熊野古道は何県にある?

北郡越(ほくそぎごえ)

熊野古道について、素朴な疑問にお答えいたします。

今回は、熊野古道は何県にあるのか?という疑問です。

よく見かける記事では、まず「そもそも論」から入って結論は後・・・というものが多いですが、私は結論からいきます(笑)

熊野古道は和歌山県、大阪府、奈良県、三重県の4県にまたがっています。

大阪の窪津を起点とし、山中渓を経て和歌山県に入ります。

和歌山県では、田辺市でさらに中辺路と大辺路に分かれ、中辺路は紀伊半島を横切る形で、大辺路は紀伊半島の海岸線を通ります。

中辺路を通ればまず本宮大社に、大辺路を通れば那智大社に到着します。

一方、真言密教の聖地・高野山に端を発し、奈良県を通って熊野本宮大社に至るルート、小辺路があります。

出発と終点は和歌山県ですが、小辺路の大部分は実は奈良県を通っています。

小辺路は1000m級の峠越えを3回しなければならない、熊野古道の中では厳しいルートです。

次に、伊勢の神宮から三重県の主に海岸線を通る伊勢路があります。

伊勢路は三重県熊野市有馬で、本宮大社に向かうルートと、速玉大社に向かうルートに分かれます。

本宮大社に向かう道を「本宮道」と呼びますが、これまでの海を眺めながらの景色とは一変し、山中を歩くようになります。

そしてもう一つ、奈良の吉野から、熊野本宮大社に至る道、大峰奥駈道があります。

この道は修験者の修行の道であり、そもそも熊野古道を拓いたのはこの修験者であったとされています。

この大峰奥駈道が最も厳しいルートです(私はまだ歩いたことがありませんが・・・何か気が乗らないんですよね)

奈良の吉野は桜で有名ですが、これは修験道の開祖・役行者が最初に蔵王権現を感得した時に桜でそれを彫ったということにちなんで、桜が修験道のご神木となったためです。

以後、信者が桜を次々に植え、現在のような桜の名所になったそうです。

ちなみに、本宮大社の旧社地・大斎原(おおゆのはら)から、山中に大峰奥駈道を見ることができますが、一番分かりやすいのは桜の開花時季です。

ここにもたくさんの桜が植えられています。

このころになると、山がピンクに染まるので一目でわかります。

そもそも、「熊野古道」という呼称も昭和になってからのもので、以前は「熊野道」とか「熊野街道」などと呼ばれていました。

大辺路などでよく見かける道標地蔵には「右 くまのみち 左 やまみち」などと刻まれています。

考えてみれば、当時の人にとっては「古道」ではなく「現役の道」なわけで、「古道」という発想は生まれなくて当然と言われれば納得します。

また、大阪では「熊野古道」よりも「小栗街道」と言ったほうがピンと来る方が多いようです。

小栗とは小栗判官のことで、照手姫と結婚をしたまではよかったのですが、それを照手姫の父に無断でしたことにより父の怒りを買い、毒殺されてしまった人物のことです。

しかし、小栗判官は閻魔大王によって餓鬼阿弥となりこの世に生き返らされ、本宮の湯の峰温泉で見事に復活し、照手姫とも再開し、めでたし、めでたしというお話(かいつまみすぎ)によるものです。

その小栗判官が引き車に引かれて通った道が熊野古道とリンクしている部分があり、それを「小栗街道」と呼んでいます。

小栗判官と照手姫の物語や、小栗街道については、またの機会に詳しくお話をしようと思います。

ということで、熊野古道は和歌山県、大阪府、奈良県、三重県にありますというお話でした。

伊勢路(栃原~田丸)を歩いてきました

毎年恒例となっているお伊勢参りですが、今回は伊勢に近い伊勢路の一部をついでに歩こうということで、栃原~田丸の間を歩いてきました。
梅雨明け宣言間近でまだまだ天気が不安定で、時折大雨に遭いながらの古道歩きとなりました。

結論からいうと、多分二度と歩かないです(笑)
いや、女鬼峠までの前半は見どころもありよかったですが、後半のアスファルトの道をひたすら歩くのは堪えました。

でも、この区間の栃原駅~女鬼峠の区間、特に女鬼峠は古道らしさが残っていて景観もキレイでしたので、ここは歩く価値がありますかね。
女鬼峠の距離が約2kmと短いので、少し歩きたいという方がいるならここだけ歩くのもいいかもしれません。
ただ、現地までの交通機関が、おそらくタクシーでしか行けないのではないかと思います。

伊勢路は普通、伊勢から新宮に向けて歩くようですが、今回は宿泊先との交通機関の兼ね合いもあり、栃原から田丸(つまり、新宮方面から伊勢方面)に向けて歩きました。

10:00 栃原駅

紀勢線の駅にはトイレがない駅がありますが、こちらはきちんとあります。
ただ、場所が離れているため、少し探しました。

すこし歴史的なものを感じる町並みが見えてきました。
このあたりはお茶の栽培が盛んなようです。

ネットに人様の家をさらすことはできませんが、このあたりから外城田(ときだ)にかけては多くの「御殿」がありました。「多くの」というか、建っている家のほぼすべてがいちいち巨大で庭も広く、しかもそのその庭がキレイに手入れされていました。
これを見るだけでも結構楽しかったりします。
このあたりは農家さんが多いようなので、その関係でしょうか。

10:40 コンビニ、カフェ、阿弥陀寺

コンビニは田舎のコンビニという感じですが、この先には終点近くにしかないため、何かを買うならここに寄らないと後で困ることになります。
このコースは、想像していたより随分と田舎です。

古民家?を改築した感じのカフェ。いい雰囲気でしたが、この日は閉まっていました。
営業時間外だったのかも。

しばらくは広い道を歩きます。
「濁川」と書いていました。
大雨の影響もあったのでしょうが濁っています。

ほどなく今度は田んぼが広がっていました。
このあたりはどうやら米どころのようです。

11:23 柳原観音千福寺

ご本尊は十一面観音です。ここへ来るには少し「コースアウト」をする必要があります。

11:42 まんじゅう屋跡

ここに「まんじゅうや」と呼ばれる茶屋があり、大変賑わったそうです。
死後の当主は養蚕事業の発展に貢献したそうです。
その話より「道中さんと茶屋娘の物語」の話の方が気になりますが、そのことについては書かれていません。

11:44 寺子屋跡

明治初期に寺子屋があったそうです。
この建物が寺子屋跡かどうかはわかりませんが、当時は3畳の部屋がいくつかあったそうです。その後小学校が出来てからは閉鎖され、自転車屋になったのだとか。

11:48 脇道~深谷地蔵

少し脇道に入り、未舗装の道を進むとお地蔵さんが現れます。
道中安全のお地蔵さんらしいのですが、新しい道路か建設されて現在の地に移されました。
現在でも逵(つじ)氏がこのお地蔵さんの世話をしているそうです。
このあたりには難しい漢字の「逵」さんが多いです。

11:51 浄保法師五輪塔

伝染病に苦しむ人々を救うため、自ら生き埋めになった浄保法師のために建てられた五輪塔。
いわゆる「捨身行」ですね。
熊野では補陀落渡海や、阿弥陀寺の応照上人の火定(かじょう)などが有名ですが、この他にも、断崖から麻縄を巻いて飛び降り、絶命して白骨化してもなお、舌だけがひらひらと動いて念仏を唱えていたという禅師の話や、那智の滝から投身する修行僧がいたりと、捨身行の話題となると事欠かないのが熊野です。

五輪塔までの階段が長かったので、下から失礼。

11:56 地蔵

立派はお地蔵さん。
よく「◯◯地蔵」という名前がつけられていますが、ここはズバリ「地蔵」(笑)

本来の地蔵の役割というのは、釈迦の入滅後、弥勒菩薩が現れるまでの間、人々を守ってくださるというものです。
その後、色んな信仰が乗っかって「道中安全」「病気平癒」「縁切り」などに細分化されていきます。

この説明板にも、「◯◯が治る」とか、「道中の旅人の安全のために建てられた」などという記述がありません。

ここのお地蔵さんは逆にいえば、本来の役割を全うされているお地蔵さんか、あるいは、ご利益が不明なのかのいずれかでしょうね。

12:00 トイレと昼食

このあたりから少し雨が降ってきたので、雨宿りしながらお昼にし、小降りになってから出発しました。
しかし、出発後まもなく雨が激しくなってきました。
女鬼峠の入り口付近の小屋を勝手にお借りしてカッパを着ました。

12:48 女鬼峠南入口

女鬼峠のちょうど入り口にお寺があったそうです。
あまり興味のない説明だったので写真だけ撮ってスルー。

いよいよ女鬼峠です。
なかなかいい感じ。

13:04 名号碑と如意輪観音像

紀伊路には徳本上人名号碑が結構ありますが、花押が確認できなかったので、ここのものは違うようです。
中央は如意輪観音像、説明板には「かなり古い。高さ53cmほど」としか書かれていません。
「かなり古い」って(笑)
おそらく江戸のものでしょうけどね。
その左の祠の中にあるのも如意輪観音像だそうです。
おそらく、別々の場所に祀られていたものを、ここ一箇所に集めてきたのでしょうね。

前にも書きましたが、伊勢路の説明板には「平安から伊勢路の名が見られる」のように書いてはいるものの、道中にまつわる話は江戸のものばかりです。
おそらく、たしかに平安の代からあったのでしょうが、上皇・法皇が紀伊路~中辺路を通ったのに対し、伊勢路は一般庶民が利用したということで、記録が残っていないのでしょう。
また、平安といえば皇族・貴族などの「エリート」が、当時の「東アジアの共通言語」であった漢文で書物を書く時代であり、一般庶民の間では識字率がなく、文字に残すことができなかったからなのでしょう。
ひょっとすれば、地元民の間で口伝によって語り継がれている平安時代からの話もあるのかもしれません。

13:08 展望台

天気が悪かったのが残念でしたが、それでもいい景色でした。
展望台には、ここから見える山の名前と、越後塩沢の豪商・鈴木牧之の詩を記した看板がありました。

ちきれゝ 雲井に雁の 名残かな

熊野路の 春や淋しき 人通り

ん?

この頃って、お伊勢参りや西国巡礼で、熊野街道は大いに賑やかだったという印象がありましたが、「春や淋しき 人通り」ですか。
ま、いっか。

13:22 轍跡

説明板も近くにありましたので、多分写真の場所のことだと思います。
この轍は、荷車が通っていた時の跡だそうです。
伊勢路には同じコースの中に「江戸道」「明治道」と呼ばれる道がありところがあります。
明治道は荷車を通すことができるようにつくられた道だそうで、比較的傾斜が緩やかにつくられているため、歩きやすいです。

13:24 女鬼峠登り口北

ここに女鬼峠と熊野古道の説明看板がありました。
やはり、伊勢方面から歩く人が圧倒的に多いのでしょうね。
あ、ちなみに、伊勢路には「デジタルスタンプ」があります。
写真の中で説明板の右に写っている「5女鬼峠北」と書かれている看板です。
携帯からQRコードを読み取ると一瞬でデジタルスタンプ帳に押印できます。
結構便利ですよ。
インク切れの心配も、押し間違いの心配もなしです。
添乗員さんも大喜び?(笑)

13:58 県道119号線

しばらく歩くと県道119号線に出ます。
女鬼峠までは比較的標識が整っていてわかりやすかったですが、ここを過ぎてからは標識が減って極端に分かりにくくなります。
まず、この119号線に出るまで迷いました。

14:04 西外城田神社(にしときだじんじゃ)
14:09 永昌寺

永昌寺から県道119号線には出ず、細い方の道を歩きます。
しばらく道なりです。
この先の集落は「国束(くづか)」というそうです。
通りすがりのおばあちゃんが教えてくれました。
遠くに国束山があり、昔は遠足でその山に上ったと話をしてくれました。
しっかりしていましたが、御年90歳、元保育士だったそうです。

14:34 道標

立派な道標が現れますので、ここを左。
道標には「左 さんぐうみち」「右 くまのみち」と刻まれています。
これらの道標は江戸時代に建てられたもので、道路改良により分散されていましたが、世界遺産登録15周年を記念して元の位置に戻されたそうです。
当時は熊野道、参宮道、国束参道の分岐で交通の要衝であり、ここには人力車の詰所や旅籠があったそうです。
ちなみに、この道標は田辺市熊野ツーリズムビューローさんの地図にはこの道標は載っていません。
おそらく、世界遺産登録15周年(2019年)、つまり最近ここに移された(戻された)からでしょう。
なので、地図を見ながら「左にしか曲がれないところを左」などと、地図とにらめっこしながら歩きました。

14:39 石仏庵(いしぶつあん)

県道13.号線を一旦横切って入ります。
ここを過ぎれば再び県道13号線です。
・・・ここからが地獄でした。

14:57 東外城田神社

すぐそばに小学校があり、ちょうど下校時間と重なりました。
小学生と一緒に下校です(笑)

石仏庵から田丸駅まで、約4.6kmのアスファルトです。
道中はこれといって何もなく、ただひたすら歩く、歩く、歩く。
途中ファミリーマートがありましたが、電車の時間があったのでパス。
これが裏目に出ます。

このあたりは米どころのようで、大規模な田んぼが広がっていました。
かなり大きかったです。

15:44 田丸駅

ようやく田丸駅に到着。
電車がすでに出ていました。
ここで次の電車まで約1時間過ごすことになります。
駅周辺にはカフェもなく、ケータイで高校野球の和歌山県大会を見て過ごしました。
本来乗るはずであった電車に乗れれば、五十鈴丘駅まで直通だったのですが、次の電車は伊勢市駅で乗り換えでした。
そして、伊勢市駅でホームを間違え、私たちが座って待っていたベンチの背後から電車が発車(爆)ここでも乗り遅れ(笑)
さらに30分過ごすことになりました。

前半はわりと見るところがあり、退屈はしませんでしたが、最後のアスファルトが本当に効きました。
なにはともあれ、無事五十鈴丘駅まで帰って来ることができました。

タイムスケジュール

最後にタイムスケジュールをまとめておきます。
途中で雨降ったり止んだりで、そのたびにカッパを着たり脱いだりしたことや、道にも迷いましたのであくまでも参考程度にとどめておいてください。

10:00 栃原駅
10:40 コンビニ、カフェ、阿弥陀寺
11:23 柳原観音千福寺
11:42 まんじゅう屋跡
11:44 寺子屋跡
11:48 深谷地蔵
11:51 浄保法師五輪塔
11:56 地蔵
12:00 トイレと昼食
12:48 女鬼峠登り口南
13:04 名号碑と如意輪観音像
13:08 展望台
13:22 轍跡
13:24 女鬼峠登り口北
13:58 県道119号線
14:04 西外城田神社
14:09 永昌寺
14:34 道標
14:39 石仏庵
14:57 東外城田神社
15:44 田丸駅

伊勢路を歩いて感じた事、驚いた事

今回伊勢路を歩いて感じた事、驚いた事などを書きます。
熊野古道に関しては、過去の記事をご参照ください。
今回は「その周辺事情」について書きたいと思います。

伊勢路(三重)のトイレ事情

伊勢路を歩いてまず思ったことが、「三重県のトイレ整備がイマイチ」ということでした。
和歌山では、仁坂知事主導の元「おもてなしトイレ大作戦」が展開され、全部とは言えませんが、現在ではほぼどのトイレに入っても快適に使用できるようになりました。

その感覚のまま、三重に来て愕然としたのが「トイレの汚さ」「洋式化が進んでいない」です。

和歌山ではどんな小さな駅でも、小ぎれいなトイレがだいたい備わっていますが、三重の駅にはトイレすらないところもありました。

忘れもしない初日、トイレをしたくなったが、もうすぐ三野瀬駅に到着とこともあって少し我慢をして駅でしようと思っていましたが、何と、駅にはトイレがありませんでした。

トイレか?と思いきや、違いました。

和歌山の感覚で行くと、えらい目に遭いますよ。

仕方なく、三浦バス停まで歩いて、近くのガソリンスタンドでお借りしました。
トイレをどこかでお借りするなんて、一昔前の感覚です。

古道沿いでは、ある程度整備がされていましたが、歩くコースを駅から駅と謳っているのであれば最低限、駅に普通のトイレは必要です。

あっても使用をためらうほど汚いところが多く、がっかりしました。
なので、後半はどんなトイレか見るのすらやめ、駅でのトイレを当てにしないようにしました。

トイレチェック

三野瀬駅:なし
三木里駅:汲取式に蚊が十数匹乱舞するありさま。異臭もすごかったので断念 
波田須駅:男子用は便器がなく「溝」にする方式 。大の方は汲み取り式
二木島駅:「溝」に男子便器を後付けした?結局便器下のバイプから溝に流れる仕組みのようだった。しかし、これまで見た中では一番マシだった。

「あるだけマシ」と言われればそれまでですが、その感覚がお客様に受け入れられるとは限りません。
また、古道沿いのトイレも和式が多く、外国人を受け入れるのであれば、そのあたりの整備も必要なのでは?と感じました。

バス運賃の支払方法は進んでいる

次に、バスに乗った時の感想です。

三重交通さんはすでに運賃支払のICカード化が進んでおり、PiTaPa や Pasmo や SuicaといったICカードでの支払いができます。

この点では、和歌山は遅れているな、と感じました。

一度、和歌山県の職員の方とICカード化についてお話をしたことがありますが、導入と管理で莫大な資金(数千万単位)が必要とのことで、バス会社はなかなか導入に踏み切れていないとお聞きしました。

しかし、春と秋の繁忙期ともなると、運賃の支払いで運行に遅れが生じていることも事実です。
本宮発、新宮行きのバスを新宮で待っていると、10分遅れなんてザラにあります。
時には30分遅れなんてこともあります。

慣れない現金での支払いに苦慮する外国人のお客様のためにも、ここは和歌山県には頑張っていただきたいところです。

「電車」ではない

勝浦駅で見たことがあるので知ってはいましたが、三重方面への電車は「電車」ではなく「列車」です。

ディーゼルエンジンで動いています。

初めて見た時、驚きと感動でした。
(決してバカにしているわけではありません)

「一度乗ってみたい」とかねがね思っていましたので、初めて乗った時は初動のエンジン音が聞こえて楽しかったです。
・・・というか、子供の頃に乗っていたはずなんですけどね。

おそらく、ディーゼルエンジン車なのは、三重の地形にあると思います。
山が密接にそびえ、架線の整備が難しいからなのではないでしょうか?
よく分かりませんが。

熊野古道を歩いている時に何度か、ハイブリッドの車両が走り抜けるところを目撃しました。
窓にすべてカーテンをしていたので試験走行だと思いますが、これが次世代「特急南紀」なんでしょうね。

電車運賃は車掌さんに

電車に乗ったまではいいが、支払い方法がわかりませんでした。
車両は新しくて快適でしたが、どこを見てもICカードをかざせるような装置が見当たりません。

しばらく座っていると車掌さんが現れ、どこまで行くか聞かれました。
行き先を告げ、車掌さんに現金で運賃を支払って終わりです。
領収書のようなものをくれ「これを下りる時に係に渡してください」と言われたり、領収書なしで「そのまま降りてください」と言われたりで、何を基準にそう言っているのか、ちょっとよくわかりませんでした。

また、駅から駅の距離が近い時は「どこまで行かれますか?なら、もう少し先で時間がありますので、あとからまた来ます」と言って、慌てて他の乗客の対応をしていました。
次の駅で下りる乗客の精算を済ませておかなければならなかったからです。

車掌さんも大変です。

一度に大勢乗って来られたらどうするんやろ?と思いました。

クマがいるようです

歩いていると時々、「クマに注意」の看板を見かけました。
幸い私たちは遭遇しませんでしたが、伊勢路にはクマがいるようです。
熊よけの鈴などを持たれた方がいいでしょうね。

・・・私たちは持っていきませんでしたが。

なにせ、和歌山の感覚で行っていましたので。
あ、小辺路を歩く時は持っていきますよ。

しかし、先日8月8日、伏拝地区でクマの目撃があったそうです。

「中辺路にはクマはいません」
とは、なかなか言いづらくなりましたね。
おそらく、いたことはいたのでしょうけど、歩く人が急激に減ったことも原因の一つに挙げられるでしょうね。

以上、今回の伊勢路を歩いて感じた事、驚いた事でした。
また何か思い出したらアップするかもしれません。

古道にまつわる話が江戸中心

8/16、思い出したので加筆をしておきます。

説明板には、中辺路(正確には「紀路」)と伊勢路は平安時代から開かれていたというようなことが書かれていました。

この説明を初めて読んだ時、「ん?ほんまか?」と思いました。
私の勉強不足だったらすみません。

しかも、平安時代の話がまったくと言っていいほどなく、江戸時代の話が圧倒的多数を占めていることも、私の疑念をさらに深めることになりました。

後から考えたのですが、これはおそらく、江戸になってからお伊勢参りや、西国三十三所巡りが爆発的な人気を博したことと、時の紀州藩が大規模に街道を整備したことにより、庶民の記録の絶対数も相当なのものになったからだと思います。
また、時代的にも比較的新しいので、保存状態が良かったという点もあったのでしょう。

現在の紀伊路・中辺路には、平安時代の話が残っていますが、上皇・女院あわせて150回近く熊野に詣でているにも関わらず、記録が残っているのはそのうちのわずかでしかありません。
それを考えると、上皇・法皇が熊野詣に利用することがなかった伊勢路に関して記録が残るわけもなく、また、仮に一般の巡礼者が記録を残したとしても、その一般人が現世までそれらを保存することは極めて難しかったからでしょう。

時代の厚みという点では少し残念な気がしました。

熊野古道伊勢路 ヨコネ道・三木峠・羽後峠~曽根次郎坂・太郎坂②

ようやく熊野古道伊勢路 ヨコネ道・三木峠・羽後峠~曽根次郎坂・太郎坂第二弾です。

12:45 賀田駅通過

今回は賀田駅で終わりではありませんので、通過のみです。
写真奥の坂道を上れば駅だと思います。

白と赤の四角(以下、「赤白」)を頼りに進みます。

ん?矢印が出てるけど、そこでは曲がれません。
赤白で曲がると矢印を発見。

写真では見にくいですが、向こうの橋あたりの石垣に看板が刺さっています。
ここを渡ると・・・
しばらく民家の間を歩きます。

民家の間を抜けると、再び道路に出ますが、道標がありません。
大きな木が視界に飛び込んできました。

クスノキです。

「神社がある」と直感。
やはりそのとおりでした。

13:05 飛鳥神社

飛鳥神社でした。
新宮の阿須賀神社の末社なんですね。
御祭神は速玉男命と事解男命。
ホツマツタヱでは、イサナギ・イサナミの仲人をされた方々です。
仲人お二方が祀られているのは面白いですね。
ちなみに、速玉男命が最初に二人の仲を取り持つことになりましたが上手くいかず、事解男命に引き継いで成功しました。

境内は巨木が覆い、荘厳な雰囲気を醸し出していました。
素晴らしいお社でした。

向かって右が杉(樹高39m, 幹周り6.8m)左がクスノキ(樹高35m, 幹周り7.3m)
境内のクスノキ

飛鳥神社の前で、手前と奥に道が分かれています。
神社のすぐ前の道ではなく、「奥の細道」へと進みます。
赤白を頼りに歩きます。

ここを左折で再び国道に出ます。
ほどなくトイレがあります。
峠に備えてここでトイレを済ませます。

13:30 曽根次郎坂・太郎坂入口

「甫母峠」へと進みます。
曽根次郎坂・太郎坂のことです。
杖が置いているということは・・・
嫌な予感がします。

「足元の コケにやさしく 次郎坂」

うまいっ!
はい、優しくするよう心がけます。

甫母峠は、646年~1582年の936年に渡って、紀伊国と志摩国の国境であり、曽根次郎坂・太郎坂の次郎は「自領」、太郎は「他領」から由来するそうです。
「なんで『太郎・次郎」ではないのだ?」と思っていましたが、自領から先に言うことを考えれば当然ですよね。

ここにも猪垣があるようです。
当時江戸幕府は猪垣を奨励こそしていたものの、資金面での援助はなかったそうで、篤志家や地元の負担が大きかったようです。

番号道標登場。
全部で39です。

いよいよ上ります。

途中に石切場跡(確認はできませんが、立て札があります)があり、約350年前、江戸城本丸中之門修復の際に、ここの石が献上されたらしいです。

やはり石畳がきれいです。
コケに優しく・・・

13:55 行き倒れ巡礼供養塔

行き倒れの方の供養塔がありました。
曽根次郎坂・太郎坂には他にも甫母峠と二木島町への下りにあるとか。
やっぱり難所やん。

14:00 一里塚跡

一里塚跡の看板がありました。
ここの一里塚跡は「よく形状を留めている」と書かれていましたが、このことでしょうか?

クジラ石が見えてきました。一里塚跡から約10分です。
逆方向から。確かにクジラに見えます。

14:25 甫母峠

甫母峠到着です。
番号道標は13番。
ここで、絶え間ない雷の音を聞きながら15分休憩をしました。
すみません、写真を撮るのを忘れました。
この辺りから雲行きが怪しくなり、いち早く下山するため写真の数が激減します。

14:45 楯見ヶ丘

ここからは素晴らしい眺めが見えます。
ポッカリ浮かんでいるような所が、おそらく楯ヶ崎だと思います。

曽根次郎坂・太郎坂は、「上って下る」を結構繰り返します。
今までの伊勢路の峠のように、一旦上ればあとは下りというものではなく、下りに入ったので「もう上りは終わりか」と思えばまた上る・・・これが精神的なダメージを蓄積させていきます。

例えば、甫母峠で「上りは終わり」と思いきや、そこからさらに上ります。
次に下りに入るので、「これから下りや」と思いきや、また上りが出てきます。

長い下りの途中で時折雨が降るようになりました。

猪垣があり、案内板によると、近くに「猪落とし」と呼ばれる落とし穴があるそうですが、とにかく早く下りたいので先を急ぎました。

巡礼供養塔の説明看板。
この巡礼者は17歳の若さで行き倒れたそうですね。
ほんと、「涙を禁じえない」です。

二木島側の曽根次郎坂・太郎坂の案内板。

「最初のきつい登りを過ぎると、あとは杉、桧の人工林の中をゆるやかなアップダウンが続き、尾根道を中心に快適なハイキングが楽しめる」

と書かれています。
過去に3人も行き倒れている峠が快適なんですかね???

まあ、当時の巡礼者は、ここだけを越えて終わりではなく、今回の私たちのように一日で複数の峠を越えて行ったからでしょうけどね。
今回のような三木峠・羽後峠+曽根次郎坂・太郎坂のセットは、すこしおすすめ出来ません。

15:55 二木島側登り口

というわけで、ようやく峠も終わりです。
国道311号線が見えてきました。

案内板に沿って進み・・・
二木島の集落を抜け・・・

橋を渡れば二木島駅はすぐそこです。橋を渡って右の建物がトイレ、トイレの上に見える建物が二木島駅です。

16:10 二木島駅

写真は翌日のものですが・・・

ようやく二木島駅に到着です。
駅に到着後、雨足が激しくなってきました。
急いで正解でした。
というか、雨よりも、絶えずゴロゴロ鳴っている雷が怖かったです。
時折その音が近づいてきましたからね。

タイムスケジュール

賀田駅からは約3時間半でした。

12:45 賀田駅
13:05 飛鳥神社
13:25 トイレ
13:30 曽根次郎坂・太郎坂入口
14:25 甫母峠(15分休憩)
14:45 楯見ヶ丘
15:55 二木島側登り口
16:10 二木島駅


熊野古道伊勢路 ヨコネ道・三木峠・羽後峠~曽根次郎坂・太郎坂①

この日も距離測定アプリが正確に機能しなかったので、道順、所要時間、各スポットの簡単な説明などを交えながら書こうと思います。

8:52 三木里駅

この日は三木里駅からスタートです。
国道311号線に出てからしばらく国道沿いに歩き、ヨコネ道を目指します。

9:15 ヨコネ道入口

ヨコネ道は近年地元の方々によって発見・整備された道です。
やはりここでも苔むした石と古道から見える景色がきれいでした。

9:45 国道311号線

ヨコネ道を終えると、再び国道311号線へ出ます。

9:50 三木峠入口

5分ほど歩けば三木峠入口です。
八鬼山を越えてきた旅人たちは、この三木峠とこのあとの羽後峠を敬遠して海路を使って曽根浦まで船渡しを利用したとか。
昔は情報量も少なかったでしょうし、今のようにどれくらいの難易度か簡単に知ることが出来なかったでしょうから、八鬼山を越えて来れば心理的に「次ももしや・・・」と思ってもおかしくないでしょうね。
しかし、峠自体は大したことはなく、気軽に歩けるところなので、昔の旅人はもったいないことをしたなと思います。

それより、次の曽根次郎・太郎坂をスキップ出来なかったものか、と考えてしまいます。

番号道標は全部で8つです。

途中、景色が開けます。海大好き人間にはたまらないですね。

峠まであと少し。

10:10 三木峠

三木峠に到着。
番号道標は5番です。
少し休んで展望台まで足を伸ばしました。

しかし、木が生い茂っていて期待していた絶景ではありませんでした。

木が・・・。

足元にはハチの大営巣がありました。
羽音がすごかったです。
エサキムカシハナバチのようです。
「ハナバチ(花蜂)」とついているだけあって性格はおとなしく、人が近づいてもお構いないに「自分の仕事」を淡々とこなしているといった印象でした。

エサキムカシハナバチ。巣からの出入りが素早くて撮影が難しく、結局撮れたのはお尻だけ。

10:35 三木峠終了。羽後峠入口まで

ここで三木峠は終了です。
一旦道路を横切り、猪垣の横を通り、民家の横を通り、国道311号線に出ます。

この道路を道標に従って横切り
猪垣の横を通り
民家の横を通り
国道311号線に出ます。

国道311号線を2分ほど歩くと、農道に入ります。
農道と言っても、現在農地として使われていません。
「羽後峠登り口」と書いていますが、ここが登り口ではありません。
登り口はまだまだ先です。

羽後峠入口はまだまだ先です。
川がきれい。
この川で一休み。水が冷たくて気持ちよかったです。

三重の熊野古道には、21の保存会があるそうで、八鬼山峠越え・三木峠・羽後峠・曽根次郎坂・太郎坂は「ルーパーの会」さんがボランティアで古道の保全活動をされているそう。
頭が下がります。
何気なく通る橋ですが、こうした地元を愛する方たちのおかげで気持ちよく歩くことができます。
感謝です。

猪垣の高さが半端ないです。

猪垣を過ぎると下ります。

山の神が!
供えられえているものは・・・。

「アサギマダラ休憩所」付近ではいい眺めが。

11:15 まだ羽後峠入口に到着しません。
ここを道標に従って曲がると・・・

あれ?道が消えた!

辺りをウロウロしていると、上に道らしきものが。
どうやら道標に従って真っ直ぐ下りたらいけないようです。
下から見えていたのは、この木です。
これを進むと・・・

道が出てきました。

11:25 羽後峠入口

この道を渡ると、ようやく羽後峠入口です。
三木峠終了から約50分です。

羽後峠までは200m。

羽後峠の番号道標は、全部で9つ。

11:35 羽後峠

あっという間に羽後峠です。
番号道標は2番。
ここで早めの昼食を取りました。
この頃から、空模様が怪しくなってきました。

昼食を済ませて再び歩き始めます。
眼下には猪垣が。
圧巻の長さです。
案内板によると、その長さは500m(!)とか。

地元の方が立てたのでしょう。
道中には説明板が立てられています。
まずは通行手形のお話。
写真は現代語訳ですが、当時の通行手形のコピーなどが一緒に掲載されています。

そして猪垣補修の請願書。
賀田の猪垣の総延長は5760m!当時の人々の苦労が偲ばれます。

12:10 羽後峠終了

この溝のようなところを下りると羽後峠終了です。
昼食の休憩は15分だったので、羽後峠自体は20分ほどで終わります。
ここで再び道路に出ますが、すぐに古道への入口があります。

この道標が目印。

空・風・火・水・地・・・あれ?一つ欠けています。
説明板にも「水輪が欠如している」と書かれていました。
建立は江戸時代初期とのこと。

賀田羽根の五輪塔

12:30 国道311号線(トイレ)

古道の案内標識に従って、次に橋を渡り真っ直ぐです進むと交番があります。
その角を直角に曲がると国道311号線へと抜ける道を歩きます。
国道に出るとトイレがありましたので、そこで2度めの昼食。
トイレの敷地内にベンチがありましたので、そこで休憩をし、曽根次郎坂・太郎坂に向かいました。

橋を渡ります。
橋を渡ったら左折をせず真っ直ぐ進む
交番の角を曲がったところ。真っ直ぐ進むと・・・
国道311号線です。
国道沿いにトイレがあります。

この続きは明日にご紹介します。
ちなみに、個人的に歩く時は一度にガッツリと昼食を取らず、細切れに取っています。
満腹になると動きたくなくなりますからね。

タイムスケジュール

8:52 三木里駅
9:15 ヨコネ道入口
9:45 ヨコネ道終了
9:50 三木峠入口
10:10 三木峠
10:35 三木峠終了
11:25 羽後峠入口
12:10 羽後峠終了
12:30 国道311号線(トイレ)

熊野古道伊勢路 二木島峠~逢神坂峠~波田須の道②

昨日に引き続いて波田須の道から大吹峠です。

11:35 新鹿海水浴場

11:35、新鹿海水浴場を出発し、波田須の道の入り口を探します。
写真の道標にある赤と白の小さな四角に「KUMANOKODO」と書いていて、これがいたる所に登場します。
小さいので、宝探しのような感覚でした。
しかし、逆にこれがなければ迷っていたところもありました。

徳司(とくし)神社。
この日はお参りはしませんでしたが、主祭神は天之御中主神(アメノミナカヌシ)。
アメノミナカヌシといえば、ホツマツタヱではこの地球が出来てから一番最初に神がお造りになった人とされています。
ここから初代アマカミ・クニトコタチへと至ります。
天之御中主神様が祀られているお社は珍しいです。
創建は宝永年間(1704年~11年)に起こった津波によって流失してしまい、不明とのこと。
その後菅原道真公、天照大神、倉稲魂命、誉田別命が合祀され、現在にいたるそうです。
このお社の社業は三重県の天然記念物だそうです。

新鹿海水浴場を見ながら波田須の道への入口に向かいます。

波田須の道への道標。
比較的分かりやすかったです。
石製、木製、赤白の小さい四角、青いステッカー・・・ある程度統一感を出した方がもっと分かりやすいと思いますが。

しばらく登ると国道311号線に出ます。
10分弱歩けばトンネルがあります。そこで再び幟が登場しますので、幟に従って入ります。

5分ほど歩けば西行松に到着します。
やはり峠の例に漏れず茶屋があったそうです。
明治まではここに松があったそうで、西行はここで一服をしたそうです。

しばらくは民家のそばを通ります。
景色が素晴らしいです。

しばらく進むと分岐があり、パイプに黄色の矢印が。
ん?カミノか?(笑)
とりあえず何も看板がないので矢印に沿って進みます。

しばらく進んでも何も書かれていないため、不安になります。

少し進んだところで辺りを見回すと、説明看板が遠くに見えました。
「あ、あれちゃう?」と言いながらその看板を目指すと、やはりそうでした。
そして分岐に到着。
やはり道標も何もない・・・と思いきや、ステッカーが剥がれていました。

この石畳は鎌倉時代のものだそうです。

番号道標は全部で3つ。

12:40 波田須神社

新鹿海水浴場からここまで、約1時間です。

祭神は応神天皇(誉田別命)、倉稲魂命、徐福だそうです。波田須神社からも素晴らしい景色が見えますが、国道を横切った後の方が電線がなくていいと思います。
こんもりしているところが徐福の宮です。
ここ波田須は徐福伝説が残る地とされています。
波田須の地名は、秦氏が住む→はたす→はだすになったとか。

波田須神社より
国道を横切った後

13:00 徐福の宮

案内板によると、秦を出た徐福一団は道中で台風に遭い、徐福の船だけがこの地にたどり着いた。
当時は三軒しか家がなく、与八、文吉、三郎兵衛が交代で世話をした。
徐福は帰国を諦め、窯を設けて焼き物を三人に伝えたとされています。

とりあえず案内板に従って波田須駅に向かいます。
この鉢植えの向こうが波田須駅です(笑)
普通分からんで(笑)
ちょっと迷ったがな。

13:15 波田須駅

いや~、この駅を見てびっくりしました。
・・・駅舎がない!
ベンチがあったので、ここで少し休憩をしました。

地図を見るとこのまま真っ直ぐ行けそうに書かれていますが、大吹峠への道はそうではないようです。
また来た道を戻ります。

この道標に従って波田須駅まで行きましたが、大吹峠は・・・

ここで分岐があり、その分岐を進まなければいけなかったようです。
波田須駅から来るとこの道標が目に入りますが、新鹿から来ると背後にあるため、絶対に見落とします。

ほんといい加減にしてほしいです。
どれだけ人を迷わせたら済むんでしょうかね。

そしてこの道標。
「文字岩」って・・・
書くなら「大吹峠」でしょう!

地図には「迷いやすい道」と書かれていますが、全然そんなことはないです。
それより前に、もっと迷っています(笑)

再び国道に出ます。
大吹峠登り口までもう少しです。

14:10 大吹峠登り口

ここにトイレがあります。
用を済ませてから大吹峠に入ります。

少し見にくいですが、大吹峠の番号道標は全部で14です。

ピンぼけです・・・

伊勢路では珍しく竹林の中を歩きます。
変化に富んでいて面白いです。

そして、やはり苔むした石畳。
ほんときれいです。

14:55 大吹峠登り口

大吹峠をやっつけましたが、大泊駅までの道がわかりません。
そう、道標がないのです。
最初は間違って逆の道を歩いていました。

間違った挙げ句、国道311号線と再び合流します。
そこには絶景が広がっていました。

大泊海水浴場

15:10 大泊駅

大泊駅の写真を撮るのを忘れました。
新鹿海水浴場から約3時間半でした。

熊野古道伊勢路 二木島峠~逢神坂峠~波田須の道①

さて、この日は正確な距離を測れませんでしたので、撮りまくった写真と所要時間、スポットの軽い説明を交えながら書こうと思います。

8:40 二木島駅

電車が斜めってます(笑)

この日は新鹿駅に車を置き、二木島駅から歩き始めました。
今回すべての行程に共通して言えることですが、目的地に車を置いてから出発地点まで電車、またはバスで移動し、歩き始めるという行程でした。
駅からの道を下ると、クジラの供養塔の説明看板があります。
ここ二木島も、以前は捕鯨の町だったようです。

熊野は我が国捕鯨発祥の地?
この「熊野」とはいったいどこを指しているのか漠然としていてわかりませんが、突き取り式も網取式も太地が発祥とされていますよね。

・・・なんか違うような気がしますが、ま、いいか。

民家の間を抜けると、たった今降り立った駅を見下ろす素晴らしい景色が広がっていました。
こうやって見てみると、三重は特徴的なリアス式海岸だなと、つくづく思います。

一里塚跡とともに、キリシタン灯籠というものがありました。
これは珍しいです。
初めて見ました。

この中にキリシタン灯籠があります。
キリシタン灯籠

当時は信仰の自由がなかったので、隠れキリシタンらが礼拝の対象物として作り出されたとされているそう。
今でこそ信仰の自由がありますが、当時は当時でそれを禁止しなければならなかった理由があったからです。
そもそも、当時のスペイン、ポルトガルなどは、他国を侵略するためにまずキリスト教を普及させるという手順を踏んでいたからであり、現に他国がキリスト教を盾に侵略されている姿を見て指をくわえて黙って見ているようなわが国ではなかったということ、そして、そのキリスト教の宣教師が日本人を捕らえて人身売買をしていたことが分かったからです。
これに秀吉は激怒をし「バテレン追放令」を出し、後の江戸の禁教令へとつながっていきます(バテレン追放令では、個人の信教は自由とされていましたが)

信仰する人に罪はありません。
ただ、当時は上記のような国益を損ねるどころか、亡国の仲間入りをする羽目になってしまうと考えられたから、信仰の自由が許されなかったのです。
そう考えれば、昔の日本人は他国に対してかなり強気だったことがわかります。
現在のような、チャイナの顔色を伺うようなことはしていなかったでしょう。

二階さん、聞いてますか?(笑)

はい、話がそれましたが、そこを通り過ぎると一旦国道311号線に出ます。
少し歩けばいよいよ二木島峠入口です。

9:05 二木島峠入口

伊勢路の番号道標。
峠ごとに立っています。
この場合は、二木島峠と逢神坂峠を合わせたものでした。
背が低いので見過ごしてしまいがちですが、道標が何番まであるのか書いているのでありがたいです。
二木島峠・逢神坂峠は30本。道標は約100mごとに立てられているので、約3km。

苔むした石畳は本当にきれいでした。

9:40 二木島峠

峠の入口からここまで、ゆっくり登って35分でした。

この時はまだ距離計測アプリがきちんと作動していました。
それによると入口から1kmです。
峠の入口から二木島駅までが500mだったので、写真の道標とほぼ同じです。
一方、峠の番号道標は8番だったので、100mごとだとするとちょっと食い違いがあります。

この二木島峠と逢神坂峠には茶屋があったらしいです。
峠の説明にはかならず「茶屋があった」と書いていますので、当時は人の往来が多かったのでしょうね。
今でもあったらいいのに(笑)

峠からは少しなだらかな下りになります。

下りきったところに、写真ではわかりにくいですが、谷がありました。
しばし顔を洗ったりうがいをしたりして休憩をしました。
オーストラリアンが食いつきそうなところです。
いや、私も食いつきました(笑)
本当にきれいでした。

山、川、海を同時に満喫できる・・・伊勢路の魅力ですね。
案外、中辺路沿いにはこのようなきれいな川はほとんどありませんが、伊勢路ではいたる所に流れています。
そしてその水は飲めるくらいのレベルです(とはいえ、飲まない方がいいですよ)

ここからは逢神坂峠への上りです。

逢神坂峠への上りもきれいでした。

10:05 逢神坂峠

逢神坂峠に到着。
「おうかみざか」とは、伊勢と熊野の神が出会ったところとか、狼が多かったことから名付けられたとも言われているそうです。

元々あった地名に、同じ音の漢字を当てることが往々にしてあったため、その土地の名の由来が分からなくなっているところが多いようです。
中辺路では現在「近露」とされている地も、藤原宗忠の日記(1109年)には「近津湯」と書かれています。
おそらく、この場合の「逢神」は当て字でしょうね。

番号道標は14番、二木島峠からの距離はアプリで900mでした。
地図に番号道標の記載がないのが残念です。
せめ峠の番号だけでも書いておいてほしいですね。
そういえば、手書きのイラスト地図をいただきましたが、それには書いていましたね。
ちなみに、スタンプ台がありました。
集めるつもりはなかったのですが、QRコードでスマホに取り込むことができるのでやってしまいました。
結構便利です。

ここからの下りがちょっと大変でした。

下りは長くすこしきつかったですが、私はここがツボでした。
何度も振り返り、石畳の美しさに見とれていました。
しかし、中には急なところもあり、雨が降れば危ないので、その時は止めにするほうがいいでしょうね。

延々と続く下り・・・
振り返ると「ご褒美」の景色が。

約900m下ってきました。
新鹿側登り口まで700m。
まだまだ下ります。

時折振り返って「ご褒美」を眺めます。

いよいよ終わりか・・・と見せかけて・・・

もうちょっと下ります(笑)

11:05 新鹿側登り口

ようやく新鹿側登り口に。
波田須の道への道標がありました。

二木島峠の入口から、ゆっくり歩いてちょうど2時間でした。

新鹿海水浴場で少しトイレ休憩をし、波田須の道へ向かいました。
海水浴場駐車場のおっちゃんと少しお話をしましたが、例年に比べるとお客さんの数は少ないそうです。

今日はここまでです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

伊勢路高低表【八鬼山越え】

伊勢路高低表・八鬼山越え編です。
この4日間のうち、正確に距離を計測できたのが一石峠~三浦峠と、この八鬼山越えだけです。
一応携帯アプリですが、GPSと連動していますので、ほぼ正確な数値だと思いますが、途中で迷ったり、海水浴場でトイレをしたりしていますので、そこらへんはご愛嬌ということでお願いします。
また、時間も計測していますが、前の記事でもお伝えしたように、案内看板を英訳しながら(そして写真を大量に撮りながら)歩きましたので、地図に書いている時間(5時間)よりもっと時間がかかっています。
ご了承ください。

この日は10:05に登山口スタートです。

10:50 籠立場

紀州藩主や巡見使などが街道を通行する時に、乗っている籠を止めて休んだ場所だとか。
そう、今は三重県ですが、以前は紀州藩だったんですよね。
樹齢300年と言われるヒノキがそびえています。

11:10 林道交差

このあたりから傾斜がきつくなり始めました。
八鬼山越え最大の難所・七曲はもうすぐです。

11:45 七曲終点

最大の難所・七曲はやっつけましたが、まだまだ上るようです。

12:30 九鬼峠

ここで道が分岐しており、一方は九鬼村(現・尾鷲市九鬼町)へと続く道だとか。
その九鬼村は九鬼水軍発祥の地だそうです。

12:40 荒神茶屋跡

このお堂、八鬼山日輪堂の歴史は古く、西暦702年、修験者である阿闍梨梨返昌院仙玉法印(あじゃりへんしょういんせんぎょくほういん)の創建と言われているそうです。
このお堂の横にその名も「荒神茶屋」という茶屋があったそうです。
この茶屋の名物は饅頭で、当時(明治時代)は飛ぶように売れたとか。

13:05 三木峠茶屋跡

ここが八鬼山峠(三木峠)の頂上です。

13:20 桜の森広場(昼食)

景色が良く、きちんとあづまやにも屋根があり(笑)気持ちよく昼食を取ることができました。ちょっと木が茂っているのが残念でしたが。

14:35 十五郎茶屋跡

ここにも茶屋があったと、紀伊続風土記に記載されているそうですが、いつ始まっていつ頃まであったかは定かではないそうです。
ここからの急坂は、紀州の殿様の御成行列の時、お供の人は槍を担いで登ってもよいことから「槍かたげ」と言われています。

15:40 登山口

道標62番で迷いましたが、ようやく「下山」することができました。

15:50 名柄一里塚跡

大東亜戦争中、南・北輪内村の出征兵士たちは、ここから八鬼山を越えて荒神堂に参り、尾鷲駅へ向かったそうです。
・・・ここしか道がなかったんでしょうかね。

16:05 三木里海水浴場

三重は切り立った山が海までせり出している地形ですが、その間に砂浜があり、以外に海水浴場が多いです。
三木里って、外国人が多いという印象を受けました。

16:35 三木里駅

海水浴場から駅までの移動が暑くて堪えました。
約6時間半かかりましたが、なんとか終えることができました。

伊勢路高低表【一石峠~三浦峠】(加田教会前~三野瀬駅)

先日の伊勢路で、携帯の計測アプリを使って高低と距離を計測しましたので、ご参考にされてください。
この日は古里海水浴場への道で迷いましたので、正確な距離ではありません。
その点はご了承ください。
少し画像が小さい上に、文字が不明瞭で見にくくて申し訳ありません。
なお、高低表は、アプリが正常に機能したこの日と、八鬼山しかありません。

緑の◯がスタート地点の加田教会前、青い◯が現在地です。

一石峠

古里海水浴場

サボ鼻展望台

三浦峠

三野瀬駅

伊勢路 二木島峠・逢神坂峠・波田須の道・大吹峠

今回の伊勢路最終日は二木島峠・逢神坂峠・波田須の道・大吹峠です。

二木島駅から、民家の間を通り国道311号線に一旦出てから二木島峠に入ります。

今回歩いた伊勢路ほとんどすべてに言えることですが、苔むした石畳は本当に美しく、たくさん写真を撮ってしまいました。

苔が生えているということは、日陰で湿気が多いことが条件ですが、残念ながら大門坂ではすでに世界遺産登録前にあった苔がすべてなくなっています。

古道沿いに生えている杉の枝が台風などで少なくなり太陽光が射すようになったことも原因だと聞きましたが、登録後に増えた参詣者が歩いて削ってしまったことも原因だということも聞きました。

苔は一旦なくなると、次に同じ状態になるまで相当な時間がかかります。大雲取越の円座石の苔も、2015年に何者かによって剥ぎ取られてから、まだ完全に回復していません。

伊勢路にももっと多くの人が来て欲しいと思う反面、石畳の美しい苔がなくなってしまわないかとも思ってしまいます。

かなり気をつけて苔を踏まないように歩きましたが、すべてを避けることはやはり不可能でした。

二木島駅から二木島峠までは約1時間でした。

二木島峠からはなだらかに下り、下りきったところに川がありました。オーストラリア人なら間違いなく食いつく所でしょう(笑)

伊勢路には小川が所々に流れていて、さらにその水も本当にキレイです。山・海・川を一度に満喫できる素晴らしいコースです。

その川からは逢神坂峠までは15分もあれば到着します。ここからの下りの石畳が特にキレイでした。ただし、所々急勾配なので、雨が降れば結構危険です。

新鹿海水浴場に出て少し休憩をし、波田須の道に向かいました。

波田須は、新宮と並んで徐福伝説があるところです。波田須の集落にはまさに「鎮守の森」のような徐福の宮が見えます。波田須の集落を抜けると、本日最後の大吹峠です。

大吹峠は伊勢路では珍しい竹林が広がります。峠までも大した登りはなく、10分ほどで峠に到着します。ここの案内板にも書かれているように、この峠にも茶屋があったそうです。どうやら、当時は峠ごとに茶屋があったようです。

峠から大泊側の登り口までは30分ほどで下ることができます。

再び国道311号線に出ると、素晴らしい景色が広がっていました。

大吹峠を下る時あたりから、昨日に引き続き雷が鳴り始めていましたが、大泊駅に到着したとたんに雨が降り始めました。

昨日に引き続き幸運でした。

これでとりあえず今回の伊勢路の下見は終わりました。

コースは文句なしに素晴らしいですが、古道までの道標が行き届いていないところがたくさんあったことは残念です。

中辺路では分岐で必ず道路が立っていますし、「コースアウト」のルートには「この道は熊野古道ではありません」という看板が立っていますが、伊勢路にはそれがないところが多く(コースアウトの看板はなし)、分岐でどちらに進んでいいのか迷ったことが幾度となくありました。

ちなみに、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラでは、至るところに道標があり、わたしは昨年そのうちの100kmを歩いてきましたが現地のガイドなしでも迷うことはありませんでした。

なので、伊勢路の課題は、初めて歩く人でも、語り部なしでも安心して歩ける道を目指すことだと思います。

あと、高低表がないのも残念です。高低表があれば、ある程度難易度を予想することができますが、大まかなルートを示しているだけで等高線も何もなく、峠の標高だけ書かれていても、どれくらい上ってどれくらい下がるのか予想が出来ません。

また、地図にも分岐でどちらに進むかの記載もなく、ある程度改訂はされているものの、まだまだだなという印象でした。今回は古道に入るまで結構迷いましたし、不安にもなりました。

最低限、地図は左右開きにしてもらいたいです。地図はカレンダーではありませんので(笑)

厳しことを言うようですが、伊勢路にポテンシャルがあるのに、受け入れが未整備な印象があり、本当に残念に思ったということを知ってもらえたらと思います。