日本の古代とは①

現代とは、第二次大戦が終わってから、明治維新から第二次大戦が終わるまでを近代、近世は信長の時代あたりから江戸時代、それでは、日本における古代とは、いつごろのことを言うのでしょうか?

古墳時代までを古代、奈良時代、飛鳥時代、平安時代、鎌倉時代を中世という認識を持たれている方が多いと思います。

ところが、現在の学校の教科書では、古代は平安時代までで、中世が始まるのが鎌倉時代から、と書いているそうです。

古代と中世の違いとは、中世は歴史の記録がはっきりと残されていて、いつ何が起こったか、どういう出来事が起こったかを、年代とともにある程度明確につかめる時代のことを指します。

例えば、鎌倉時代であれば、源頼朝がいつ征夷大将軍となって、北条氏が執権を始めたのがいつなのかという情報は明確です。
逆に、いつ起こったのかよく分からない時代を古代と言います。
この時代区分の定義は、世界共通で使われています。

我が国では、飛鳥時代、奈良時代、平安時代の記録は非常に明確で、それぞれの時代の右大臣が誰で左大臣が誰で太政官の仕組みがどのようになっていて・・・ということが明確に分かるようになっています。

このことから、飛鳥時代以降を中世と分類しなければならないところを、学校の教科書では、鎌倉時代より前のことはよく分からないという分類にされてしまっています。

なぜ、こんな分類になっているかというと、近隣諸国条項に基づいて、「特亜三国」の歴史認識に我が国は配慮をして歴史教育をしなければならないということが原因となっているからです。

チャイナの歴史、韓国の歴史を見た時に、彼らにとっての中世よりも、日本の中世は後にしなければならないという文科省の指導で、平安時代は「古代」とされているのです。

いったい、自国の歴史を学ぶのに何で他国の顔色を伺いながら学ばなければならないのでしょうか?
本当におかしな国ですね。

次回に続きます。

歩こう会

和歌山地域通訳案内士会の会員限定イベント、「歩こう会」を開きました。
「歩こう会」とは、どこかのトレッキングルートを、誰がガイドをするでもなく、ただ単にお喋りしながら歩くだけのイベントです。
・・・これをイベントと呼んでいいのかは分かりませんが。

午前中は風が強かったですが午後からはそれも止み、春の陽気の中会員さんとたくさんお喋りをしながら楽しく歩きました。
久しぶりに大笑いしました。
自然の中を歩きながら笑えるなんて、こんな幸せなことはありません。
これが結局、免疫の強化につながっていくんですよね。
人間とは本来、人と会って話をして、笑うことにより免疫が上がると思います。
ワクチンに依存することは、私は完全に間違っていると思います。
今、国がやっているまん延防止等重点措置は、完全に感染拡大防止に逆行していると思います。

現在は新型コロナのおかげでガイドの仕事が皆無ですが、会員の意識が離れないように様々な仕掛けを展開していくつもりにしています。
現在は会員の更新時期ですが、ほとんどの会員さんは残留してくれています。

感謝です。

また、こういった「遊び」を入れることにより、ひょんなことから仕事のアイデアにつながったりする場合もあると思います。
事務所の机に座っているだけでは新しいアイデアは生まれにくいかもしれません。
私は、真面目腐ることが嫌いなので、冗談を言いながらアイデアを出し合うスタイルの方が性に合っています。
なので、冗談の通じない人と仕事をすると息が詰まりそうになりますので苦手です。
というかそんな人とは仕事をしたくありません。お客さんならともかく、従業員としては絶対に不採用です(笑)

なにはともあれ、参加された皆様、ありがとうございました。

生命保険と住宅ローンの関係性

今日は渡瀬裕哉さんのお話からです。

日本人で生命保険に入っている方は、死亡保障を目的で入っている方が多いですが、掛け捨ての保険はもったいないとおっしゃる方が多いと思います。
どうせだったら増やしてお金が返ってくるといいな、という思いで入られると思います。
学資保険などはその最たる例でしょうね。

でも、そういった保険に入っている方に、だいたい年利はどれくらいか聞いてみると、それに対して回答出来ない方が多いです。

円建てであれば、保険会社の方が「年利1%ですよ」とか「1.5%ですよ」とか言ってくれると思います。
しかしそれは、予定利率というものです。
保険会社は、お客様から預かったお金を、1%~1.5%で運用しることを約束しますが、そこから死亡保障にかかる費用や、保険会社の運営にかかる費用とかを引かれると、実際の利回りは低いのです。

それで計算をすると、だいたい1%を切ります。

また、持ち家の方はたいてい住宅ローンを組んでいますが、その利息は生命保険の利回りよりも高い金額で借りている方が結構います。

最近だと、米ドル建ての保険に加入している方も多いと思います。
ドル建てであれば3%の利回りがあるといって、ドル建て保険に入る方もいますが、実際の利回りを計算すると1%を切っているものが多いそうです。

そういった保険に入られている方に、一度注目していただきたいのは、ドル建てで一番安全な運用は何ですか?ってことです。

ドル建てで一番安全な運用は、アメリカ国債です。

このコロナ禍で利回りは下がってはきていますが、すこし前だと、米国債10年もので2%どころか、3%以上の利回りがありました。
保険商品であれば、途中で解約すれば元本割れします。
リスクを取っているのは、明らかに保険商品です。

日本では、比較対象が円建ての保険商品であることから、ドル建て保険に入って満足されている方がいます。
結果的に何が起きているかというと、日本の富が、外資系の金融機関を通じて海外に流出しているかもしれないということです。

残念ながら、保険会社の方も、米国債の買い方・売り方を知らないという方が結構いらっしゃいます。

保険というのは金融商品であり、日本では銀行の利息を比べてお得感を出してはいますが、その利回りは決して良くないということです。
海外では、こういった金融に関する知識について小さいうちから学ぶため「金融リテラシー」を備えています。
日本ではそういったことを一切教えないため、今は外資系企業の「いいお客様」になっているということを知っていただけたらと思います。

弥生人渡来説の嘘③

前回までの記事をまだ読まれていない方は、こちらをご参照ください。
弥生人渡来説の嘘①
弥生人渡来説の嘘②

だいたい、それぞれの国ごとに、それぞれの顔や姿に特徴があります。
しかし、日本人においては、目の色が茶色だったり青っぽかったり、髪の毛が縮れている人もいればストレートな人もいたり、鼻が高い人もいれば低い人もいたり、彫りが深いひともいればそうでない人もいたり、肌の色が白い人もいれば黒い人もいたりと、様々な顔や姿の人がいます。
これは、昔から他の様々な国の人々と交わっていたからだと言えます。

しかし、それよりも重要なことは、人の物を奪って自分の物にするという発想ではなく、災害の多い我が国においては、お互い助け合いながら生きていかないとならないという発想が、昔から根付いていたことです。

どこの民族であれ、どこの出身であれ、肌の色が白かろうが黒かろうが、みんなが協力して生きていかなければ、生きていくことができない。
いくらお金を持っていても、洪水が起これば全部流されてしまいます。
もう一度家を立てようと思っても、民衆の中にその余力がなければ、いつまで経っても家を建てることはできません。
食べ物もなくなってしまいます。
災害になった時は、お金持ちも貧乏人も一緒になって力を合わせて立ち上がって行かなければ、日本という国土に住むことができないのです。
これを、我々は古い時代から学んで来ました。

弥生人が朝鮮半島からやってきて政権を奪い取ったというつまらないことよりも、むしろ大切なことは、災害大国・日本においては、助け合いながらでないと生きていけないということです。

下見に行ってきました②

昨日に引き続き、下見に行ってきました。
今日は生石高原の登山コースを歩いてきました。

下見に行く前にきちんと下調べをしておくべきでした。
それが祟って余計な労力を使ってしまい、今は疲労度がマックスです。

お客様をお連れすることを想定していたため、海南駅からバスに乗って行き、そこから歩こうと思っていたのですが、これがトリックでした。
大十バスのオレンジバスというものがあり、海南駅から登山口まで約30分で結ぶ路線があります。
この「登山口」がトリックでした。

バス停についても、それらしき入り口が見当たらず、バスの事務所があったので聞いてみると、入り口の小川八幡宮まで約4kmあるとのこと。
タクシーも手配できるのですが、4kmぐらい歩けると思い、歩くことにしました。
親切に地図で説明してくれましたが、何を思ったのか、橋を渡って左に行くべきところを右に約20分ほど歩いてしまい、慌てて戻る始末。
これで40分のロス。
途中で「ハイキングコース」と書かれた看板があったのですが、教えてもらった道とは違ったので素通りしてしまいました。
しかし、これが「本当の」登山口のある小川八幡神社までの正式なルートでした。

気を取り直して小川八幡神社まで歩きましたが、舗装道は疲れます。
約3kmあるいてようやくたどり着きました。

ここから生石高原へのルートは3つ。
一番やさしいとされる「桜の小径コース」、険しい「直登コース」、上級者向きの「名寄松コース」とあり、一番よく利用されるのは、直登コースから登って桜の小径コースを下りてくるコースです。

さて、ここから自分が目指す直登コースが、どこから入ればいいのか分かりませんでした。

トイレで案内板を見つけたので、それに従って歩いていましたが、どうも様子がおかしいことにすぐ気づきました。
しかし、「まぁ、いいや」とそのまま進んで行ったところ、見事に迷いました。

県の説明している「分岐」がまったく出てきません。
https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/032000/032500/park/area/03_oishi/index.html
その分岐が出てくることを信じて、国道をダラダラ上って行きました。
「これ、絶対に違う」と思い、止めて戻ろうと思った矢先、地図(Relive)に「大観寺」が見えてきました。
「ここまで行けば正規のルートに合流できるはず」と、何とか大観寺まで行くことができました。
大観寺で距離を見ると、小川八幡から遠回りをした形で約2kmを余分に歩いていました。

やれやれ。

少し休憩後、またまた気を取り直して出発。

ここからが地獄でした。

これまでの遠回りと道間違いでダメージを受けている心には、急な上りの約2kmは堪えました。
今日は本当に心が折れそうになりました。

やっとの思いで生石高原に到着しました。
この時点で12時30分。
一応昼食は持ってきていましたが、あまりにも寒かったので、売店でうどんを食べました。
このうどんがドラクエでいうところの「ベホイミ」となり、見事にこれまでの疲れが復活しました・・・え?たとえが分からない?

とにかく開いていて良かった。

ついでにお店で生石ヶ峰と生石神社への行き方を教えていただきましたが、どうも桜の小径が通れないという情報があるとのことだったので、仕方なく直登コースを戻ることにしました。

お店の方、優しかったなあ。

火上岩で写真を撮ろうとしていると、卒業旅行のような感じの女子3人組に「写真を撮ってください」と頼まれました。
これから白浜へ行くとのこと。
・・・一緒に行きたかった。
いやなんでもないですひとりごとです。

撮り終わると、「撮りましょうか」と言ってくれたのでお願いしました。

ついでに、生石ヶ峰まで初めて行きましたが、何とも言えない絶景でした。

生石高原付近からは雪が積もっていて、それが固まっていたので下山時は何度かコケそうになりながら下りました。
ついでに、正規のルートを確認しながら下りることができたので、かえって良かったです。

桜の小径コースは、また今度歩きます。

しかし、大十バスの運転手は「ありがとう」という言葉を知らないようです。
行きも帰りも違う運転手でしたが、ともにお客さんが降りる時に無言でした。
こちらが「ありがとうございます」と言っているにも関わらずです。
また、言葉の使い方も知らないようです。
登山口バス停に到着すると運転手がいたので「もう出ますか?」と聞いたところ「あと15分」とだけ返ってきました。
「です」はどこへ行った、「です」は。

運転手への教育が行き届いていない印象でした。




下見に行ってきました

今日はあるところに下見に行ってきました。
4月にご案内いただく方とお会いし、どんな感じでご案内いただくのかのイメージがつかめました。

ご案内いただく方は地元の方で、当たり前ですがこの地域をよくご存知の方です。
和歌山地域通訳案内士会は、ガイドの地産地消が重要だと考えています。
よその人では話せない内容のことを多く聞くことができ、昔の地元の様子などが手に取るように分かるので非常に面白いからです。
お陰さまで、今日は触りの部分でしたが、それでも面白いお話を聞くことができました。

前日に突然連絡をしたにも関わらず、お時間を取っていただき感謝です。

今回の目的はあと2つありました。

一つは、近くのカフェのランチ。
地元の食材にこだわったメニューがあり、けっこう良かったです。

もう一つは、以前の下見で歩けそうな道を見つけていたので、いったいどこまで行けるのかを確かめにです。
この道、結構ずっと続いていて奥が深かったです。
道は、下山したところからもずっと続いているような感じでした。

時間がなくなって来たところに、山で作業をしているイケメンの男性のお会いしました。
この先に出口がないか聞いてみると、15分くらい歩いたところにあるとのことだったので道を教えてもらい、そこから下山しようとさらに進んで行きました。
しかし、その下り口に当たるようなところが見つからず、時間もなくなってきたので引き返そうと戻りかけた矢先、さっきのイケメンさんが作業を終えて歩いてきました。

聞くとその下り口がすぐそこだとのことで、「じゃあ、一緒に行きましょう」と出口まで案内してくれました。
荷物を大量に背負っているにも関わらず、下るスピードの速いこと(汗)
そのスピードは山伏級でした。
さっき教えてもらったルートは、そのイケメンさんの足で15分だったのでしょう(笑)

そんなこんなで道に出てから、駐車場の近くへ行く道を教えていただき、そのイケメンさんとお別れしました。
「こいつら、なかなか無鉄砲なことをするな」と思われていたかどうかは分かりません(笑)

一日楽しむことができました。

弥生人渡来説の嘘②

前回の記事を読まれていない方は、まずはこちらをご参照ください。
弥生人渡来説の嘘①

そもそも、縄文時代晩期の日本列島に人口は26万人です。
当時は県境というものは存在しませんでした。
同時に、チャイナや朝鮮を見ても、国境というものはありませんでした。
3~4万年前から優れた航海技術があった縄文人たちは、近隣諸国のみならず、世界中を航海していたということが言えます。

実際、南米でも縄文式土器が発見されていますし、アフリカでも発見されています。

縄文人は、細長い顔もあれば平べったい顔の人もいました。
その人たちが、世界に散っていき、その先で現地の人と交わり、また違った顔かたちの人が生まれたということも十分に考えられます。

日本人のDNA解析を行うと、54%がフィリピン・マレー系であり、半島系とはまったくDNAが結びついていません。

塩の摂取法

人は塩がないと生きていけません。
最近は中高年には減塩が推奨されてはいますが、基本、塩がないと生きていくことは無理です。
日本人のように、海洋民族であれば海、魚、海藻などから簡単に塩を摂ることができます。
では、内陸部の人たちはどうやって塩を得ていたのでしょうか?
岩塩があれば塩を手に摂ることができます。
しかし、その岩塩がない場合は?
海から運ぶにも何百キロと離れています。

彼らは肉から摂るより方法がありませんでした。

そして、彼らの考えでは、人間は一度死んでしまえばただの肉となり、それを動物に食わせ、その動物をいただく・・・となり、そうして食物連鎖が起こります。
チャイナで食人文化が芽生えたのも、こういった考えがあったからかもしれません。

下見の重要性

今週から来週にかけて、下見を入れています。
今日は紀伊路、あと、23日と3月3日に他のコースを入れています。
ちなみに、熊野古道ではありません。

下見するコースは、コースによって将来販売をしたり、会員の研鑽のための研修にしたり、ただ単に会員とのレクリエーションにとも考えています。

熊野古道はもちろんのこと、その他の場所も下見をする予定です。
現場に行かないと見えてこないところがありますので、下見を重要視しています。

ちなみに、今日はまず紀伊路の一部を歩き、その後にある通訳案内士団体の会長さんとお会いし、和歌浦天満宮に挨拶をし、帰宅後はアメリカのネイティブさんとSkype通話、その後、現在企画している英語レッスンの打ち合わせをZoomで行い、ようやくさきほど落ち着きました。

忙しくはありますが、楽しんでやっているのでしんどいということはありません。

下見の話に戻りますが、慣れたコースであれば下見の必要はほぼ無くなります。
しかし、熊野古道は生き物のようなので、少しの間に状況が変わっていることがありますので、しばらく行っていないコースを案内する時は、やはり下見をするようにしています。

下見に行くと、「ここではこんな質問が飛んで来そうだな」とか、「ここは注意を促すべきところだな」ということが見えてきます。
地図を見ているだけでは分かりません。
こういった姿勢・行動が、ガイドの成功に結びつくと思います。
また、ガイドの場に立つまでに、たくさんこのことについて勉強をし、下見をしてかなりの時間を使っています。
特に熊野古道を外国語で案内するということは、万人にできるものではありません。
なので、ガイド料は結構強気にいただくようにしています。

弥生人渡来説の嘘①

今回も、小名木善行さんのお話からです。

私たちは学校で、縄文人と弥生人は顔形、文化なども違うと教わりました。
この説、2005年に覆るまでは、そう信じられてきました。

一般に、弥生人はキツネ顔の細面、縄文人は岩のようなゴツい顔をしているなどと言われてきました。
これが「でっち上げ」だということが証明されたのです。

この「縄文人面長説」の根拠は、島根県の遺跡から発掘された人骨が弥生人のもので非常に細長、これに対して、岩手県の宮野貝塚から発掘された縄文人とされる頭蓋骨は平べったくて横幅が広かったというところからきています。

ところが、その他で発掘された縄文人の頭蓋骨を見ると、細面のものが多いということがわかりました。
同じ宮野貝塚で発掘された頭蓋骨も、弥生人のものとされていた頭蓋骨よりももっと細面のものまで発掘されました。

これでは今までまかり通っていた説が覆ってしまいます。
そこで別の学者さんが、縄文人の頭蓋骨が平べったいということを証明する写真を発表しましたが、その写真、コピーを何度も何度もしたらしくて画像が非常に荒いそうです。
人間の顔をというものは、みなさんもそうなのですが、絶対にきれいな左右対称ではありません。頭蓋骨も然りです。
この写真は、その顔の細長い部分を切り取り、平べったい部分を張り合わせて線対称にし、何度もコピーを重ねることによってその線を消した合成(捏造?・笑)写真であったことが判明しました。

・・・なんでこんなすぐにバレる嘘をつく必要があるんですかね?

戦後にもてはやされた「騎馬民族渡来説」ですが、騎馬民族はモンゴル地方の人であり、その民族が朝鮮半島を制圧したのは14世紀なので、何千年も前の話とはまったく時代が合っていません。

「弥生人が朝鮮半島からやってきて日本の政権を奪い取った」という説は、戦後、半島系の人たちが、自分たちが日本の政治・経済を牛耳っていくのにあたって、過去においても同じことがあったと「言いたかった」というだけの理由なのだそうです。

この捏造写真を発表した学者、どこかから多額のお金でももらっていたんでしょうか?
よく、物事の裏、歴史の背景には必ずお金の流れがあるといいます。
なぜ、菅原道真公が廃止にするまで危険を犯しながらも遣唐使をやめなかったのか?
一藩の一若造でしかなかった坂本龍馬が、なぜあんな軍備ができたのか?
最近では、なぜ、尾身会長が2類相当から5類相当に下げないのか?
「Follow the money」です。


縄文時代と稲作⑤

稲作が日本人にとって、最も重要なことがありました。
日本は古来より台風、洪水、火山の噴火など、災害の多い国です。
その災害がひとたび起こってしまうと、今まで食べられていたものが食べられなくなってしまいます。
今であれば冷蔵庫に食料を保存することができますが、当時はもちろんそんなものはありません。
その災害に備えて4年5年と食料を蓄えておく必要がありました。
長期に渡って保存できる唯一の食料が米だったわけです。

今スーパーなどで売られている状態、つまり、精米した状態のお米であれば日持ちはしませんが、籾のついた状態であれば、味は落ちますが20年経っても食べられるそうです。

どんなに凶作になっても、どんなに災害が起きようと、お米さえあれば何とか食いつないでいくことができます。
これが日本の文化の中心に据えられるようになります。

そしてこれが、日本建国の理由になります。

当時、近畿地方では色々な問題が起き、飢饉の状態にありました。
一方、九州や四国にはお米がたくさんありました。
そこで神武天皇は、お米が食べられなくなった地域に、お米が多いところから米を融通するシステムをお創りになられます。
こうすることによって、日本国民全員が一つの家族としてお互いに助け合おうではないか、というのが日本の建国宣言なのです。

世界には様々な国がありますが、それらは制圧・征服・粛清・王権の強化というところから始まります。
あるいは、独立するために戦争をして自由をもぎ取るんだというところから始まります。
世界で唯一日本だけが、お互いが助け合うために国家がつくられました。

他国とはそもそも、国家成立の経緯がまったく違うということです。
これが神武天皇の即位以来、2680年ほど前から続いています。

そんな国に生まれた私たちは、本当に幸せだと思います。