【紀伊路】山中渓~伊太祈曽⑧

前回まではこちらをご参照ください。
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽①
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽②
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽③
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽④
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽⑤
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽⑥
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽⑦

山口神社からは粉河加太線に出て、しばらくは車がバンバン通る道を歩きます。
それから道標に従って細い道に入りますが、これが迷路のようで分かりにくかった・・・。

川辺(かわなべ)王子

説明看板より

藤原定家の日記、建仁元年(1201年)十月八日条に「川辺王子」、藤原頼資の日記、承元四年(1210年)四月二十四日条に「四橋」の王子が見られます。

四橋王子という名は、和泉国と紀伊国の境にあった堺橋から数えて、四番目の橋付近にあったことから、名付けられたのでしょう。

山口王子が三橋王子といわれたのも、このためだと思われます。

この王子は、「紀伊続風土記」によると、いつのころからか、八王子社と呼ばれるようになり、江戸時代には川辺村(和歌山市川辺)の力侍神社境内に遷座したとあります。

当地に残った旧八王子社を川辺王子跡と考証したのは、「和歌山県聖蹟」ですが、参詣道が不自然に迂回するため、川辺王子社は川辺村薬師堂付近にあったとする説もあります。

説明板にもあるように、参詣道が不自然に迂回しています。
ただ、説明板にある薬師堂がどこにあるのかはわかりませんが。

ここから中村王子社跡までの道で、ガッツリ迷いました。

分岐には基本的に導き石が埋めているのですが、中にはそれがないところもあり、そのまま真っすぐ進んでは間違っていることに気づいて戻るというのを繰り返しながら歩きました。
また、道路に埋めているので見落としがちです。
ずっと下を見て歩いているわけではありませんので。

地図には書いていませんが、シュロの木を植えている民家へは、一旦大きな道を横切らないといけません。
とにかく迷いに迷いました。

そんなこんなで、ようやく中村王子跡にたどり着きました。

歴史認識が重要

There is an English version in the second half.

今回は会員向けに発行している「和田通信」からの抜粋です。

ガイドとしても非常に重要なことですので、こちらでも共有させていただきます。
ご参考にされてください。

基本認識・基本知識の重要性

ガイドのレベルは経験の差こそあれ、ある一定のレベルを備えている必要があります。

そこで重要だと考えているのが共通の認識と知識です。

人間、十人十色ですから様々な考えがあって当然ですが、認識と知識が同じである必要があります。あるいは、それらが違っていても、知っておく必要があります。

私がこの通信で「他の情報も取って俯瞰的・多角的に物事を判断してほしい」と繰り返し言っているのもこのためです。

共通の認識・知識が全く違っていては、お互いの着地点はありません。

自由な発想でも、共通の認識と知識をもとにした上で、自由に自分の意見を持ち、その上でどうすれば良いかという議論をすることが重要だと考えています。

その最たるものが歴史認識です。

ガイドをするのであれば、歴史は絶対に外せません。

以前、ある語り部さんから日本人を卑下するような発言が出た時にはドン引きしました。
未だに、ベテランの域の語り部さんの間でさえ、縄文時代や弥生時代の日本の文化は遅れていて、文明がなかったとされている認識が横行していることの証だと思いました。

自国民を卑下するのは日本人だけです。この行為は、外国人には滑稽に映ります。
ましてや、通訳案内士として日本のことを紹介する人間が、日本(人)を卑下することはあってはならないと思います。

大いに日本の自慢話をしようではありませんか。そして、日本国民としての意見を述べようではありませんか。

「君はどう思うの?」とお客様によく聞かれます。そこで自分の意見を伝えればいいのです。それには、共通の歴史認識と知識が最低限必要です。外国人には、玉虫色の回答が一番嫌われます。
これは外国人のみならず、日本人に向けてガイドをする時も同じです。
まずは日本国民として誇りを持ってもらうことが先決だと思っています。

日本史と国史

一部会員さんにもお話した内容です。

現在私たちが学校で学んでいるものを「日本史」と呼びます。しかし、私たちが学校で学んでいる言語は「国語」と言います。

この違い、なぜか分かりますか?

ヒントです。

私たちが外国人に教えるのは「日本語」と呼びます。

お分かりですよね?

「日本語」とは、外国人から見た言語です。「日本語」と「国語」では、教える内容がまったく違います。

たとえば、私たちは助詞の使い方をきちんと体系的に学校で学びませんでしたが、日常生活で普通に使えています。
しかし、外国人には、私「は」と、私「が」の違いの理屈を説明してあげないと、いつまでたっても間違いを犯します。
また、外国人はすぐに「の」を使いたがります。

「美しいの海」

「大きいのかばん」

日本人は絶対に間違わない使い方ですが、外国人はこの手の間違いをしょっちゅうします。

なぜ「の」が必要ないかを教えてあげなければなりません。

以上のお話からも分かるように、「日本史」というのは外国から見た歴史のことです。

それを私たちは学校で学んでいます。しかし、本来は日本国内から見た歴史である「国史」を学ぶべきなのです。

外国から見た歴史を学んでも、日本人が誇りを持てるはずもありません。

むしろ逆で日本が嫌いになります。

そして、年号とその年に起こった出来事を暗記するだけの、本当につまらないものになってしまうのです。
しかしながら、現在の学校では「国史」を教えてはくれません。戦後、GHQによって駆逐されたからです。

ですから、改めて学ぶ必要があるのです。

こちらも合わせてお読みください。
GHQ焚書図書開封1 米占領軍に消された戦前の日本

This issue is an excerpt from “Wada Tsushin,” a newsletter issued to our members.
It is very important to us as a guide, so I will share it here as well.
Please refer to it.

Guides need to have a certain level of experience.

What is important is to have a common understanding and knowledge.

It is natural for people to have different ideas, but they need to have the same recognition and knowledge.
Or even if they are different, we need to know them.

This is why I have repeatedly said in this news letter, “I want you to take other information and judge things from a bird’s eye view and from multiple angles”.

If the common perception and knowledge are completely different, there is no mutual landing place.

I believe it is important to freely hold one’s own opinion based on common recognition and knowledge, even if it is a free idea, and then discuss what to do about it.

The most important of these is historical awareness.
If you are a guide, history is absolutely essential.

I was put off by a storyteller when she made a derogatory comment about the Japanese people.

I thought it was proof that even among experienced storytellers, there is still a rampant perception that the Japanese culture of the Jomon and Yayoi periods was behind the times and that there was no civilization.

Only Japanese people despise their own people.
This behavior is seen as ridiculous by foreigners.

And I think that people who introduce Japan as interpreter guides should not demean Japan (and its people).

Let us talk about Japan with pride.
And let us express our opinions as Japanese citizens.

I am often asked by customers, “What do you think?”
I am often asked by customers, “What do you think?
All we have to do is to express our opinions.
To do so, we need at least a common historical understanding and knowledge.
For foreigners, iridescent answers are the most hated.

This is true not only for foreigners, but also when guiding Japanese people.

I believe that the first priority is to make Japanese people proud of themselves as Japanese citizens.

◯Japanese history and national history
This is what I told some of the members.

What we study in school today is called “Japanese history”.
However, the language we are learning in school is called “National Language”.

Do you know why this difference?

Here is a hint.

What we teach foreigners is called “Japanese”.

You get the idea, don’t you?

“Japanese” is the language from a foreigner’s point of view.
What we teach is completely different between “Japanese” and “National Language”.

For example, we did not learn how to use particles properly and systematically in school, but we can use them normally in our daily lives.

However, unless we explain to foreigners the logic behind the difference between Watashi “ha” and WatashiI “ga”, they will always make mistakes.

Also, foreigners always want to use “no” immediately.

“Ustukusii-no-umi”
“Okii-no-kaban”

Japanese people never make this mistake, but foreigners often make this kind of mistake.
We have to teach them why “no” is not necessary.

As you can see from the above story, “Japanese history” is the history as seen from a foreign country.

We learn it in school.
However, we should be learning “national history,” which is history as seen from within Japan.

Learning history from the perspective of a foreign country will not make Japanese people proud of themselves.

On the contrary, it will make them hate Japan.

And it will be really boring, just memorizing the year and the events that happened in that year.

However, today’s schools do not teach “national history”.
This is because it was eradicated by GHQ after the war.

Therefore, it is necessary for us to learn it again.


イシキカイカクサミット2022

午前中は参政党のが移動演説を桜木町駅前で聞きました。
この日のイシキカイカクサミットに向けて、すでに多くの参加者が横浜入りしていたためでしょうね。
聴衆の数は1500人くらいいたようです。

他の政党もやっていましたが、聴衆の数、拍手で圧倒していました。

14:00からは6時間に及ぶイシキカイカクサミット2022がありました。

チケットは当日券も含めて5000枚が完売。
会場は満員でした。
中には若いグループもいて、熱心に登壇者のお話に耳を傾けていました。

合計9人が次々に登壇し、それぞれの分野についての「意識改革」についてお話をしてくれました。

私にとってはおなじみの方々もいましたが、林千勝さんと矢作直樹さん、寺岡賢さんのお話は非常に新鮮で、中でもトリを努めた公益財団法人修養団の寺岡さんのお話は、笑いあり、涙ありで人を思いっきり「寺岡ワールド」に引き込む内容でした。

修養団とは、伊勢に拠点を置き、全国の小中高、大学生等に対して様々な教育活動を行っている、教育団体としては日本最古の団体で、その歴史は116年に及びます。

また、現在立候補が決定している候補10人が登壇し、それぞれ3分間演説をしました。
個人的にいつも動画を視聴している、さかうえひとしさんも登壇されました。
さかうえさんは「ランチェスター戦略経営コンサルタント」で講演などもたくさんの経験をお持ちなだけあって、やはりお話の組み立てが上手かったです。

何はともあれ、大成功のうちに終わったことは非常に良かったと思います。

皆様お疲れさまでした。

横浜にいます

今日は、明日の参政党の「イシキカイカクサミット」を聞くために横浜にいます。

さきほど、東京に親友と会い、久しぶりに一緒に食事をし、赤レンガ倉庫のイベント「ヨコハマフリューリングスフェスト2022」でドイツビールとウインナーをいただいてきました。

さすがは横浜。
人だかり。

明日は参政党の街頭演説を生で聞きに行き、その後はイシキカイカクサミットです。
14:00~20:00までの長丁場です。

ビール、飲みすぎた(笑)

もう寝ます。
おやすみなさい。

【紀伊路】山中渓~伊太祈曽⑦

前回まではこちらをご参照ください。
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽①
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽②
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽③
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽④
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽⑤
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽⑥

中山王子からは再び踏切を渡って車道を歩きます。
しばらく歩くと何やら案内看板のようなものが見えてきました。
「お、これは分かりやすいな」と思ったのもつかの間・・・

こんな看板、警察以外必要か?(笑)
熊野古道の看板を立てておけよ(笑)

峠の不動明王

しばらくは阪和自動車道に沿ってダラダラと上りがありますが、その頂上付近に峠の不動明王があります。
道中安全のお地蔵さんは多いですが、不動明王って、ちょっと変わってますね。

山口王子

すみません、ここでは地元の小学生の遠足があったようでワチャワチャになっていたので写真を撮ることができませんでした(笑)
また行く機会があれば確認してアップします。
山口王子へは、車道から道標に沿って細い道を左に入ります。
何も考えずに歩くと見落とす可能性がありますのでご注意を。

山口神社

1つ目の「山口神社近道」と書かれた看板をやり過ごすと、2つ目の看板が現れます。
この看板に従って右に入ります。

その看板の後ろ、墓地の中に道標があります。

道標には

右 加太淡島神社道 
左 和歌山及紀三井寺?(草が邪魔でで読めない)

と書かれているようです。

しばらく道なりに歩くと右手に鳥居が現れます。
長い参道を歩いて境内に到着。
素晴らしいお社でした。

創建は定かではありませんが、おそらく平安初期には建てられたものだろうとされています。
秀吉の紀州攻めに遭い、宝物や書物のほとんどが焼けてしまったようです。

主祭神は伊久津比売命(いくつひめのみとこ)
すみません、結構神様の名前は知っているつもりでしたが、この神様がどのような神様なのかはわかりません。

山口神社については、こちらをご参照ください。
山口神社 和歌山県神社庁

山口神社を出ようと参道を歩いていると、先ほどの子どもたちと再び会いました。
ちゃんと挨拶をしてくれて可愛かったです。

【紀伊路】山中渓~伊太祈曽⑧へ続く


【紀伊路】山中渓~伊太祈曽⑥

前回まではこちらをご参照ください。
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽①
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽②
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽③
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽④
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽⑤

中山王子

しばらく道なりに進み、踏切を渡ったところに中山王子跡があります。

説明看板より

かつて、京都から熊野三山までの熊野参詣道に、八十余ヶ所の王子社が祀られていました。

王子社というのは、俗に「熊野九十九王子」といわれる熊野権現の御子神を祀る社のことです。

中山王子は紀伊国に入って最初の王子社で、藤原定家の日記、建仁元年(1201年)十月八日条に、その名が見られます。

また、この付近は「雄の山中」といわれたところから、藤原頼資(よりすけ)の日記では「山中王子」と書かれ、承元4年(1210年)四月二十四日条に、修明門院が山中王子に参詣し、峠で雄山の人たちや無縁者等に、帷(かたびら)五、六十両ほどを、ふるまったと記されています。

江戸時代には、道沿いに、周囲三十六間の境内があり、王子権現社が祀られていたようですが、明治時代に春日神社に合祀され、旧跡も鉄道の敷設によって無くなりました。

また、「葛城第四番・入江之宿滝畑行処」という看板もあります。

1.葛木第四番経塚
   境谷村入口の桜地蔵経塚
   山中渓関所跡の経塚
2.中山権現
   滝畑村入口の中山王子(跡)
3.音無しの滝(不動の滝)
   滝崖面に不動丸カンマン字有り
   滝崖右上に八大龍王石祠有り
4.春日神社
   右 丹生明神
   主 春日大神
   左 熊野権現
5.金剛童子(南谷池)

葛木修験第四の宿「入江の宿」は、紀泉の国境で、祓い橋で身を清めて入峰の規則
葛木修験では極めて重要な位置です。
ありがたや菩提の入江にたどりきて
来しかた思いて心あらたに

宝照院鉄山 記

とあります。

カンマンとは、不動明王など各尊を一字で表した梵字のことをいうそうです。

入江宿滝畑の金剛童子についての説明もあります。

日本遺産葛木修験行所 葛木之峯西北位結界 

入江宿滝畑の金剛童子 

昔、役行者は葛木二十八宿の霊場を不動堅固に保つために葛木の八方位に各金剛童子を配し結界しました。

役行者が大峰山上ヶ岳で三世救済の金剛蔵王権現をご感得になられた際にその湧出岩から続いて十五体の金剛童子が出現になりました。

行者は葛木大峰の全霊域の清浄を保ち乱れぬように両峰にこの金剛童子を配置し両峰に結界を張られたのです。

大峰に八大金剛童子を、葛木には七大金剛童子を配して結界しました。

更には両峰の護法善神として大峰に八大龍王、葛木には七大竜王を勧請しました。

この葛木第三入江宿の滝畑には宿着童子が配祀され西北位に入り江を結界しています。
この故にこの峯域を入江の宿と称します。

さて、この金剛童子(宿着童子)は村置くのこの南谷池に鎮座します。
悠久の激動苦難の時代を超えてこの葛木一円を村落を諸悪鬼から堅固に守護しています。

宝照院鉄山 記

【紀伊路】山中渓~伊太祈曽⑦へ続く

【紀伊路】山中渓~伊太祈曽⑤

前回まではこちらをご参照ください。
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽①
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽②
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽③
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽④

今回は地図上でこのあたりのお話です。

日本最後の仇討ち場

関所跡からほどなくして、和歌山と大阪の県境に入ります。
この県境に「境橋」という橋がありますが、そこが「最後の仇討ちの場所」とされているところです。

阪南ライオンズクラブの石碑より

安政4年(1857年)土佐藩士広井大六は、同藩士棚橋三郎に、口論の末切り捨てられた。

大六の一子岩之助は、当時江戸に申し出て、いわゆる「あだうち免許状」を与えられた。

(安政5年)岩之助は、加太にひそんでいた三郎を発見し、紀州藩へ改めて、あだうちを申し出たところ、紀州藩としては「三郎を国払いとし境橋より追放するので、あだうちをしたければ境橋付近、和泉側にて、すべし・・・」と伝えられた。

文久3年(1863年)、岩之助は境橋の北側で三郎を待ち受け、みごとにあだうちを果たしたとされる。

これは、日本で許された最後のあだうちであると伝えられる。

・・・紀州藩って、結構和泉にいろんな人を追放してますね(笑)

ところで、敵討ち(仇討ち)の制度って、ご存知でしたか?
敵討ち

江戸にはきちんと制度化されて法的にも許されていたんですよね。
しかし、1873年(明治時代)に禁止されました。
中には女敵討ち(めがたきうち)もあり、婚外の性交渉をした妻とその相手に対して行うことができたのだとか。
不倫が横行している今の世であればどうなっているでしょうね(笑)

葛城修験行場

説明看板があるのですが、残念ながら字がかすれて読めないところがありますので、読めるところを抜粋して要約します。

この場所は葛木修験の行者をはじめ、旅人もみなこの境川で身を清めてからお国入りをした、大事な行場の一つです。
ここには桜の大木があり、地蔵尊が祀られていました。現在は境谷村の入口に移されて祭祀されています。

これくらいしか判読できませんが、葛城修験の行場であることは間違いないようです。

平成30年に行者さんが訪れているようです。

葛城修験についてはこちらをご参照ください。
日本遺産 葛城修験

【紀伊路】山中渓~伊太祈曽⑥へ続く

【紀伊路】湯浅~紀伊内原

お天気にも恵まれたので、今日は湯浅~紀伊内原まで歩きました。
紀伊路最大の難所・鹿ヶ瀬峠(ししがせとうげ)がありますが、峠までの上り道はすべて舗装されているため、意外と楽です。

前回は雨に祟られて「修行」の様相でしたが、今回は空気も乾燥していたので非常に気持ちよく歩くことができました。
前回の記事はこちら
【紀伊路】紀伊宮原駅~紀伊内原駅

今回は道中の花や王子跡などの説明看板を読みながら、ゆっくりとこの区間の16.9kmを歩きました。

一人で歩く時はどうしてもガンガン歩いてしまいますが、こうやってゆっくりと道中の景色は物語を読みながら歩くこともいいものです。

この季節はミカンやジャスミンの花の香りが古道を漂っていました。
また、イバラの花も一度匂いを嗅いでみてください。
本当にバラの香りがしますよ。

紀伊内原に到着後、近くのカフェ・コンペイトウでお茶をしてから帰りました。
ランチのオムライスも美味しいですが、バタートーストは当たりでした。
正方形のトーストに厚切りバターが乗っていて、お好みでメープルシロップをかけて食べます。
一度お試しを。

帰りに少し寄り道をし、煙樹ヶ浜でしばしまったりしました。

【紀伊路】山中渓~伊太祈曽④

前回まではこちらをご参照ください。
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽①
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽②
【紀伊路】山中渓~伊太祈曽③

地図では赤丸の場所にあたります。

旧庄屋跡

説明看板より

この古い屋敷は、江戸時代中期の建物(築後約270年。一部補強改修)で、当時の庄屋の屋敷である。

広い土間、数多くの部屋、太い梁の木組、土蔵、煉瓦づくりのアーチ型の裏門、広い庭園など泉州屈指の屋敷である。

庄屋は村の統率者で、組頭、百姓代と共に村方(むらかた)の三役で、その最上位である。

郡代、代官の命を受けて村の統治にあたり、村の雑事から年貢の割当てなど責任のある仕事にあたった。一般に関西では庄屋といい、関東では名主と呼ばれていた。

築270年とは驚きです。
昔の日本建築の技術の高さをうかがい知ることができます。

ほこらさん

説明看板より

古老の話では、昔このあたりに尼寺がありここの墓の三基は尼僧の墓である。
他の一基はこの辺一帯は湿地で蛇が多く住んでいたので蛇塚であるといわれている。

新道ができるまでは、土壁の西に南向きに建てられていたもので、土壁の南の小道は八王子神社(下之宮)への参道であった。

村の人たちは親しみをこめて「ほこらさん」とよんでいる。
古くからお参りすると、健康で頭が良くなると言われていて、いまでも花や線香が立てられ、お参りが絶えない。

おそらく、立派なもの三基が尼僧のものでしょうね。
お参りするのを忘れました(笑)

ここから再び山中渓駅に戻ってきました。
先に進みます。

山中関所跡

説明看板より

この地は、熊野街道(熊野古道)の山中関所跡地で東西から山がせまり、間に川が流れ、関所としては最も良い場所である。

南北朝時代に岸の和田氏の一族、橋本正高氏がここに関所を設けて関銭を課した。

応永2年(1395年)長慶天皇が河内の観心寺に法華堂の造営のために、この山中に関所を料所とされたとの記述がある。

この関所で課せられた関銭を前記の法華堂の造営のためにつかったものとおもわれる。

村の人は、ここを「ほけんとう」と今でも呼んでいるが「ほっけどう」が「ほけんとう」にかわったものであろうと云われている。

なお、この関所は、江戸時代に入って廃止された。

写真の石碑には

奉納大来妙典 永禄十二年 六十六部 浄泉 供養所 九月吉日 敬白

と刻まれています。
関所跡と関係があるのかどうかはわかりません。

六十六部とは、今で言うところの都道府県のことで、その霊場に法華経の写経を納めて回る行脚僧がいました。
66ヶ国すべてを回った記念に「六十六部廻国塔」を建てることがあります。
大辺路富田坂に入る手前の富田集落にも廻国塔があります。
この碑が廻国塔かどうかはわかりませんが。

【紀伊路】山中渓~伊太祈曽⑤へ続く

英語クラスで古道歩き

私が指導している英語クラスの方々、アメリカ人の友達とその奥さんと一緒に、熊野古道を歩いてきました。

コースは牛馬童子口~継桜王子を予定していましたが、午前中は天気予報の予測に反して結構雨が降りましたので、全部を歩かず、一部だけを歩きました。

午前中に車で継桜王子と中辺路美術館を訪れ、小鳥の樹で昼食を取り、午後から近露から牛馬童子口まで歩きました。

英語の上達はいかにアウトプットを訓練するかによると思います。
とくに私が重要視しているのが中学英語です。
中学英語は会話に必要な文型が非常によくまとめられているので、この「土台」をしっかりと築くことで、ほとんど言いたいことが言えるようになってきます。

うちのクラスでは、まずどんどん話すための瞬間英作文トレーニングをやり込むようにしています。

自分で言えるフレーズは聞き取ることもできますので、リスニング力の強化にも繋がります。

今日はなるべくみなさんに英語を使ってもらいたくて、以前から企画をしていました。

午後からは急速に天気が回復してきましたので、距離は短かったですが快適に歩くことができました。

コースを変えながらシリーズ化していく予定にしています。

もし興味のある方がいましたら、このイベントに参加してもらってもかまいませんよ。
で、英語を一緒に学びたいと思ったら入会してください(笑)
中学英語アウトプット訓練教室

いやー、最近楽しいことばかりしてるなぁ(笑)

ぜひ、このオーラをおすそ分けしたい(笑)