お寺体験@福勝寺

9月28日、海南市橘本にある福勝寺さんで、お寺体験をしてきました。

午前はお寺体験、午後からは不動明王様の縁日ということで護摩焚きに参加しました。

お寺体験では、勤行(お経を一緒に唱える)、瞑想、掃除、写経、食事作法を教えていただき、精進弁当をいただきました。

ご住職の浦さんのお話は非常に分かりやすく、改めて知ることが出来ることが多かったです。

中でも、私たちは宗派のことを「sect」と呼んでいますが、この「sect」には「変な宗教」という意味合いがあるので、キリスト教などでは絶対に使わない単語なのだそうです。

よく「仏教には13のsectがあります」などと言っていましたが、あえて「変な宗教である仏教には13の宗派がある」と言っているようなものだったのかと気付かされました。

キリスト教、特にカトリックでは「これが唯一」という考えがあるので、「他の宗教は変な宗教」という考えなのかもしれません。

「白人以外は人間ではない」という差別意識に似た感覚なのでしょうか。

よく分かりませんが。

個人的にツボにハマったのは瞑想でした。

座禅と瞑想の違いについても教えていただきました。

座禅は他をシャットアウトして行うもので難易度が高く、片や瞑想は、湧き上がってくる雑念や聞こえてくる周囲の音をありのまま見つめ、聞き、逆にどんどん出してそれらを客観的に受け止めることとおっしゃっていました。

「あ、私は今こんなことを考えているんだな」

とか

「遠くで鳥が鳴いてるな」

とか。

「自分が今思っていること、感じていること、湧き上がってくることをどんどん出していいよ」という発想がなかったので、これの言葉は斬新でした。

今までは「この雑念を出さないように、出さないように」とばかり意識をしていました。

しかし、意識をしていてもその集中力は続きませんでした。

よく「呼吸に意識を向ける」ともいいますが、私の場合はそれでも同じでした。

さらに呼吸法も教わりました。

まずは口から息を吐いて少し止め、鼻からゆっくり息を吸い、吸いきったらまた一旦呼吸を少し止めてから吐き出す。

これをしばらく繰り返す。

次に、自分の思っている恐怖、不安、怒り、憎しみなど、ネガティブなものを呼気に乗せてゆっくり吐き出す。

しばらくしてから、今度は宇宙、それが難しければ木々や草花などのエネルギーと一緒に、息を吸いながら体の中に取り入れる。

それを今度はまた、それをネガティブな思いと置き換えて、呼気に乗せてゆっくり吐き出す。

これをしばらく繰り返す。

今度は、吸気を短く、呼気を長くする。

これは、人間の普段の呼吸に一番近い形なのだそう。

これをしばらく繰り返す。

今までやっていた瞑想は何だったんだと思うくらい、終われば頭が非常にスッキリしていました。

作務は、お寺の階段の掃き掃除。

写経、食事にも取り掛かる前に作法があり、なかなか「本題」に入れません(笑)

その「お預け状態」の後の精進弁当はまた格別でした(笑)

施餓鬼とよく聞きますが、やはりまずはご飯の一かけらを別に置いてからいただきます。

その、みんなが別に置いたご飯を集めて一旦お供えしてから、施餓鬼供養をするそうです。

護摩焚きの時にも、「お願いは自分だけに向けるのではなく、家族や友達にも向けてください」というようなことをおっしゃっていました。

利他の精神がやはりここにもありました。

以前、稲盛和夫さんの本「生き方」で「地獄と極楽」の違いについて印象に残った部分がありました。

外見は一緒。でも中身は違う。

そこには大きな釜があり、おいしそうなうどんがぐつぐつと煮えている。

ところが、そのうどんを食べるのが一苦労で、長さが1メートルほどの長い箸を使うしかない。

地獄に住んでいる人はみな、我先にうどんを食べようと、争って箸を釜に突っ込んでうどんをつかもうとするが、あまりにも箸が長く、うまく口まで運べない。

しまいには他人がつかんだうどんを無理やり奪おうと争い、ケンカになってうどんが飛び散り、誰一人として目の前のうどんを口にすることはできない。

おいしそうなうどんを目の前にしながら、だれもが飢えてやせ衰えている。

それが地獄の光景。

それに対して極楽では、同じ条件でもまったく違う光景が繰り広げられている。

だれもが自分の長い箸でうどんをつかむと、釜の向こう側にいる人の口へと運び、「あなたからお先にどうぞ」と食べさせてあげる。

そうやってうどんを食べた人も、「ありがとう。次はあなたの番です」と、お返しにうどんを取ってあげる。

なので、極楽では全員がおだやかにうどんを食べることができ、満ち足りた心になれる。

これ、今の世に当てはまっていませんかね?

現代はこの地獄の光景と似ていませんかね?

自分さえ良ければ、自分が幸せになりさえすれば、他人を不幸にしてでも、奪ってでもいい。

とにかく目先の利益があればいい。

自分が、自分が、という人があまりにも多い。

そうではなく、自分も、他人も一緒に幸せになりましょうねと思う心が大切だと、今回のお寺体験で改めて思いました。

護摩炊きは土曜日ということもあってか、多くの参拝者が訪れていました。

護摩木に願い事を書き、自分で火の中にくべることができます。

護摩木は1つ500円。

参加は予約なし。無料です。

毎月28日にされていますので、一度お参りされてはいかがでしょうか?

浦さんは本当に人格者で、頭が下がる思いです。

自分はああはなれないな(笑)

参加したメンバーと「今回も実りが大きかったね」と言いながら帰途につきました。