【熊野古道紀伊路】紀伊内原駅~西御坊駅⑧

【紀伊路】紀伊宮原駅~西御坊駅①
【熊野古道紀伊路】紀伊宮原駅~西御坊駅②
【熊野古道紀伊路】紀伊宮原駅~西御坊駅③
熊野古道紀伊路】紀伊宮原駅~西御坊駅④
【熊野古道紀伊路】紀伊内原駅~西御坊駅⑤
【熊野古道紀伊路】紀伊内原駅~西御坊駅⑥

【熊野古道紀伊路】紀伊内原駅~西御坊駅⑦

岩内王子

岩内王子跡は、岩内コミュニティ館の敷地内にひっそりと佇んでいます。

正面 無格社 焼芝王子神社旧跡

裏面 明治四十一年十月二十二日
   村社熊野神社ニ合祀ス

焼芝王子(岩内王子)は、もともと日高川を渡った近く(字 王子周辺)に鎮座していたと考えられています。岩内の地は、日高川を挟んで西の小松原宿とともに重要な位置を占めていました。
王子は元和元年(1615年)の大洪水で滅没し、字 田端(現在地より南方)に移動、明治時代に熊野神社に合祀されました。

舞妃蓮

天皇・皇后両陛下ゆかりの蓮

アメリカ黃花蓮明仁殿下(当時)1960(昭和35)年、ご成婚間もない継宮明仁殿下がご訪米された際、日系アメリカ人の小川一郎氏がミシシッピー川中流域で採集されたアメリカ黃花蓮の果実を殿下に献上した。
殿下は帰国後、その果実を蓮の第一人者である大賀一郎氏に託したのである。
翌年、博士は、その発芽育成に取りかかり、1962(昭和37)年にできた蓮根を教え子の阪本祐二氏に(1925-1979 当時日高高等学校教諭)に分根。
黃花蓮は殿下に因み、大賀博士により「王子蓮」と名付けられた。

「舞妃蓮」の誕生

阪本氏は思い描いていた色調豊かな蓮を作り出すべく、1966(昭和41)年、王子蓮と大賀蓮の交雑を試みた。
試行錯誤の末、交雑は成功し、1968(昭和43)年6月21日三つの鉢のうち、第1の鉢で最初の花が開いたのである。
阪本氏はその様子を「黄色地にほのかに大賀蓮の紅がかかり、色調は穏やかな今までにない色をなして咲いた。しかも両親より花径は大きく、35cmにもなる大輪種で豊かなものであった」と雑誌「京都園芸」に記している。

この年、阪本氏は、王子蓮との所縁から東宮御所に献上すべく、第3鉢を運送業者に依頼し東宮御所まで運んだ。
果たして蓮は6月28日に東宮御所で開花し、両殿下と礼宮様にご覧いただいたのである。また、2輪目の開花時には昭和天皇・香淳皇后にもご覧頂いている。

色合いの特徴のほか、これまでの蓮になかった2日目の花が閉じる際の捻れの様子から「舞うがごとき」特徴を目につけた阪本氏は、美智子妃殿下(当時)の優美なお姿を重ねて「舞妃蓮」と名付けた。

「舞妃蓮」が皇居に1996(平成8)年、明仁天皇陛下「舞妃蓮を皇居に導入したい」との依頼が阪本家にあり、翌年春に分根。
1999(平成11)年には皇居花陰亭で開花したとの報告が阪本家に届いている。

その後皇居で大切に育てられ、2010(平成22)年に出版された「御所のお庭」(扶桑社)には「皇后陛下に捧げられた女神の花」として掲載された。

御坊生まれの舞妃蓮「中山の蓮池」

御坊生まれの蓮ながらこれまで定植されなかったことから2008(平成20)年、阪本家からここ「中山の蓮池」に移植され、「御坊生まれの舞妃蓮」として新たに出発したのである。

舞妃蓮誕生までの経緯が詳しく書かれています。
大賀蓮は、上記文中でも登場する蓮の権威・大賀一郎氏によって発見された蓮で「2000年蓮」とも呼ばれています。
現在は日本各地に分根され、紀南地方では上富田町岡の田中神社、白浜町富田、熊野古道沿いの発心門地域などで見ることができます。
大賀蓮発見の経緯についはこちらをご覧ください。
大賀ハス

西御坊駅

日本一短いローカル私鉄・紀州鉄道の最終駅。ここから御坊駅までは2.7km。
駅も西御坊→市役所前→紀伊御坊→学門→御坊でおしまい。
しかし、独特の揺れがなんとも心地良いです。

堀河屋野村

建物がすでにいい味を醸し出しています

紀州鉄道西御坊駅の近くには、醤油の老舗・堀河屋野村があります。
私達が訪れた時は閉店していましたので中を見ることはできませんでしたが、本物の醤油を昔ながらの伝統を守りながらつくっています。

以前、外国のお客様が醤油を作っているところを見たいと言われ、こちらを紹介したところ大変気に入ってくれたとのことでした(私がガイドに行ったわけではありませんので)

一度足を伸ばしてみても面白いと思います。

堀河屋野村