五族協和を実現した理想郷の満州国

1週間にわたり、様々な分野の方のお話をご紹介していきます。

今日は小名木善行さんのお話から。

満州というと、「州」という字を書きますが、実は本来は「洲」が正しい表記です。
満洲というところは作物が取れないところでした。
水がなかったからです。
ところが、満洲は土が非常に肥えていました。
ということは、水を引きさえすれば、作物が採れるようになることを意味します。

そこで、昔からこの地で細々と栽培されていた大豆を栽培しようということになりました。

この「発起人」が当時の三井物産の上海支店でした。
さらに、収穫した大豆をシベリア鉄道に載せてヨーロッパに販路を開こうとします。
それに先駆けてヨーロッパでは大豆を使った料理の紹介を始めました。

そして水路を開き、大々的に大豆の栽培の乗り出しますが、これが当たり「満洲大豆」という名で、世界の大豆の約半分のシェアを誇るまでになりました。

この大豆を効率よく運ぶため、鉄道が網の目のように細微されました。
その線路と線路が交わるところにはターミナル駅ができ、そこでも大豆の取引が行われていたために大きなお金が動く関係から銀行ができるようになり、ひとつの大きな街ができるようになりました。

こうして満洲は目覚ましい発展を遂げます。

ビルの中には当時では珍しいエレベーターができ、エレベーターガールまでいたそうです。

大豆畑を開墾するにあたっては、本来であれば耕運機で耕すのですが、当時の盛況ぶりを聞きつけた朝鮮半島やモンゴルの人たちがこぞって移り住んで来たため、その人たちの「人力」を使って作業を進めたました。

その賃金は、半年くらいで彼らの一生分くらいを稼げたそうです。

鉄道も目覚ましい発展を遂げます。

「特急アジア号」は、蒸気機関車ながら時速100kmで走行し、客室は冷暖房完備、豪華なフランス料理なども出されました。
路線の計画も、ヨーロッパはもちろん、北京、上海、ベトナム、マレーシア半島を通ってシンガポールに至る構想もありました。

また、当時は自動車もけっこう普及しはじめていたので、満洲には世界初の高速道路も建設されました。
その規模は、片側8車線(!)
残念ながら、戦争で負けてから規模を縮小して建設が再開されましたが、日本の経済協力金によって完成されました。
弾丸特急については、その技術が新幹線に応用されて現在に至っています。

そんな満洲ですが、「どこの国」ともつかない状態でいるのはいいことはないだろうということで、「五族協和」を掲げて国をつくろうとします。
満洲はもともと、女真族(清)の土地であり、チャイナの辛亥革命以降自分たちの国を持てていなかった清の元皇帝・愛新覚羅家の溥儀を擁立して満洲を治めてもらおうということになりました。

残念ながら、日本が戦争に負けてから満洲国はなくなってしまいましたが、非常に短期間に高度成長を遂げたという事実は残っています。

大切なのは、日本人も朝鮮人もモンゴル人もロシア人も漢民族も、すべて協和をし平和に暮らすという目的を掲げていたということです。

歴史を学ぶときに重要なことは、当時の先人たちがどのように考えてどう行動したのか、そこから私達はこれからどういう日本をつくっていかなければならないのかということであり、ただ単に「日本が満洲を侵略した」ということを学んでも、そこから何を学ぶことができるのかということです。

どんな時代にもいいところと悪いところがあります。

たとえば、今般のコロナショックで自粛を強いられたおかげで助かった人もいます。
バブルの絶頂期でも倒産した会社があったわけで、結局は「どこを見るか」なのです。

満洲についても同じで、「なぜ五族協和が実現したのか」ということが、この歴史の中で一番学ぶべきことではないでしょうか。

小名木善行さんのお話がつまった、こちらの本もオススメです。

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