菅原道真と遣唐使廃止

以前にもこの内容の記事を書きましたが、今回は小名木善行さんのお話を元に、改めて菅原道真と遣唐使廃止についてご紹介したいと思います。

以前の記事については、こちらをご参照ください。

唐との関係

遣唐使廃止の経緯

菅原道真公は、当時全盛だった藤原氏の中で一生懸命勉強をして頑張り、天皇の信頼を得て出世をしました。

当時の藤原氏は、唐との交易で大変な財をなしていました。
いわゆる「チャイナ利権」です。

今に例えると、チャイナに工場をつくったり、日本の工場にチャイニーズをたくさん雇って人件費を浮かせたりして、その差額で大儲けをする、つまり、日本の大手スーパーでありとあらゆるものを大量に売って大儲けする、といった感じです。

当時の藤原氏の政権というのは、今に例えると、民主党政権時代に当時の大企業の兄が総理大臣だったということです。
その結果どういうことが日本で起こったか?

まず、約束というものが守られなくなります。

地位と権力があれば、裁判だろうが何だろうが自在に操ることができるようになります。

残酷極まりない事件が次から次へと起こるようになりました。
しかも犯人は一切逮捕されません。

そのような情勢の中、菅原道真は「唐の国と付き合う必要はない」と、遣唐使の廃止を決定します。

これは民衆にとって何が大切だったかがお分かりになっていたからです。

今で例えると、

チャイナで安く物を作って日本で売りまくる

→日本国内の産業を奪う

→日本国内の雇用も奪う

→一部の企業のトップの人たちだけが莫大に儲かる

という流れになり、人々はますます苦しい生活を強いられるようになります。

ある地方都市では、大企業の工場がチャイナに引っ越しをしました。

その工場が跡地になりました。

その跡地に、某大手スーパーが大型スーパーを出店しました。

地元では雇用が生まれたと大喜びしました。

しかし、工場があった方が雇用はありました。

しかもその工場はその都市に登記していたために、税金は地元に納められていました。

ところが、大手スーパーは地元に登記をしていなかったので、その都市の税収は落ち込んだままでした。

さらに、大型スーパーの出店が元で、地元の商店街がバタバタと潰れてシャッター通りになってしまいました。

はたして、この流れがいい流れと言えるでしょうか。

ということで、菅原道真は藤原氏が牛耳っていた唐との交易による収入システムを廃止するために遣唐使を取りやめにし、藤原氏の「一人勝ち状態」をやめさせたのでした。

こうなると、面白くないのは藤原氏です。

これがきっかけで左遷させられてしまいます。

渡航失敗の最大の理由

渡航者が命を落とすことが多かったからやめた、ということが学校で教えられていますが、これは、「航海上の危険」の意味を取り違えています。

当時の遣唐使の成功率は25%でした。

4艘の船のうち、行きで半分が無くなり、帰りの2艘のうち1艘が無くなる・・・結果、4艘出て帰って来られる船は1艘だけ、というものでした。

遣唐使の船には、日本国内の優秀な若者-男性だけではなく、唐の国で舞や仏教を学びたいという女性も多く乗っていました。

その命が4分の3も失われていたのです。

そもそも、それだけリスクが高い航海であれば、なぜ朝鮮半島から陸路を通って行かなかったのか?という疑問が湧いてきます。

遣唐使には、嵐のない時期をわざわざ選んで行っていたにも関わらずです。

これは、海を渡るよりも、朝鮮半島を歩いて行った方が、よりリスクが高かったことを示唆しています。

朝鮮半島の海賊に襲われていたからです。

朝鮮半島の海賊たちが船を襲った時、そこに乗っていた女性はどうなったか、もう想像がつくでしょう。

これは、終戦直後に日本の女性たちが朝鮮半島でどのようなことをされたのかということと同じことです。

1000年前も1000年後も一つも変わっていません。

実際、海賊に襲われて宮古島まで流れ着いて助かったという記録も残っています。

よって、船が沈んだのは嵐ではないのです。

襲われたのです。

そこまでのリスクを犯して命からがら唐から無事に品物を持って帰って来られれば、その品はかなりの高値がつきます。

よって儲かります。

しかし、多くの若者の命や安全を危険にさらしてまでもしなければならないことなのか、ということなのです。

この時、すでに唐は争いばかり起こっていて学ぶべきものは一つもありませんでした。

現にその後すぐに(道真公の建議から13年後)唐は滅亡してしまいます。

その後菅原道真は左遷させられて亡くなります。

そしてタイミング良く?京都で疫病が流行し、藤原氏がバタバタ死んでいきました。

それを見た民衆はどう思ったか?
「これまで一生懸命勉強をして出世して民衆のために働き、危険な唐への派遣も取りやめてくれた、その道真公の祟りだ、それ見たことか」となり、その御霊を鎮めるためにつくられたのが天満宮だということはみなさんも周知の通りです。

菅原道真公は常に民衆に寄り添うために尽力し、巨大な利権に立ち向かったすばらしいお方です。

保身のために言いたいことが言えない今の政治家には、道真公の姿を見習ってもらいたいものです。

新型コロナについて、最近の思い

またもや「BA.2」なる変異株が出たとマスコミが騒いでいますが、新型コロナの騒動で最近思ったことを述べます。

相変わらずのマスコミ

相変わらずマスコミの「新型コロナ煽り報道」が続いています。
テレビ・新聞・ラジオしか情報源のな人はそれを信じてしまうでしょうが、ネットでは結構冷ややかな反応です。

日本国民も馬鹿ではありません。
すでにこの「茶番」に気づき始めている人が多くいます。

マスコミの影響力はいまだかなり強いことは否定できません。
残念ながら多くの政治家も保身のためマスコミの報道に左右されるという何とも情けない状態になっています。
しかし、ネットがなかった時代と比較して、人々が様々な情報を取ることができるようになり、「マスコミ=正しい情報源」という考え方が崩れつつありことは確かです。

今のマスコミは、恐怖を煽る一方で、ネットや本で流れている情報の「火消し」に躍起になっています。
「デマ太郎」に始まる政治家も然りです。

3回目のワクチン接種率は約2%

現在の日本のワクチン3回目の接種率は約2%。
岸田首相は焦りをあらわにしたとか。
そして何を血迷ったか、岸田首相が「ワクチンを打ちましょう」と呼びかける動画まで作成する始末。
ワクチンが任意接種であり、しかも治験段階で効果の程に疑いがあり、副反応リスクも高い中、このような動画を流すのはなぜでしょうか?

Follow the money

これは私見ですが、大量に購入してしまったワクチンの在庫を吐かせるためなのではないか?と勘ぐってしまいます。
さらには製薬会社と何かしらの契約があるのかもしれません。

「Follow the money」という言葉があるように、物事の裏にはお金の流れが必ずあります。
明治維新は坂本龍馬が英雄視されていますが、そもそも貧乏な「一若造」が、なぜあれだけの軍備ができたのか?

教科書ではそこまでもちろん書かれていません。

3回目の接種率上昇はこれから?

ブースター接種をした国では、感染爆発が起こっています。
ワクチン接種による自然免疫の低下によるものだと考えられています。
自然免疫が低下することにより、新型コロナだけではなく、今後は癌やエイズなどもまん延する可能性も示唆されています。

日本の3回目の接種率は、現時点で他国に比べて非常に低いですが、私の住む白浜では、ようやく接種のお知らせが高齢者に届いた段階なので、今後は接種率が上がってくるのではないかと考えています。

日本は良くも悪くも、国民が一丸となって行動をすることが得意です。
一度「3回目打った」などという話が世間に広がり、マスコミが仮に「接種が進んでいる」などと報道をすれば、1回目2回目のように「右にならえ」で一気に接種率が上がる可能性もあります。

もはやふつうの風邪に成り下がった病に対して、ワクチンを打つ必要があるのか?
これまで風邪に対するワクチンが開発されなかったのはなぜなのか?
あれだけワクチン接種者の感染と死亡が多いにもかかわらず、なぜ3回目を打とうつするのか?

風邪でも重症化する人は重症化します。
お年寄りなどは風邪が原因で亡くなる方もいます。
決して楽観視するつもりはありませんが、あまりにも騒ぎすぎではないでしょうか?

このまま接種率が上がらないことを祈るばかりです。

本当に感染爆発?

厚労省のHPからの引用です。

第5波、第6波の時期の検査数が飛び抜けて高いこと、また、落ち着いていた秋には検査数が少ないことが分かります。
特に第6波のグラフの山は異常とも言える高さであることから、PCR検査をすればするほど陽性者が増えることを表しているのではないでしょうか。
これを秋にやっていれば、おそらく同じように「感染爆発」が起こっていたと思います。

無駄に陽性者を出し続ける無料PCR検査は即刻やめ、インフルエンザと同じように、症状が出た人だけに抗原検査をする方法に切り替えなければならないでしょう。
おそらく政府も分かっているはずです。
しかし、それがなかなかできないのは、「保身」と「利権」の影が頭をちらつかせているからではないでしょうか?


今日は現場研修(発心門王子~本宮大社)でした

今日は現場研修第3弾ということで、発心門王子~本宮大社をみなさんと歩いてきました。
新型コロナの影響かどうかは分かりませんが、例年だと30~40人の参加がありましたが、今年は17人と、例年の半分程度の人数でしたが、逆にお伝えする情報にも偏りなくまんべんに伝わったのでははないかと思っています。

前回も書きましたが、今回は物見遊山的な参加者が見当たらず、結構真剣に取り組まれている印象があり、こちらとしてもやりがいがあります。
ただ、もう少し積極的に出てきてもらってもいいかなとは思いますが。

この研修で毎回思うことは、結局は一番自分が知識を蓄えているということです。
毎年自分の持っている知識の整理ができており、それをアウトプットすることによって定着しているからです。

まあ、1年たてばまた忘れているんですがね(笑)

残すところあと新宮と那智の2回となりました。

残りの研修も十分に気合を入れて臨みたいと思います。

和歌山、まん延防止措置要請へ

紀伊民報の記事から。

和歌山県の仁坂吉伸知事は、まん延防止措等重点措置の適用を国に要請する方針を明らかにしました。
これで、県全域の飲食店に営業時間の短縮を求めることになります。

想像もしない数字

県福祉保健課の野尻技監は「想像もしないような数字になってきている。連鎖が止まらない状況。まだ広がる可能性がある」と危機感を募らせた・・・とあり、次にクラスターの施設と人数をいつものように挙げています。

残ったカードを切る

仁坂知事は「不要不急の外出自粛要請」のカードも切ってしまっている。
残されたカードは「まん延防止等重点措置」しかない、とした。

「対応が後手後手に回ったのではないか」という記者の質問に仁坂知事は「甘んじて批判に耐えたい。飲食店の会食が大きな感染源であれば迅速に抑えにいくが、いまはどこでどう感染するか分からない状態。一切外出禁止とすることもできず、状況を見ていた」と釈明した。

感染増の原因

今回の「感染爆発」の原因は間違いなく、PCR検査の検査数が増えたからです。
国や自治体がこぞって無料のPCR検査を始めたからに他なりません。
CT値が高い日本のPCR検査では、検出されたウイルス自体が活動しているものなのかどうかも分かりません。
「無料」といって3日に1回検査に来ているおばちゃんがいるとTwitterで読みました。
無料とはいってもそのお金は税金で賄われているだけであり、1回につき19,500円かかる費用を国が負担しているだけです。
この「感染爆発」を止めるにはまず、PCR検査をやめて抗原検査に変えることです。

感染は人間には止められない

感染力が強まったウイルスに対しての防御は、人流抑制でも、飲食店の営業時間短縮でも、酒類の提供の停止でも、マスクを着けることでもありません。
だれもこの波を止めることはできません。

手洗い、うがいなどにくわえ、自己免疫力を維持するために、十分睡眠を取る、軽い運動をする、人と会って話をする、太陽にあたるなどをし、軽度にウイルスに曝露をしながら免疫を得るしかありません。

まん延防止措置を適用したところで、感染を抑え込めるはずがありません。
奈良の荒井知事のように英断をくだされた自治体もある中、仁坂知事が今回このような判断を下したのは残念でなりません。

これでまた、経営難を苦に自らの命を断つ人が出ないことを祈ります。
和歌山県の重症者(死亡者ではありません)は11人です。
もちろん、風邪であっても命を落とす人もいますので油断はできないですし、軽く見るつもりはありませんが、こんな病のために営業短縮を余儀なくされ、もしかすれば命を断つ人がいるということを知事はご存知ないのでしょうか。

自分が知事ならば

この記事を読んで「自分が知事であったなら、どう判断するだろうか」と考えました。
もしかすると、世間やマスコミの批判を恐れて仁坂知事と同じ判断をくだしていたかもしれません。

ただ、 「飲食店の会食が大きな感染源であれば迅速に抑えにいくが、いまはどこでどう感染するか分からない状態」といっていることから、まん延防止措置は効果がはっきりしていないということには気づいていたはずです。
それを荒井知事のように判断出来なかったことはやはり「保身」という言葉が脳裏をかすめたのかもしれません。

大阪・泉大津市長の南出賢一さんは「今期で終わるかもしれないが、わたしができることをやる」と、保身を微塵も感じさせない発言をされているのを聞いて、感銘を受けたことが記憶に新しいです。

こうした気概をもって発言されれば、多くの県民の賛同を得られたのではないかと思うのは私だけでしょうか。

ロバと老夫婦の話

以前、トヨタの豊田章男社長が「どんなにやっても批判を受ける」として、ロバと老夫婦の話を引き合いに出していました。

ロバを連れた老夫婦を見て、ある人は「ロバがいるのに乗らないのか?」と聞きます。
ご主人がロバに乗り、奥様が歩いていると「威張った旦那だ」と言われます。
奥様がロバに乗ってご主人が歩いていると「あの旦那は奥さんに頭が上がらない」と言われます。
夫婦そろってロバに乗っていると「ロバがかわいそうだ」と言う。

結局、何をやっても批判をしてくる人間がいるということです。
今回の記者の馬鹿な質問も然りです。
どのようにしても批判を受けるのであれば、堂々と開き直ってご自身の主張を貫いてもらってもいいのでは、と思いました。

神社の役割

阿須賀神社

今回は神社の役割についてです。
現在の神社は、単にお参りに行くだけのものになっていますが、昔は様々な重要な役割があったことをご存知ですか?

米の管理場

昔は、出来上がった米はすべて神社に奉納していました。

米を預かった神社は、一定の時期がくれば籾米(もみまい)を育てて苗を作って農家に配り、農家はそれで再び稲を植える、そしてその稲を再び収穫して神社に奉納するというサイクルがありました。

米は長期保存ができるため、その年に奉納した米は蓄えられ、古古米(3年経った米)が人々に配らていました。

税としての米

お米の管理はそれだけにとどまりません。
農家から奉納された米の2~3割、全体としては概ね半分を県単位の神社、または国司に税として納めます。

「納税」を受けた国司は、その3割を地元のために取っておき、残りの2割を中央(朝廷)に送ります。

全国で収穫されて集まったその2割の米を中央が管理し、災害などが起こって米が穫れなくなった地域があればその地域へ分配するという仕組みを取っていました。

地域によっては、自分たちが治めた何倍のも量の米を返してもらうことができました。

日本における年貢制度は、災害保険としての意味合いがあったのです。

人々が集う場所

田植えをする時に水を引く順番を決める時など、村で会議をする時などはすべて神社で行っていました。
今であれば公民館とか農協などで話し合いがされると思いますが、昔は神社がその場所でした。
話し合いの場が神社から公民館になったのは、戦後にGHQが取った政策の一つです。

そして収穫があると神社で祭りをします。
これはいまだに残っています。

神社のネットワーク

中央で元号や暦が変わると、神社のネットワークを使って全国津々浦々にその情報が浸透していきました。

中央(朝廷)の命令は天社(あまつやしろ)に下され、次に国社(くにつやしろ・都道府県単位の神社)に伝えられ、神地(かむどころ・市町村単位の神社)に伝えられ、市町村単位の神社は神戸(かむべ・町内ごとの氏神様)へと伝えられる仕組みがありました。

その速度は日本全国津々浦々、3日もあれば中央からの意向が全部に伝わったそうです。

新しい制度によって、全国ではどのようになっているのか、いい方向に行っているのか、またはその逆なのかを、今度はその情報を神戸(かむべ)から上に上げていきました。

神社のネットワークを使って我が国の統治が行われていたと同時に、人々と密接な関係があり、生活に密着していたことが伺えます。

神社のネットワークについては、こちらの記事もご参照ください。
歴史に学ぶ重要性(一国であり続けることの意味)

卑弥呼は存在したのか?

卑弥呼-「魏志倭人伝」に登場するこの「女王」、その存在が当たり前かのように捉えている方が圧倒的に多いと思います。
社会の歴史の教科書にも登場しますし、「邪馬台国はどこだ?」という論争もあり、「はじめから存在ありき」として語られています。

しかし、その存在を「あったもの」とする前に、「なかったのではないか?」また、「別の人物ではないか?」と考えると、辻褄の合う部分が出てきます。

今回は卑弥呼の存在が「なかった」「別人ではないか」ということについて考えたいと思います。

そもそも、魏志倭人伝とは?

魏志倭人伝はチャイナの三国志の中の一部で、晋の陳寿によって書かれたものです。
しかし、陳寿が実際に日本に行って見聞きしてきたものを書いたものではなく、日本に行ったことがあるという人から聞いた話を元に書かれているため、信ぴょう性はかなり怪しいものがあります。

その「日本に行ったことがある」という人物も、実際に日本に行ったのかどうかも疑わしいです。

仮に行っていたとしても、又聞きの話が本来の内容と異なることは、伝言ゲームのようなもので信頼のおけるものではありません。

邪馬台国はどこだ?

チャイナの歴史書・魏志倭人伝の中に登場する邪馬台国。
その邪馬台国はどこにあったのかが、魏志倭人伝には詳しく書かれています。
しかし、それを忠実にたどってみると、日本から大きく外れ、とんでもない海洋上に出てしまいます。

そして、日本で遺跡や遺物が発見されればこれは邪馬台国に関係するものだ、だから邪馬台国は九州にあった、いや、畿内だ、という論争が起こってしまいます。

だいたい、「畿内」ってかなり漠然としています。
仮にその畿内に国があったとしても、その都にあたる場所さえも曖昧です。
都があるならそれを証明できうるだけの大規模な遺跡が発見されるはずですが、決定打となるものはいまだ発見されていません。

素人考えですが、単純に「邪馬台国」を大和言葉に直せば「やまとのくに」であり、「くに」をチャイナ読みに変換して「コク」とすれば「やまとこく」となります。

限りなく「邪馬台国」の発音に近くなります。

私は、邪馬台国は大和の国であり、日本全体を指すと思います。
なので、「九州にあった」とか「畿内にあった」とい論争は不毛で意味がないと思っています。
「九州にもあったし、畿内にもあった」ということになります。

卑弥呼に関する遺跡もなし

さて、本題の卑弥呼ですが、これまた邪馬台国の遺跡と同様、それを証明するものは日本では発見されていません。

普通、歴史上にすばらしい功績を残した人物は、それを証明するかのように、彼らを祀る神社が存在します。

菅原道真、徳川家康、豊臣秀吉、楠木正成、近代でも、明治天皇、乃木希典、東郷平八郎など、枚挙にいとまがありません。

また、古墳や石碑なども多数あります。

神話に登場する神々も神社にたくさん祀られていますが、ホツマツタヱではこの「神々」は人間として描かれていますので、歴史上に功績を残された人物とも言えます。

かたや卑弥呼はどうでしょうか?

歴史上に名を残すほどの功績があったのなら、日本のどこかにそういったものの一つくらいあってもおかしくないはずですが、いまだ一つも発見されていないばかりか、神社はおろか石碑すらありません。

「卑弥呼」を発音から考える

さて、先ほどの「邪馬台国→大和国」ように、「卑弥呼」の発音から、単純にどのようなことが考えられるかを考察します。

結論からいうと、「卑弥呼」は「日の御子(ひのみこ)」つまり、天照大神のことであると思っています。

もちろん時系列は合っていません。

しかし、「大和の国は天皇の先祖である日の御子・天照大神の偉大なご加護の元にある」と解釈することもできます。

また、「日の巫女」と解釈する人もいるようですが、そもそも天照大神は男性ですのでこれは当てはまらないと思います。

なぜ外国の書物で歴史を検証するのか?

一番古い書物だからといって、それが正しいとは限りません。
熊野では、「熊野権現垂迹縁起」をよく用いて話をしますが、それも正しいのかどうかは誰にも分かりません。
ただ熊野の神について書かれた一番古い書物というだけです。

チャイナは王朝が頻繁に変わっているため、次々に新興王朝に都合のいい歴史に塗り替えられていきました。
特に、「中華思想」は変わりなく、チャイナ周辺の国を卑下する思想はどの王朝であっても同じだと思います。
日本のことを書いていても、おそらくはかなりの偏見があったものと思われます。

そんな信ぴょう性に欠く書物の研究をするより、なぜ帝紀や旧辞を探したり、ホツマツタヱなどで検証したりしないのでしょうか?

日本は国常立命が「常世国」を建国されて以来、一環して一つの国であったわけで、歴史が都合よく塗り替えられた可能性も、一部を除いて極めて低いと思います。

そういった書物の研究なしに、「邪馬台国は九州だ」とか、「卑弥呼とはどんな人物なのか」とか、挙句の果てに教科書にまで載る始末。
そして、「神武天皇は存在しない」と言い張る。
外国の書物が書いていることは正しくて、記紀などに記されていることは信用しない。
ホツマツタヱも偽書だという。

ここは一体どこの国だと言いたくなります。

古事記や日本書紀が編纂された時代にも、魏志倭人伝の存在は当時の人々は知っていたはず。
日本書紀の一部に少し登場するくらいでほぼ無視しているということは、魏志倭人伝は当時から歴史を語れるレベルではなかったことは明白でしょう。
昔の人はあまりにも嘘偽りが多いということを知っていたのでしょう。

ということで、結論としては、「邪馬台国の卑弥呼」は「大和の国の日の巫女=天照大神」ではないかということです。
まあ、これは私の意見なのでそれこそ信ぴょう性は定かではありませんが、一応筋は通っているのではないでょうか?

それよりも、もっと日本の書物の捜索と研究をすべきではないでしょうか。

地産地消の大切さ

今回は地産地消の大切さについてです。
流通システムが進化し、現在では海外の珍しいものや、本来では現地でしか食べることが出来なかったものまで口にすることができるようになりました。
それはそれでありがたいことですが、何でもほどほどにしておく必要があります。

◯人種の違い

黄色人種、白色人種、黒色人種・・・その他には赤と青の人種があるそうですが、肌や体つき、髪などがまったく違います。
白人は寒い地方で日照時間が短く、日光にさらされることが少ないために、肌や髪や目の色素が薄く、逆に暑い地域に住む黒人は色素が濃い上に、縮れている髪が「暑さ対策」になっています。
その土地その土地で、気候や風土に合うように体ができています。

◯土地に合った食べ物

このことは食べ物でも同じです。本来、その土地で育ったものは、その土地で暮らす人が、その土地の気候風土に合わせて暮らせるように、さらにその土地に合った人の気質を育むことができるように出来ています。

具体的には、暑い地方で育ったものは、体を冷やす効果があります。
反対に、寒い地方で育ったものは、体を温める作用があります。

同じ「糖」でも違います。

北海道にはテンサイダイコンから取れる甜菜糖(てんさいとう)がありますが、これは体を温め、逆に沖縄のサトウキビから取れる砂糖は体を冷やします。

熱帯で採れるバナナは体を冷やす作用があります。「糖質を手っ取り早く取る」という意味でバナナは良い働きをしますが、食べすぎは体を冷やすばかりか、過剰な糖が含まれているため、摂りすぎは禁物です。
バナナは1本で一日に必要な糖質を補うだけの糖が含まれています。
残留農薬も気になります。また、バナナを安価で食べられているのは、フィリピンで安価で働かされている労働者のおかげであるこも忘れてはなりません。

◯塩の効能

以前にもお伝えした塩についてですが、塩は体を温める作用があります。
「塩」と言っても、日本で採れる海水を、天日で干したものが一番日本人に合っています。
岩塩は大陸の人向けで、日本人が必要とするマグネシウムなどのミネラルが天日塩に比べて少ないです。
日本でも、北国の人が漬物など塩の多い食品を食べるのも、それらが保存食であると同時に、塩が体を温めてくれるからです。
ただ、何度も言うように、精製された塩は麻薬の製法と同じで毒なので、青いキャップや赤いキャップの塩があれば今すぐ捨てましょう(笑)
海水から出来た天日塩は減塩の必要もありません。
http://zibasun.com/shop/item_detail?category_id=0&item_id=109974

◯米の大切さ

日本人は縄文時代からずっと(最近の研究では紀元前1000年ごろから水田耕作が始まっていたということが分かっています)米を食べてきました。

米は「個人プレー」でできるものではなく、集落の人々で共同で作業しなければできません。それが日本人の感性を育み、日本人らしい考え方を育んできました。

また、米のみならず、その土地で育ったものをいただくことは、その土地のエネルギーをいただくことになります。
地元の物を食べることで、そこに住んでいる人が、その気候風土に合うように暮らせ、そしてそこに住んでいる人の考え方ができるようになります。

海外は海外で、その土地に合った違う食べ物があり、それを食べることによってそこで暮らせるように体ができ、日本人とは違った考え方ができるようになります。

違う肌の色、違う体格、違う考え。

日本人では考えられないような発想をする外国人に、これまでたくさんお会いしてきました。違った考え方の人がいるから、世界はより発展していきます。多様性とはこのようなことを指すと思います。

遠く離れた国の小麦で出来たパンやお菓子を食べ過ぎれば、日本人としての感性は磨かれないと思います。特に菓子パンは毒でしかありません。

だいたい、外国産の小麦は農薬だらけです。

話は少しそれますが、日本の小麦農業をしている人がアメリカの小麦農家に視察に行った時のお話です。

アメリカの小麦農家は、収穫するために「小麦に」除草剤をかけて、小麦を枯らして収穫しています。普通なら、周りに生えている「雑草に」除草剤をかけて収穫するはずです。
収穫後は、さらに輸出用に防カビ剤を振りまいてから日本に出荷するそうです。

そのことについて「ジャップが食べるものだから構いやしない」という無責任なアメリカ農家の発言を、複数の日本人農家が聞いたそうです。
全部を地産地消にすることは難しいですが、食の安全も考えて少しでも取り入れる努力をされてはいかがでしょうか。

あ、ちなみにキムチはもともと唐辛子を使ってはいませんでした。キムチのお話についてはまたの機会に。

遣日使

今回は、東北大学名誉教授、日本国史学会代表の田中英道さんの著書
日本の歴史 本当は何がすごいのか
の中でコラムとして取り上げられている遣日使についてのお話です。

奈良東大寺大仏殿南西にある正倉院は、聖武天皇と光明皇后の御物を納める、文化財の宝庫です。
その御物には、大陸から渡ってきた品々が数多く含まれています。
そこから正倉院は「シルクロードの東の終点」と呼ばれたりします。

それは事実なのですが、逆に日本から大陸に渡ったものはないのか、みなさんは考えたことがあるでしょうか?

遣隋使と遣唐使

日本の文化は遅れているから、中国や朝鮮から学び発展したという観念が特に戦後に浸透しました。

その代表例が遣隋使と遣唐使です。

遣隋使の初めは小野妹子の607年、遣唐使は630年です。
遣唐使は16回とか20回という説がありますが、いずれにせよ、それくらいの回数をかけて唐に行ったことは間違いないようです。

それによって、日本は発展したというのが今の論調です。

しかし、遣隋使の時代に裴世清(はいせいせい)をはじめ位の高い役人などが三十数艘の大船団で日本を訪れています。

いわば「遣日使」です。

唐の時代になると、さらに頻繁に日本にやってきます。
その人数もすごい。
たとえば669年と671年には2000人余りです。

新羅も日本に高い関心を持っていたようで、三十数回も来ています。

渤海(ぼっかい・満州~朝鮮北部~ロシアの沿海州の国)も33回来ています。

遣隋使・遣唐使のそれよりも遥かに多かったのです。

日本が遅れていた?

では、なぜ彼らがこぞって日本に来たのか?

それは、日本の文化を摂取するためです。

経済的には金、銀、絹など高い需要がありました。
文化的には日本の仏教と聖徳太子の思想を学ぶということもありました。
鑑真が日本への渡航に5回も失敗し、6回目にようやくたどり着いた話は有名です。
鑑真がなぜこれほどまでに日本に固執したのか。
それは、聖徳太子をはじめ、日本に定着している仏教を高く評価していたからです。

インド人、ベトナム人、ソグド人(中央アジアのイラン系民族)の僧も日本に仏教を学びに来ています。

この事実からみても、日本は諸外国に比べて決して遅れていた国ではないことがわかります。

人間は文化的に低いところから高いところへと流れる

奈良時代、日本も唐も諸外国も文化的には対等で、相互に学び合い、物を交流させていたのです。
田中先生は「だから、遣隋使や遣唐使と呼ぶのが誤解のもと。正確には交流使というべきだと思います」と述べておられますが、まったくその通りだと思います。

663年、白村江の戦いで日本が破れ、百済救済に失敗して百済が滅んだ時には、たくさんの百済人が日本に亡命して来ています。
9世紀初めには、関西圏の人口の3分の1は渡来系だったという説もあります。

日本が満州国を建国した後には多くの人がなだれ込み、一気に人口がが増えたということもあります。

「あの国へ行けばいい暮らしができる」となれば、そこへ移動したくなる心理も分かりますよね。

「人間は文化的に低いところから高いところへと流れる」

これが人口移動の鉄則です。

日本の歴史 本当は何がすごいのか (扶桑社BOOKS)

「脱炭素」による弊害と懸念

今回は、篠原常一郎さんのお話の要約をお伝えし、私の意見を述べさせていただきます。

世界の自動車業界には、「EV化」の波が「脱炭素ガス」の錦の旗の本に押し寄せています。
近年、「地球温暖化」と「炭素ガス」の関係性に疑問が呈されるようになったのに、「化石燃料は悪、再生可能エネルギーへの転換を」という声が強まっています。
一方で 東日本大震災以来 、原子力発電所のほとんどがストップしたまま再稼働されない我が国では、増大する電力需要と発電コスト増加、代替エネルギーの不足という矛盾に悩まされつつあります。

「EV化」については、日本の自動車関連の各種業種、更に地域経済に大きな打撃と影響を広めつつあります。

『なんで焼きそばなんだ』
『俺たちはクルマの仕事に誇りを持っているんだ。それを今さら…』
栃木県真岡市内の町工場で、地元企業・アオキシンテックの青木圭太社長は頑固な職人を説得していた。
なんとか見つけた仕事が、カップ焼きそばを容器に詰める機械の部品製造だった。

世界のEV化、そして脱炭素の流れはもはや止められない。
日本の自動車業界を引っ張るトヨタ自動車の豊田章男社長は、再三こう訴えてきた。

「カーボンニュートラル(脱炭素)は雇用問題だ」

日本には、末端まであわせて約550万人の自動車産業従事者がいる。急にハンドルを切れば、多くの人が路頭に迷う。

従来のガソリン・軽油使用自動車の構造大転換を迫られるのがEV化です。
大手自動車メーカーの下請けで成り立ってきたところでは、地域経済全体が崩壊することにもつながりかねません。
多くの関連・下請け業者を淘汰するだけではなく、日本が世界に対して大きな技術的優位性を有していた内燃エンジン製造・開発分野の蓄積を捨て去るに等しいことにもなるからです。

しかしながら、昨年12月14日、トヨタもあらたにEV分野に本腰を入れる経営戦略への転換を発表しました。

戦略の大転換について豊田社長は、「消費者に幅広い選択肢を提供するため」「EVを含めた(自動車供給)の全方位展開を進める」と述べています。

この路線転換について、トヨタは周到な準備を進めてきました。
昨年11月中には経営戦略の内容を経済産業省に説明し、12月2~3日に豊田社長が岸田文雄首相や麻生太郎自民党副総裁と相次いで会談し、同意を取り付けていました。

トヨタ側が懸念として首相らに伝えたのは、次のようなことだったとトヨタ関係者から聞いています。

「バッテリー駆動のEVは、内燃機関(エンジン)だけではなく、燃料噴射装置や気化器などの技術分野がすべて不要となる。そして、この分野だけでも200万人以上が働いており、これらの技術労働者の雇用と共に先端的な技術が失われることを懸念している」

このトヨタの経営戦略転換について、経産省と萩生田光一経産相が「大臣同席の官民共同記者会見にしよう」とトヨタ側に提案してきたというのです。

トヨタ関係者が話します。

「経営戦略転換について説明してすぐあとに、経産省側から『萩生田大臣も同席した官民共同記者会見にしよう』と提案してきたのです。その理由は『世界最大手のトヨタがEV転換する方針を大臣と共に発表すれば、日本のEVに対する意気込みが伝わりこの分野が世界で注目される絶好の機会になる』というものでした」

萩生田大臣はこれを自分の手柄として、トヨタの経営戦略転換を利用して宣伝したかっただけなのだと思います。
豊田社長サイドとしては「今回の経営計画は、トヨタにとどまらず日本の製造業全体における雇用にとって重い決断であり、社長と大臣が笑顔で握手して記念写真におさまるような内容ではないとの考えで、経産省側の提案を断りました」

自民党総裁選前に小泉純一郎前環境相や河野太郎前行政改革相が「エネルギー基本計画」に「再生可能エネルギーの割合上昇」を押し付けるのに狂奔した背景に、自身のファミリーと企業が中国絡みでもあるソーラー発電利権にまみれていたことがあると暴露されました。
こうしたマイナスを払拭するためか、現在の政権幹部たちは「脱炭素化」で手柄を立てるのに躍起になっているようですね。
トヨタ側が政府に申し入れたような「雇用と技術喪失への懸念」という国益に沿った問題意識が余りに希薄であると、萩生田大臣と経産省のふるまいから重ねて感じざるを得ません。

そもそも「電気自動車化→脱炭素化」という単純な図式は成り立つものではありません。バッテリーを満たす電力は、いったいどうやって作り出すのでしょうか?

不安定な「再生可能エネルギー」では、問題の根本的解決にならないし、「脱炭素化」の方向では見出すことが出来ません。
新技術による安全な原子力発電の実用化や、もともと日本が世界の最先端を走っている石炭ガス化火力発電(一部で営業稼働中、ぜひみなさんも内容を調べてみて下さい)など、国内資源を有効に利用しかつ環境負荷を最低限にする方策こそ、力を入れて普及していくべきだと判断出来るのですが、みなさんはどうお考えになるでしょうか?

日本は日本なりの道を行け

すみません、勝手に篠原さんの文言を削除したり言い換えたりしていますがお許しください。

そもそも、温暖化と炭素ガスの関係性については、よく分かっていないというところが本当のようです。
地球全体で過去30年間で0.2度しか上がっていないというデータもあります。
地球温暖化のファクトフルネス 

そして、原子力発電と火力発電が悪であるかのような論調が大勢を占めていますが、現在のそれらの技術は篠原さんがおっしゃるように非常に進歩しています。

そして何より、EV化を進めることによって自動車部品全般に関わる人々の雇用と技術の喪失はそのまま、日本を弱体化させてしまう大きな問題となります。
ただでさえ、この平成の30年間は賃金が上がらずに物価だけ上がり、先進国で唯一「冬の時代」を過ごしてきたのが我が国日本です。
それを助長するようなこの流れには、私は強い不安を覚えます。

一部政治家が所有する企業だけが繁栄するような仕組み、そして、EV化を自分の手柄にしようとする政治家は、国民の存在を無視した「今だけ、金だけ、自分だけ」という浅はかな考えしかないのでしょう。
そういう政治家を選んできたのも私たち国民です。

日本には、世界が真似できないような技術があります。

ハイブリッド車はエンジンとモーターの兼ね合いが非常に難しく、他国がやろうとしても真似できないものです。
ガソリンを入れて発電するなんて、ものすごく画期的ではないですか。

篠原さんもおっしゃるように、EVにしたところで、その電気を発電するために発電所が必要です。
その発電を、生産が不安定な再生可能エネルギーに頼ることは絶対に無理があります。
コストもかかります。
そのコストが「電気料金値上げ」となって、みなさんの家計に跳ね返ってくることになります。

再生可能エネルギーはあくまでも「脇役」であり、たくさん生産できた時には、火力発電の電力の代わりに大いに利用したらいいだけの話です。

また、ソーラーパネルの設置を巡っては逆に環境問題が起こっています。
熊野古道・長井坂でも景観を大きく破壊してしまいました。

斜面に設置したソーラーパネルの敷地が大規模な土砂崩れを起こせば、もはや自然に優しいどころか、人の命まで奪いかねない大問題となります。
こうなれば本末転倒でしょう。
何のための再生可能エネルギーなんでしょうか?

世界の流れが正しいとは限りません。

その流れには耳を傾けながらも、日本は日本独自のやり方で逆に世界を牽引していくような存在になるべきではと思っています。

そういう気概のある政治家が今後出てくることに期待をします。

 


【大辺路】八郎峠~浦神峠~清水峠

八郎峠は今年2回目です。
ちょっとこのあたりの古道がツボになっています。

今日は、紀伊田原駅を出発し、大辺路の3つの峠を越えて紀伊田原駅に戻ってくるというコースで歩いてみました。

ただ、紀伊田原駅から八郎峠の登り口までの4kmはバスを利用しました。
この4km、特に何もなくただ歩くだけなのでバスでスキップです。

八郎峠は今日もいい景色でした。

ここで20分ほど休憩をして次の浦神峠を目指します。

浦神峠はこれといっていい眺めもなく、峠にある「休平(やすみだいら)」の林も間からすこし海が見える程度です。

浦神駅で少し休憩をし、清水峠。

浦神の湾を一望できるところがあります。
その付近に「希望の家」という建物がありますが、これは津波の際に浦神地区の住民が避難できるように、地元の方々が自主的に作ったところだそうです。

清水峠を越えたあたりに「古座川弧状岩脈」の一部があります。
古座川弧状岩脈とは、「熊野カルデラ」の南縁部のことで、地表へマグマが噴出する通路のことを指します。
そのカルデラの直径は長径は40km、短径が20kmという巨大なものです。
その縁の上を歩きました。
個人的にはここが今日のツボでした。

清水峠がある熊野古道もきれいでした。

今日はいろいろと寄り道をしたので、結局20kmほど歩きました。