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【紀伊路】湯浅駅~紀伊内原駅①
【紀伊路】湯浅駅~紀伊内原駅②

汗かき地蔵(地蔵寺)
説明板より
地蔵菩薩は桧材を使った寄木造の立像で、像高は161.8cm
台座には一重の蓮華座が用いられています。
地蔵菩薩の表面仕上げには、体の部分は漆下地を施し、着衣は素地として古色を施しています。
また、作風から制作時期は鎌倉時代(13世紀半ば頃)と推定されます。
地蔵菩薩は「汗かき地蔵」と呼ばれ、鹿ヶ瀬峠を越える旅人が弱ると背中を押して助けたので額に汗をかいているのだという、ゆかしい伝承が残っています。
地蔵寺が熊野古道に面していることや「汗かき地蔵」の言い伝えから熊野参詣の道中を守る神仏として旅人から信仰されていたことも想起されます。
寄木造(よせぎづくり)とは、いくつかの木材を組み合わせてつくる工法をいいます。
対して、一木造(いちぼくづくり)は文字通り、一本の木からつくりますが、そのためには相当大きな木が必要です。
寄木造とは
上記リンクの説明の最後に、「寄木造の基礎は、奈良時代の乾漆像に用いられた木心(もくしん)制作の技法が発展したものとも、中国の造像技術から得たものともいわれるが、日本の寄木技術は中国でさえ及ばないような極度の発達を遂げている」と書かれていますが、中国の造像技術から来たものではないと思います。
今でも、ハイブリッド車をつくることすらできない国ですから。
何でもかんでも中国から伝わったという考えは、やめたほうがいいです。
古色とは、人工的に古く見せる塗装の技法です。
古色仕上げ
高野山にも「汗かき地蔵」がありますね。
人間の苦しみや悲しみを一手に引き受けてくれると信じられていて、人々を救済するために奔走し汗をかいているように見えることから名づけられたそうです。
お地蔵さんは世のため人のために奔走していて、忙しいんです(笑)
東の馬留王子
河瀬(ごのせ)王子からほどなく歩くと、東の馬留王子跡に到着します。
河瀬王子から0.7km。
・・・ちょっと王子間の距離が短すぎるように思いますが。
「東の馬留」があるなら、「西の馬留」もあると思われた方、鋭いです。
鹿ヶ瀬峠を越えた後に西の馬留王子が登場します。
説明板より
熊野御幸が盛んなころ、上皇や女院、貴族たちは、この峠を越えて熊野に参詣しました。
しかし、御幸時代の王子社を克明に記録した藤原定家や藤原頼資の日記には、馬留王子の記載がなく、それよりも新しい王子社と考えられます。
江戸時代に書かれた若山(和歌山市)から熊野までの道案内書、「熊野道中記」には、津の瀬王子の次に、沓掛王子、次に鹿瀬山が載せられており、この王子は沓掛王子と呼ばれていたことが知られます。
ところが、「紀伊続風土記」では、この王子を沓掛王子というのは誤りだとして、馬留王子社と書いています。
以降、この王子社は馬留王子社といわれ、明治時代には、馬留王子神社となりましたが、神社合祀で、津木八幡神社に合祀されました。
なぜ突然「馬留王子」という呼び名が出てきたのか、謎です。
先ほども書いたように、河瀬王子からの距離が短すぎます。
鹿ヶ瀬峠を越えたところにも「馬留」があることから、おそらく、峠をはさんだ両側のふもとに、荷物を運ぶための馬を常備していたのでしょう。
それを「王子」と誤認?したのではないかと思います。
鹿ヶ瀬峠
東の馬留王子を過ぎると、いよいよ紀伊路最大の難所・鹿ヶ瀬峠です。
約2.2km、ゆっくり登って1時間くらいはかかると思います。
藤原定家らがここを歩いた時は、もちろん舗装などされているわけがなく、まさに「崔嵬険阻(さいかいけんそ)」だったでしょうね。
今は舗装されているので、思ったほどキツいとは感じませんでした。
ただし、急坂はあります。
鹿ヶ瀬峠の頂上(「峠」っていうんですよね)を「大峠」と呼んでいます。


大峠の説明板より
道沿いには、道中の安全を祈願した王子社が数か所あるが、現在は河瀬王子のみその跡を留めています。
また、井関・河瀬地区は宿場町としての要衝の地であったといわれ、今もその当時の屋号で呼称される民家も数多くあります。
鹿ヶ瀬峠は熊野路の難所の一つであり、大峠(この地)は当時、茶屋・旅籠があり賑わいを見せていました。
周辺には養源寺の草創と伝えられる法華壇や南北朝の争いを伝える鹿ヶ瀬城跡もあります。
説明板にもあるように、峠を下りきったところには養源寺の前身である「鹿ヶ瀬法華寺」があったようです。
後に、徳川吉宗公より、頼宣公の御殿跡地を寄進され、そこに移転されて「養源寺」と改称されたとのことです。
養源寺
私が歩いた時は、鹿ヶ瀬峠にはナルトサワギクが満開でした。
ナルトサワギクは外来種で、1976年に徳島で初めて確認されてから、あっという間に西日本に広がりました。


熊野古道最長の石畳
大峠からはしばらく未舗装の道を下り、小峠に至ります。
小峠からは、熊野古道最長(503m)の石畳を下ります。
・・・雨の日は歩きたくないなぁ。

金魚茶屋跡
説明板より
この説明を読点で区切ることなく、一文で仕留めていることに感服(笑)
「金魚茶屋」って、いい響きですね。
よほど金魚が目立っていたのか、それとも金魚くらいしか目玉がなかったのかは分かりません(笑)
江戸時代って、金魚は結構珍しかったのかもしれませんね。
なので、わたしは前者を支持します(笑)
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