熊野古道大辺路 見老津駅~紀伊有田駅③

今回は道の駅すさみからです。

8:05 江住小学校

2019年度の生徒数は9人。
先程通った見老津小学校は平成29年、佐本小学校は同21年に閉校していますので、残るは周参見小学校と、この江住小学校の2校です。
何とか残って欲しいものです。

校舎の前に碑が立っていますが、何を書いているのかわかりませんので、説明板を読むと・・・
城 桂谷 先生の碑らしいです。


何とも悲しい話です。
私財と有志の寄付で学校を設立する地元愛とパイオニア精神には恐れ入ります。
何も身投げをしなくても、何とかなったんじゃないかと思うと、胸が痛みます。

気を取り直して、小学校横の通路を降りて行きます。

誰かが草を刈ってくれていました。俺が通ることを分かっていたのか?(笑)

8:10 ローソン

歩き始めから約1時間半、6.4 km地点。ちょっと休憩をします。

ここからの景色もキレイです。

ローソンから、国道42号線を横切り、道標地蔵から脇道に入ります。
江住駅を通過し、しばらく道なりに進むと、道標がでてきますので、そこを左折です。

ここで左折。真っ直ぐ進むと国道に出ます。

左折をすると、急坂が待ち構えています。

急坂を上り切ると、しばらく道なりに進みます。

そして再び国道へ出ます。
歩行者用のレーンが無いに等しいので歩く際には注意が必要です。

しばらく進むと大辺路の道標がありますので、それに従って入ります。
このパートは一瞬で終わります。
昨年研修をした時には、草が茂っていて歩ける状態ではなかったのでパスしたところです。

恐る恐る入りましたが、今回は通れました。

そして国道へ。

この国道の途中に写真のように、国道から右に入る大辺路の道標がありますが、踏切の無い線路を横切らないといけないので直進します。
昨年案内していただいた、大辺路刈り開き隊の上野さんの話によると、以前このルートを通って線路を横切った直後(というか、背後)に電車が通ったそうです。
駅の近くでもないので、電車の時間を読むことが困難です。
やはりここは避けた方がいいでしょう。
ちなみに、わたしが以前一人で下見をした時は線路を横切りました(笑)


発見された大辺路。
上野さんに教えていただきました。
比較的良い状態で残っていますが、この先で途切れているそうです。

国道から脇道に入ります。
写真では見えませんが、国道の右側に道標がありますのでわかります。
しばらく道沿いです。

国道に出ます。
向かいに歩道があるので渡ります。

ここは少し分かりにくいと思います。
道標は駐車場の方を指していますが、道らしきものがありません。

道標を信じて駐車場を横切ると、分岐が出てきました。
ここを左に進みます。

9:00 里野海水浴場

里野海水浴場に出ました。
見老津駅から江須崎経由で約10kmです。
お盆期間にも関わらず、泳いでいたのは一組だけでした。

里野海水浴場から、今度は浜伝いに歩いて行きます。

この続きはまた明日です。


熊野古道大辺路 見老津駅~紀伊有田駅②

今日は昨日の続きで江須崎の春日神社からです。

境内に散策道がありますので、そちらに進みます。
一ヵ所荒れていますが何とか通れます。

写真では見にくいですが、突き当たります。前回は灯台まで行かなかったので、今回はまず灯台に向かうことにしました。

江須崎灯台に到着。
分岐からすぐです。
一応、敷地の入口には鎖が張ってありますので入ることはできません。

灯台を後にして、しばらくは雑木林のトンネルの中を歩きます。

タイヤ痕???
バイクなら入って来れそうですが・・・

分岐に出ます。
帰りたい方は右に進みます。
むかし、ここを車が通れたそうです。
その排気ガスの影響で、神域内のシイなどが枯れ始める事態が起こり、車での侵入が禁止になったそうです。
現在、この地で夜光のキノコ・シイノトモシビタケが発生し始めたのも、その影響であると、以前語り部さんからお聞きしたことがあります。
だいたい、木に生えるキノコ類というのは、その木が枯れ始める頃に着生します。
そして、自然に還るようにその木を分解していくわけです。

さっきのタイヤ痕らしきものが果たして何なのかはわかりませんが、もし侵入禁止以降にバイクが入ったとすれば、許されない行為です。

7:35 江須崎入口

7:10に入りましたので、約30分の散策でした。


江須崎を出ると、しばらくは堤防沿いを歩きます。
この頃からすでに日差しが強くなり、日傘を差しながら歩きます。
大辺路は国道を歩くことが多く、影があまりないため、普通の人が夏に歩くことはおすすめできません。わたしのような変態の方は、ぜひ(笑)

江須崎を右手に見ながら

写真では見にくいですが、クレーンがあり、緑っぽい建物があるところが、マリオットホテルの建設現場です。
予定では2020年秋~冬に開業の予定だとか。
その上の建物は、介護老人施設けんゆう苑と、道の駅すさみ。

ここで、アシダカグモツマアカクモバチに襲われているシーンに遭遇。
クモが嫌いな方が多いと思いますので自主規制。

ちなみに、アシダカグモはゴキブリを取ってくれる益虫です(虫ではありませんが)

クモバチやベッコウバチは、クモに麻酔をかけ、動けなくしてから穴を掘り、その穴に獲物を入れて卵を産み付け、卵からかえった幼虫がそのクモを食べます。
獲物を殺してしまうと腐ってしまうので、麻酔をかけて動けなくしています。
なぜ、クモが腐らないのか?その疑問を研究したのがファーブルです。

ツユムシクダマキモドキなどのバッタの仲間を獲物にするクロアナバチも、同じような習性があります。
しかし、クロアナバチはあらかじめ穴を掘っておき、狩った獲物を穴に運びこむのに対し、ベッコウバチは狩りをしてから穴を掘るため、穴を掘っている間にアリに集られて獲物を台無しにしてしまうこともあるようです。

話がそれました。
ほどなく国道に出ますので、国道に沿って歩きます。

ここで分岐があり、大辺路の道標を立ててくれていますが、右手に見える道の駅に行きたいため、今回は右に進みます。

7:55 道の駅 すさみ

朝8時前にも関わらず、トイレは待たなければ使えないほどの混雑ぶりでした。

8月14日付の紀伊民報に、「お盆 帰省客まばら」という記事が出ていましたが、よく見るとそのデータは「帰省が本格化した7~9日の特急くろしおの乗車率は最大で60~70%」という数字を出しています。

・・・普通、「お盆」と言えば13日からでしょう。
そのお盆期間の乗車率をなぜ「余裕がある」と言葉を濁しているのか。
それならきちんと聞き込みを行った時点での数字を出すべきでしょう。

しかも11日、12日は平日です。

その2日間、休みを取れる企業に働いている人って、いったいどれくらいいるんでしょうかね?

同紙は、南紀白浜空港と東京羽田を結ぶ便にも空きが多数あると報じていますが、東京と言えば感染者が一番多い地域でもあり、東京からの移動を控えていることはうなずけますが、本当に「多数」かどうか、JALのHPで調べて見ました。

8月16日、11:35現在の空席状況は、12:10南紀白浜空港発 残席2、18:30南紀白浜空港発 残席3となっています。
・・・これって、「多数」なんですかね?

この道の駅での混雑ぶり、そして、国道をなかなか渡れないくらいの車の交通量を見ても、とても「まばら」とは言えません。

紀伊民報さん、情報は正確に出してくださいね。
これ以上いい加減な情報を出していると、俺は動くよ(笑)

ま、人の不安を煽るのが今のマスコミですからね。
先代の小山周次郎さんは、あくまでも中立の立場での報道を社是とされていました。

しかし、朝日新聞から天下ってきた?今の編集局長の「石」というヤツは、完全に左翼です。
今の紀伊民報は、朝日と業務提携をしていることからも分かるように、左翼新聞に成り下がってしまいました。
この新聞だけしか取っていない人、産経新聞も取りましょうね。

この続きはまた明日です。

熊野古道大辺路 見老津駅~紀伊有田駅①


大辺路研修などで補陀洛山寺まで踏破はしましたが、あろうことか昨年の研修で撮影した道中の写真のデータがすべて消えてしまいました。
いつか撮り直しをと思っていましたが、なかなかタイミングがありませんでした。
そしてやっとその日が来ました。

「今日はとりあえず見老津駅から紀伊有田駅まで行ってやろう」と決め、朝6時に自宅を出ました。

天気は快晴。
午前中は無風で海も穏やか。
かなり清々しかったです。
日中は・・・地獄でしたが、風が吹いてきたのでそれが救いでした。

6:35 見老津駅

海がめちゃくちゃキレイでした。

しばらく国道沿いを歩きます。

国道から離れ、見老津の集落を抜けて行きます。

この辺りの家は、ペンキで壁を塗っている家が多いそうです。
これは、和歌山の人々、とりわけすさみや串本の方たちが海外に移住をした際に、外壁にペンキを塗るという外国の文化を持って帰って来た結果だそうです。
海沿いの家なら、潮風から壁を防御する手立てが必要ですよね。

見老津小学校跡です。
2017年に閉校したそうです。

再び国道に出ます。
大辺路は国道から出たり入ったりを結構繰り返します。
今回の記事は、まともに読んでいたら酔ってくるかも(笑)

キョウチクトウ。
インド原産。
花はキレイですが、花、葉、枝、根、さらには土にまで強い毒があります。

道中には、旧日本海軍のレーダー基地があるようです。

熊野古道は向かって左ですが、今回は江須崎経由で行きますので、童謡の国(右)を通ります。

7:00 童謡の国

ここからの眺めは最高です。

ここから入ります。

延命地蔵。
この由来、悲しいですわ。
本当だとすると、ひどい話です。
今も昔も、人のすることは変わっていないようです。

展望台があります。
「何とかと煙は高いところが好き」なので、上ります。

展望台からの眺め。

ほどなく階段が出てきますので、ここを降ります。

階段を降りると、江須崎が見えてきます。
江須「崎」と書きますが、本当は島です。
今日はあの島に潜入します。

空と海のキレイなこと。

鳥居があります。
江須崎は島全体が神域とされています。
昭和28年に、国指定の天然記念物に指定されています。

参道。結構長いです。

春日神社。
主祭神は天児屋根命。
配祭神は一杵嶋島姫命、事代主命、金山彦命。
ちなみに、「事代主(コトシロヌシ)」とは、ホツマツタヱでは役職の名前で、大物主(これも役職名)の補佐の役割です。
斎名(いみな・本名)はクシヒコ。
クシヒコは、父・オホナムチがいかにも一国の主のような振る舞いをしていることから、釣りなどに興ずる隠遁生活をしていました。
そこへ、タケミカヅチからいわゆる「国譲り」の話を持ちかけられた父から相談を受けます。
そこで、クシヒコは笑顔(えみす顔)で「父がこの出雲を去るなら、私も行動を共にいたしましょう」と答えた・・・という話から、「恵比須神」と言われるようになり、特に漁師からの信仰が厚い神様です。
なので、よく海辺に祀られているのをよく見かけます。

この続きはまた明日です。

伊勢路を歩いて感じた事、驚いた事

今回伊勢路を歩いて感じた事、驚いた事などを書きます。
熊野古道に関しては、過去の記事をご参照ください。
今回は「その周辺事情」について書きたいと思います。

伊勢路(三重)のトイレ事情

伊勢路を歩いてまず思ったことが、「三重県のトイレ整備がイマイチ」ということでした。
和歌山では、仁坂知事主導の元「おもてなしトイレ大作戦」が展開され、全部とは言えませんが、現在ではほぼどのトイレに入っても快適に使用できるようになりました。

その感覚のまま、三重に来て愕然としたのが「トイレの汚さ」「洋式化が進んでいない」です。

和歌山ではどんな小さな駅でも、小ぎれいなトイレがだいたい備わっていますが、三重の駅にはトイレすらないところもありました。

忘れもしない初日、トイレをしたくなったが、もうすぐ三野瀬駅に到着とこともあって少し我慢をして駅でしようと思っていましたが、何と、駅にはトイレがありませんでした。

トイレか?と思いきや、違いました。

和歌山の感覚で行くと、えらい目に遭いますよ。

仕方なく、三浦バス停まで歩いて、近くのガソリンスタンドでお借りしました。
トイレをどこかでお借りするなんて、一昔前の感覚です。

古道沿いでは、ある程度整備がされていましたが、歩くコースを駅から駅と謳っているのであれば最低限、駅に普通のトイレは必要です。

あっても使用をためらうほど汚いところが多く、がっかりしました。
なので、後半はどんなトイレか見るのすらやめ、駅でのトイレを当てにしないようにしました。

トイレチェック

三野瀬駅:なし
三木里駅:汲取式に蚊が十数匹乱舞するありさま。異臭もすごかったので断念 
波田須駅:男子用は便器がなく「溝」にする方式 。大の方は汲み取り式
二木島駅:「溝」に男子便器を後付けした?結局便器下のバイプから溝に流れる仕組みのようだった。しかし、これまで見た中では一番マシだった。

「あるだけマシ」と言われればそれまでですが、その感覚がお客様に受け入れられるとは限りません。
また、古道沿いのトイレも和式が多く、外国人を受け入れるのであれば、そのあたりの整備も必要なのでは?と感じました。

バス運賃の支払方法は進んでいる

次に、バスに乗った時の感想です。

三重交通さんはすでに運賃支払のICカード化が進んでおり、PiTaPa や Pasmo や SuicaといったICカードでの支払いができます。

この点では、和歌山は遅れているな、と感じました。

一度、和歌山県の職員の方とICカード化についてお話をしたことがありますが、導入と管理で莫大な資金(数千万単位)が必要とのことで、バス会社はなかなか導入に踏み切れていないとお聞きしました。

しかし、春と秋の繁忙期ともなると、運賃の支払いで運行に遅れが生じていることも事実です。
本宮発、新宮行きのバスを新宮で待っていると、10分遅れなんてザラにあります。
時には30分遅れなんてこともあります。

慣れない現金での支払いに苦慮する外国人のお客様のためにも、ここは和歌山県には頑張っていただきたいところです。

「電車」ではない

勝浦駅で見たことがあるので知ってはいましたが、三重方面への電車は「電車」ではなく「列車」です。

ディーゼルエンジンで動いています。

初めて見た時、驚きと感動でした。
(決してバカにしているわけではありません)

「一度乗ってみたい」とかねがね思っていましたので、初めて乗った時は初動のエンジン音が聞こえて楽しかったです。
・・・というか、子供の頃に乗っていたはずなんですけどね。

おそらく、ディーゼルエンジン車なのは、三重の地形にあると思います。
山が密接にそびえ、架線の整備が難しいからなのではないでしょうか?
よく分かりませんが。

熊野古道を歩いている時に何度か、ハイブリッドの車両が走り抜けるところを目撃しました。
窓にすべてカーテンをしていたので試験走行だと思いますが、これが次世代「特急南紀」なんでしょうね。

電車運賃は車掌さんに

電車に乗ったまではいいが、支払い方法がわかりませんでした。
車両は新しくて快適でしたが、どこを見てもICカードをかざせるような装置が見当たりません。

しばらく座っていると車掌さんが現れ、どこまで行くか聞かれました。
行き先を告げ、車掌さんに現金で運賃を支払って終わりです。
領収書のようなものをくれ「これを下りる時に係に渡してください」と言われたり、領収書なしで「そのまま降りてください」と言われたりで、何を基準にそう言っているのか、ちょっとよくわかりませんでした。

また、駅から駅の距離が近い時は「どこまで行かれますか?なら、もう少し先で時間がありますので、あとからまた来ます」と言って、慌てて他の乗客の対応をしていました。
次の駅で下りる乗客の精算を済ませておかなければならなかったからです。

車掌さんも大変です。

一度に大勢乗って来られたらどうするんやろ?と思いました。

クマがいるようです

歩いていると時々、「クマに注意」の看板を見かけました。
幸い私たちは遭遇しませんでしたが、伊勢路にはクマがいるようです。
熊よけの鈴などを持たれた方がいいでしょうね。

・・・私たちは持っていきませんでしたが。

なにせ、和歌山の感覚で行っていましたので。
あ、小辺路を歩く時は持っていきますよ。

しかし、先日8月8日、伏拝地区でクマの目撃があったそうです。

「中辺路にはクマはいません」
とは、なかなか言いづらくなりましたね。
おそらく、いたことはいたのでしょうけど、歩く人が急激に減ったことも原因の一つに挙げられるでしょうね。

以上、今回の伊勢路を歩いて感じた事、驚いた事でした。
また何か思い出したらアップするかもしれません。

古道にまつわる話が江戸中心

8/16、思い出したので加筆をしておきます。

説明板には、中辺路(正確には「紀路」)と伊勢路は平安時代から開かれていたというようなことが書かれていました。

この説明を初めて読んだ時、「ん?ほんまか?」と思いました。
私の勉強不足だったらすみません。

しかも、平安時代の話がまったくと言っていいほどなく、江戸時代の話が圧倒的多数を占めていることも、私の疑念をさらに深めることになりました。

後から考えたのですが、これはおそらく、江戸になってからお伊勢参りや、西国三十三所巡りが爆発的な人気を博したことと、時の紀州藩が大規模に街道を整備したことにより、庶民の記録の絶対数も相当なのものになったからだと思います。
また、時代的にも比較的新しいので、保存状態が良かったという点もあったのでしょう。

現在の紀伊路・中辺路には、平安時代の話が残っていますが、上皇・女院あわせて150回近く熊野に詣でているにも関わらず、記録が残っているのはそのうちのわずかでしかありません。
それを考えると、上皇・法皇が熊野詣に利用することがなかった伊勢路に関して記録が残るわけもなく、また、仮に一般の巡礼者が記録を残したとしても、その一般人が現世までそれらを保存することは極めて難しかったからでしょう。

時代の厚みという点では少し残念な気がしました。

熊野古道伊勢路 ヨコネ道・三木峠・羽後峠~曽根次郎坂・太郎坂②

ようやく熊野古道伊勢路 ヨコネ道・三木峠・羽後峠~曽根次郎坂・太郎坂第二弾です。

12:45 賀田駅通過

今回は賀田駅で終わりではありませんので、通過のみです。
写真奥の坂道を上れば駅だと思います。

白と赤の四角(以下、「赤白」)を頼りに進みます。

ん?矢印が出てるけど、そこでは曲がれません。
赤白で曲がると矢印を発見。

写真では見にくいですが、向こうの橋あたりの石垣に看板が刺さっています。
ここを渡ると・・・
しばらく民家の間を歩きます。

民家の間を抜けると、再び道路に出ますが、道標がありません。
大きな木が視界に飛び込んできました。

クスノキです。

「神社がある」と直感。
やはりそのとおりでした。

13:05 飛鳥神社

飛鳥神社でした。
新宮の阿須賀神社の末社なんですね。
御祭神は速玉男命と事解男命。
ホツマツタヱでは、イサナギ・イサナミの仲人をされた方々です。
仲人お二方が祀られているのは面白いですね。
ちなみに、速玉男命が最初に二人の仲を取り持つことになりましたが上手くいかず、事解男命に引き継いで成功しました。

境内は巨木が覆い、荘厳な雰囲気を醸し出していました。
素晴らしいお社でした。

向かって右が杉(樹高39m, 幹周り6.8m)左がクスノキ(樹高35m, 幹周り7.3m)
境内のクスノキ

飛鳥神社の前で、手前と奥に道が分かれています。
神社のすぐ前の道ではなく、「奥の細道」へと進みます。
赤白を頼りに歩きます。

ここを左折で再び国道に出ます。
ほどなくトイレがあります。
峠に備えてここでトイレを済ませます。

13:30 曽根次郎坂・太郎坂入口

「甫母峠」へと進みます。
曽根次郎坂・太郎坂のことです。
杖が置いているということは・・・
嫌な予感がします。

「足元の コケにやさしく 次郎坂」

うまいっ!
はい、優しくするよう心がけます。

甫母峠は、646年~1582年の936年に渡って、紀伊国と志摩国の国境であり、曽根次郎坂・太郎坂の次郎は「自領」、太郎は「他領」から由来するそうです。
「なんで『太郎・次郎」ではないのだ?」と思っていましたが、自領から先に言うことを考えれば当然ですよね。

ここにも猪垣があるようです。
当時江戸幕府は猪垣を奨励こそしていたものの、資金面での援助はなかったそうで、篤志家や地元の負担が大きかったようです。

番号道標登場。
全部で39です。

いよいよ上ります。

途中に石切場跡(確認はできませんが、立て札があります)があり、約350年前、江戸城本丸中之門修復の際に、ここの石が献上されたらしいです。

やはり石畳がきれいです。
コケに優しく・・・

13:55 行き倒れ巡礼供養塔

行き倒れの方の供養塔がありました。
曽根次郎坂・太郎坂には他にも甫母峠と二木島町への下りにあるとか。
やっぱり難所やん。

14:00 一里塚跡

一里塚跡の看板がありました。
ここの一里塚跡は「よく形状を留めている」と書かれていましたが、このことでしょうか?

クジラ石が見えてきました。一里塚跡から約10分です。
逆方向から。確かにクジラに見えます。

14:25 甫母峠

甫母峠到着です。
番号道標は13番。
ここで、絶え間ない雷の音を聞きながら15分休憩をしました。
すみません、写真を撮るのを忘れました。
この辺りから雲行きが怪しくなり、いち早く下山するため写真の数が激減します。

14:45 楯見ヶ丘

ここからは素晴らしい眺めが見えます。
ポッカリ浮かんでいるような所が、おそらく楯ヶ崎だと思います。

曽根次郎坂・太郎坂は、「上って下る」を結構繰り返します。
今までの伊勢路の峠のように、一旦上ればあとは下りというものではなく、下りに入ったので「もう上りは終わりか」と思えばまた上る・・・これが精神的なダメージを蓄積させていきます。

例えば、甫母峠で「上りは終わり」と思いきや、そこからさらに上ります。
次に下りに入るので、「これから下りや」と思いきや、また上りが出てきます。

長い下りの途中で時折雨が降るようになりました。

猪垣があり、案内板によると、近くに「猪落とし」と呼ばれる落とし穴があるそうですが、とにかく早く下りたいので先を急ぎました。

巡礼供養塔の説明看板。
この巡礼者は17歳の若さで行き倒れたそうですね。
ほんと、「涙を禁じえない」です。

二木島側の曽根次郎坂・太郎坂の案内板。

「最初のきつい登りを過ぎると、あとは杉、桧の人工林の中をゆるやかなアップダウンが続き、尾根道を中心に快適なハイキングが楽しめる」

と書かれています。
過去に3人も行き倒れている峠が快適なんですかね???

まあ、当時の巡礼者は、ここだけを越えて終わりではなく、今回の私たちのように一日で複数の峠を越えて行ったからでしょうけどね。
今回のような三木峠・羽後峠+曽根次郎坂・太郎坂のセットは、すこしおすすめ出来ません。

15:55 二木島側登り口

というわけで、ようやく峠も終わりです。
国道311号線が見えてきました。

案内板に沿って進み・・・
二木島の集落を抜け・・・

橋を渡れば二木島駅はすぐそこです。橋を渡って右の建物がトイレ、トイレの上に見える建物が二木島駅です。

16:10 二木島駅

写真は翌日のものですが・・・

ようやく二木島駅に到着です。
駅に到着後、雨足が激しくなってきました。
急いで正解でした。
というか、雨よりも、絶えずゴロゴロ鳴っている雷が怖かったです。
時折その音が近づいてきましたからね。

タイムスケジュール

賀田駅からは約3時間半でした。

12:45 賀田駅
13:05 飛鳥神社
13:25 トイレ
13:30 曽根次郎坂・太郎坂入口
14:25 甫母峠(15分休憩)
14:45 楯見ヶ丘
15:55 二木島側登り口
16:10 二木島駅


熊野古道伊勢路 ヨコネ道・三木峠・羽後峠~曽根次郎坂・太郎坂①

この日も距離測定アプリが正確に機能しなかったので、道順、所要時間、各スポットの簡単な説明などを交えながら書こうと思います。

8:52 三木里駅

この日は三木里駅からスタートです。
国道311号線に出てからしばらく国道沿いに歩き、ヨコネ道を目指します。

9:15 ヨコネ道入口

ヨコネ道は近年地元の方々によって発見・整備された道です。
やはりここでも苔むした石と古道から見える景色がきれいでした。

9:45 国道311号線

ヨコネ道を終えると、再び国道311号線へ出ます。

9:50 三木峠入口

5分ほど歩けば三木峠入口です。
八鬼山を越えてきた旅人たちは、この三木峠とこのあとの羽後峠を敬遠して海路を使って曽根浦まで船渡しを利用したとか。
昔は情報量も少なかったでしょうし、今のようにどれくらいの難易度か簡単に知ることが出来なかったでしょうから、八鬼山を越えて来れば心理的に「次ももしや・・・」と思ってもおかしくないでしょうね。
しかし、峠自体は大したことはなく、気軽に歩けるところなので、昔の旅人はもったいないことをしたなと思います。

それより、次の曽根次郎・太郎坂をスキップ出来なかったものか、と考えてしまいます。

番号道標は全部で8つです。

途中、景色が開けます。海大好き人間にはたまらないですね。

峠まであと少し。

10:10 三木峠

三木峠に到着。
番号道標は5番です。
少し休んで展望台まで足を伸ばしました。

しかし、木が生い茂っていて期待していた絶景ではありませんでした。

木が・・・。

足元にはハチの大営巣がありました。
羽音がすごかったです。
エサキムカシハナバチのようです。
「ハナバチ(花蜂)」とついているだけあって性格はおとなしく、人が近づいてもお構いないに「自分の仕事」を淡々とこなしているといった印象でした。

エサキムカシハナバチ。巣からの出入りが素早くて撮影が難しく、結局撮れたのはお尻だけ。

10:35 三木峠終了。羽後峠入口まで

ここで三木峠は終了です。
一旦道路を横切り、猪垣の横を通り、民家の横を通り、国道311号線に出ます。

この道路を道標に従って横切り
猪垣の横を通り
民家の横を通り
国道311号線に出ます。

国道311号線を2分ほど歩くと、農道に入ります。
農道と言っても、現在農地として使われていません。
「羽後峠登り口」と書いていますが、ここが登り口ではありません。
登り口はまだまだ先です。

羽後峠入口はまだまだ先です。
川がきれい。
この川で一休み。水が冷たくて気持ちよかったです。

三重の熊野古道には、21の保存会があるそうで、八鬼山峠越え・三木峠・羽後峠・曽根次郎坂・太郎坂は「ルーパーの会」さんがボランティアで古道の保全活動をされているそう。
頭が下がります。
何気なく通る橋ですが、こうした地元を愛する方たちのおかげで気持ちよく歩くことができます。
感謝です。

猪垣の高さが半端ないです。

猪垣を過ぎると下ります。

山の神が!
供えられえているものは・・・。

「アサギマダラ休憩所」付近ではいい眺めが。

11:15 まだ羽後峠入口に到着しません。
ここを道標に従って曲がると・・・

あれ?道が消えた!

辺りをウロウロしていると、上に道らしきものが。
どうやら道標に従って真っ直ぐ下りたらいけないようです。
下から見えていたのは、この木です。
これを進むと・・・

道が出てきました。

11:25 羽後峠入口

この道を渡ると、ようやく羽後峠入口です。
三木峠終了から約50分です。

羽後峠までは200m。

羽後峠の番号道標は、全部で9つ。

11:35 羽後峠

あっという間に羽後峠です。
番号道標は2番。
ここで早めの昼食を取りました。
この頃から、空模様が怪しくなってきました。

昼食を済ませて再び歩き始めます。
眼下には猪垣が。
圧巻の長さです。
案内板によると、その長さは500m(!)とか。

地元の方が立てたのでしょう。
道中には説明板が立てられています。
まずは通行手形のお話。
写真は現代語訳ですが、当時の通行手形のコピーなどが一緒に掲載されています。

そして猪垣補修の請願書。
賀田の猪垣の総延長は5760m!当時の人々の苦労が偲ばれます。

12:10 羽後峠終了

この溝のようなところを下りると羽後峠終了です。
昼食の休憩は15分だったので、羽後峠自体は20分ほどで終わります。
ここで再び道路に出ますが、すぐに古道への入口があります。

この道標が目印。

空・風・火・水・地・・・あれ?一つ欠けています。
説明板にも「水輪が欠如している」と書かれていました。
建立は江戸時代初期とのこと。

賀田羽根の五輪塔

12:30 国道311号線(トイレ)

古道の案内標識に従って、次に橋を渡り真っ直ぐです進むと交番があります。
その角を直角に曲がると国道311号線へと抜ける道を歩きます。
国道に出るとトイレがありましたので、そこで2度めの昼食。
トイレの敷地内にベンチがありましたので、そこで休憩をし、曽根次郎坂・太郎坂に向かいました。

橋を渡ります。
橋を渡ったら左折をせず真っ直ぐ進む
交番の角を曲がったところ。真っ直ぐ進むと・・・
国道311号線です。
国道沿いにトイレがあります。

この続きは明日にご紹介します。
ちなみに、個人的に歩く時は一度にガッツリと昼食を取らず、細切れに取っています。
満腹になると動きたくなくなりますからね。

タイムスケジュール

8:52 三木里駅
9:15 ヨコネ道入口
9:45 ヨコネ道終了
9:50 三木峠入口
10:10 三木峠
10:35 三木峠終了
11:25 羽後峠入口
12:10 羽後峠終了
12:30 国道311号線(トイレ)

熊野古道伊勢路 二木島峠~逢神坂峠~波田須の道②

昨日に引き続いて波田須の道から大吹峠です。

11:35 新鹿海水浴場

11:35、新鹿海水浴場を出発し、波田須の道の入り口を探します。
写真の道標にある赤と白の小さな四角に「KUMANOKODO」と書いていて、これがいたる所に登場します。
小さいので、宝探しのような感覚でした。
しかし、逆にこれがなければ迷っていたところもありました。

徳司(とくし)神社。
この日はお参りはしませんでしたが、主祭神は天之御中主神(アメノミナカヌシ)。
アメノミナカヌシといえば、ホツマツタヱではこの地球が出来てから一番最初に神がお造りになった人とされています。
ここから初代アマカミ・クニトコタチへと至ります。
天之御中主神様が祀られているお社は珍しいです。
創建は宝永年間(1704年~11年)に起こった津波によって流失してしまい、不明とのこと。
その後菅原道真公、天照大神、倉稲魂命、誉田別命が合祀され、現在にいたるそうです。
このお社の社業は三重県の天然記念物だそうです。

新鹿海水浴場を見ながら波田須の道への入口に向かいます。

波田須の道への道標。
比較的分かりやすかったです。
石製、木製、赤白の小さい四角、青いステッカー・・・ある程度統一感を出した方がもっと分かりやすいと思いますが。

しばらく登ると国道311号線に出ます。
10分弱歩けばトンネルがあります。そこで再び幟が登場しますので、幟に従って入ります。

5分ほど歩けば西行松に到着します。
やはり峠の例に漏れず茶屋があったそうです。
明治まではここに松があったそうで、西行はここで一服をしたそうです。

しばらくは民家のそばを通ります。
景色が素晴らしいです。

しばらく進むと分岐があり、パイプに黄色の矢印が。
ん?カミノか?(笑)
とりあえず何も看板がないので矢印に沿って進みます。

しばらく進んでも何も書かれていないため、不安になります。

少し進んだところで辺りを見回すと、説明看板が遠くに見えました。
「あ、あれちゃう?」と言いながらその看板を目指すと、やはりそうでした。
そして分岐に到着。
やはり道標も何もない・・・と思いきや、ステッカーが剥がれていました。

この石畳は鎌倉時代のものだそうです。

番号道標は全部で3つ。

12:40 波田須神社

新鹿海水浴場からここまで、約1時間です。

祭神は応神天皇(誉田別命)、倉稲魂命、徐福だそうです。波田須神社からも素晴らしい景色が見えますが、国道を横切った後の方が電線がなくていいと思います。
こんもりしているところが徐福の宮です。
ここ波田須は徐福伝説が残る地とされています。
波田須の地名は、秦氏が住む→はたす→はだすになったとか。

波田須神社より
国道を横切った後

13:00 徐福の宮

案内板によると、秦を出た徐福一団は道中で台風に遭い、徐福の船だけがこの地にたどり着いた。
当時は三軒しか家がなく、与八、文吉、三郎兵衛が交代で世話をした。
徐福は帰国を諦め、窯を設けて焼き物を三人に伝えたとされています。

とりあえず案内板に従って波田須駅に向かいます。
この鉢植えの向こうが波田須駅です(笑)
普通分からんで(笑)
ちょっと迷ったがな。

13:15 波田須駅

いや~、この駅を見てびっくりしました。
・・・駅舎がない!
ベンチがあったので、ここで少し休憩をしました。

地図を見るとこのまま真っ直ぐ行けそうに書かれていますが、大吹峠への道はそうではないようです。
また来た道を戻ります。

この道標に従って波田須駅まで行きましたが、大吹峠は・・・

ここで分岐があり、その分岐を進まなければいけなかったようです。
波田須駅から来るとこの道標が目に入りますが、新鹿から来ると背後にあるため、絶対に見落とします。

ほんといい加減にしてほしいです。
どれだけ人を迷わせたら済むんでしょうかね。

そしてこの道標。
「文字岩」って・・・
書くなら「大吹峠」でしょう!

地図には「迷いやすい道」と書かれていますが、全然そんなことはないです。
それより前に、もっと迷っています(笑)

再び国道に出ます。
大吹峠登り口までもう少しです。

14:10 大吹峠登り口

ここにトイレがあります。
用を済ませてから大吹峠に入ります。

少し見にくいですが、大吹峠の番号道標は全部で14です。

ピンぼけです・・・

伊勢路では珍しく竹林の中を歩きます。
変化に富んでいて面白いです。

そして、やはり苔むした石畳。
ほんときれいです。

14:55 大吹峠登り口

大吹峠をやっつけましたが、大泊駅までの道がわかりません。
そう、道標がないのです。
最初は間違って逆の道を歩いていました。

間違った挙げ句、国道311号線と再び合流します。
そこには絶景が広がっていました。

大泊海水浴場

15:10 大泊駅

大泊駅の写真を撮るのを忘れました。
新鹿海水浴場から約3時間半でした。

熊野古道伊勢路 二木島峠~逢神坂峠~波田須の道①

さて、この日は正確な距離を測れませんでしたので、撮りまくった写真と所要時間、スポットの軽い説明を交えながら書こうと思います。

8:40 二木島駅

電車が斜めってます(笑)

この日は新鹿駅に車を置き、二木島駅から歩き始めました。
今回すべての行程に共通して言えることですが、目的地に車を置いてから出発地点まで電車、またはバスで移動し、歩き始めるという行程でした。
駅からの道を下ると、クジラの供養塔の説明看板があります。
ここ二木島も、以前は捕鯨の町だったようです。

熊野は我が国捕鯨発祥の地?
この「熊野」とはいったいどこを指しているのか漠然としていてわかりませんが、突き取り式も網取式も太地が発祥とされていますよね。

・・・なんか違うような気がしますが、ま、いいか。

民家の間を抜けると、たった今降り立った駅を見下ろす素晴らしい景色が広がっていました。
こうやって見てみると、三重は特徴的なリアス式海岸だなと、つくづく思います。

一里塚跡とともに、キリシタン灯籠というものがありました。
これは珍しいです。
初めて見ました。

この中にキリシタン灯籠があります。
キリシタン灯籠

当時は信仰の自由がなかったので、隠れキリシタンらが礼拝の対象物として作り出されたとされているそう。
今でこそ信仰の自由がありますが、当時は当時でそれを禁止しなければならなかった理由があったからです。
そもそも、当時のスペイン、ポルトガルなどは、他国を侵略するためにまずキリスト教を普及させるという手順を踏んでいたからであり、現に他国がキリスト教を盾に侵略されている姿を見て指をくわえて黙って見ているようなわが国ではなかったということ、そして、そのキリスト教の宣教師が日本人を捕らえて人身売買をしていたことが分かったからです。
これに秀吉は激怒をし「バテレン追放令」を出し、後の江戸の禁教令へとつながっていきます(バテレン追放令では、個人の信教は自由とされていましたが)

信仰する人に罪はありません。
ただ、当時は上記のような国益を損ねるどころか、亡国の仲間入りをする羽目になってしまうと考えられたから、信仰の自由が許されなかったのです。
そう考えれば、昔の日本人は他国に対してかなり強気だったことがわかります。
現在のような、チャイナの顔色を伺うようなことはしていなかったでしょう。

二階さん、聞いてますか?(笑)

はい、話がそれましたが、そこを通り過ぎると一旦国道311号線に出ます。
少し歩けばいよいよ二木島峠入口です。

9:05 二木島峠入口

伊勢路の番号道標。
峠ごとに立っています。
この場合は、二木島峠と逢神坂峠を合わせたものでした。
背が低いので見過ごしてしまいがちですが、道標が何番まであるのか書いているのでありがたいです。
二木島峠・逢神坂峠は30本。道標は約100mごとに立てられているので、約3km。

苔むした石畳は本当にきれいでした。

9:40 二木島峠

峠の入口からここまで、ゆっくり登って35分でした。

この時はまだ距離計測アプリがきちんと作動していました。
それによると入口から1kmです。
峠の入口から二木島駅までが500mだったので、写真の道標とほぼ同じです。
一方、峠の番号道標は8番だったので、100mごとだとするとちょっと食い違いがあります。

この二木島峠と逢神坂峠には茶屋があったらしいです。
峠の説明にはかならず「茶屋があった」と書いていますので、当時は人の往来が多かったのでしょうね。
今でもあったらいいのに(笑)

峠からは少しなだらかな下りになります。

下りきったところに、写真ではわかりにくいですが、谷がありました。
しばし顔を洗ったりうがいをしたりして休憩をしました。
オーストラリアンが食いつきそうなところです。
いや、私も食いつきました(笑)
本当にきれいでした。

山、川、海を同時に満喫できる・・・伊勢路の魅力ですね。
案外、中辺路沿いにはこのようなきれいな川はほとんどありませんが、伊勢路ではいたる所に流れています。
そしてその水は飲めるくらいのレベルです(とはいえ、飲まない方がいいですよ)

ここからは逢神坂峠への上りです。

逢神坂峠への上りもきれいでした。

10:05 逢神坂峠

逢神坂峠に到着。
「おうかみざか」とは、伊勢と熊野の神が出会ったところとか、狼が多かったことから名付けられたとも言われているそうです。

元々あった地名に、同じ音の漢字を当てることが往々にしてあったため、その土地の名の由来が分からなくなっているところが多いようです。
中辺路では現在「近露」とされている地も、藤原宗忠の日記(1109年)には「近津湯」と書かれています。
おそらく、この場合の「逢神」は当て字でしょうね。

番号道標は14番、二木島峠からの距離はアプリで900mでした。
地図に番号道標の記載がないのが残念です。
せめ峠の番号だけでも書いておいてほしいですね。
そういえば、手書きのイラスト地図をいただきましたが、それには書いていましたね。
ちなみに、スタンプ台がありました。
集めるつもりはなかったのですが、QRコードでスマホに取り込むことができるのでやってしまいました。
結構便利です。

ここからの下りがちょっと大変でした。

下りは長くすこしきつかったですが、私はここがツボでした。
何度も振り返り、石畳の美しさに見とれていました。
しかし、中には急なところもあり、雨が降れば危ないので、その時は止めにするほうがいいでしょうね。

延々と続く下り・・・
振り返ると「ご褒美」の景色が。

約900m下ってきました。
新鹿側登り口まで700m。
まだまだ下ります。

時折振り返って「ご褒美」を眺めます。

いよいよ終わりか・・・と見せかけて・・・

もうちょっと下ります(笑)

11:05 新鹿側登り口

ようやく新鹿側登り口に。
波田須の道への道標がありました。

二木島峠の入口から、ゆっくり歩いてちょうど2時間でした。

新鹿海水浴場で少しトイレ休憩をし、波田須の道へ向かいました。
海水浴場駐車場のおっちゃんと少しお話をしましたが、例年に比べるとお客さんの数は少ないそうです。

今日はここまでです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

伊勢路高低表【八鬼山越え】

伊勢路高低表・八鬼山越え編です。
この4日間のうち、正確に距離を計測できたのが一石峠~三浦峠と、この八鬼山越えだけです。
一応携帯アプリですが、GPSと連動していますので、ほぼ正確な数値だと思いますが、途中で迷ったり、海水浴場でトイレをしたりしていますので、そこらへんはご愛嬌ということでお願いします。
また、時間も計測していますが、前の記事でもお伝えしたように、案内看板を英訳しながら(そして写真を大量に撮りながら)歩きましたので、地図に書いている時間(5時間)よりもっと時間がかかっています。
ご了承ください。

この日は10:05に登山口スタートです。

10:50 籠立場

紀州藩主や巡見使などが街道を通行する時に、乗っている籠を止めて休んだ場所だとか。
そう、今は三重県ですが、以前は紀州藩だったんですよね。
樹齢300年と言われるヒノキがそびえています。

11:10 林道交差

このあたりから傾斜がきつくなり始めました。
八鬼山越え最大の難所・七曲はもうすぐです。

11:45 七曲終点

最大の難所・七曲はやっつけましたが、まだまだ上るようです。

12:30 九鬼峠

ここで道が分岐しており、一方は九鬼村(現・尾鷲市九鬼町)へと続く道だとか。
その九鬼村は九鬼水軍発祥の地だそうです。

12:40 荒神茶屋跡

このお堂、八鬼山日輪堂の歴史は古く、西暦702年、修験者である阿闍梨梨返昌院仙玉法印(あじゃりへんしょういんせんぎょくほういん)の創建と言われているそうです。
このお堂の横にその名も「荒神茶屋」という茶屋があったそうです。
この茶屋の名物は饅頭で、当時(明治時代)は飛ぶように売れたとか。

13:05 三木峠茶屋跡

ここが八鬼山峠(三木峠)の頂上です。

13:20 桜の森広場(昼食)

景色が良く、きちんとあづまやにも屋根があり(笑)気持ちよく昼食を取ることができました。ちょっと木が茂っているのが残念でしたが。

14:35 十五郎茶屋跡

ここにも茶屋があったと、紀伊続風土記に記載されているそうですが、いつ始まっていつ頃まであったかは定かではないそうです。
ここからの急坂は、紀州の殿様の御成行列の時、お供の人は槍を担いで登ってもよいことから「槍かたげ」と言われています。

15:40 登山口

道標62番で迷いましたが、ようやく「下山」することができました。

15:50 名柄一里塚跡

大東亜戦争中、南・北輪内村の出征兵士たちは、ここから八鬼山を越えて荒神堂に参り、尾鷲駅へ向かったそうです。
・・・ここしか道がなかったんでしょうかね。

16:05 三木里海水浴場

三重は切り立った山が海までせり出している地形ですが、その間に砂浜があり、以外に海水浴場が多いです。
三木里って、外国人が多いという印象を受けました。

16:35 三木里駅

海水浴場から駅までの移動が暑くて堪えました。
約6時間半かかりましたが、なんとか終えることができました。

伊勢路高低表【一石峠~三浦峠】(加田教会前~三野瀬駅)

先日の伊勢路で、携帯の計測アプリを使って高低と距離を計測しましたので、ご参考にされてください。
この日は古里海水浴場への道で迷いましたので、正確な距離ではありません。
その点はご了承ください。
少し画像が小さい上に、文字が不明瞭で見にくくて申し訳ありません。
なお、高低表は、アプリが正常に機能したこの日と、八鬼山しかありません。

緑の◯がスタート地点の加田教会前、青い◯が現在地です。

一石峠

古里海水浴場

サボ鼻展望台

三浦峠

三野瀬駅