自信のない方には、間違いなく足への負担が軽減される代物です。

最近はカーボン製のものも多く販売されていて、持ってみると驚くほどの軽さだったりします。

しかし、私が最近思うことの中の一つとして、「道中で滑って転んだお客様の和田の統計データ」によると、8割以上のお客様が「トレッキングポール支持者」だったりします。

安全なはずのトレッキングポールが、どういうわけか、滑ったお客様の大半を占めている。

確かにスピードの点においては、特に石畳の下り坂では、ポール使用者の歩行スピードが非常に落ちます。それもそうですよね、二足歩行なら自分の注意すべき位置(足を下ろすべき位置)は2点でいいわけで、ポールを両手に持てば「右手に持っているポールをここに、左手はここ、右足はここに下ろして、左足はえっと・・・」みたいな感じになり、こちらが見ていてイライラしてきます。わたしはそもそもポールを一切使わないので、下りの石畳を両手にポールを持って下ったことはありませんが、かえって煩わしいことは想像に難くありません。

しかし、それはスピードの話。滑る滑らないは別の話ですよね?単なる偶然なのか、それとも必然なのか、使わない方が安全なのでは?と疑問になり、今更ながらちょっとネットで調べてみました。

どうやら何でもかんでもポールに頼ることは危険でお勧めできないとのことでした。特に扱いに慣れていない初心者はポールに依存する傾向があり、必要のない場所でも使う傾向があるようです。

石畳の下りは最初からポールをザックにしまってから下りる方がいいのかもしれません。確かに、「ポールを持っていると安全」のような錯覚を起こしますが、ポールが滑った時なんか態勢を立て直すのも難しいのではないかと思います。わたしはバランスを崩した時、フリーになっている両手をフル活用してバランスを取ります。

https://www.yamareco.com/modules/plzXoo/index.php?action=detail&qid=2954

http://www.fujisanpo.com/gear/stock-01.html

また、石畳では石の縁に着地することを心がけ、それが見当たらない場合は滑らないように着地するコツがあります。普通に歩いていては私も絶対に滑ります。あと、意外かもしれませんが、杉の落ち葉はスパイク代わりになるようで案外滑りません。私は結構杉の落ち葉を踏みながら下ります。意外といえばコケの上も実は滑りにくいのですが、コケは一度踏んで削いでしまうと、再生までかなりの時間を要しますので、なるべく踏まないように心がけています。案外コケが生えているようないないような微妙な場所が滑ったりします。

是非ご参考にされてください。

p.s.

先日、龍神バスの運転手さんの「コケの上で滑ってコケないように」とアナウンスを聞いて吹いてしまいました。まさかのダジャレ・・・

 

スキルを伸ばすために①

ガイドスキルと一口に言っても色々ありますが、どれも総合的に伸ばす必要があります。

今回は、知識についてお話しようと思います。

お客様からの質問は、同じコースでれば似たようなものが度々出て来ますので、それを適当に答えて終わるのではなく、帰ってから調べて次につなげるようにすれば、自分の「穴」がどんどん埋まっていきます。

結果、「knowledgable」と言ってもらえるようになります。

また、前にも触れましたが、知識に偏りがないようにしなければなりません。

「わたしは植物や動物については詳しいけど、歴史が・・・」

なんて言っても、お客様が歴史に興味を持たれている方であれば、そんな言い訳は通用しません。がっかりさせるだけです。そんなガイドをアサインしたこちらにも責任が発生しますし、団体の評判をも落としかねません。

また、知識の引き出しはできるだけたくさん持っておきましょう。

特に、今度は逆に自分の得意な分野であれば、引き出しを多く持つことも苦にはならないはずです。

「こんなことまで?」というところまで、是非掘り下げてください。

知識の隙間を埋める作業と、自分の得意分野をさらに伸ばす努力を怠らないようにし、「今日はこの説明が出来たから、次回はこれを付け加えよう」というふうに、自分の知識の幅を広く持ってください。

たとえば、乳岩の話をします。

テキストに書かれていることをスラスラとよどみなく説明できるようになれば、なぜ、彼らは生まれたばかりの赤ん坊をここに置いて本宮に参らなければいけなかったのか、テキストでは曖昧に推測で書かれていたその部分について、お客様に納得のいく説明を付け加え、さらにそれができるようになれば、ニホンオオカミの説明も加えていき、話に幅を持たせるようにします。

上記の説明では、昔の神社には白、赤、黒不浄を抱えていた者は参拝出来なかったという「日本の習慣」と、「ニホンオオカミの話」の2つを話題に挙げることができます。

日本の習慣に興味があるお客様はその話や神社に関する話題、オオカミに興味があるお客様はオオカミの話や、ヨーロッパのお客様なら「似た話がある」とか、熊野古道沿いの動物の話などに話題が移る場合があり、お客様の興味の対象によってお客様に選択肢を与えることができます。

また、お客様は自分に興味のある話や質問をしますので、こちらの話もよく聞いてくれるようになります。

こうすることによって、正のスパイラルが出来上がります。

逆にしてはいけないのが「知識の自慢」です。

自分の知っている知識を「俺の話を聞け」と言わんがごとく、相手の興味に関係なく延々としゃべることです。

人間誰しもそうですが、人の話を聞くという行為は、かなりのエネルギーを使います。ましてや興味のない話は苦痛以外の何物でもありません。学生時代の朝礼での先生の話や入学式の来賓の話などがいい例ですね。

もちろん、お客様の興味がどれかを計るためなら構わないですが、それは始めのうちにとどめておくべきだと思いますし、お客様は楽しみに来ているのであって、勉強をしに来ているのではありませんので、その配慮を忘れないようにしたいものです。

これはベテランガイドでさえもやってしまいがちな点です。問題は、本人がそれに気付いておらず挙句の果てに「まだ話していないことがたくさんある」と言うところです。

・・・いや、たとえそれがおいしい物でも、もうお腹いっぱいで何も入りません(笑)

知識は質問を受けた時にさらっと出せる引き出しは必要ですが、あえてそれをひけらかすとかえって評判を落とします。

刀は絶えず研いでおき、いざとなったら一発で斬る・・・それが一番かっこいいガイディングだと思います。

p.s.

ガイドにはガイド向きの人、研修の講師向きの人がいます。

「俺の話を聞け」タイプの人は、後者に適しています。

研修の時は、こういったタイプの人が「神様」となります。

逆に、ガイドの評判がいい人でも、講師としてはイマイチな人もいます。

「名選手、名コーチにあらず」ですね。

英語資格は関係ない?

日中は残暑が厳しいですが、朝晩は少しずつ秋の気配が漂ってきました。

こうやって文章を作成中も、窓を開けると心地よい風が入ってきます。

今日は英語資格について書こうと思います。

高野・熊野特区通訳案内士の資格取得には、その年度のTOEIC750点以上か、英検2級以上に合格していなければならず、英検2級に合格しても、県の主催する語学研修を受講しなかればなりません。

これは、高野・熊野特区通訳案内士に限らず、ガイドとして一定の英語能力を計る上での重要な参考基準になります。

通訳案内士が業務独占から名称独占へと変更になることを以前お伝えしました。

https://7875937fbfc6f01c.main.jp/2017/07/20/%E7%86%8A%E9%87%8E%E5%8F%A4%E9%81%93%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%89%E3%81%A3%E3%81%A6%EF%BC%9F%E2%91%A1/

要は、有償で外国語の案内はできるが、通訳案内士の資格を持っていない者は「通訳案内士」と名乗ることはできないということですが、事実上通訳案内士制度の撤廃です。

ただ、ここで問題となることがあります。

それは、ガイドのスキル、特に英語能力を計ることが困難になるということです。

そこで必要とされるのが英語の資格です。

その話は一旦横に置いておいて、あなたは医者にかかる時、医師免許を持っていない人に診てもらうことができますか?

「腕は確かだが、あの医者は免許がないらしい」という人がいたら、その人に診てもらおうと思いますか?また、その医者と名乗る人のことを、どうやって判断しますか?見た目で分かるわけはありませんよね。

もちろん医者は免許がないとできないので、こういった話は現実味がありませんが、ガイドにおいても同じことが言えます。

特に英語スキルについては、そのガイドのことを全く知らないお客様や旅行会社、ガイド団体が、何を見て判断するか・・・

どの英語の資格を保持しているかが、最初の判断基準になります。

「英語の資格なんて関係ない」

と、いかにも知ったようなことを言う人がいますが、それはガイドは何で判断されるのかということを知らない人の言動です。その判断基準が必要とあらば「関係ない」なんて言ってられません。むしろ取得するように行動するのが本来だと思います。

もちろん、資格がなくても高い英語スキルを持っている人もいるでしょうが、ガイドを雇う側とすれば、資格があるに越したことはありません。いや、むしろ必要です。

また、その資格を取得するために努力をしたということも考慮に入れるべきだと私は考えています。

大辺路(見老津駅~田子駅)

見老津駅から田子駅間は、国道42号線を中心に主に海岸線を通るルートで、雄大な海を見ながら、昨年2016年に世界遺産に登録された新田平見道(にったひらみみち)や磯、集落を通ります。

実は昨年に追加登録後すぐに同じルートを歩いたのですが、まだ道標が設置されておらず、地図も発行されていない状況だったため何度も迷いました。

今回は2回目ということもあってさすがに迷いはしませんでしたが、地図を片手に何度もルートの確認をしました。初めて歩く方は大辺路の入り口を見逃すことがあるかもしれません。特にすさみエリアでは、道標が整備しきれていない印象があり、以前から設置されている木製の標識の文字がなくなっていたり、矢印が消えていたりで、結構惑わされます。

この日は台風5号が接近中の日で大変蒸し暑く、海も荒れ模様。日向を歩くことが多いので、こまめな水分補給は欠かせませんでした。

途中、国道から外れて浜伝いに歩きます。この日はまだ干潮後間もない時間帯でしたので、岩で滑らないように気をつけながら歩きました。

昨年追加登録された新田平見道は、距離こそ短いながらも、古道の雰囲気をよく残しており、当時の古道の様子がよくわかる箇所です。

また、道中何か所か集落を通ります。穏やかな雰囲気に包まれた集落は、個人的にはツボだったりします。

ここを通りかかった時、「暑いのぉ。熱中症にならんように気つけよしよ」と、この地方の方言で声をかけてくださった住民の方がいました。こんなまた違った雰囲気を味わえるのも古道歩きの楽しみの一つかもしれません。