【紀伊路】湯浅駅~紀伊内原駅④

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【紀伊路】湯浅駅~紀伊内原駅①
【紀伊路】湯浅駅~紀伊内原駅②
【紀伊路】湯浅駅~紀伊内原駅③

沓掛王子跡

このあたりからは、旧道に入ったり、県道に出たりしながら歩きます。
だいたい道標が立っていますが、中には老朽化で倒れているものもあるので、怪しい分岐が出てきたら地図を確認しなかがら歩くといいです。

案内板より

藤原定家は、建仁元年(1201年)十月十日、「ツノセ王子」に参拝したのち、「シシノセ」(鹿瀬)ノ山をよじ登り、この山を越えて「沓カケ王子」、次いで「内ノハタノ王子」に参拝しています。

また、藤原頼資は承元四年(1210)四月二十六日に、角瀬王子から鹿瀬山に入り、山中・内匠(たくみ)王子の参拝しています。

このことから、熊野御幸の盛時には、「沓カケ王子」とも、「山中王子」ともいわれていたことがわかります。

沓掛王子と呼ばれたのは、険阻(けんそ)な鹿瀬峠を越え、人々は、いたんだ藁沓(わらぐつ)をはきかえたり、牛馬にも沓をはきかえたりしたことによると思われます。

この王子社は、古くは「原谷字新出王子谷」にありましたが、のちの衰退したようです。

江戸時代には、ここ披喜(ひき)の地に「鍵掛王子」といわれる王子社が、弁財天社と共に建っており、この王子社を「紀伊続風土記」では沓掛王子に比定しています。

鍵掛王子は、明治時代に鍵掛王子神社になりましたが、明治十年に原谷皇太神社に合祀されました。

「熊野道中記」には、鹿ヶ瀬峠を越える手前の王子のことを「沓掛王子」と言い、峠を越えたここでも「沓掛王子」または「山中王子」と言い、さらには「鍵掛王子」と呼ばれるなど、たくさんの呼び名があり、混乱します。

そして、もう一つ、沓掛王子の説明看板があります。

昭和四十八年六月九日指定 熊野九十九王子社の一つである、建仁元年(1201年)の「御幸記」にでている沓掛王子社は王子谷にあったが、後世この地に移された。

現在、弁財天社が祀られている。

いたって簡素(笑)

爪かき地蔵

説明板より

弘法大師がこの地に巡錫(じゅんしゃく)したとき、土地の人の無事息災を祈願して岩に爪で地蔵尊を刻んだと伝えられている。

現在、地蔵尊のお姿は見られないが、水をかけると浮かび出てくるから水かけ地蔵ともいう。

信仰心のない人はいくら水をかけても地蔵尊のお姿を拝むことが出来ない。

また、東隣、宅地内に弘法井戸がある。

「巡錫」とは、僧が錫杖(しゃくじょう)を持って巡業するところから来た言葉で、各地を巡り歩いて教えを広めることを言います。

しかし、弘法大師にまつわる話が各地に残されていますが、実際に本当に弘法大師ゆかりの史跡ってどれくらいなんでしょうね?
けっこう後付けで創作された話が大半のような気がします。

お坊さんって、爪で何かを彫るお力をお持ちのようで、一遍上人も爪で梵字を刻んだとされる岩が湯の峰温泉にあります。

まあ、爪で岩に何かを彫るなんて普通に考えてもできるわけがなく、だれも信じないでしょうけど(笑)

はっ!わたしは絶対にこのお地蔵さんは見れないわ(笑)

【紀伊路】湯浅駅~紀伊内原駅⑤に続きます。

【紀伊路】湯浅駅~紀伊内原駅③

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【紀伊路】湯浅駅~紀伊内原駅①
【紀伊路】湯浅駅~紀伊内原駅②

汗かき地蔵(地蔵寺)

説明板より

地蔵寺は熊野参詣道最大の難所、鹿ヶ瀬峠の麓にあり、本尊は寺号の示すとおり地蔵菩薩であります。

地蔵菩薩は桧材を使った寄木造の立像で、像高は161.8cm
台座には一重の蓮華座が用いられています。

地蔵菩薩の表面仕上げには、体の部分は漆下地を施し、着衣は素地として古色を施しています。

また、作風から制作時期は鎌倉時代(13世紀半ば頃)と推定されます。

地蔵菩薩は「汗かき地蔵」と呼ばれ、鹿ヶ瀬峠を越える旅人が弱ると背中を押して助けたので額に汗をかいているのだという、ゆかしい伝承が残っています。

地蔵寺が熊野古道に面していることや「汗かき地蔵」の言い伝えから熊野参詣の道中を守る神仏として旅人から信仰されていたことも想起されます。

寄木造(よせぎづくり)とは、いくつかの木材を組み合わせてつくる工法をいいます。
対して、一木造(いちぼくづくり)は文字通り、一本の木からつくりますが、そのためには相当大きな木が必要です。
寄木造とは
上記リンクの説明の最後に、「寄木造の基礎は、奈良時代の乾漆像に用いられた木心(もくしん)制作の技法が発展したものとも、中国の造像技術から得たものともいわれるが、日本の寄木技術は中国でさえ及ばないような極度の発達を遂げている」と書かれていますが、中国の造像技術から来たものではないと思います。
今でも、ハイブリッド車をつくることすらできない国ですから。
何でもかんでも中国から伝わったという考えは、やめたほうがいいです。

古色とは、人工的に古く見せる塗装の技法です。
古色仕上げ

高野山にも「汗かき地蔵」がありますね。
人間の苦しみや悲しみを一手に引き受けてくれると信じられていて、人々を救済するために奔走し汗をかいているように見えることから名づけられたそうです。

お地蔵さんは世のため人のために奔走していて、忙しいんです(笑)

東の馬留王子

河瀬(ごのせ)王子からほどなく歩くと、東の馬留王子跡に到着します。
河瀬王子から0.7km。
・・・ちょっと王子間の距離が短すぎるように思いますが。

「東の馬留」があるなら、「西の馬留」もあると思われた方、鋭いです。

鹿ヶ瀬峠を越えた後に西の馬留王子が登場します。

説明板より

この王子社を過ぎて南にしばらく行くと山道となり、熊野参詣道の難所、鹿ヶ瀬峠があります。

熊野御幸が盛んなころ、上皇や女院、貴族たちは、この峠を越えて熊野に参詣しました。

しかし、御幸時代の王子社を克明に記録した藤原定家や藤原頼資の日記には、馬留王子の記載がなく、それよりも新しい王子社と考えられます。

江戸時代に書かれた若山(和歌山市)から熊野までの道案内書、「熊野道中記」には、津の瀬王子の次に、沓掛王子、次に鹿瀬山が載せられており、この王子は沓掛王子と呼ばれていたことが知られます。

ところが、「紀伊続風土記」では、この王子を沓掛王子というのは誤りだとして、馬留王子社と書いています。

以降、この王子社は馬留王子社といわれ、明治時代には、馬留王子神社となりましたが、神社合祀で、津木八幡神社に合祀されました。

なぜ突然「馬留王子」という呼び名が出てきたのか、謎です。
先ほども書いたように、河瀬王子からの距離が短すぎます。
鹿ヶ瀬峠を越えたところにも「馬留」があることから、おそらく、峠をはさんだ両側のふもとに、荷物を運ぶための馬を常備していたのでしょう。
それを「王子」と誤認?したのではないかと思います。

鹿ヶ瀬峠

東の馬留王子を過ぎると、いよいよ紀伊路最大の難所・鹿ヶ瀬峠です。
約2.2km、ゆっくり登って1時間くらいはかかると思います。

藤原定家らがここを歩いた時は、もちろん舗装などされているわけがなく、まさに「崔嵬険阻(さいかいけんそ)」だったでしょうね。

今は舗装されているので、思ったほどキツいとは感じませんでした。
ただし、急坂はあります。
鹿ヶ瀬峠の頂上(「峠」っていうんですよね)を「大峠」と呼んでいます。

大峠の説明板より

広川町における熊野古道は、湯浅町より広川町に沿って民家やみかん畑の間を進み、井関・河瀬地区に入り鹿ヶ瀬峠を越え日高町に至ります。

道沿いには、道中の安全を祈願した王子社が数か所あるが、現在は河瀬王子のみその跡を留めています。

また、井関・河瀬地区は宿場町としての要衝の地であったといわれ、今もその当時の屋号で呼称される民家も数多くあります。

鹿ヶ瀬峠は熊野路の難所の一つであり、大峠(この地)は当時、茶屋・旅籠があり賑わいを見せていました。

周辺には養源寺の草創と伝えられる法華壇や南北朝の争いを伝える鹿ヶ瀬城跡もあります。

説明板にもあるように、峠を下りきったところには養源寺の前身である「鹿ヶ瀬法華寺」があったようです。
後に、徳川吉宗公より、頼宣公の御殿跡地を寄進され、そこに移転されて「養源寺」と改称されたとのことです。
養源寺

私が歩いた時は、鹿ヶ瀬峠にはナルトサワギクが満開でした。
ナルトサワギクは外来種で、1976年に徳島で初めて確認されてから、あっという間に西日本に広がりました。

熊野古道最長の石畳

大峠からはしばらく未舗装の道を下り、小峠に至ります。
小峠からは、熊野古道最長(503m)の石畳を下ります。
・・・雨の日は歩きたくないなぁ。

金魚茶屋跡

説明板より

「紀伊国名所図会」にも載せられているように、ここには江戸時代の宿場であり、往来の旅人から金魚茶屋として親しまれ、鹿ヶ瀬山から流れ出る清流を筧で引き、金魚を飼って旅人の旅情を慰めていたことから、この名がついたといわれている。

この説明を読点で区切ることなく、一文で仕留めていることに感服(笑)

「金魚茶屋」って、いい響きですね。

よほど金魚が目立っていたのか、それとも金魚くらいしか目玉がなかったのかは分かりません(笑)

江戸時代って、金魚は結構珍しかったのかもしれませんね。
なので、わたしは前者を支持します(笑)

【紀伊路】湯浅駅~紀伊内原駅④へ続きます。

【紀伊路】湯浅駅~紀伊内原駅②

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【紀伊路】湯浅駅~紀伊内原駅①

徳本上人名号碑(道標)

河瀬橋(ごのせばし)を渡ると、徳本上人名号碑が建っています。

説明看板より

道標を兼ねた供養塔

この供養塔は天保八年(1837年、大塩平八郎の乱のあった年)の飢饉による多数の飢餓者の七回忌供養のため、天保十四年(1843年)にふじたき(藤滝)念仏堂の発願により建てられ、以来明治の頃まで板橋(流れ橋)の渡りづめにあった。

明治に入って木造の永久橋が今の位置に出来てここに移転したが、後に近くの地蔵寺の門前に安置した。

それから百有余年を過ぎた平成十四年(2002年)再び元の位置に戻してお祀りすることにした。

正面のお名号は徳本上人の字体による。又、台石には世話人の名前もある。

石柱及び台石には次のように書かれている。

右面 是ヨリ
左リ紀三井寺道
六里八丁

上津木 中村
ふじたき
念仏堂
建之

正面 右く満み道
南無阿弥陀佛
左むろご道
酉年以来餓死亡霊
七回忌 為 菩提
徳本 花押
三界萬霊有無両縁
乃至法界平等利益
某 敬白
左面   いせ
右     みち
  かうや
年来之志願
      建立
十万以信施
      霊應
維時天保十四卯晩秋

台石には世話人の名前とその地域が列挙されていますが、省略(笑)

徳本上人名号碑と道標の組み合わせは珍しいのではないでしょうか?

河瀬王子跡

説明板のあるように、昔社殿があったであろう石垣が残っています。

説明板より

藤原定家は「明月記」によると、建仁元年(1201)十月十日、井関王子についで「ツノセ王子」に参拝しています。

また、藤原頼資の日記では、承元四年(1210)四月二十六日、白原王子についで「角瀬川」王子に参拝しています。

江戸時代の「熊野道中記」などでも、「津の瀬王子」と書いています。

このように、古い文献では「角瀬」あるいは「津の瀬」という王子社名ですが、江戸時代の村名が河瀬であったことから、「ごのせ王子」と呼ばれるようになったと考えられます。

「紀伊続風土記」では、「川瀬王子社」とし、明治時代には川瀬王子神社となりましたが、明治四十一年に津木八幡神社に合祀され、跡地を留めるだけとなりました。しかし、現在も巨石が横たわっており、王子社の固態を伝えているように思われます。

また、この王子社がら鹿ヶ瀬峠に向かう集落には、かつて旅籠や茶屋を営んでいた宿場の雰囲気が感じられます。

もうひとつ、案内板があります。

此の所において雨漸くやむ。

夜また明く。次にツノセ王子に参り、次にまた シシノセの山をよぢ昇る。崔嵬の嶮岨。

巌石は昨日に異ならず、此山を越えて 沓カケ王子に参り、シシノセ椎原を過ぎて 
樹陰滋り、路甚だ狭し云々

「熊野御幸記」

(広川町誌より)

【紀伊路】湯浅駅~紀伊内原駅③に続きます。

新型コロナ・ワクチン関連情報

厚労省、ワクチン接種者と未接種者の罹患率データを捏造もうこれは意図的です。
まずはこちらをご覧ください。
ワクチン効果データ修正。厚労省の説明は?

似たような動画があります。
接種者の方が感染しやすい
厚労省のデマを唯一伝えるメディア

そして、死亡者激増の原因は「運動不足」と宣う日経新聞、厚労省にいたっては「高齢化」と。

ワクチンの驚くべき仕組みと原材料を解説

ワクチンの驚くべき仕組みと原材料を解説

You Tubeで削除されたため、ニコニコ動画に転載されたものです。
現在は少し規制がゆるくなったようですが、You Tubeでは言論統制が厳しく、こういった動画は即刻削除されてしまいます。

  • ワクチンの歴史
  • ワクチンの種類
  • ワクチンの成分
  • ワクチン接種者と未接種者の罹患率

などについて、詳しく、分かりやすく解説してくれています。

子宮頸がんワクチンは必要ない!

最近になって、子宮頸がんワクチン推奨のCMが流されていますが、これは様々な薬害が出た実績がありますので、絶対にやめましょう。
第一、子宮頸がんワクチンは、2003年、アメリカのFDA(日本の厚労省にあたる機関)によって、

  • ヒトパピローマウイルス(HPV)感染と、子宮頸がんの発症に因果関係はない
  • HPVは危険なウイルスではない
  • 感染しても自然に消滅するので、健康への悪影響はない

と公式に発表されています。

それどころか、

  • 逆にワクチンが、子宮頸がん発症リスクを44.6%も増加させた

と記録されたFDAの内部文書も暴露されています。
寝たきりになった人もいます。
絶対に必要のないワクチンです。
ワクチンの危険性についてはこちらの本をご参考ください。
効果がないどころか超有害! ワクチンの罠
ワクチン不要論

【紀伊路】湯浅駅~紀伊内原駅①

久米崎王子跡

この王子社は跡地で建物はなく、説明板が立っているだけですので写真はありません。
場所は、国道42号線に出て少し脇に入ったところにあります。

説明板より

この王子社の名は、藤原定家の日記の建仁元年(1201年)十月十日の記事に見えますが、この頃の参詣道は王子社から南西よりに離れていたのではないかと思われているため、定家は路頭の木に向かって遥拝しただけです。

その後、承元四年(1210)四月二十五日に藤原頼資は、この王子に参拝しています。

承久三年(1221)に承久の乱が起こって以降、上皇や女院の熊野御幸はほとんど行われなくなり、王子社の多くは荒廃しました。
久米崎王子も例外ではなく、十五年後の嘉禎ニ年(1236)には、跡形も無くなっており、鎌倉幕府は、この地の豪族である湯浅氏に、社殿の修復を命じています。

しかし、その後も荒廃したらしく、江戸時代初頭、紀州藩主徳川頼宣は小社を再建しています。その後、久米崎王子社として祀られていましたが、明治四十年に顕国神社に合祀され、跡地だけとなりました。

度々再建されましたが、最終的には明治の神社合祀の「餌食」となった王子ですね。
先人たちは、こういった遺産を後世に残すことを非常に重んじていたことがうかがえます。
しかし、「西洋に追いつき、追い越せ」の明治維新によって、そういった大切な歴史的建造物の多くが姿を消してしまったことは非常に残念です。

当時は欧米列強に飲み込まれないように西欧化することが当時の情勢からみて仕方のないことだったかもしれませんが、ちょっとやり過ぎたのではないでしょうか?

津兼(井関)王子跡

この王子社も跡地で建物がありませんので写真はありません。

説明板より

藤原定家は建仁元年(1201)十月十日、湯浅を雨の中にたち、久米崎王子を遥拝し、ついで参拝した井関王子でようやく雨が止んだと日記に書いています。

藤原頼資の日記では、承元四年(1210) 四月二十六日、久米崎王子についで白原王子に参拝しています。
井関王子と白原王子同じ王子社とも考えられます。

これより約百年前の天仁ニ年(1109)、藤原宗忠は「弘王子社」についで、白原王子社に参拝していますが、この王子は近年出現したものだと記しています。

江戸時代の「紀伊続風土記」には、井関王子社は村の北入口にあり、今は地名をとって津兼王子というと記しています。

また、近世初頭に熊野街道が西側に移ったことにより、旧井関橋を渡ってすぐの台地上に新しく津兼王子社が作られました。
その新しい津兼王子神社は、明治四十一年に津木八幡神社に合祀され、現在は跡形もありません。
この中世の王子社の跡地も近年の湯浅御坊道路広川インターの建設によって消滅しました。

明治時代の神社合祀運動が盛んな時代ならいざ知らず、現在でも王子社の建物が残っていたなら、広川インターチェンジの場所も、王子社を避けて通るように設計されていたのではないでしょうか?
合祀され、跡地になっていたから跡形もなく消されたのだと思います。
そう思うと、明治時代というのは熊野にとっては壊滅的なダメージを与えてしまったと言わざるを得ません。

しかし、井関王子と白原王子の関係って、どうなんでしょうね?

謎なところは、藤原宗忠が来た時(1190年)では「白原王子」となっていたところを、1201年に定家が来た時には「井関王子」となり、その後1210年に藤原頼資が来た時には再び「白原王子」となっている点です。

通常、王子は2~4kmごとに建てられていたので、そう頻繁に王子が登場するとは考えられないので「同じ」と考えられるということでしょうが、それにしても「白原」から「井関」になり、再び「白原」に戻る理由の説明がほしいところです。

宗忠が書いているように、王子は初めから「九十九ほど」あったわけではなく、時代によってその数が増えたり減ったりしています。
本宮エリアでは水呑王子が「新王子」と同じ日記に書かれていますので、上皇・法皇の熊野御幸が盛んになってから、王子の数も増えていったのでしょう。

王子の数が増えた理由についてはよく分かりませんが、おそらく、上皇・法皇、貴族にすこしでも地元でとどまってほしいという住民の願いが込められていたのかもしれません。
あるいは、とどまることによって莫大なお金を地元に落としていったとか・・・
「地元の住民は、上皇・法皇がいらっしゃった時は食事などを用意しなければならなかったので苦痛だった」という話を聞いたことがありますが、なにか地元にとってもプラスになる理由がなければ、新しい王子を作ろうという心理が働かないはずです。

ただ、国民の皇族の方々に対する気持ちというのは、奉仕の気持ちが根底にありました。
以前は皇居の門番を国ごとで持ち回りで自主的にやっていた時代もあり、それは給料や手当が出るわけでもありませんが、それを「名誉なこと」としていました。
なので「うちのおじいちゃんは、皇居の門番をやった」と自慢ができるほどだったいいます。

こういったことを考えると、もしかすると、上皇・法皇、貴族を呼び寄せるために、井関王子と白原王子のどちらかがにわかにつくられ、一行はそのいずれかに参ったのではないか?とも考えられます。
宗忠の日記から見れば、「弘王子社」がもともとあり、「白原王子」が新しく建てられたものだということが分かります。
このことから考えると、「弘王子社」と「井関王子社」が同じであり、「白原王子」が後からつくられたと考えるほうが自然のような気もします。

【紀伊路】湯浅駅~紀伊内原駅②に続きます。


【オススメ書籍】五六七(ミロク)の仕組

今回は、2022年4月30日に発売された、中矢伸一さんの本「五六七の仕組み 日月神示が予言する日本と世界の未来」のご紹介です。

この本を知ったきっかけはこちらの動画でした。
日月神示って何?予言されている未来とは?新著書「五六七の仕組」

この動画を見れば、私がとやかくいうことはないのですが、この本を実際に読んで個人的に刺さった部分を中心にご紹介をいたします。

内容の骨子

  • 大規模な人口調整が起きる
  • アメリカは衰退する
  • 中国は崩壊する
  • 日本はもう一度潰れる
  • 巨大な天変地異が日本および日本周辺で起きる
  • 「ミロクの世」が顕現する
  • 世界は日本を中心に一つにまとまる

日月神示や五六七については、動画で説明がありますので見てください。

大規模な人口調整が起きる

これは、現在進行中の新型コロナやワクチン、大災害、戦争などで、現在の人口の3分の1にまで現象するということを神示で示されています。
それが戦争なのかワクチンなのか、大災害なのかはわかりません。
現在、新型コロナのワクチンが原因かどうかはさておき、日本では昨年2020年、超過死亡者数が戦後最多を記録し、今年はそれを超えるペースで死亡者数が積み上がっています。

ビル・ゲイツが言う、人口を削減するという計画が順調に進んでいるかもしれません。

アメリカは衰退する

神示の中に「星の国」「星の臣民」では世界をリードして行けないという内容のものがあります。
星をシンボライズしている国がまさにアメリカであり、オーストラリアであり、ロシアであり、イギリスです。

現在のアメリカは、バイデン政権になってから一気に衰退し始めています。
もはや軍隊は世界最強ではなく、もし、今回のロシアのウクライナ侵攻でアメリカがロシアとやりあったならば、アメリカは負けるとまで言われているようです。

現在はFBIやCIAでさえも左翼が入り込み、軍も左翼の若手を登用し、エリート軍人を追い出したおかげで「使い物にならない」状態だといいます。

軍備は世界最強ですが、それを操る人間が使い物にならないのでは、どうしようもないです。
こんな状態で日本を守ってくれると、いつまでも安心していてはいけません。

また、過度な平等思想がはびこり、白人に生まれただけで批判の対象になるそうです。
白人はこれまで黒人を奴隷として虐げてきたのが理由だそうです。

さらに、学校ではトランスジェンダーの教育が行われ、教師が生徒に「あなたはトランスジェンダーなのだよ」と説得し、そう見定められた子どもは親に知らせることなく異性の名を名乗らされます。ひどい場合はホルモン療法までさせられます。

そして、親がこれに同意しない場合は、児童保護サービスの人間が自宅にやってきて、この説得に親が応じなければ、子どもは警察に連れて行かれる危険性があるのだとか。

その子どもは性転換の薬を飲まされます。
その金額は年間約17万円。
この投与を一生続けることになる。
もちろん、この裏には製薬会社の利権が絡んでいます。

これが左翼のすることです。

筆者は、よく左翼が口にする「多様性」とは、なにもかもごちゃ混ぜにすることではなく、お互いの国同士、良いことは学び合い、相手を尊重し、拝み合い、和すことであると述べています。
まさにその通りです。

他にも、「woke」「キャンセル・カルチャー」「terf」いついても説明がありますが、それは本で読んでください。

平等について、神示を引用させていただきます。
この言葉にすべてが詰まっています。

平等とか公平とか申すのは悪魔の罠であるぞ、天地をよく見よ、人民の申す如き平等も公平もないであろうがな、一寸伸びる草もあれば一尺伸びる草もあるぞ、一寸の草は一寸が、一尺の草は一尺が頂点であるぞ。これが公平であり平等と申すもの

もう一つ、本の中でも紹介されていますが、フィラデルフィアでは薬物中毒者が街をゾンビのように徘徊しているショッキングな映像もあります。
A Walk Through Kensington Phila 2020
薬物に染まってゾンビのように変わり果てた人々。フィラデルフィア・ケンジントンのゾンビ

本当に今のアメリカは狂っています。

しかし、アメリカで起こっていることは日本でも起こります。
こういった社会にならないように、日本人がきちんと本当の平等について学ばなければ、日本もいずれアメリカのようになってしまうと思います。

中国は崩壊する

先出の「星の国」は、中国もそれにあたります。

もともと、暴力と欺きで建国された国家なので、こんな国がいつまでも続くことは考えられませんが、彼らは本気で世界の覇権を狙っています。

「人工衛星北斗システムによる監視社会」「脳を制御する兵器の開発」など、軍事以外の分野での「超限戦」をしかけて来ます。
超限戦についてはこちらをご覧ください。

共産党は内部に「浸透工作」をしてまず内部を破壊してから国を乗っ取ります。アメリカはすでにチャイナの手に落ちたと言えるのではないでしょうか。

また、中国共産党の上にまだ組織があるそうです。
こういった組織があるため、必ずしもチャイナは一党独裁ではないらしいのです。

日本はもう一度潰れる

この章は日本人にとっては結構キツいです。

何がキツいのかというと、日本が誰が見ても、どう考えても、もう二度と立ち上がれないだろうというところまで一旦落ち、それからようやく神の力が働くというものだからです。
日本という国自体はなくなることはありませんが、その上に乗っているシステムが潰れるのだそうです。
しかし、それには非常な痛みが伴うようなのです。

歴史は、「同じことはニ度繰り返さないが、韻を踏む」そうです。

これは第一章「歴史は韻を踏む」という節に書かれていることで、イギリスのマーク・トウェインが提唱しています。
まったく同じことではないが、似たようなことが起こるとされています。

辛亥革命と香港デモと中国の弾圧、1933年三陸沖地震と東日本大震災、1940年幻の東京五輪と今回の東京五輪の延期、大本教の弾圧など。

一旦敗戦を経験してどん底を味わった日本ですが、同じような敗戦が将来起こり、さらなるどん底を味わうことになるかもしれないのです。
それが人民解放軍によるものかもしれません。

お宮も壊されるぞ。臣民もなくなるぞ。上の人臭い飯食う時来るぞ。味方同士殺し合う時来ると申してあろがな。これからがいよいよざから、その覚悟しておいて下されよ

中共がチベットや内モンゴル、ウイグルでどんなことをしてきたのか、それが日本でも起こりうるという風にも取れます。

また、日本の何が潰れなくてはならないのかというと、欧米の真似をした価値観やシステムの上に築かれた「偽りの日本」だと筆者は訴えています。

さらには、「海を渡りて来た者」に乗っ取られているのが今の日本だと、神示には記されています。
しかし、これに指をくわえてじっと見ている日本の神ではありません。
ついに堪忍袋の緒が切れる時が来るというのです。

悪神よ、日本の国をよくもここまで穢したな。これで不足はあるまいから、いよいよこの方(ほう)の仕組通りの、とどめにかかるから、精一杯の御力でかかりて御座れ

しかし、逆境になればなるほど日本人は覚醒し、神の力を蘇らせることになるそうです。
なので、これから起きるであろう災難は、裏を返せば神からの大いなる恵みであるということが言えるのではないでしょうか。

それを乗り越えたあとには、想像を絶するような輝かしい未来「ミロクの世」が待っているのです。

そしてこれからは、「星の国」ではなく、「与える精神」で日本が中心となり、さらには天皇を中心とした世界が実現するそうです。
これには中国も韓国も北朝鮮も、すべての国との調和が図られることを意味します。
すべての人類が、磁石が北を向くように、自然と日本に心を向けるようになります。

世界を「支配(うしはく)」するのではなく、調和(しらす)をもって世界の雛形になれるのは日本しかないと、私は思っています。

農業の明と暗②

写真は本文中のトウモロコシとは関係ありません

前回の記事はこちら
農業の明と暗①

さて、その農薬散布(南高・漬梅用)のスケジュールですが、年間以下のようになっています。小梅・古城・南高(青果用)はまた別にスケジュールがあります。
赤字が何を意味するのかは分かりません。
原本には他に「病害虫名」「倍数」「収穫前日数」などがありますが、省略しています。

薬剤名 使用回数
モスビラン顆粒又はサムコルフロアブル10 3回以内
オルフィンブラスフロアブル 3回以内
ロブラール(水) 2回以内
Zボルドー又はICボルドー66D
モスビラン顆粒(溶) 3回以内
アブロードフロアブル 2回以内
デラン(フ) 2回以内
マイコシールド
又は
カスミン溶剤
4回以内

2回以内
オルフィンブラスフロアブル
又は
イオウフロアブル
3回以内

マイコシールド 4回以内
オーソサイド(水)80 3回以内
マイコシールド 4回以内
スカシバコンL
モベントフロアブル 3回以内
オーソサイド(水)80
又は
スコア顆粒(水)
3回以内

3回以内
フェニックスフロアブル 2回以内
スターマイトフロアブル 1回
ベンレート(水) 1回
スコア顆粒(水) 3回以内
バリアード顆粒
又は
フォース粒剤
2回以内

1回

本当にこれだけの散布をしなければならないのでしょうか?

また、気になったのが除草剤です(上記の表にはありません)

バスタ液剤、タッチダウンiQ、ラウンドアップマックスロードの3種類の除草剤が別途掲載されています。

まず、バスタ液剤の主成分であるグルホシネートは、すでにEUでは2018年に登録が抹消されています。
グルホシネートの毒性についてはこちらをご覧ください。
除草剤グルホシネートのヒトへの毒性

次にタッチダウンiQですが、成分はグリホサートカリウム塩です。
これはラウンドアップと成分が同じであり、その強い毒性から、各国で使用禁止になっている薬剤です。

その毒性については、グーグルで検索しても「安全だ」「危険だというのは誤解だ」などという記事が大半でした。

ただ、違う検索エンジン「Duckduckgo」で検索すれば出てきます。
一番目のサイトにあるように、グリホサート単体では急性の毒性はなく、商品の「ラウンドアップ」として界面活性剤と一緒になると急性の毒性が現れるようです。
除草剤グリホサートの毒性
世界と逆行】除草剤グリホサートの危険性とは?

ラウンドアップは、市場がなくなったアメリカのモンサント社が、日本に売りつけているのが現状です。
現在では、ラウンドアップで枯れないトウモロコシが開発されているという情報もあります。
もちろん、このトウモロコシは遺伝子をいじっています。
こうなれば、ラウンドアップとトウモロコシの両方を買ってもらえるため、モンサント社は大儲けできます。

もちろん、雑草にかけるので問題ないという考え方もあるでしょうが、そのすぐそばに収穫する木があれば、はたしてまったく無毒といえるのでしょうか?
その除草剤を吸った木が成らした実を食べてまったく無害といえるのでしょうか?

私が言いたいのは、化学肥料で無理やり実を大きくしてたくさん成らせ、農薬を何回もかけられ、除草剤を吸わされた木が、はたして「健康体」でいられるのか?ということです。

立ち枯れの責任を他にぶつける前に、農協をはじめとした機関や国が本当に消費者のことを考えて農家に指導をしているのか、いささか疑問に思う今日このごろです。

農業の明と暗①

まずは明るいニュースから。
2022年6月2日付の紀伊民報の記事より。

梅干しが感染抑制

以下要約です。

東海大学医学部の研究グループは、梅干しが新型コロナウイルスの感染や増殖を抑える効果があることを、同医学部の竹腰進教授ら発表した。
みなべ町の委託によって2020年10月から今年3月まで研究が行われた。

研究によると、培養細胞に新型コロナウイルスのみを感染させると、ウイルスが細胞内で増殖した細胞が死滅したが、梅干しの抽出物とを一緒に投与した場合は感染を抑制した。
それは濃度が濃いほど効果があった。

また、武漢株、アルファ株、デルタ株、オミクロン株に対しても効果があった。

竹腰教授は「梅干しを食べて新型コロナみ効くかは調査が必要だが、細胞レベルではよく効いている。個人的には食べて効果があると感じている」とした。

宇都宮教授は「梅干しによる新型コロナへの予防は期待できる。これからの『ウィズコロナ』の時代に、梅干しを食べることは良いのでは」と話した。

また、3月には紀州田辺うめ振興協議会が大阪大学に依頼した研究では、梅ポリフェノールに新型コロナウイルスの感染を阻害する効果があることを確認したと発表している。

要約終わり

研究は細胞レベルの話なので、食べることによる効果はまだ分かりませんが、梅の産地としては明るいニュースですね。

そんな中、私も一応将来は農業に従事したいと思っていたので、農家さんに教えてもらったり、研修に参加したりして勉強をしてきました。

また、食についても自分で勉強をしてきました。

梅の立ち枯れ問題

そういえば、梅の立ち枯れが一時話題になりました。
その原因が、御坊火力発電所のばい煙によるものではないかという議論があり、紀伊民報でもよくこのことについての報道があったのを思い出しました。

そして、この問題は国会でも取り上げられました。
結局のところ、火力発電所のばい煙と、梅の生育不良に関連性は認められないということで一応の決着はついたようです。

【質問】
火力発電所の排煙による梅の立ち枯れ及び人体への影響に関する質問主意書 平成十三年六月八日提出

【回答】
平成13年7月6日受領 答弁第90号

上記中の表によると、火力発電所の稼働率は平成2年の46%をピークに減少傾向にあり、平成9年からは10%代で推移しています。
立ち枯れが深刻になったのはいつからか分かりませんが、稼働率と梅の立ち枯れのタイミングとは合わないような気がします。

また、梅や農作物の生育不良の原因とされる二酸化硫黄についても、その濃度は0.1%前後で、原油の使用量も、平成2年をピークに減少傾向にありました。

収量については、増産・減産する農家や、その年の気候やミツバチの受粉状況なども複雑に絡んでいるため、単に火力発電所だけを原因として疑うことも無理があるのではと思います。

化学肥料と農薬では?

素人考えであることを先にお断りしておきます。

私が最近になって思ったことが、農薬と化学肥料による木へのダメージです。

ある農家さんからいただいたJA紀南が発行している「梅栽培暦」を見て驚きました。

年間の農薬散布の時期とその量や回数が書かれているのですが、その量と回数たるや、すごいことになっています。
農家さん曰く「これを守らないと農協は買ってくれない」「履歴を提出しなければならない」とのことでした。

次回に続きます。


まだ煽ってるの?

6月1日付の紀伊民報より。

以下要約です。

県は30日に新型コロナの第6波の感染者数が、これまでの第5波までの7倍の36,560人だったと発表した。

第6波の中でも3回の波があり、若年層から広がり、重症者数も増える傾向にあったという。

クラスターは1月下旬から2月中旬の特に多く、一週間あたり20件以上を認定した週もあった。
第6波前半は成人式などの飲食、その後は保育園や医療機関、1月下旬からは学校、高齢施設などでも多発した。

感染率低い傾向

ワクチン3回接種の効果の調査結果もまとめた。

3回接種率と感染率は以下の通り。

年代接種率感染率
60代~100歳以上79.9~90.5%1.0~2.5%
10歳未満~20代0~39.4%7.2~8.5%

接種率が高い高齢者の感染率が低く、接種率が低い若年層で感染率が高かった。
野尻技監は「できるだけ、3回接種を推奨したい」とした。

一方、高齢者を中心に接種からの時間経過とともに感染例が増えているというデータも示し「高齢者については3回接種からの効果が弱まってきているので、4回接種に期待したい」とした。

18~39歳も接種可能

田辺市の3回目接種で、6月5日に実施する集団接種の予約枠に空きが目立っている。
市は当初、12~17歳に限定していたが18~39歳までその対象を拡大した。

若い年代の接種が伸び悩んでおり、40代未満は31%にとどまっている。

要約終わり。

まず、これを読む限り、「感染防止にはワクチン接種しかない」といった印象を受けます。
紀伊民報は県の発表をそのまま報道しているに過ぎないと思いますが、マスコミの報道する大方の内容とほぼ同じです。

まず、タイトルが過激ですが、この動画を見てください。
私の言いたいことがうまくまとめられています。

主な内容は、

  • ビオンテック社が、同社のクチンは有効性と安全性が立証されていない。さらには重篤な副反応のリスクがあると発表
  • 厚生労働省がワクチンの有効性を示すデータを改ざん。ワクチン未接種者の方が感染率は低い
  • HIV研究の科学者たちがワクチン接種後にエイズ発症の可能性について警鐘を鳴らしている
  • ファイザー社が裁判所の命令で毎月5万ページ公開しなければならない資料の中には副反応が1200種類以上
  • 世界で感染が始まったサル痘が、なぜ今さら起こったのか?

活字で読むより聞いた方が頭に入ります。
エイズもサル痘も超過死亡も愚民どもがワクチンを接種したせいです!心から反省を求めます!反省文をコメしてください

動画の中でも述べられていますが、はじめは「2回接種で大丈夫」と言っていたにも関わらず、それでも感染を抑えることができなくなれば次には「重症化を予防する効果がある」さらには「効果を持続させるためには3回目接種を」そして今回は「3回目の効果が弱まってきているので4回目を」と、主張がコロコロ変わっています。

一体何回打たせるんですか?

厚労省のデータ改ざんについては、こちらもあわせてご覧ください。
国がワクチンの効果を示すデータを修正!一体なぜ?
和歌山県が示す上記のデータも怪しいかもしれません。

そもそも、ワクチンが重症化を防げるのであれば、ワクチン接種率80%の国民が、記事にあるような「重症者も増える傾向にあったという」というようなことが起こるわけがありません。
重症者が果たしてこの3万5千人のうちどれくらいいたのか、その数字もはっきりとしていただきたいですね。
一人でも増えれば「増える傾向」と言えるのでしょうか?

ワクチンは自己免疫力を破壊する

ワクチンを打てば打つほど自己免疫力が落ちるとも言われています。
現に先出のサル痘をはじめ、帯状疱疹、心筋炎、子どもの急性肝炎などが多発しています。

そして、昨年の超過死亡者数は67,000人、今年は1月2月が例年より飛び抜けて人が多く亡くなっています。
このままいけば10万人を突破する勢いで、昨年(2021年)をはるかに上回る勢いです。
昨年だけでも、東日本大震災が起こった2011年よりも多く、戦後最多を記録しています。

また、2020年の超過死亡者数は8000人少なかったのです。
2020年といえば、新型コロナが猛威(?)を振るっていて、ワクチンもまだ出回っていなかった時です。
そして、ワクチンが供給され始めた2021年の2月頃から、死亡者数が急激に増えているのです。

普通に考えて、この原因がワクチン以外で何が考えられるでしょうか?

新型コロナで亡くなる人はあまりいない

本当に新型コロナで亡くなっている人はごくわずかだと考えます。
なぜなら、病気で死亡する場合、重症化してから亡くなるからです。
全国のICUベッドの約80%をカバーしているエクモネットというサイトがありますが、ここで掲載されている、6月1日現在でエクモを使用して治療している患者は12人です。
1億2千万分の12です。

ガンでは毎日約1000人が亡くなっています。

副反応が起こっても、政府は面倒を見てはくれません。
治療費は自己負担です。

サンテレビのワクチン後遺症に関する報道です。
【特集】ワクチン後遺症~副反応ではない 慢性的な後遺症の訴え

重症化もほとんどない現在のオミクロン株におびえてワクチンを打ち、副反応で命を落とすのか、または副反応で苦しみ続けるのか、自然治癒力で「ただの風邪」を直して抗体を作るのか、あなたはどちらを選びますか?

ましてや、重症化しにくい若者や子どもにワクチンを打たせる必要はまったくありません。

「ワクチンを打て」と言った人の責任は大きいと思います。

【紀伊路】紀伊宮原駅~湯浅駅⑥

前回まではこちらをご参照ください。
【紀伊路】紀伊宮原駅~湯浅駅①
【紀伊路】紀伊宮原駅~湯浅駅②
【紀伊路】紀伊宮原駅~湯浅駅③
【紀伊路】紀伊宮原駅~湯浅駅④
【紀伊路】紀伊宮原駅~湯浅駅⑤

深専寺

案内板より

深専寺は、奈良時代、行基により開かれた海運院を前身に、寛正3年(1462)に明秀上人が再興した西山浄土宗の寺院である。

寛文3年(1663)に建立された本堂をはじめ近世に整備された堂舎が広がる境内は、醤油醸造家たちも行き来した熊野街道沿いにあり、聖護院門跡らの熊野入峰の際には宿舎としても利用された。

門前に立つ「大地震津波心得の記碑」には、当地の醤油醸造家らの名が寄進者として刻まれている。

その「大地震津波心得の記碑」です。

大地震津なミ心え之記

嘉永七年六月十四日夜八ツ時下り大地震ゆり出し 翌十五日まで三十一ニ度ゆりそれより小地震日としてゆらざることなし 

廿五日頃漸ゆりやミ人心もおだやかになりしニ同年十一月四日晴天四ツ時大地震凡半時ばかり瓦落柱ねぢれたる家も多し川口よた来たることおびただしかりしかとも其日もことなく暮て翌五日昼七ツ時きのふより強き地震にて未申のかた海鳴こと三四度見るうち海のおもて山のごとくもりあがり津波といふやいな高波うちあげ北川南川原へ大木大石をさかまき家蔵船みぢんニ砕き高波おし来たる勢ひすさまじくおそろしなんといはんかたなし 

これより先地震をのがれんため濱へ逃あるひハ舟にのり又ハ北川南川筋へ逃たる人のあやうきめにあひ溺死の人もすくなからず 
すでに百五十年前宝永四年乃地震にも濱邊へにげて津波に死せし人のあまた有しとなん聞つたふ人もまれになり行ものなれハこの碑を建置ものそかし 

又昔よりつたへいふ井戸の水のへりあるひハにごれハ津波有へき印なりといへれど この折には井の水乃へりもにごりもせざりしさすれハ井水の増減によらずこの後萬一大地震ゆることあらハ火用心をいたし津波もよせ来へしと心えかならず濱邊川筋へ逃ゆかず深専寺門前を東へ通り天神山へ立のくべし 恵空一庵書

すこし読みにくいですが、生々しい記述とともに、避難経路の指示と、近づいてはならない場所について書かれています。

先人たちは子孫を想い、自分たちがしたこのような苦しい経験をさせないようにしたいという意図がひしひしと伝わってきます。

私の近くにある飛鳥神社にも、同じく宝永四年に起こった地震による津波の警告板があります。
この警告板は、毎年例祭の時に掲示し、参拝者に注意を喚起しているそうです。

上記文中にある「半時(はんとき)」とは、約1時間のことだそうです。
湯浅でも、白浜でも同じように約1時間も揺れる地震とは、ちょっと想像できません。

湯浅駅

2020年に、図書館や観光センターが入った複合施設的な建物に生まれ変わりました。
以前研修に来た時はまだ改築中でしたが、非常にきれいな駅舎になりました。

駅前には駐車場があり、最初の2時間は無料、以後1時間ごとに100円、24時間最大で500円で駐車できます。

駐車台数は63台です。
湯浅町営駅前駐車場