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【熊野古道紀伊路】紀伊内原駅~西御坊駅⑤
湯川子安神社
祭神 木花咲耶姫命由緒安産の神、子授けの神、母性保護の神、育児の神
沿革
湯川氏が当地を支配していたとき、邸の一隅に明神社を祀っていたが、天正年間に静岡県大宮に鎮座の元官幣大社浅間神社より、その分霊を亀山城内の明神社と共に勧請し城主湯川直春公が息女の安産をご祈願され、無事ご安産なされました。
その後天正13年(1585年)豊臣の兵火にかかり全焼した後、現在の地に再興して子安神社と創建せされ多数の参拝の方々がご加護を賜って居ります。
明治になって再び火災で全焼し、明治15年(1883年)再興がし、昭和10年(1935年)9月本殿を修復し拝殿を新築した。
お参りの皆様方は、祭神木花咲耶姫命様に、お産が軽くありますように、また、立派な赤ちゃんが授かりますようにと、心をこめてお祈りください。
明治42年神社合祀令により13社合祀す
祭神の木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)様は、記紀神話に登場する神様のお一人で、瓊々杵命(ニニギノミコト)のお妃様です。
木花咲耶姫が一夜にして瓊々杵命の子を身ごもったことから、瓊々杵命は妻を疑います。
信じてもらいたかった木花咲耶姫は、「わたしの孕んだ子がもし天神の子でなかったら、必ず焼失せよ。もし天神の子なら、損なわれることはないでしょう」と言って産屋に火を放って3人の子を無事に産みました。
このお話から、安産の神、子授けの神と言われるようになったのでしょう。
木花咲耶姫姫様のお父様は大山祇命(おおやまずみのみこと)です。
大山祇命には、磐長姫命(いわながひめのみこと))と、妹の木花咲耶姫命がいました。
大山祇命は、娘二人を瓊々杵命の元に嫁に出すのですが、容姿端麗な木花咲耶姫にくらべて、磐長姫は醜く、瓊々杵命は木花咲耶姫だけを娶り、磐長姫を大山祇命の元へ帰してしまいました。
これを知った大山祇命は大変恥じ、「磐長姫をお送りしたのは、天津神の命が常に石のように変わらず動きませんように、木花咲耶姫をお送りしたのは、木の花が咲くように栄えますようにとの願いをかけたからです。木花咲耶姫一人が残ったのであれば、天津神の命はもろくはかないものになるでしょう」といいました。
これ依頼、天皇の命が限りあるのものとなり、寿命が短くなったといいます。
さて、木花咲耶姫が産んだ3人の子は、古事記・日本書紀はもちろん、日本書紀の中でも大きく呼び名や当てられた漢字が違います。
その理由はよく分かりませんが、日本書紀一書(第二)から引用します。
火を着けて焼いて初めて炎を出た時に生まれたのが火酢芹命(ホスセリノミコト)、次に炎お盛んな時に生まれたのが火明命(ホアカリノミコト)、次に生まれた子が彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト)でした。
この3番目に生まれた彦火火出見命の子孫が鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)で、そのご子息が神日本磐余彦尊(カムヤマトイワレヒコノミコト)またの名を神武天皇と言います。
和歌山県内で木花咲耶姫様をお祀りしている神社は?
和歌山県内で、木花咲耶姫様を主祭神として祀られているお社は結構少ないです。
串本町田原の木葉神社が有名ですが、あとは那智勝浦町内の椙吉神社、そしてこの湯川神社くらいでしょうか。
配祭神も含めて祀られているお社はこちらをご参考にされてください。
木花咲耶姫様が祀られている神社(和歌山県内)
上記は、和歌山県神社庁に登録されているお社なので、地元の小さいお社などを含めるともっと多いかもしれません。
「子安神社」と呼ばれているお社は、まず、木花咲耶姫をお祀りしていると思ってもいいと思います。
ちなみに、あまり知られていないかもしれませんが、伊勢の内宮の境内にも「子安神社」がありますよ。こちらは、お父様の大山祇命が祀られているお社もあります。
大山祇神社・子安神社
山の神の話
浅間神社は有名なのでご存知の方も多いでしょうが、もちろんこちらの御祭神は、木花咲耶姫様です。
木花咲耶姫は富士山の神とも言われています。
また、よく熊野古道でも話題に挙がる「山の神」の話ですが、この神様も木花咲耶姫様だそうです。
山仕事に行く人達は、入り口にある小さな祠にやお社にお参りしてから入るところもあるようです。
「山の神は女性の神様なので、女性が祭りや祭りの準備に参加してはならない」
「お供え物は美しい女性を連想させる鯛などではなく、見た目の醜いオコゼを供える」
「祭りやその準備などはすべては男が執り行った」
という話を聞いたことがあると思います。
しかし、これは後付けの作り話でしょうね。
これは私見ですが、祭りを汚さないことと、女性を大切にしていたからではないかと思っています。
男女の性の乱れは今に始まったことではありません。
あの空海も、高野山を女人禁制にしたのは、女性がいると湧き上がる性欲に負けて修行の妨げになるからだったと聞いたことがあります。
上皇・法皇も、熊野に参る前には約1週間の精進潔斎をしますが、この期間中は性交も断ちます。
祭りは神事であり、神聖なものですので、そこに女性が入ると良からぬことを考えて場(あるいは気)が汚れると考えた末に生まれたものではないかと思います。
赤ちゃんを産み、育てることができるのは女性だけです。
山仕事は肉体的な危険が伴いますので、そういったところへ入って万一事故でも起これば子孫を産む人が減るわけで、村の存続にも関わってくることだったと思います。
なので、女性を大切に思い、危険な山に入れないように戒めたのが女人禁制だったのかもしれません。
昔から、日本は女性にも、子供にも平等に大切にされてきました。
和泉式部や紫式部、清少納言が文学作品を書いたのは今から1000年前です。
こんな時代に、女性が文学作品を書いた例などというのは、海外ではありません。
また、ある外国人が来た時には、「子供も非常に大切に扱われている」と驚き、日記か何かに書いています。
子供の人身売買が日常だった外国に比べれば、日本の女性は子供は、格段に平等に扱われていたのです。
もちろん、日本にも人身売買がまったくなかったわけではないようですが。
ここからは信じる人だけでかまいません。
そんな木花咲耶姫様ですが、あるお方を通してメッセージを降ろされています。
こちらにその「神示」を掲載しています。
世の中のことを的確に指摘され、これから人はどう生きていくべきなのかということを伝えています。
興味のある方でかまいませんよ。
木花咲耶姫様の御神示 -令和編-
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