【紀伊路】紀伊宮原駅~湯浅駅⑥

前回まではこちらをご参照ください。
【紀伊路】紀伊宮原駅~湯浅駅①
【紀伊路】紀伊宮原駅~湯浅駅②
【紀伊路】紀伊宮原駅~湯浅駅③
【紀伊路】紀伊宮原駅~湯浅駅④
【紀伊路】紀伊宮原駅~湯浅駅⑤

深専寺

案内板より

深専寺は、奈良時代、行基により開かれた海運院を前身に、寛正3年(1462)に明秀上人が再興した西山浄土宗の寺院である。

寛文3年(1663)に建立された本堂をはじめ近世に整備された堂舎が広がる境内は、醤油醸造家たちも行き来した熊野街道沿いにあり、聖護院門跡らの熊野入峰の際には宿舎としても利用された。

門前に立つ「大地震津波心得の記碑」には、当地の醤油醸造家らの名が寄進者として刻まれている。

その「大地震津波心得の記碑」です。

大地震津なミ心え之記

嘉永七年六月十四日夜八ツ時下り大地震ゆり出し 翌十五日まで三十一ニ度ゆりそれより小地震日としてゆらざることなし 

廿五日頃漸ゆりやミ人心もおだやかになりしニ同年十一月四日晴天四ツ時大地震凡半時ばかり瓦落柱ねぢれたる家も多し川口よた来たることおびただしかりしかとも其日もことなく暮て翌五日昼七ツ時きのふより強き地震にて未申のかた海鳴こと三四度見るうち海のおもて山のごとくもりあがり津波といふやいな高波うちあげ北川南川原へ大木大石をさかまき家蔵船みぢんニ砕き高波おし来たる勢ひすさまじくおそろしなんといはんかたなし 

これより先地震をのがれんため濱へ逃あるひハ舟にのり又ハ北川南川筋へ逃たる人のあやうきめにあひ溺死の人もすくなからず 
すでに百五十年前宝永四年乃地震にも濱邊へにげて津波に死せし人のあまた有しとなん聞つたふ人もまれになり行ものなれハこの碑を建置ものそかし 

又昔よりつたへいふ井戸の水のへりあるひハにごれハ津波有へき印なりといへれど この折には井の水乃へりもにごりもせざりしさすれハ井水の増減によらずこの後萬一大地震ゆることあらハ火用心をいたし津波もよせ来へしと心えかならず濱邊川筋へ逃ゆかず深専寺門前を東へ通り天神山へ立のくべし 恵空一庵書

すこし読みにくいですが、生々しい記述とともに、避難経路の指示と、近づいてはならない場所について書かれています。

先人たちは子孫を想い、自分たちがしたこのような苦しい経験をさせないようにしたいという意図がひしひしと伝わってきます。

私の近くにある飛鳥神社にも、同じく宝永四年に起こった地震による津波の警告板があります。
この警告板は、毎年例祭の時に掲示し、参拝者に注意を喚起しているそうです。

上記文中にある「半時(はんとき)」とは、約1時間のことだそうです。
湯浅でも、白浜でも同じように約1時間も揺れる地震とは、ちょっと想像できません。

湯浅駅

2020年に、図書館や観光センターが入った複合施設的な建物に生まれ変わりました。
以前研修に来た時はまだ改築中でしたが、非常にきれいな駅舎になりました。

駅前には駐車場があり、最初の2時間は無料、以後1時間ごとに100円、24時間最大で500円で駐車できます。

駐車台数は63台です。
湯浅町営駅前駐車場