【紀伊路】山中渓~伊太祈曽⑬

前回まではこちらをご参照ください。
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽①
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽②
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽③
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽④
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽⑤
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽⑥
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽⑦
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽⑧
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽⑨
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽⑩
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽⑪
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽⑫

矢田峠

和佐王子跡から一旦県道を横切って矢田峠に向かいます。
相変わらず和佐歴史研究会さんの親切な案内板があるので迷うことはありません。

ずっとアスファルトの道だったので、こういう道が出てくるとホッとします。
・・・すぐに終わりますが(笑)
峠の近くに、ちょっと発見しにくいですが徳本上人名号碑があります。
紀伊路の名号碑は花押が入った「本物」が多いです。

峠で道が分岐しています。
看板は右に曲がるように書いていますが、下の地図のピンクのルート(峠から直進)を通るほうが安全です。
一応、右折が正式なルートのようですが、途中から県道と合流します。
車通りも多いので、ちょっと怖いです。

平緒王子跡

平緒自治会館の前に王子跡があります。
道沿いより少しだけ入ったところにあります。

案内板より

平尾王子とも書かれています。

後鳥羽上皇や、修明門院の熊野御幸に随行した藤原定家や、藤原頼資は、日前宮奉幣使として、日前宮に赴いたため、和佐王子社とこの王子社には参拝していません。

定家は日前宮から奈久智王子に向かい、この王子社には先達が奉幣しています。

僧実意の日記(「熊野詣日記」)、応永三十四年(1427)九月二十二日条によると、足利義満の側室・北野殿は、川辺で垢離を行って身を清め、和佐峠で休憩したのち、山東(和歌山市)に泊まっています。

この王子社は、天正十三年(1585)の羽柴秀吉の紀州攻めで衰退したといわれ、その後再建されて、「平緒王子社」と呼ばれていましたが、明治時代に都麻津比売神社に合祀されました。

いきなり「平尾王子とも書かれています」と書かれています(笑)
何に「平尾王子」と書かれているのか、謎です(笑)
「和佐峠」とは、矢田峠のことでしょうか?
都麻津比売神社はどこにあるのでしょうか?

謎だらけです。

そして、事実しか書かれていない、典型的な「面白くない説明」のお手本とも言える内容です。
それくらいしか書くことがなかったのでしょうか。

秀吉の紀州攻めの標的になったのであれば、当時は相当な力を持ったお社たっだのかもしれません。
そういった当時の様子でも書かれていれば、少しは読み応えもあるのですがね。

山中渓~伊太祈曽⑭へ続きます。

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