縄文時代と稲作④

稲作がチャイナの福建省あたりから山東半島を経て遼東半島、そして朝鮮半島を経由して日本に入ったという説がありますが、そもそも山東半島周辺は乾燥していて稲作には向いていませんし、朝鮮半島北部は水の流れが良くないので、稲作ができませんでした。

現在、朝鮮半島北部は稲作地帯になっていますが、日本人が移住をしていた時に、遠くから水を引いて米を作れるようにしたからです。
その恩恵があり、現在は稲作ができるようになっています。
そのことを知ってか知らずか、お米が穫れているので「日本よりも先に稲作が始まった」というようなことを言っているのです。
あわよくば、「日本に教えてあげた」のように言っています。
呆れますね。

・・・まあ、こういった類の主張は、朝鮮の「得意技」ですよね。
以前、サッカーの日本人観戦者が、試合後に掃除をすることが話題になりましたが、あれも「元は俺たちが始めたことだ」とか言っていましたね。
仏像は盗んで返しませんし、いつまで経っても「謝れ」「誠意を見せろ」と言ってお金を巻き上げる・・・煮ても焼いても食えないどうしようもない国です。

縄文時代と稲作③

約3万年~4万年前、日本ではすでに優れた航海技術があったことが示唆されたわけですが、では、稲作についてはどうなのでしょうか。

お米の成分に含まれているガラス成分である「プラントオパール」というものが、8000年前の遺跡から発掘されました。
ということから、どうも8000年前にはすでに米を食べていたらしいのです。

この頃(6000年~8000年前)は、西日本は熱帯であったことが分かっています。
今の熱帯と温帯の境界は台湾の北部と南部ですが、太古の昔はその境目がずっと北にあったわけです。

稲というのはもともと熱帯性植物です。
そして、熱帯には雨季と乾季があります。
雨季と乾季があると、そこに稲が自生します。
このことから、稲作をしていたのではなく、西日本一帯に稲が自生していて、それを食べていた、ということになります。

ところが、今度は寒冷化が進み、自生していた稲が育たなくなってしまいます。
そこで、稲を「騙す」ために灌漑用水を整え、強制的に「雨季」を作って稲を育てるようになりました。

とはいえ、この頃は狩猟採集生活が主であったため、ドングリ、椎の実、栗などの木の実や、魚や貝などを食べながら、米「も」食べていたというのが、当時の食生活であったようです。




縄文時代と稲作②

ところが、戦後に考古学が発展し、日本各地で次から次へと遺跡が発掘され始めます。
そうすると、「我が国は皇国史観である」と言って「お上」から目をつけられるようになります。
そのおかげで考古学がまったく進みませんでした。

そうした中、昭和26年に磨製石器が発掘されます。
世界では約8000年前から磨製石器が使われ始めたとされる中で、日本のそれは約3万年前から使われていたことが分かりました。
その後も日本各地で磨製石器が発見され、沼津と長野で発見された石器は、伊豆半島の突端から海上約67kmにある神津島でしか採れない石で作られたものでした。
そしてそれが約4万年前のものだったのです。

神津島まではもちろん、泳いで行くこともできませんし、潮流が速いので丸木舟で渡ることもできません。
ましてや、万一丸木舟で渡れたとしても、帰りに石を積んで帰って来ることなんてできません。
とすると、アウトリガー付きの帆掛け船でなければ、島に渡って石を積んでくることなど不可能と考えるべきです。

ということで、約3万年~4万年前にはすでに日本ではそれだけの航海技術を持っていたということになります。

また、海で海藻や魚を採って生活を営んでいたと考えられるようにもなりました。


縄文時代と稲作①

今日も小名木善行さんのお話です。

学校では、弥生時代に稲作が始まったと教わりました。
縄文時代は狩猟採集生活であり、突然稲作が大陸から伝わり弥生文化が始まったと。

戦前・戦中にはそういった説もあったそうですが、戦前はそもそも、縄文時代・弥生時代という考えはありませんでした。
縄文式土器・弥生式土器というものはありましたが、時代区分としての縄文・弥生というものはありませんでした。

稲作に関しては、はっきりとしたことが分かっておらず、天照大神から稲穂を授かってから始まったという教え方を学校でしていました。
しかし、戦後のGHQにより神話教育が全否定されることとなります。
それで、どうやって稲作が始まったのかの説明をすることが難しくなり、縄文式土器・弥生式土器の違いがあるところから時代区分を作り、その合間に稲作が伝わったということにすればわかりやすくなるのではないかということで、かなり意図的にその「風説」が作られました。

そしてそれがまかり通るようになり、教科書にもそのように載るようになります。

入会基準

当会では、入会していただくにあたり、一定の基準を設けています。
もちろんすべてを公表はできませんが。
以前のNPO法人では、NPO法人の制度上、入会基準を設けることはできませんでした。
しかし、一般社団法人ではその基準を設け、入会に制限をかけることができます。

うちの基準は結構厳しいと思います。
いままで結構な人数をお断りしてきました。
これは、当会の前身にあたる団体で、いわゆる「迷惑会員」がいたために会の運営に支障を来たすまでに陥ったからです。
また、他の団体の総会に何度か出席しましたが、その時にもくだらない質問をしつこくして、その回答の揚げ足を取ってさらに質問をし、議事の進行を妨げているとしか思えない人も見てきました。

このような会員がいると、物事がスムーズに進まなくなります。
今後当会では、こういった類の会員を入会させないためにも、基準をアップデートしながらさらに制限をかけていくことになるでしょう。

当会では、面接の後に古道歩きをします。
場合によっては2回、3回とする場合があります。
入会させることは簡単ですが、ひと度迷惑会員が入会すれば、そう簡単に退会させることができないのが現在の一般社団法人法です。
なので、入会させる場合は慎重に慎重を重ねています。
そして、いくらスキルが高くてもお断りする場合もあります。

そうやってもなお、その網目をくぐって迷惑な人というのは現れます。
基準とは別に、わたしはこれまで、教える立場から色んな人を見てきたせいか、だいたい第一印象で良いか悪いかが分かります。
それでも一応は基準に沿って話を進めますが、やはりダメな人はどこまでいってもダメです。
それは先入観ではなく、やはり客観的に見てもダメなのです。
以前は他の役員も一緒に面接に来てもらい、彼らの意見も参考にして入会を決めていましたが、私の意に反して役員が「いいと思います」と言って入会した会員は、やはり後で問題を起こすことが多いです。
それ以来、他人の意見を参考にすることはやめました。

結局、Goサインを出した役員も、その会員が正会員でなければ、ほとんどその会員と接点がありません。
研修でたまに顔を合わす程度です。
しかし、事務局員や私は絶対にその関係を疎遠にすることはできません。
結局困るのは自分たちです。

もちろん、何かを決める時には反対意見が重要な時もあり、お互いの着地点を見出すことができればそうしますが、すべてそうなるわけではありません。
今の自民党と公明党の関係とよく似ています。
自民の案に対して反対するのが公明です。
最近の出来事では、対中決議案が公明の反対で実質「骨抜き」にされましたよね。
いくら妥協でも、これでは自民の譲りすぎです。
こうなれば、本来の目的が達成されることはありません。
時にはトップが「こう」と決めれば、部下の反対を押し切ってでも自分の意志を貫いていかなければならない時があります。
トップには「その先」が一番見えているからです。
常に「全体最適」を考えているからです。
その結果、結局は成功したという例がたくさんあります。

新たに追加しようと考えている基準は、和歌山県の高野・熊野地域通訳案内士の研修を受講した人、または受講の意志がある人というものです。
ここで私が講師をしている関係上、受講生がどんな意識を持って参加しているのかがよく分かるからです。
そこからその人の人物像もよく見えるからです。
現に、これを受講していない通訳案内士が何年か前に入会しましたが、プロジェクトを立ち上げる度に「これをやる目的を教えてくれ」と言い出しました。
はっきり言って、そんな目的をいちいち説明して納得してもらわないといけないような面倒な人と一緒に活動はできません。
そんな時間など私にはないからです。
結局「私は社員ではない、会員だ」などと言って協力を拒否し、挙句の果てには批判の長文メールを送ってくるようになりました。
これは、一般社団法人を理解していない、ただの輩です。
ちなみに、この人物も、私が直感で「こいつはダメ」と思っていた人です。

一応基準は作ってはいますが、昨年は、信じるべきものは自分の本心だということがよく分かった1年でした。

ガイドと行く 新宮市内観光名所巡りバスツアーに参加してきました

先日、神倉神社の下見に訪れた時に、知り合いの語り部さんと偶然出会い、このツアーの存在を知りました。

王子ヶ浜をバス車中から見ながら通過し、神倉神社、速玉大社、新宮城、阿須賀神社を、語り部さんの説明を聞きながら巡ります。
バス、語り部さん、添乗員付きで一人2,000円。
さらに新宮市で使用できる2,000円分の商品券付きという大盤振る舞い。

今日は神倉神社が終わった後に雨が降ってきましたが、神倉神社の後だったのでよかったです。

さすがは地元の語り部さん。
伝えるべきところを無駄なくわかりやすくお話してくれました。
やはり色んな語り部さんからの説明を聞くことは重要ですね。
今回も新たな話題があり、勉強になりました。
地元の方から案内を受けることは、その方の昔話なども聞くことができ、非常に面白いです。
当会が「ガイドの地産地消」を目指している理由の一つです。

今回のツアーは添乗員付きでしたので、各スポットの終了前にバスと連絡を取り、ちょうど終わったタイミングでバスが迎えに来てくれる絶妙の連携にも感銘を受けました。

え?感動するところが違う?(笑)

今回は実証実験だったそうですが、今後はアンケートを元に改善を加え、商品として売り出すのかもしれません。

次回もあれば参加しようと思います。
うちのメンバーにもお知らせすれば良かったです。

ツアー後は久しぶりに以前お世話になった方ともゆっくりお話することができ、充実した一日でした。

昨日は大辺路歩き、今日は新宮ツアー、明日は再び海南駅から歩きます。

長距離を歩くコツ

穏やかな日差しが降り注ぐ中、長距離ウォークを楽しんできました。
道中では今年始めてのウグイスの鳴き声が聞こえ、春の到来を感じさせててくれる一日でした。

古座駅を出発し、八郎峠、市屋峠、ニ河峠と歩き、湯川駅までの約20数キロを歩く予定でしたが、思ったより早くニ河峠を終了したので、もう一つの峠・駿田(するだ)峠を越えて紀伊天満駅まで行ってしまいました(笑)

合計約27kmを約7時間で終えました。

長距離を歩くコツは、3つあるかなと思っています。

一つ目は、決してオーバーペースにならないようにすることです。
イメージとしてはジョギングをする感覚と似ています。
たとえば10kmを完走しようとすれば、1kmをどれだけのペースで走らなければならないかを考えるのと同じです。
仮に1kmを5分で走る人が、勢い余って3分で走ってしまうと最後まで持ちませんし、走り切れたとしても疲労度が増します。

ニつ目は、なるべく一定のペースで歩くことを心がけます。
上りや下りで多少スピードが変わることは仕方ないですが、それ以外は一定のスピードで歩くことです。

ちなみに、今日はゆっくり歩いたつもりでも、1時間で約4kmのペースでしたので、少し早かったかもしれません。
もっとゆっくり歩いても良かったかもしれません。
特に一人だとペースが早くなりがちです。

三つ目は、あまり長い休憩を取らず、ガッツリと昼食を取らないことです。
特にこの時季の長時間の休憩は、体が冷えて体が重くなりますし、たくさん食べてしまうとさらに体が重くなってしまいます。
休憩は短めにし、行動食やお弁当などを少しずつ食べながら歩きます。

さて、今日は流石に3連休ということもあって、八郎峠には人がいました。
ただ、その周辺で2組見かけただけであとは誰にも会うことはありませんでした。

それと、足を酷使したあとは膝などに炎症が起こっている可能性がありますので、基本的には冷やさないといけませんが、温泉だけは別で、疲労回復効果はもちろん、消炎効果もあるような気がします。
本当に「ただのお湯」ではありません。

ただし、源泉かけ流しに限りますがね。

ご参考にされてください。

最後にRelive動画を貼り付けておきます。
どこをどう通ったかが分かりますし、距離や所要時間ももちろん記録してくれます。

健康を維持するには?

人間、生きている以上健康でいつ続けられません。

風邪を引いて熱や咳が出たり、頭が痛くなったり、虫歯になったり、お腹を壊したりと、常に病気にさらされています。

しかし、免疫力が高い状態であることが健康の元であり、病気を遠ざけることになります。

何でもそうなのですが、健康であることによって人は様々な活動ができます。

ガイドをするにも健康でなければ活動はできません。

そこで、吉野敏明先生のお話を元に、健康についてまとめたものを共有させていただきます。

対症療法は小学生でもできる?

お腹が痛ければ鎮痛剤、頭が痛ければ鎮痛剤、熱が出れば解熱剤という処方であればこれは「お医者さんごっこ」です。

「症状に対してこの薬」で対処できるのであれば、丸暗記で済みます。

ということは、これを全部覚えれば済むことなので、頭がいい小学生ならだれでもできることになります。

健康の天秤

病原体と自己免疫が天秤だとすると、その重心にあたるのが「リスク因子」であり、そのリスク因子も移動します。

健康でいつづけるためには、この3点のことを考えないといけません。

自己免疫の皿が重ければ病気にならないし、病原体の皿が重ければ病にかかる、ということです。

もう一つの「リスク因子」ですが、昔はその移動があまりありませんでした。

みんな同じようなものを食べて同じように日を浴びて、同じように活動をしていればリスク因子は発生しません。

しかし現代は、たとえばマンションに住んでいて向かいに高いマンションがあれば日中でも電気をつけなければいけませんし、夜になってもずっとスマホを見ている人には、いつまでたっても夜が来ません。

つまり、自分自身でリスク因子を生み出してしまい、自己免疫力を落としてしまっているのです。

まずは原因の除去

「夜になっても眠れないので睡眠薬をください」という人が夜もずっとスマホを見ているのであれば、まずそのスマホをやめるべきであり、「朝になっても目が覚めない」という人は電気をつければいいわけで、まずは薬よりもその要因となるものを除くことが必要です。

コンビニ食や加工食品などもその要因です。

人間が食べたものをエネルギーに変換するには、まずブドウ糖に分解し、それをピルビン酸に変えます。

しかし、食品添加物が入るとそれがピルビン酸にならずに乳酸に変化します。
これが、細胞が壊れたり癌になったりする原因です。

なのでまずは、加工食品(工場で作っているもの)は極力食べてはいけません。

それを避けることによって、癌にならず、疲れない体になるというとこです。

そもそも、健康になるために良かれと思ってやっていることもNGです。

サプリメントを摂ったり、エナジードリンクを飲んだり、医者に通ったり、眠れなかったら睡眠薬を飲んだりしていませんか?

健康を維持するためにエナジードリンクもサプリも必要なく、大地で太陽を浴びて育ったものを食べる、これが健康の源です。

わたしたちは食べたもので出来ている

私たちは、食べたものと吸った空気と水しか原料がありません。

これらをまずきれいにする方法を考える他、方法はありません。

そうすることによってリスク因子がなくなり、自分の免疫が下がることがなくなります。

そうなるとあとひとつの原因である病原体しかなくなります。

昔は奴隷制度が世界各国で行われ、公衆衛生が劣悪でした。
それが原因で疫病がまん延しました。
しかし、奴隷制度がなくなってからは、公衆衛生も良くなり、疫病は激減しました。

そもそも、日本には奴隷制度がなかったため、昔から公衆衛生は発達していたほうでした。

糖尿病の患者数は、この50年で50倍になったそうです。

この20年で癌の患者は2.5倍です。

何よりも時間が大切

健康に投資することが一番重要です。

サプリメントや薬に投資することではありません。

万一病気になってしまえば、その苦痛はもとより、お金と時間がかかってしまいます。
通院しても最低それだけで半日、最悪丸一日潰れてしまいます。

お金は何とか取り戻せますが、消費した時間は永遠に戻って来ません。

その大切な時間を病気で取られないためにも、まずは食から見直すことが重要です。

紀伊路・藤白坂~拝の峠

以前、藤白坂から加茂郷駅を何度か歩きましたが、橘本王子で古道から外れ、加茂郷駅までの道のりが退屈だったので、いっそ紀伊宮原駅まで歩いてはどうかと思い、行ってきました。

結論から言うと「万人向けではない」と思いました。

距離が約14kmあり、峠越えが藤白坂と拝の峠の2箇所あります。
これまでお客様をお連れした経験から、この道を歩けばお客様がどのような反応をするか、だいたい想像ができます。
今日歩いてみて、気軽に歩けるようなコースではないと思いました。
おそらく、普段からトレッキングをしている人なら全然余裕なルートですが、おそらく、ガイドをつけるようなお客様であれば、途中で根を上げるかもしれませんね。

上りも急坂ですし、下りも急なところがあり、ほとんどが舗装されていますので足へのダメージも考えられます。

しかし、道中には五体王子の藤白王子(神社)をはじめ、塔下王子、橘本王子、所坂王子、一壺王子、蕪坂塔下王子、山口王子とあり、それぞれ見どころもある上に、景色のいいところが数箇所あり、また、晩秋から冬にかけてはミカンが鈴なりの中を歩きますので、健脚の方なら楽しんで歩けるかもしれません。

藤白坂の道中より
藤白坂
藤白坂を越えたところ
拝の峠手前からの景色
蕪坂塔下王子を過ぎたところ
すでに温州は終わっていましたが、はっさくが残っていました

ただ、何度も言うようにほとんどが舗装された道ですので、山道のトレッキング目的の方には向かないかもしれません。

あと、歩く人を困らせていた「謎解き」のような看板ですが、看板が追加されたので幾分わかりやすくなっていました。
もうね、これを見た瞬間思わず笑ってしまいました。
いったいどの道を進んでいいのか分からない(笑)
だって、本当の道はあと一本あり、それが看板に書かれてないのですから。

ミカンの原種とされる橘。
実が小さくて可愛いです。

藤白神社の「円座石(わろうだいし)」
大酒家が酒を断つためにこの石に酒を飲ませて祈願すれば酒嫌いになる言われており、今では深酒を心配して健康を祈る家族の姿が時折見られるそうです。
謂われも面白いですが、それ以上にやっぱり「だ」になるところが和歌山らしくて面白いですよね(笑)

今日は午後から雨が降り、気温が低く寒かったです。
5時間で歩き終えました。
紀北の電車は本数が多いので便利です。


四大文明の嘘④

モンゴロイドはたくさんの食べ物を持っています。
そして争いがありませんでしたので武器を持っていません。
コーカソイドは獲物がなければ食べることはできませんので、基本空腹です。
そして武器を持っています。
・・・となれば、この話の展開は見えますよね。

モンゴロイドたちは襲われ、食べ物を奪われ、法律などないような時代ですから女性たちは強姦され、最後は皆殺しにされました。

殺された方のモンゴロイドは当然怒ります。
そして、殺されたことの恨みがこもっていますので、報復の仕方が残酷になります。
残酷に仲間を殺されたコーカソイドはさらに残酷にモンゴロイドに報復をします。
これを繰り返すうちに残酷さが増していきました。

そして、いつの間にか血が混じって、外見はモンゴロイド、中身はコーカソイドという人種へと変化していきました。
これが今のチャイニーズです。

もともと、日本と同じ民族であった人たちが、他民族との争いのなかで他の人種へと変貌をしたということです。
このお話は、アイヌと似ています。
アイヌは先住民族だという人が大半だと思いますが、もともと今の北海道にあたる土地にも縄文人がおり、樺太・大陸と陸続きだったために大陸からやってきたオホーツク人に襲われ、殺され、強姦され、一度は北海道から駆逐されてしまいました。

これによって生まれたのがアイヌ人です。
アイヌの登場は13世紀の鎌倉時代後期です。
先住民でも原住民でもありません。

これらのお話から分かるように、大陸の文化というのは略奪と殺戮による支配です。
一方、日本のそれは協調と助け合いによるものです。
どちらが「文明」といえるでしょうかね。

ということで、もともと、黄河文明というのは、自国に失望していたチャイニーズを励ますために日本人が教えてあげたものであり、成立の年代も適当に決めたということが分かりました。
それよりも、文化的にもっと先を行っていたのが縄文文明だと思います。
もし、「四大文明」に入れるのであれば、黄河文明より縄文文明だと思いますがね。