意思にも「体力」がある

今日は「意思にも体力がある」というお話です。

「体力」というとピンとくると思います。
文字通り「体の力」です。
朝は満タンにあった体力も、体を使ううちに徐々に減っていきます。

これと同じように、意思にも「体力」があります。
もう少し平たく言うと「決定に使う思考力・判断力」と言うと分かりやすいかと思います。

人間が一日に使える意思の力は、体力と同様に限られています。

朝起きてから、人間は様々な判断をします。
例えば、「今日は何を着て行こうかな?」と、クローゼットを前にしてあれこれ迷った経験はありませんか?
こういった小さなことでの「意思の体力」を使っています。

こうして、一日で色んな事に少しずつ意思の体力を使っています。
この積み重ねで、長期的にあまり意味のないことに対して、その力を無駄に使ってしまっている可能性があります。

一日に持っている意思の力を使い果たしてしまうと、価値の高い活動をする代わりに集中力が切れて普段の楽な行動に戻ってしまいます。
例えば、メールのチェックなど、一番抵抗の少ない道を自動的に選んでしまいます。
メールのチェックは生産性ゼロの業務です。

「無駄な決定」をなくすには?

こうした、「無駄な決定」をしないためにするには、日頃の決まりをなるべく決めておくことです。

例えば、スティーブ・ジョブズやFBのマーク・ザッカーバーグなどは、毎日同じ服(同じ服を複数持つ)という方法を取っています。
ミニマリストとしてYou Tubeで動画を配信しているTakaruさんはこれを、「私服を制服化」と呼び、その日に着ていく服に悩まずに仕事に集中することに特化しています。

日常の「小さな決定」を一度見直してみてください。

そして、そうした小さな決定を習慣化することにより、無駄な意思決定が格段に減ります。

一番大切な業務を一日の始めにするということも重要です。
朝は満タンにあった「意思の体力」も、午後には減ってしまっています。
なので、その日のうちに一番重要と思われる業務を最優先にするべきです。

間違っても、一日の始めにメールチェックをするということは生産的ではありません。
もしチェックするのであれば、緊急性がないかどうかをさっと見る程度にとどめておくといいと思います。
だいたい、緊急の場合は電話をすればいいわけですし、本当に緊急であれば相手がメールを送っていたとしても電話がかかってくるはずですから、別に見なくてもいいと私は思っています。

こうして、一日の意思決定を極力少なくすることで、本来集中すべき業務に全力を傾けることができるようになります。

また、昨日の記事にも書きましたが、一度「邪魔」が入ると元の状態に戻るまでに訳20分かかるそうです。
私はこの一年事務所にはほとんど行かず、在宅で勤務していますが、集中して仕事をすている時は電話がかかってきても取りません。
後で電話をする時間を取り、まとめて電話をしています。
電話は、相手の仕事を遮って強制的に電話口に出させるものです。
これまでのお話を読まれた上で、この「遮り」がしょっちゅう起こるとあなたの業務はどうなるのか、想像しやすいと思います。
あなたが事務所で働いている時は、なかなかそういうわけにはいかないでしょうが、「まず電話ありき」になっている風潮から変えていく必要があるでしょうね。
今は電話でなくてもチャットでも意思疎通ができます。
そういった環境作りがまず必要なのかもしれません。

明日は仕事中の効率的な時間のとり方についてです。


成功するためにするべきこと

富士山

新年明けましておめでとうございます

新年明けましておめでとうございます。

昨年は武漢肺炎で大きな被害を被り本当に大変な一年でしたが、じっくりと腰を据えて取り組まなければならない仕事に取り組むことができたので、結果的に生産的な一年だったと思います。

今年もまだまだ先行きが見通せない状態ですが、気持ちを新たに、よりみなさんのお役に立てる情報を発信できるよう、頑張って行きたいと思っています。

どうぞよろしくお願いいたします。

成功するための「儀式」

さて、昨年の大掃除の時に出てきた、あるセミナーの備忘録をご紹介したいと思います。
ここに書かれている内容に、私の体験などを交えてお話いたします。

ここに書かれていることは、今でも私が実践していることです。
わたしは、「いいな」と思ったことは即実践しています。
そして、このおかげで日常の業務において集中力が増し、生産性が上がった実感がありますので、是非あなたも実践していただけたらと思います。

かつてないほどに生産性を高めるために必要なこと

個人の成功の儀式を作る

生産性の向上は、自らチャージすることから始まります。
飛行機に乗った時、周りの人を助ける前に、まず自分が酸素マスクを付けてくださいと言われる事と同じことです。
生産性を発揮して人生で欲しい物を達成するには、自分自身が時間を取って、肉体的にも精神的にも感情的にも精神をチャージする必要があります。

休息がなければエネルギーも生まれません。
エネルギーがなければフォーカスもできません。
フォーカスがなければ生産的にもなれません。

まずは自分自身のために、肉体的・精神的・感情的に自分自身を満たす必要があります。

そのために、自分自身をケアするために、毎日行う「成功の儀式」を作る必要があります。
「成功の儀式」と聞くと何だか大げさな印象がありますが、要は「毎朝行う、自分を満たすためのルーティーン」です。

毎朝ほんの少しの時間を投資するだけで、大きなリターンがあります。

個人の成功の儀式

では、具体的にどういったことをすればいいのでしょうか?
以下に挙げたものはあくまでも一例ですので、あなたの肉体・精神・感情を満たすものでいいと思います。

では、具体例を挙げていきます。

ステップ1

まず、体を動かせる運動から始めます。
心臓を鼓動させ、汗をかくような運動をします。
20分くらいが理想です。
自分が楽しめるものにしましょう。
近所の散歩をする→ビーチに行く→朝日を見るなど。
続けられるもの、楽しめるものにすることが大切です。

ステップ2

次に、感情を再チャージできる何かをすることです。
たとえば、運動をしたあとに大好きな音楽を聴く、感謝日記を書く、ギターを弾く、絵を描くなど。

ステップ3

最後に精神を再チャージする何かをすることです。
5~10分の瞑想をしたり、前向きになれる本を読んだり。

この3つのステップを60~90分で済ませます。
やりやすい方法を柔軟に探してください。

大切なのは毎日続けること

大切なのは毎日続けることです。
この「毎日続ける」ということがなかなかできずに「三日坊主」で終わってしまう人が多いと思います。

この三日坊主の原因の一つに「忘れてしまう」というものがあります。

なので、忘れないように何か工夫をすることで回避することができます。
例えば、「毎朝起きてすぐに水を飲む」と決めているのであれば、前日の夜にベッドの横にペットボトルを置いておくとか、朝起きてからシャワーを浴びるのであれば、タオルを枕元に置いておくなど。

もう一つの原因は、人間というもの、これまでの習慣を変えたくないという心理があります。
この「成功の儀式」もあなたにとっては「新しい習慣」です。
逆に言えば、これを習慣化してしまえば、今度は「しないと気持ち悪い」という心理が働くようになります。

わたしは以前、空手のトレーニングの一環として、毎日8kmのランニングを課していました。
ジョギングや長距離走が嫌いな私には、毎日8kmのランニングは苦痛以外の何物でもありませんでした。
しかし、当時は大きな舞台で試合をするという期限付きの目標があったので習慣化できたわけですが、この時もやはり「しないと気持ち悪いな」という心理が働き、自然に玄関でランニングシューズを履いていました。

この習慣化にはちょっとした工夫と目標設定が必要ですが、具体的に最低でも2週間は毎日いないと習慣化ができないと思います。
それを超えると、これまで違和感があった「新たな習慣」が「日常の習慣」に変わります。

朝一にするべき理由

そして、この「成功の儀式」は、朝一にすることをおすすめします。
特に、あなたが経営者であるならばなおさらです。
経営者は本当に多忙です。
一説によると、一日の労働時間のうち、経営者ができる超生産的な時間(売上げに直結するような業務をする時間)は、8時間のうちで20分程度だといわれています。

これは、部下から上がってくる様々な問題や日常業務に振り回されているからです。
一旦自分の業務が遮断されると、中断される前の状態に戻るまで20分かかると言われています。

なので、誰にも邪魔をされない朝一番に、行うようにしてください。
これは別に経営者でなくても同じような状態が職場で起こっていると思いますので、経営者でなくても朝一にするべきだと思います。

こうして、感情や精神や肉体的な健康を最優先するために時間を取ると、その日やるべき最も大切な事が何かということに気付けるようになります。

Eメールをチェックして一日を初めてしまうと、頭が断片化され、周りの人の優先事項に埋もれてしまい、自分自身が成功するために何が必要かを忘れてしまいます。

まとめ

それでは今日のまとめです。
生産性を上げるためには

◯「成功の儀式」を毎日すること

◯成功の儀式とは、肉体的・精神的・感情的に自分を満たしてくれるものを60~90分かけて行うものにすること

◯成功の儀式は、誰にも邪魔されない時間帯の朝一にすること

◯継続するには物理的な工夫をするか、目標を設定し、最低2週間続けて「習慣化」すること

以上、あなたがもし、まだ今年の目標を掲げていないのであれば、是非実践してみてください。

習慣化についての記事は、こちらをご参照ください。

https://7875937fbfc6f01c.main.jp/2020/05/01/%E9%95%B7%E7%B6%9A%E3%81%8D%E3%81%97%E3%81%AA%E3%81%84%E7%90%86%E7%94%B1%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%94%B9%E5%96%84%E6%B3%95/

また、こちらにも詳しく書かれています。
ご参考にされてください。

習慣化のコツを目標別に徹底解説! 勉強・運動・早起きを継続する方法とは


資産と負債② ガイドの自立

昨日は資産と負債についてお話しましたが、今日はその続きです。

会社で言えば、従業員は資産でしょうか、負債でしょうか?
結論として私は、従業員は資産でもあり、負債でもあると思っています。

要はその従業員によって変わってくるということになります。

たとえば、言われたことだけをしていればいいという考えの人で、休憩時間以外にネットサーフィンをしたり、新聞を読んだりしている人は、会社にとっては全く生産性がありませんので負債です。

反対に、どこかに営業をかけたり、イベントでの参加者募集をかけたり、仕事の効率化を図った仕組み作りを自らする人は資産です。

もっと端的に、前回に記事に沿った考え方で言うと、労働対価(給料)以上に稼いでくれる人が資産ということになります。
前回の記事をまだ読まれていない方は、こちらを読んでください。

https://7875937fbfc6f01c.main.jp/2020/12/26/%e8%b3%87%e7%94%a3%e3%81%a8%e8%b2%a0%e5%82%b5/

では、登録しているガイドはどうでしょうか?

さきほどの考え方でいくと、今年までは、私がガイドに出られない日に代わりに行ってもらうという形でしたので、基本的に資産となります。
ただし、私や従業員の時間を奪う行為は負債です。
遅刻をする、どうでもいいことで電話をかけてくる、電話で余計な長話をする・・・などが当てはまります。

たとえば、「牛馬童子口から継桜王子まで、番号道標は全部でいくつありますか?」とか、これは本当にあった質問ですが、こんなことはちょっと調べればわかることです。

人間は、一旦集中していた仕事を遮断されると、その集中力が回復するまでには20分かかると言われています。

仕事に集中している時にこういった電話があると、本当にその人にガイドとしての自覚はあるのか疑いたくなります。
ガイドは報酬を払っている限り、趣味の延長ではありません。

一人のプロとして、独立したガイドが登録をしている、それが一般社団法人 和歌山地域通訳案内士会です。

しかし、中には本当にどうやって調べたらいいか全く分からない人がいます。
なのでさきほどのような質問をしてくるのですが、そういった場合は単に答えを教えるのではなく、どうやったら答えがわかるのか、その方法をお伝えします。
でなければ、延々と質問ループに陥り、その対応でしょっちゅう時間を奪われることになるからです。

「田辺市が発行している地図に書いています。地図は田辺市観光センターにありますので、機会のある時にもらってください」

「釣った魚」を与えるのではなく「釣り方」を与えるようにし、ガイドの自立を図るようにしています。


資産と負債

今日はガラッと話題を変えて資産と負債についてお話をします。

金持ち父さん 貧乏父さんという本を読んだ方なら、どれが資産でどれが負債かはおわかりだと思います。

持ち家は資産でしょうか、負債でしょうか?
車はどうでしょうか?

金持ち父さん貧乏父さんによると、資産と負債の定義を分かりやすく書いてくれています。

「ポケットからお金が出ていくものが負債、ポケットにお金を入れてくれるのが資産」

では、改めて、持ち家はどうでしょうか?
持ち家の場合、金額が金額なので一括で買える人は滅多にいないでしょう。
だいたいが住宅ローンを組むと思います。

また、家を持った時点から固定資産税がかかってきます。
10年から15年経てば外壁が傷んでくるので塗り替えをしなければいけません。
浄化槽の保守点検、汲み取りをしなければいけません。

こう考えると、持ち家は「負債」となります。

「ローンを払い終わったら自分の物になるじゃないか」と思われるかもしれませんが、住宅ローンをだいたい30年かけて払い終わった頃には、その家には普通、価値はほとんどありません。
また、維持管理費と固定資産税は払い続けなければいけませんので、支払がゼロになることはありません。

持ち家が「資産」となるには、例えばその土地の地価に価値が出て高騰して、購入した時よりも高く売れる場合や、誰かに貸してお金を貰えるような場合です。

では、この考えでいくと、車はどうでしょうか?

はい、もちろん「負債」です。

ガソリン代、オイル交換、2~3年でタイヤも交換しなければいけません。
また、2年~3年で車検が控えています。
これに、都会であれば駐車場代も必要となります。

また、新車であっても車は買ったその時から価値が下がり始め、6年で価値はゼロになります。
いくらいい車を買っても、買った時より高い値段で売れなければやっぱり負債なんです。

車は田舎暮らしであれば、生活になくてはならないものなので仕方ないですが、家については絶対に買うべきではありません

私は今、持ち家に住んでいますが、住宅ローンとリフォームローンのおかげで、生活はかなり厳しいです。
若い時にこのことを知っていれば、間違いなく家は買っていなかったですね。
ましてやこの武漢コロナで仕事が減っているため、収入も過去最低です。

今は無駄に大きな家に住んでいるため掃除だけでも大変ですし、部屋も余っています。
「子供のために」と言って大きな家を用意しても、やがて子供は巣立って行き、今の家には住まないかもしれません。
現に、うちのご近所さんで7軒で、成人した子供さんが住んでいる家はたった3軒です。
他の4軒は、うちと同じように部屋が余っていると思います。
たまに帰ってくるだけのために部屋を用意しておく必要はありません。

子供がいるうちは大きな家を借り、子供が巣立ってから夫婦二人で住める小さな安い家を借りるか、一括で購入するほうが絶対にいいと思います。

車もそうですが、家も見栄で買う部分が大いにあります。
でも、見栄は所詮自己満足であり、蓋を開けてみれば借金のために働いているようなものです。
こうなれば「お金の奴隷」です。

現在は「ミニマム生活」という生活様式を推進している方がいます。
無駄なものを買わず、見栄を張らず、必要最低限のものだけを買うことによって、消費するお金と時間を最小限に抑えるという方法です。

お金はわかるけど、なんで時間?と思われる方がいるかもしれません。

あなたの家の周りを見渡してください。

結構不要なものがありませんか?

その不要なものに埋もれている物をしょっちゅう探したりしていませんか?

掃除をするにも、物をよけないといけないので時間がかかります。
大きな家ではもっと掃除に時間がかかります。

そうした時間の積み重ねが、一年を通してみた時に結構な時間になっています。

現在の法人も、余計なものをきれいサッパリ捨て業務の無駄をなくし、限りある時間を有効に使えるようにしていきたいと考えています。
そのミニマム生活の法人版、「マイクロ法人」を目指して行こうかと考えています。

マイクロ法人に興味のある方は、こちらの本を是非読んでみてください。

社員ゼロ! 会社は「1人」で経営しなさい

ひらがな・カタカナの起源②

今日はひらがな・カタカナの起源の続きです。
前回の記事をまだ読まれていない方はこちら。
ひらがな・カタカナの起源

カタカナは主にお寺の僧によって漢字の一部を取る「省筆」で生まれたのに対し、ひらがなは女性が文学を読み書きするために漢字全体を崩すことによって生まれました。

ひらがなが生まれる前は「波流佐米」と書いて「はるさめ」と読むなど、漢字の意味を無視して単に音に合わせて漢字を当てていたため、こういった漢字の羅列が続くと、意味を取ることが困難でした。
こういったことから、先人たちは知恵を絞って「意味をなす漢字は大きくし、表音文字にあたるものは行を少し外して横に小さく書く」という記述が今昔物語に書かれているそうです。

そんな「紆余曲折」から生まれたのが、ひらがなでした。

なので、平たく言うと、ひらがな・カタカナは「発生源が男性と女性」ということになります。

また、仏教由来でもあり、当時の公的文書は漢字とカタカナ表記であったため、カタカナの方が権威があるとされていました。
また、漢字でモノを書いたり漢字の書物が読めたりすることは、中世ヨーロッパのラテン語と同じような位置づけであり、「知識人」としてエリート扱いされていたため、男性は特に漢字でモノを書くことをすすんでしていたそうです。
そういえば、藤原宗忠の中右記や、藤原定家の熊野御幸記などは漢字表記ですよね。

昨日の内容と重なりますが、漢字から省筆によって生まれたカタカナは、例えば「か」だけでも何種類もあったため、1900年に明治政府が「通用体」として、それ以外を「変体仮名」とし、「ひとつの音に対してひとつのカタカナ」と取り決めました。

「日本に文字はなかった」という謎

さて、ひらがな・カタカナがどのような経緯で生まれたのかはわかりましたが、それでも謎は残ります。
最近では三内丸山遺跡や吉野ヶ里遺跡などで高度な文明の跡が発見されています。
谷山先生のお話では、文字を持った言語を使用していた国が高度な文明をもったもと聞きました。
では、縄文・弥生時代の高度な文明を持った日本には、本当に文字はなかったのでしょうか?
文字なくしてどうやって巨大な神殿を造り得たのでしょうか?

本当に文字を持っていなかったのであれば、大和言葉である「読む」「書く」という言葉がなぜあるのか?
日本書紀には「一書に言う」という言葉が頻繁に出ていて、どこかの書物から引用されているのに、「文字はなかった」と言えるのか?
古事記が一応日本最古の書物ということになっていますが、古事記の編纂が712年、日本書紀は720年ですので、このたった8年の間に文字が一斉に日本に広がったり、あるいは一斉にあちこちで歴史書が書かれたとは考えにくいです。
「日本に文字はなかった」と考えるよりも、日本書紀の指す「一書」が発見されていないだけと考える方が理にかなっているように思えます。

歴史は常に勝者によって書き換えられます。
勝者にとって都合の悪い歴史はこの世から抹消されてしまいます。

「見えないから信じない」「見つかっていないからそれはなかった」という考え方は「電波は見えないから存在しない」「遺跡が見つからないから文明はなかった」という安直な考え方と同じだと思います。
現に遺跡は私が子供の頃と比べればどんどん見つかっており、歴史の教科書がそのたびに書き換えられていますよね。

詳しくはこちらをご参照ください。
日本に文字は存在していた?

「日本に文字はなかった」に反論する理由

私がここまで日本の古代文字について言及するには大きな理由があります。

「日本には文字がなかった」→「文明の進んだ中国から漢字を輸入し文字を発明した」→「なので日本は中国より遅れている国だ」→「中国は偉大だ」

という、日本を蔑んだ発想が起こり、いまだにその歴史観から抜け出せないために親中派の議員が政界にはびこる結果となってしまってはいないかということです。
日本にははるか昔から高度な文明があり、文字もあったということが解明されれば、日本人としての誇りを持つ人が増え、結果的に中国に寄りかかっていくような人がむしろ少数派になると思います。

ヲシテ文字の存在

現に、なぜか「なかったこと」になっているヲシテ文字の書物「ホツマツタエ」が見つかっていますし、神社でも今のひらがな・カタカナとは似ても似つかない文字で書かれた木簡なども見つかっています。
今回お話した、お寺でしか通じないカタカナがあったように、その地域でしか通じない文字が存在していたのではないかということは想像に難くありません。
神社はその地域の拠り所です。
その神職さんが文字を発明し、地元の庶民に広めた・・・なんてこともあったかもしれませんね。

いずれ「日本には高度な文明が存在し、文字も発見されている」と、歴史の教科書が書き換えられることを願って止みません。

ヲシテについては、こちらの記事をご参照ください。
ヲシテの「あいうえお」と空風火水地

古代史 ホツマツタエについてはこちらの記事をご参照ください。
ホツマツタエ~神話のルーツ~

ひらがな・カタカナの起源

カタカナの起源

昨日の谷山先生の講座で、少し横道にそれた?お話が面白かったのでご紹介をします。
もちろん、何の脈絡もないところからこういったお話が出たわけではありません。

「2ヶ月」と書いて「にかげつ」と読むことは日本人なら誰でも知っています。
本来であれば「2ヵ月」と表記するのが正しいのですが、ではなぜ「ヶ」を「か」と読むのでしょうか?

これは、どういう経緯でカタカナが生まれたのかを知ることによって解決します。

カタカナの場合、漢字からその音にあたる一部を抜き出す「省筆(しょうひつ)」から生まれたと言われています。

上記の「か」には漢字では「加」「箇」などがあり、「加」なら偏にあたる「カ」の部分、「箇」なら竹冠の「ヶ」を取ったというもの。

では、なぜこのようなことが起こったのかというと、仏教の伝来との関係が深いそうです。
仏教が日本に伝来した時、お経はすべて当然のことながら漢字で書かれていました。
若い見習いの僧がお経の読み方を学ぶ時、画数の多い漢字を覚えるのに時間がかかる上にお経のスピードについていくことが困難だったため、教える立場にある位の高い僧が漢字の一部を取って「この漢字はこう読む」と決めて教えたそうです。

そうなれば、同じ音でも違う漢字がたくさんあるため、それぞれの寺で独特のいわゆる「カタカナ」が生まれたそうで、たとえば東大寺でしか通じないカタカナなど、お寺単位でしか通じないカタカナが存在していたそうです。

時代は下って明治の世になると、1900年に政府がそれまでたくさんあったこのような「カタカナ」を統一するという政策が取られ、現在のカタカナに落ち着いたそうです。

先ほどの話に戻ると、「加」も「箇」も同じ「か」だったものが、「カ」が「通用体」として採用され、「ヶ」は「変体仮名」として葬られた?そうです。
しかし、その名残がいまだに残っているために、「ヶ」を「か」と読むこともあるのだそうです。
同じように、他の文字にもたくさんの「変体仮名」があったそうですが、すべて一つに統一されました。

では、なぜ明治時代になってからこのようなことが起こったかといういうと、断定はできないそうですが日露戦争が関係していたのではないかと言われているそうです。

当時はすでに「ロシアとの戦争やむなし」の機運が高まっていた時であったものの、通信技術などは当然発達しておらず、作戦などは伝令が文書で伝達する方法が取られていました。

そこで、その地方でしか使われていない文字で書けば、当然他の地方の人はその作戦が何を意味しているのか、理解することができません。
そういった混乱を避けるためではなかったろうかと言われているそうです。

いずれにせよ、漢字の省筆によって生まれた文字がカタカナというお話でした。

明日に続きます。


日本語と英語を比較する③

今回も「日本語と英語を比較する」です。
今回は音声面です。

発音する文字、しない文字

日本語には「五十音」があり、一文字ずつ発音するのに対し、英語などのヨーロッパの言語の多くでは、語の中で発音しない文字が存在します。

例えば、「hour」の「h」や、「high」「thought」の「gh」、「intervene」「wipe」「donate」の最後の「e」もそうですし、「foreign」は「e」と「g」、「friend」の「i」、「country」の「u」、「Wednesday」の「d」、「n」のあとの「e」は発音しません。

これが、一音ごとに発音する日本語話者を苦しめている原因のひとつなのだと思います。

これらの語の日本語の意味を、ローマ字に直すとこうなります。

「jikan」「takai」「omotta」「kainyuusuru」「fuku」「kifusuru」「gaikokuno」「tomodati」「kuni」「suiyoubi」

※「ti」は「chi」と書きますが、音声学的にわかりやすく「ti」にしています。

ローマ字に直すとよくわかるように、発音しない文字は存在しません。

この、発音しない文字があるという発想が日本語話者には理解に苦しむところのようで、多くの学習者(特に中学から英語を学び始めた学生)は、一語一語きっちりと発音するクセがなかなか抜けないようです。

I was so tied that I couldn’t meet you yesterday.

ネイティブのように発音するとして、あえてカタカナに直すとこうなります。

アワズ ソー タイアッ(ド) ダライ クドゥン ミーチュー イエスタデイ。

これを、一語ずつ発音すると

アイ ワズ ソー タイアッド ザット アイ クドゥント ミート ユー イエスタデイ。

一音ずつ発音する習慣がある日本人の多くは、このように一音ずつの発音に引きずられて一語ずつでさえもこのように発音してしまいます。
文字に起こすと分かるように、一語ずつ発音すると非常に長くなりますし、英語らしい発音は姿を消してしまいます。

上記の例文の場合、以下のようにある特定の語尾を省略することでかなり英語らしく聞こえるようになります。

ア(イ) ワズ ソー タイアッ(ド) ザ(ット) アイ クドゥン(ト) ミー(ト) ユー イエスタデイ。

リンキング(リエゾン)

上記の例文中、「ザ(ット) アイ」と「ミート ユー」→「ミーチュー」はリンキングと言われる現象で、2語をひとかたまりとして発音する方法です。

英語にはこのリンキングが多数発生します。

リンキングには法則性がありますので、それを理解した上でよく出るリンキングについては覚えてしまうほうが早いです。

日本語にも「天皇」=「ten」「ou」を「tennou」としたり、「観音」=「kan」「on」を「kannon」としたりするのでリンキングは発生していますが、これらは元を正せば漢語由来であり、大和言葉にはないように思います。

リダクション

上記例文でクドゥン(ト)はリダクションです。
一応脱落するとは言っても、軽くポーズを置きますので、完全に脱落するわけではありませんが、音としては消滅しています。

日本語でも「手術」などはアナウンサーで無い限り、日常会話で「shujutsu」と発音することは少なく、「shuutsu」と発音することがほとんどです。

これは、「連続する子音は発音しにくい」からです。
日本語にもリダクションが無いわけではありませんが、やはり漢語由来の語に限られるようです。

ちまたにあふれる英語塾では、この発音方法をあまり力を入れて教えていないように思います。
文法も大切ですが、こちらがおざなりになると、「わたしの英語が通用しない」「ネイティブの言っていることが聞き取れない」という現象が起こります。

学校の教師でもネイティブの言っていることが聞き取れない人がたくさんいるようです。
これは由々しき問題ですね。

日本語と英語を比較する②

今回は前回に続き、「日本語と英語を比較する」についてお話します。

完了形

日本人が苦手としている文型に、完了形があります。

現在、過去、未来に完了形があり、どれも日本語にはない概念なので、理解するまで時間を要します。

また、完了形には完了と経験があり、さらに学習者を悩ませます。

外国人のお客様からの質問でよく耳にするのが

How long have you been a guide?

と、これも完了形を使って聞いてくることがほとんどです。

答えとしては、別に「Five years」でもいいのですが、それでは味がありませんので、

I will have been a guide for 6 years in November this year.

などと、未来完了を使って答えるようにしています。

SOVとSVO

日本語の語順はSOVで文末に動詞を持ってくる「文末決定型」、英語はSVOで、主語の次に動詞、目的語が来る形を取りますね。
文末決定型は別に珍しい現象ではなく、約45%が文末決定型という調査結果もあるくらいです。

お客様とよく日本語の特徴についてお話をしますが、「文末決定型」だということをお話すると、英語圏のお客様は「ドイツ語みたいだ」という答えが返ってきます。

しかし、ドイツ語は100%文末決定ではなく、

Ich bin ein mann.

となり、英語の語順でいうところの

I am a man.

であり、ドイツ語でのBe動詞にあたる「ein」は主語の後に来ますので、日本語のような形ではありません。
ただし、これが完了形になると英語にあたる「have」と過去分詞にあたる語が分離をし、haveと過去分詞の間に目的語を挟んで過去分詞が文末に来るそうです。

Ich habe ihn getroffen. (わたしは彼に会いました)

「habe」が「have」、「getroffen」が過去分詞です。

これがおそらく、多くのお客様が「ドイツ語みたいだ」という所以なのでしょうね。

ちなみに、ドイツ語では数字の数え方に特徴があり、

「五十三」なら「3と50」、「百二十三」なら「100、3と20」という言い方をするそうです。

「難しい数え方をしますね」というと、「フランス語の方がもっと複雑だ」とおっしゃるお客様もいました。

オノマトペ

日本語はオノマトペ(擬音語、擬声語、擬態語)が、英語はおろか、他の言語より圧倒的に多いということで、外国人の日本語学習者を悩ませているようです。

オノマトペは日本人の感性でないと理解ができないので、なぜそんな音になるのか理解に苦しむようです。

「川がサラサラ流れる」なんて、まず理解できないですし、「しーん」と、静寂を表すのになぜ音で表すのか、など、日本人でも理由がよく分からない語が多いようです。

また、同じ「ゴロゴロ」でも「ゴロゴロしていないでさっさと用事を済ませなさい」とか「お腹がゴロゴロする」とか「巨大な岩がゴロゴロ転がってきた」とか「そんなやつ、ここにはゴロゴロいるよ」など、文脈によってまったく違う意味になる語もあるので、かなり厄介ですね。

日本語と英語を比較する

今回は「日本語と英語を比較する」についてお話をします。

接続詞

もし明日晴れたら、海に行くぞ。

英訳は

I will go to the sea if it is sunny tomorrow.

ですよね。

しかし、

If it is sunny tomorrow, I will go to the sea.

でも使えます。

かたや日本語はどうでしょう?

海に行くぞ、もし明日晴れたら。

とは絶対に言いませんよね。

普通、英語は語順が狂えば意味をなさなくなり、日本語は語順が多少入れ替わっても意味が通るという認識です。

◯ 明日もし晴れたら、海に行くぞ。

✕ If tomorrow it is sunny, I will go to the sea.

とはなりません。

通常、日本語は語順の定義に揺れがあり、ある程度語順に変化があっても意味が通ることが多いですが、主節と従属節の関係は、従属節→主節の順番という決まりがあり、これが逆転すると意味をなさなくなります。

一方、英語では、 If 、when、as、after などの接続詞は、主節と従属節が入れ替わっても問題なく意味が通ります。

◯ When he got to the station, the train has already left.
◯ The train has already left when he got to the station.

◯ 彼が駅に到着した時、電車はすでに出発していた。
✕ 電車はすでに出発していた、彼が駅に到着した時。

◯ It began to rain after he washed his car.
◯ After he washed his car, it began to rain.

◯ 彼が車を洗ったあと、雨が降り始めた。
✕ 雨が降り始めた、彼が車を洗ったあと。

結構文法がゆるい日本語ですが、変な所?でカッチリとしているところが面白いです。

単純未来の Will

次に単純未来の Will です。

私は来月17歳になります。

英語では

◯ I will be seventeen years old next month.

です。

しかし、大抵の英語話者が日本語に訳すと、

私は来月17歳になるでしょう。

としてしまうそうです。

ここで英語話者の「母語の干渉」が頭をもたげてきます。
この場合、万一のことがない限り来月17歳になることが確実(自然の成り行きでそうなる)なので、日本語では「~になるでしょう」という言い方はしません。

天気予報では、「~でしょう」と未来形で言います。
しかし、日常会話の中で、「明日確実に雨が降る」と言いたい時はどう言うでしょうか?












明日雨が降るよ。(それでも行くの?)

と、現在形で話しますよね。

明日雨が降るでしょう。

とはなりません。

日本語では、確実に事が起こることを前提に話す場合には「でしょう」という言い方をしませんが、英語では will をつけて話すという違いに戸惑う英語話者が多いそうです。

ご参考にされてください。


勾玉の意味とは?

勾玉。このブログを読んでくださっているあなたなら、おそらくどんなものかご存知だと思います。
しかし、姿かたちは知っていても、それがどんな意味を表すのかというところまでご存知ない方も多いのではないでしょうか?

今日はそんな勾玉についてお話をします。

勾玉とはトの教え

ホツマツタヱを読むと、勾玉はトの教えを形にしたものだという事がわかります。
では、その「トの教え」とは何でしょうか?

トの教えとは、初代アマカミ・クニトコタチが8人の子に授けた、この国を豊にしていくための理念です。

クニトコタチは次のようなお言葉を子らに伝えます。

これからは、あなた達の時代です。

あなた達の力でこの国を素晴らしい国にして欲しい。

まず先に行うことは民を豊かにすることです。 民の安定した生活こそが、この国の平和と安全をもたらすのです。

自分の身を惜しんではなりません。

私が教えた、木の実の栽培方法と、住居の建て方は、必ず役に立ちます。

この教えを持ってそれぞれが、創意工夫してこの国の発展に尽くしてもらいたい。

「まず国民ありき」

まさに今の天皇家にまで脈々と受け継がれている理念ですね。

さらに、ヲシテ文字の「ト」を見ると、「Y」といういう字を「□」で囲っています。
「Y」の二股に分かれている上部は「見える世界と見えない世界」を表し、「□」はハニ(土のように固まる)を表します。

なので、「見える世界と見えない世界がひとつになり固まる」という意味を表します。

私達の住む世界には、目に見える物はもちろん、風、空気、電波、心などのように目に見えないものがあります。
古代の人々は、その目に見えない世界も大切にしており、見える世界とともに重要視していたそうです。

これらの世界を2つに分けると、目に見える世界を「ヲ(陽)」とすれば、目に見えない世界は「メ(陰)」となります。

勾玉は実は「円形」?

さて、「陰陽」といえばこの図を思い浮かべる方が多いと思います。

元来、これは中国の思想ではなく、日本にあった「ヲとメ」の思想が中国に渡り「陰陽」として解釈されたというのが本当のところだそうです。

この形、片側だけ見るとよく分かると思いますが、まさに勾玉です。
なので、勾玉は本来、このような形をしており、片方は目に見えない世界を表しているので、形式上片方が見えていない・・・これが勾玉だということです。

いかがでしたか?

このお話を信じる信じないはさておき、ひとつひとつの意味が分かると、まさに「目からウロコ」ですよね。

お客様から質問を受けた際や、三種の神器の説明をする時などに役立ててください。