多角的な情報入手の重要性

先日お邪魔したあるお宅のご主人との会話です。

「実は先日、嫁と一緒に新型コロナに罹ってしまいまして・・・」

「そうか!で、ワクチンは打ったん?」

「いや、私は一回も打ってないです」

「奥さんは?」

「嫁も打ってないです」

「ははは!そりゃかかるわ!わしはもう4回打ったで」

いまだに「ワクチンは感染予防できる」と盲信している人(特に高齢の方)が圧倒的に多いようです。

この方は語り部さんなのですが、語り部さんはおそらく(私もそうですが)、色々なところから情報を引っ張ってきて勉強をされているはずなので、先出のような会話になるとは思ってもいませんでした。

ワクチンの話は本題から外れていましたので、ここで議論をしてもお互い気まずくなるだけだと思い何も言いませんでしたが、あれだけの知識をお持ちの方だっただけに少し残念な気持ちになりました。

何が言いたいかというと、これは何もワクチンの話だけにとどまらず、ガイドの勉強をする時でも、決して教えてもらった情報を鵜呑みにしてはいけないということです。

その時に説明を聞いて「へぇ、そうなんだ」と納得をしても、後から復習する時に疑問が出てくる場合があります。

その疑問を突き詰めていくと「ちょっと違うかも」と思う時があります。

私の場合で熊野に関して言えば、「熊野」の由来であるとか、速玉大神のことについてとか、八咫烏のことであったりとか、千木の話であったりとか、熊野の神々はどこから来たのかとか、その時に聞いて「へぇ!」と思ったことであっても、あとから「やっぱりちょっと納得いかない」となり、色んな情報を取り入れて考えてみると、「こっちのほうが自分の腹に落ちる」となることが多いです。

どの話かはあえてここでは言いませんが、明らかに作り話であることなどは、「ほんまでええやないですか」で済ませてもいいと思いますが、核となる部分については色んな角度からの情報を仕入れて判断することが重要だと、最近つくづく思います。

これも、新型コロナのおかげといえば語弊がありますが、今回の騒動で本当に実感しています。

ハチミツとミツバチについて(お勧めハチミツのご紹介)

今回は、世界遺産・丹生都比売神社のお膝元、天野地区で採れたハチミツのご紹介です。

天野の豊かな自然の中で育っているミツバチの巣から採れた、新鮮なハチミツです。
こちらのハチミツは、ハチミツが本来持つ味と香りをそのままお届けするため、加熱処理などは一切しない「生」の状態で瓶詰めしたものです。

スーパーなどで売っているものの中には、冬に結晶化させないために沸かしたものや、そもそも花の蜜ではない(ハチに砂糖水を与えている)ものもあります。しかし、これらの商品も「ハチミツ」として売られています。

砂糖水を与えているものが一番品質が悪いそうです。

味のバリエーション

蜜は、ミツバチが採集する花によって味が変わります。
また、その年の気候によっても左右されるため、二つと同じものができないそうです。

今回ご紹介するところでは、「晩春」「初夏」「夏」という形で、どの時季に集められたハチミツなのかで商品を分けています。

晩春

晩春の蜜は主にシロツメクサ、ノアザミ、レンゲなどから採集されたもので、丸みがあり、花の香りが軽やかに広がります。
炭酸割り、フルーツのマリネなどに。

初夏

初夏は主にハゼノキ、クリなでから採集されたもので、コク深く、栗の香りがゆっくりと広がります。チーズやトースト、肉料理などに。

夏はサンゴジュ、アカメガシワ、リョウブなどから採集されたもので、ほのかに薬草の香りがし、キレの良い後味が特徴です。紅茶、ヨーグルトなどに。

養蜂家さんのお話

先日、養蜂家の方からお聞きしたお話を少しだけシェアさせていただきます。

ミツバチは、花の蜜と花粉を食べます。

花の蜜はエネルギー源であり、人間でいうところのご飯にあたり、花粉はタンパク源であり、肉や魚などにあたります。

花粉を食べることで体をつくったり、働き蜂は子育て用のミルクをつくったりしています。

ミルクを出すためには花粉は欠かせないのです。

ミツバチはほとんどがメスバチで、オスは20%ほどしかいません。

オスは冬にかけてほとんどいなくなるそうです。

理由は2つあり、一つは、冬に女王ハチがオスを産まなくなるためで、もう一つは巣を追い出されるため。

オスは蜂蜜も花粉も採って来ないし、かなり餌も食べます。

秋からは越冬をするための餌を集めるので、餌を大量に食べるオスバチは要らなくなるので追い出されます。

オスバチは、毎日特定の場所でずっと飛んで新しい女王ハチが飛んで来るのを待ちながら一生を終えるそうです。

・・・これって、人間の世界でいうところのヒモと同じかもしれません(笑)

私も捨てられないように頑張ります。

ハチミツは最初、「花蜜」と呼ばれる状態で保管されています。それをハチの羽ばたきで水分を飛ばしてハチミツになります。
花蜜の糖度は約50%、これがハチの羽ばたきによって80%以上になります。

まだまだたくさんの事をお聞きしましたが、この辺で。
機会があれば養蜂家さん視察、ご一緒しましょう。

同じ味を味わうことができない今年限定のハチミツ、一度味わってみませんか?
なくなり次第販売終了です。

AMANO MIEL(画像をクリック)

AMANO MIEL

ちなみに、「MIEL」とはスペイン語でハチミツのことです。

私は初夏をいただきました。

確かにコクがありますが、後味がしつこくないといった感じで美味しいです。

白浜研修とご近所付き合い

本日は白浜研修の日でした。
白浜研修は3回(~4回)に渡って白浜について深く学ぶ計画にしています。
今日はその第一回目でした。

本来であれば、午前中は座学、午後は現場を回る予定だったのですが、折からの台風の影響で午後は中止となりました。

残念。

しかし、午前の座学だけでも十分充実した内容でした。

私は白浜生まれの白浜育ちですが、白浜に住んでいながら知らなかった事を多く学ぶことができました。

白浜町の前身

白浜町は昔、「瀬戸鉛山(せとかなやま)村」と呼ばれていました(これは知っていた話)

瀬戸村と鉛山村が合併してこのように呼ばれていました。

私はその鉛山村(現在の湯崎地区)出身なので、生粋の「白浜っ子」です。

その後、富田村や椿村が合併され、さらに「平成の大合併」で日置川町と合併して、現在の白浜町を形成しています。

平成の大合併当時、単独を掲げて当選した町長が突然の方向転換をして、日置川との合併を推進しました。
投票した人は見事に裏切られた形ですね。

鉛山村と瀬戸村の関係

ちなみに、瀬戸村と鉛山村、昔っから仲があまりよろしくないようで、私たちが子供の頃などは結構お互いのことをディスったりしていました。
今はそうでもないと思いますが。

瀬戸村と鉛山村時代にも、やはりいざこざはあったようです。

大辺路沿いでも、串本町田並と有田でも境界争いがありました。
この場合は地先権争いだったようです。

これって、日本国内の集落同士の話にとどまらず、国家間でも同じですね。
日本と韓国、日本とチャイナ、インドとパキスタン、オーストラリアとニュージーランド、イギリスとフランス・・・どうも「お隣さん」というのは、近すぎるが故に色んなことが両者の間で起こるからなのでしょうね。

やはり、だいたいの理由は資源問題だと思います。
田並と有田でも、境界が変われば採れる資源(魚介類や山菜など)も違うので、当時は死活問題だったのかもしれません。

国同士の争いも、結局はこうした村同士の問題の規模が国同士になっただけの話のような気がします。自国の領土になれば採れる資源の量も大きく変わるので、お互い譲らないのでしょうね。石油やガスとなれば、相手は絶対に譲らないどころか、奪おうと画策してきます。

それが世界の常識です。

日本はまったくそういったことがない、不思議な民族です。

太陽光発電の問題

メガソーラーをはじめとした、太陽光発電やソーラーパネル設置について、様々な問題が起こっています。

福岡県飯塚市。ここに54000枚の太陽光パネルが設置されており、それに取り囲まれて暮らす50世帯の人々がいます。

21年5月の大雨の時、外はくるぶしまで水が来ており、命の危険を感じて引っ越した家族もいたそうです。

この工事、住民には十分な説明もないまま着工されたらしいです。

県は「開発計画は、安全性に配慮している」とし、「50年に1度の豪雨」があっても、下流域に一斉に水が流れない調整池が設置されたらしいですが、それならくるぶしまで浸かるようなことにはならないのでは?

私が思うに、いくら調整池をつくったとしても、森林の保水能力には到底かなわないでしょう。
これがスギ・ヒノキの人工林であればそうはならないでしょうが、山には落ち葉や下草が生え、木はしっかりと根を張って保水をしています。
所詮、人間がつくったものには限界があるんです。

太陽光パネルを設置すると、それらが全部なくなって地面がむき出しになり、保水力がなくなることは誰にでも理解できるはずです。

静岡県熱海市伊豆山地区の大規模な土砂災害がそれを証明しています。

また、景観を非常に損ないます。
熊野古道・大辺路の長井坂でも、地元の新聞などはあまり取り上げませんが、私はこれも景観を損ねる大きな問題だと捉えています。
長井坂では、本来の古道自体も破壊され、太陽光パネルを大きく迂回するルートを通らなければいけません。
「通れればいいだろう」ではないのです。
歴史が破壊されているんです。

熊野古道・長井坂とメガソーラー

少なくとも、古道から見えるような所への太陽光パネルの設置は規制するべきだと思います。

太陽光パネル設置はこれだけではなく、他の問題も抱えています。

外資の参入です。

今の入札制度にも問題がありますが、この話、最初から仕組まれていたのではないか?と思ってしまいます。

国のインフラは絶対に他国に実権を握らせてはならないです。

篠原常一郎さんと竹田恒泰さんの動画へのコメントも含めて見てみてください。

こういった火種までつくってしまう太陽光発電、本当に必要なん?

ちなみに、ガイドでも「スギ・ヒノキは根が浅いので土砂災害が起こりやすい」と言っている人がいますが、厳密にいえばそうではありません。

スギは深根性(根を深く張る)で、ヒノキは浅根性です。
広葉樹でもカエデやブナは浅根性ですので、一概に「広葉樹は根が深く、針葉樹は根が浅い」と一括りにはできないのです。

人工林であっても、きちんと間伐をして根を張らせれば土砂災害発生の確率はうんと下がります。

ご参考に。

今回のニュース記事はこちら

5万枚のパネルに囲まれ メガソーラーから濁流 「命の危険感じて転居」

新型コロナウイルスの流行「収束の兆し」 WHO事務局長

WHO(=世界保健機関)のテドロス事務局長は14日、新型コロナウイルスの世界的な大流行について、終わりが見えてきたと述べました。

新型コロナウイルスの流行「収束の兆し」 WHO事務局長 日テレニュース

日テレさん、その報道自体はいいのですが、ニュースの映像を読み上げている間にワクチン接種の映像を流すのは、いかにも「ワクチン接種がパンデミックを収束させた」という印象操作に見えてしまいますよ。

ワクチン接種、それも3回目から IgーG4という免疫抑制の抗体が爆上がりするという話もあります。

東北有志医師の会の動画

むしろ、ワクチンを打ったからここまでパンデミックが長引いたと言っても過言ではありません。
現にイスラエルやシンガポール、そして我が国日本が、ワクチンを打つたびに感染爆発が起こっていることを証明したではないですか。

とにもかくにも、9割9分の人がマスクをし、多くの人がワクチンを打っている日本はまだまだ先が見えていない状況です。

みんながマスクを外し、5類以下に下げ、PCR検査とワクチン接種を有料にし、テレビを見なくなればこんな騒ぎはすぐに収まります。

政府はこの発表をどう見るのか、注目したいところです。

この記事に対するネットのコメント

◯コロナ禍でわかったこと… WHOも癒着があり、まったく信用できない機関である。 まして、この人がコロナ関連で発言したことは全てにおいてケチがついている。 いい加減、終息してほしいという願いはあります。終わらせたくないとか言う方いますが、のちにあのときの判断は最大の失態だった。ときすでに遅し…とならないように、と考えるだけです。 結果、コロナがここまで蔓延したのは初動でこの人が発言したことが原因だから!

◯もう、子供達のマスク授業、黙食も終わらせて欲しいです。そして、行事も中止する事なく進めて欲しい。日本はいつまでもコロナの鎖国状態。

◯未だかつてこの人の発言通りになった事があっただろうか?楽観的な発言が毎度裏目に出て状況は悪くなる一方。にも関わらず世界中が混乱してる中、本人は至って健在。実に不思議。

◯パンデミックというのは人々がその病気を特別なものと意識しなくなった時点で収束だからね。 ワクチンワクチン騒いで走り続けている限りは終わらない。 我に返って騒ぐことのバカらしさに気づいて、冷静になり立ち止まった時、いつの間にか収束してる。

◯マスコミが報道しなくなれば、誰も気にしなくなる。 早くマスクなしの生活に戻りたい。

中にはこんな人もいます。

◯終わらせません。 今コロナ対策を諦めては今までの努力が全て無駄になります。 日本だけでも最後までワクチンとマスクでコロナとたたかい抜き諦めません。

まずは大人からマスクを外すことから始めませんか?
東北有志医師の会 マスク動画

日本、正気か?

TikTok、日本は歓迎

坂東忠信さんのツイートから。

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●米国はアップルとグーグルにアプリストアから削除要請
https://t.co/ibItcX4Go6
●インド政府は使用禁止
https://t.co/r5GXVH02fZ
●ロシアはプロパガンダに利用
https://t.co/DZczzZSJwO

日本のデジタル庁はそのTikTokをマイナンバー普及の啓蒙に活用…って頭、大丈夫か?
https://t.co/7KLsOFhQqC

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海外では、TikTokをはじめとするチャイナアプリの規制に乗り出している一方で、未だに日本政府のこの危機感のなさには閉口です。

え?TikTokがなぜ?

と思われた方は、こちらをご参照ください。
なぜアメリカがTikTok(ティックトック)を禁止に?理由と危険性
なぜ米国や日本は、TikTokを禁止しようとしているのか

外国人生活保護の問題

生活に困窮している外国人に対して生活保護を出している国は、日本だけです。

その額は年間1200億円と言われています。

そして、永住権さえ持てば、住居実態がなくても永年受給できるという制度に異を唱えているのは小野田紀美自民党議員。
【予算委】小野田議員「日本は世界的にみてあり得ない「外国人生活保護」をしている。永住資格を取りさえすれば、実態がなくても資格が永遠に使われる」

政府も、実態把握ができていないといういい加減さ。

こうした制度がある限り、国の情勢が不安定になり、生活に困った海外の人が大挙して押し寄せる可能性があります。
特にチャイナが経済面で崩壊し、多くの人が住めなくなった場合、日本に大量に入ってくる恐れがあります。

安倍元首相の国葬反対について

安倍元首相の国葬の費用は約16億円。
あの~、こんな費用を公開しても大丈夫なん?

警備の規模とか分かってしまうんじゃないの?

今、国葬に呼ばれた議員や著名人がボイコットをして、それを勝ち誇ったようにネットに晒している人がいるようですが、そんなことをして国賊ぶりをアピールして、いったいこういった人たちはどっちを向いているんだと言いたくなります。

こういった動きに、ジョージアのティムラズ・レジャバ駐日大使が苦言を呈しています。
ジョージア大使が安倍氏国葬批判に「残念」 「来賓あるなら国民一丸で対応を」

外国人生活保護には1200億円、新型コロナの予備費12兆円の内、使途不明が11兆円。

安倍元首相の国葬費用16億円に対して騒いでいる人は、これらについてはだんまりですかね?

長崎ハウステンボスの問題

長崎ハウステンボスが、チャイナ系の企業に買収されるようです。
一応、この企業は香港系となっているようですが、このCEOは中国共産党員なので、実質チャイナ系です。

このハウステンボス、佐世保基地とは目と鼻の先です。
佐世保基地の目と鼻の先「ハウステンボス」は、香港系投資会社が買収

このようにして、チャイナ企業は日本の重要施設の近隣の土地を次々に購入しています。

これを黙って見過ごす政府も政府です。
一応昨年に「1km以内」という規制がつきましたが、これではまだまだ甘いです。

この記事にも書いていますが、チャイナは個人レベルでも浸透工作を仕掛けてきます。
「あの人はいい人だから」とか、「中国の人でもいい人はいる」などと言っていると、本当にその心理をうまく利用して乗っ取られます。

相手は共産主義の国です。

日本人の感覚とは大きく違っていることを認識することです。

関わらないに越したことはありません。

メディアはすでに海外に牛耳られている?

メディアは本来、公共の電波を使用している関係から、その情報には公平性がなければなりません。

しかし、実際には、捏造や偏向報道がまかり通っています。

なぜか?

その理由はこちら

現在のメディアは、中国系メディア関連がほとんどを占め、韓国人も入っています。

やたらと韓国のアイドルグループが朝の番組などで取り上げられているのも、おそらくこういった背景があるからでしょう。

これによって日本での人気が高まり、日本のお金が韓国に吸い上げられているということに気付いてもらいたいものです。

韓国は国を挙げて、外貨獲得のためにアイドルグループを世界各国に売り出しています。
韓国は日本と違って、外貨なしでは成り立たない国だからです。

外資の持ち株比率も高いです。
一応、メディアにおいては外資の持ち株比率は20%を超えてはいけないという決まりがありますので、体裁上は20%未満に抑えられていますが、実質は20%を超えているそうです。

特に多いのが日テレとフジで、外国人所有分が20%を超えている分を名簿に記載しないことで、かろうじて規定に収めている状態です。

実際の外国人直接保有率は、フジが32.88%、日テレが22.64%。
翻って、新型コロナワクチン関連でその被害の実態を報道している中部日本放送(CBC)は3.78%。

CBCニュース【CBCテレビ公式】

こういった状態にあるテレビ。

見ないに越したことはありません。

テレビは一方的に大量の情報を視聴者に届け、その情報が正しいのかどうかの判断をさせる時間を作らせません。

従って、聞いたことをすべて鵜呑みにしてしまう人を、大量に生産することに成功しました。

「マスコミを信じるランキング」は、日本がぶっちぎりの1位です。
2010年末の新聞通信調査会の全国世論では、NHKの信頼度は73.5点、新聞が70.9点、民法テレビが63.6点、インターネットが58.2点という結果だったそうです(信頼度100点満点)

「でも」「だって」と反論したくなる人もいるでしょうが、事実は事実です。

これまで知らなかった方は、違った角度から情報を取るということのきっかけになればと思います。

世界で禁止されている農薬、ホルモン剤で育てられた牛肉、農薬まみれのオレンジ・レモン・小麦、ワクチン・・・日本は世界から「いいカモ」にされているということに気付いてください。

こちらの本もオススメです。
本記事の内容は、一部こちらも参照させていただきました。
日本が今、どんな状況に置かれているのか、ぜひ知ってもらえればと思います。

株式会社アメリカの日本解体計画

昭和天皇エピソード② Episode of Emperor Showa②

There is an English version in the second half.

前回に引き続き、今回も小名木善行さんによる、昭和天皇のお話です。
前回の記事はこちらをご覧ください。
昭和天皇エピソード① Episode of Emperor Showa①

この昭和天皇の全国行幸の少し前の1945年9月27日、昭和天皇が一人の通訳だけを連れてマッカーサーのもとを訪れました。

当時のGHQは、天皇に対して3つの方針があったそうです。

1つ目は、東京裁判に引きずり出して絞首刑にする。

2つ目は、日本共産党をおだて上げて、人民裁判のもとに血祭りにあげる。

3つ目は、チャイナに亡命させて秘密裏に殺害する。

いずれにしても、GHQは陛下を「なきもの」とすることが決まっていました。

そのGHQの元締めであるマッカーサーのもとに、昭和天皇がただ一人の通訳を連れて訪れたのです。

マッカーサーは当然、陛下は命乞いに来るのだと思っていました。

そう思っていたので、マッカーサーはマドロスパイプをくわえてソファーから立ち上がろうともしないで陛下を迎えたのだそうです。

マドロスパイプはコーンパイプとも言われていて、アメリカの主産物がトウモロコシだったので、このパイプがアメリカを象徴するものだったのです。

これをくわえることによって、「俺たちはお前たちに勝ったんだ」ということを示したのです。

そのマッカーサーの前に、陛下は直立不動の姿勢で立ち、国際儀礼としてのご挨拶をしっかりとした上で、次のように仰せになったそうです。

日本国天皇は、このわたくしであります。

戦争に関する一切の責任は、このわたくしにあります。

わたくしの命において、すべてが行われました限り、日本においてはただの一人の戦犯もおりません。

絞首刑はもちろんのこと、いかなるいかなる極刑に処されてもいつでも応ずるだけの覚悟はあります。

これについて、事前に何の打ち合わあせもなかったので、通訳の人はその通りに訳していいのかどうか困ったそうです。

しかし陛下はそのままお続けになります。

しかしながら、罪なき8000万人の国民は住むに家もなく、着るに衣なく、食べるに食なき姿において、深憂に耐えんものがあります。

そこで温かき閣下のご配慮をもちまして、国民たちの衣食住の点のみに、ご高配を賜りますように。

このように申されました。

これを聞いたマッカーサーは驚いたそうです。

世界中、どこのどんな国であっても、国の元首は戦争に負けると、自分が助かりたいがために平気で国民を犠牲にして命乞いをします。

さらにはその国から逃亡してしまいます。

これが世界の常識なのです。

にもかかわらず、昭和天皇は一切の責任は自分にあるのだと、絞首刑であろうといかなる極刑も受けると淡々と仰せになる、罪の一切は自分にあるのだから自分を処刑してくれ、その代わりにみんなを助けてくれとおっしゃったからです。

マッカーサーは、くわえていたマドロスパイプを机の上に置いたそうです。

そして椅子から立ち上がり、自ら陛下に近づき、陛下を抱くようにして座っていただき、陛下は興奮しておられるようだからコーヒーを差し上げるようにと命じ、今度はまるで一臣下のようにかけていただいた陛下の前に立ち、今度はマッカーサーが直立不動の姿勢を取り

天皇とはこのようなものでありましたか。

天皇とはこのようなものでありましたか。

と、2度この言葉を繰り返したそうです。

そして、マッカーサーも

わたくしも日本人に生まれたかった。
陛下、ご不自由でございましょう。
わたくしにできるものがあれば何なりとお申しください。

と言ったそうです。

陛下も立ち上がられ、そして涙をポロポロと流しながら、

命をかけて、マッカーサー閣下のお袖にすがっております。
このわたくしに何の望みがありましょうか。
重ねて、国民の衣食住の点のみ、ご高配を賜りますように。

と仰せになりました。

この後マッカーサーは、陛下を玄関まで伴って、自分の手で車の扉を開けて陛下をお見送りしたそうです。

そして、慌てて階段を駆け上がると、それまでのGHQの方針を180度変更する新たな命令を下しました。

これが、歴史に残された事実です。

このお話は有名なのでご存知の方も多いと思いますが、改めて聞く、胸に迫るものがあります。

天皇とはこのようなものでありましたか。

というマッカーサーの言葉がすべてを物語っているように思います。

天皇は国民を「大御宝(おおみたから)」とし、クニトコタチの建国以来、ずっとこの精神は変わっていません。

私はそんな国に生まれて本当に良かったと思います。

今回の詳しいお話はこちら
ねずさんの学ぼう日本 マッカーサーを心服させた昭和天皇

Continuing from the previous article, this time Zenko Onagi will be talking about an episode of Emperor Showa.
Please click here for the previous article.
Episode of Emperor Showa (1)

On September 27, 1945, shortly before the Emperor Showa’s trip to Japan, he visited MacArthur with only one interpreter.

At that time, GHQ had three policies toward the Emperor.

The first was to drag him to the Tokyo Trials and hang him.
The second was to flatter the Japanese Communist Party and have him bled to death under the People’s Tribunal.
Third, they would exile him to China and murder him in secret.

In any case, GHQ was determined to make The Εmperor “nothing”.

The Emperor Showa visited MacArthur, the head of GHQ, with his only interpreter.

MacArthur naturally assumed that The Εmperor would come to beg for his life.

He thought so, so MacArthur greeted The Emperor without even getting up from the couch with a madros pipe in his mouth.

The madros pipe is also known as a corn pipe, and since corn was the main product of the United States, this pipe was a symbol of the United States.

By holding it in his mouth, he showed that “we have defeated you”.

In front of MacArthur, The Emperor stood erect and unmoving in a posture of international courtesy, and after a firm greeting, he said,

I am the Emperor of Japan. I am responsible for all matters related to the war. As long as everything has been done under my command, there is not a single war criminal in Japan. I am prepared to submit myself to any and all forms of capital punishment, including, of course, hanging.

Since there was no prior agreement on this, the interpreter was at a loss as to whether or not he should translate it as it was said.

However, The Emperor continues.

However, the 80 million innocent people of Japan have no homes to live in, no clothes to wear, and no food to eat, and their situation is deeply worrisome. Therefore, I ask that Your Excellency, the Most Wondrous Majesty, please take care of the food, clothing, and shelter of the people of this country.

When MacArthur heard this, he was astonished.

Whenever a country loses a war, heads of state in any part of the world will sacrifice their own people and beg for their lives in order to save their own lives.

Furthermore, they flee the country.

This is the common sense of the world.

Despite this, the Showa Emperor said without hesitation that he would accept any extreme punishment, even hanging, because he was responsible for all the crimes, so he asked to be executed and in return save everyone.

MacArthur put the madrone pipe he was holding in his mouth on the desk.

Then he got up from his chair, approached The Emperor himself, and asked him to sit down in his embrace, and ordered to offer The Emperor a cup of coffee because he seemed excited, and this time he stood in front of Ηis Majesty, who was sitting on him as if he were a subject, and this time MacArthur stood erect and immobile, and said

Such a man was The Emperor!”
Such a man was The Emperor!”

He repeated these words twice.

And MacArthur said

I wish I had been born a Japanese.
I know you are inconvenienced, Majesty.
If there is anything I can do, please let me know.

The Emperor stood up, tears streaming down his face.

I am clinging to the sleeve of His Excellency MacArthur with my life.
What hope do I have?
I ask only for the food, clothing, and shelter of the people.

After this, MacArthur accompanied Majesty to the entrance and opened the car door with his own hands to see him off.

Then, rushing up the stairs, he issued a new order that changed the policy of GHQ 180 degrees.

This is a fact left behind in history.

I am sure many of you know this story because it is famous, but hearing it again, it is very moving.

Such a man was The Emperor!

I think MacArthur’s words say it all.

The Emperor considers the people as “Omitakara,” and this spirit has not changed since the founding of the nation of Kunitokotachi.

I am very happy to be born in such a country.


昭和天皇エピソード① Episode of Emperor Showa①

There is an English version in the second half.

今回は、昭和天皇の有名な?エピソードを2回に渡ってご紹介いたします。
このお話は、小名木善行さんのお話ですが、今日のお話の出典は佐賀県にある因通寺(いんつうじ)の住職さんが書かれた「天王様が泣いてござった」という本だそうです。

この本には、通州事件でのSさんの体験談と、昭和天皇の佐賀の行幸について書かれているそうです。
この本、ちょっと今は入手が難しいようです。

通州事件について詳しい本はこちら
覚悟して読んでください。
文庫 通州事件の真実:昭和十二年夏の邦人虐殺

因通寺では、戦争で親を亡くした孤児を預かっていました。
昭和天皇は、その子供たちの部屋を回って行かれ、一人ひとりの子供に声をかけられました。

昭和天皇:どこから?
子供:満洲から帰りました。
子供:北朝鮮から帰りました。
昭和天皇:あぁ、そう。
と、にこやかにお答えになる。
昭和天皇:おいくつ?
子供:7つです。
子供:5つです。

陛下はこのようにして、我が子に言葉をかけるように一人ひとりに顔を近づけ、
「立派にね。元気にね」
とおっしゃいました。

そうして陛下は一部屋ずつ、満面の笑みを浮かべながらお優しい言葉をかけておられたましたが、その表情が、ある部屋で一変します。

随行していた方々は、陛下に何が起こったのは分からず、お互いに顔を見合わせながら重苦しい時間が流れたそうです。

しばらくして、陛下が3人の女の子の中の真ん中の子に「お父さん?お母さん?」とおっしゃっいました。

その女の子の胸には、2つの位牌が抱きしめられていました。

陛下はその2つの位牌を見て「お父さんなの?お母さんなの?」とお尋ねになったのです。

するとその女の子は「はい、これは私の父と母の位牌です」と答えました。

これを聞かれた陛下は、はっきりと、大きく頷かれ、「どこで?」とお尋ねになりました。

「はい、父は満洲の国境で名誉の戦死をしました」
「母は引き上げ途中で病で亡くなりました」

すると陛下は「お一人で?」とお尋ねになる。
父母と別れ、満洲から一人で帰ってきたの?とお尋ねになりました。

「いいえ、奉天からコロ島までは日本のおじさん、おばさんと一緒でした。船に乗ったら、船のおじさんたちが親切にしてくださいました。そして佐世保の引揚擁護局には、ここの先生が迎えに来てくださいました」

陛下はこの子が話している間、じっとこの子をご覧になりながら何度も大きく頷かれました。

そしてこの子の話が終わると陛下は「お寂しい?」と、それは悲しそうなお顔でお言葉をかけられました。

「いいえ、寂しいことはありません。私は仏の子です。仏の子は、亡くなったお父さんともお母さんとも、お浄土に行ったらきっとまた会うことができるんです。お父さんに会いたいと思う時、お母さんに会いたいと思う時、私は、仏様の前に座ります。そしてそっとお父さんの名前を呼びます。そっとお母さんの名前を呼びます。すると、お父さんもお母さんも私のそばにやって来て私を抱いてくれます。だから、私は寂しいことはありません。私は仏の子供です」

陛下はこの間、ずっとこの子をご覧になり、子供はずっと陛下を見上げていました。

この二人の間に何か特別な時間が流れます。

そして陛下がこの子のいる部屋に足を踏み入れられ、右の御手に持たれていた帽子を左手に持ち替えられ、右手でその子の頭をそっと撫でられました。
そして陛下は「仏の子は、お幸せね。これからも、立派に育っておくれよ」と申されました。

その時、陛下の目からはハタハタと数滴の涙が畳に落ちたそうです。

この時にこの女の子が小さな声で「お父さん」と呼んだのです。

これをお聞きになった陛下は、大きく頷かれました。

この様子を見ていた周囲の人たちは皆、泣いたそうです。

東京から随行していた新聞記者も、肩を震わせて泣いていました。

陛下のこうした行幸を境に、戦後日本は見事な復活を遂げ、戦後たったの19年で東京でオリンピックを開催するまでになりました。

さらに詳しい内容については、ぜひこちらをお読みになってください。
ねずさんの学ぼう日本 昭和天皇行幸

In this issue, I would like to introduce you to a famous episode of Emperor Showa.
This story is written by Yoshiyuki Onagi.
The source of today’s story is a book titled “Tenno-sama wa naite gozatta” written by the chief priest of Intsuji Temple in Saga Prefecture.

In this book, he writes about Mr. S’s experience in the Tsushu Incident and the Emperor Showa’s visit to Saga.
This book seems to be a little difficult to obtain now.

The Intsuji Temple took care of orphans who had lost their parents in the war.
Emperor Showa went around to the rooms of these children and spoke to each one.

Emperor Showa: Where are you from?
Child: I came back from Manchuria.
Child: I came back from North Korea.
Emperor Showa: Oh, yes.
And he answered with a beaming smile.
Emperor Showa: How old are you?
Child: Seven.
Child: Five.

In this way, he approached each of them as if he were speaking to his own child.
“You’re going to be great. Be well.”

He then spoke kind words to each room with a big smile on his face, but his expression changed completely in one room.

The people who were accompanying him did not know what had happened to him, and a heavy moment passed as they looked at each other.

The Emperor then spoke kind words to each of them one by one with a big smile on his face, but his expression changed completely in one room.

The people who were accompanying him did not know what had happened to him, and a heavy moment passed as they looked at each other.

After a while, he asked the middle of the three girls, “Father? Mother?”

The girl had two mortuary tablets clutched to her chest.

He looked at the two tablets and asked, “Are you the father or the mother?”

The girl replied, “Yes, these are the tablets of my father and mother.”

When he heard this, he nodded clearly and broadly and asked, “Where?”

“Yes, my father was honorably killed in action on the border of Manchuria.
My mother died of illness on the way back.”

Then he asked, “Alone?”
“Did you leave your parents and return alone from Manchuria?”

“No, I was with my Japanese aunts and uncles from Mukden to Koro Island. When I got on the boat, the men on the boat were very kind to me. And at the Repatriation Advocate Office in Sasebo, a teacher from here came to pick us up.”

While the child was speaking, he looked at the child and nodded his head repeatedly.

When the child’s story ended, he asked, “Are you lonely?” He nodded his head many times while looking at the child.

No, I am not lonely. I am a child of the Buddha. As a child of the Buddha, you will be able to see your deceased father and mother again when you go to the Pure Land. Whenever I want to see my father or mother, I sit in front of the Buddha. Then I gently call out my father’s name. I gently call out my mother’s name. Then both my father and mother come to my side and embrace me. So I am not lonely. I am a child of the Buddha.

All this time, he was looking at the child, and the child was looking up at him.

There is something special that passes between the two of them.

Then he stepped into the room where the child was, switched the hat in his right hand to his left, and gently stroked the child’s head with his right hand.
He then said, “The child of Buddha is happy. I hope he will continue to grow up to be a fine child.”

At that moment, a few tears fell from his eyes onto the tatami mat.

At that time, this girl called out “father” in a small voice.

When he heard this, he nodded his head broadly.

All the people around her cried as they watched this.

A newspaper reporter who had accompanied him from Tokyo also cried, his shoulders shaking.

His visit marked the beginning of Japan’s remarkable postwar revival, and only 19 years after the war, the Olympics were held in Tokyo.


近況など

面接ウォークが終了しました

先日、入会希望者お二人と一緒に熊野古道歩きをしてきました。
当日は湿気が多くて蒸し暑く、歩くには最悪の状況でした。
おまけに、紀伊路は日向が多く、コース選びにちょっと失敗したかなと反省しております。

ただ、熱中症の危ない部分はありましたが、お二人とも無事に歩くことができたのでホッとしています。

当会に入会していただくには、面接と熊野古道歩きをセットで行ないます。

他の団体に比べれば、入会がかなり面倒かもしれませんね。

外国語の料金について

最近ちょっと小耳に挟んだ話ですが、ある団体では、日本語も英語も料金を同じにしたいと考えているとか。

この発想は、日本語しかできない人に多いと思います。
そして、この発想はやめていただきたい。

自分が日本語しかできないのであれば、なおさら「別料金で」という発想にならないものかと思います。

今は他の団体との掛け持ちは基本的にOKということになってはいますが、この状況が進めば禁止にせざるを得ない状況になるかもしれません。

理由は2つ。

1つ目は「同じ人で同じ案内内容なのに、料金がなぜこんなに違うのか」と言われかねないからです。

複数の団体の所属されている方で、英語でも日本語でも案内をされる方は、ここはぜひとも踏ん張ってほしいところです。

2つ目は、案内内容(分野)が違っていても同じだからと考えているからです。
熊野で言えば川船下りやジオガイドなどです。

やがてその発想が他の団体にも広がれば、今の和歌山の語り部と同じ様に安く使われるようになり、通訳案内士の活躍の場がなくなるからです。

現時点で通訳案内士の受験者数が激減しているこの状況にさらに追い打ちをかけることになりかねません。

奈良にはガイドを専業としている方が200人いると聞きました。

通訳案内士の活躍の場を維持していくためにも、絶対に「定年退職後の小遣い稼ぎ」の発想はやめていただき、和歌山県にもガイドを専業として食べていける土壌を作っていかなければならないと思っています。

掛け持ちしている人も、苦労してライセンスを取ったと思います。
その苦労したことを忘れないでいただきたいです。

熊野もインバウンド復活か?

新型コロナの影響で2020年3月にストップしたインバウンド客ですが、今月下旬のツアーは催行される可能性が高くなってきました。

もし、海外からのお客様であれば、2年半ぶりになります。

これが実現すれば、インバウンド復活に向けて大きな一歩になります。

お客様に直接会ってお礼を言いたいくらいです(笑)

コロナ前のような状態に早く戻ってもらい、日本の、そして和歌山の良さを存分にお伝えできればと思っています。

アワウタ

今回は「アワウタ」についてです。
アワウタとは、「ホツマツタヱ」や「ミカサフミ」に書かれている、48のそれぞれ違う文字を、重なることなく五七調に整えた歌のことです。

ホツマツタヱについてはこちらの過去記事もご参照ください。
ホツマツタエ~神話のルーツ~

アワウタを歌うだけで心身が健やかになり、病にならずに長生きできると言われており、不思議な力が宿る歌と言われています。

あかはなま いきひにみうく

ふぬむえけ へねめおこほの

もとろそよ をてれせゑする

すゆんちり しゐたらさやわ

ヲシテ文献とは

本来は「ヲシテ文字」という、漢字伝来以前から日本に存在していたと言われる文字によって書かれており、神代文字(かみよもじ・じんだいもじ)といわれています。

ヲシテ文字は、◯や▢や△などに点や線などを法則に従って組み合わせた文字です。

このヲシテ文字で書かれた書物を「ヲシテ文献」といい、現在は3つ伝わっています。

その3つとは「ホツマツタヱ」「ミカサフミ」「フトマニ」です。

中でもホツマツタヱは古事記・日本書紀の原型になったのではないかと言われています。

ミカサフミは、ホツマツタヱと対とされるもので、ホツマツタヱの解説書という位置づけのようです。

フトマニとは、ヲシテ文字を円盤状に並べた「フトマニ図」を使って吉凶を占うもので、後に天照大神(アマテル)によって、これを元に128首の歌(モトラツタエノフミ)が編纂されました。

アワウタが編み出された経緯

初代アマカミ・クニトコタチの御子である「ト・ホ・カ・ミ・エ・ヒ・タ・メ」の8人のうち、「ト」の家系が代々アマカミ(現在の天皇にあたる地位)を継承していましたが、6代目に当たるオモタルの時にその血筋が途絶えてしまいました。

そこで、「タ」の家系であるイサナギとイサナミが7代目を引き継ぎます。

「タ」の家系は主に東北地方(ヒカミ)で「ト」の一族を支える左大臣(ヒリ)の役割であったそうです。
その「タ」の一族の直系であったことから、「タ」のカミ(神)を「結ぶ」=「タカミムスビ」という役職を代々継いでいました。

その5代目タカミムスビにあたるお方が「トヨケオオカミ(豊受大神)」です。
豊受大神は伊勢の神宮の外宮の主祭神です。

6代目アマカミ・オモタルの後、アマカミ不在のために国の統治もできなくなり荒れてこの頃に、トヨケオオカミは「フトマニ図」を作り、人々は初代クニトコタチの子孫なのだから、「人類みな兄弟」という教えを広めていきました。

これには「ト」の直系でなくてもいいですよという意味も込められていたようです。

ただ、フトマニ図だけでは分かりにくく、人々には親しみにくいため、イサナギ・イサナミはこのフトマニ図を用いて48文字を用いた「アワウタ」を編み出しました。

アワウタを日本語の基礎に置くことで、これを口ずさむだけで天地開闢(かいびゃく)から現代にいたるまでの、神々の恩恵やご先祖さまの想いに触れることができるとしたようです。

今回はこちらの動画からその内容をご紹介しました。

他にも、ヲシテ文字の意味と構成、アワウタを五七調にした理由、アワウタの意味、「アのアワウタ」と「ワのアワウタ」についてなどの解説があります。

アワウタの意味については、一回見ただけではなかなか理解が難しい部分もありますが、内容が濃く全編を通して非常に勉強になりますので、是非、全編ご覧ください。

みなさんも、アワウタを唱えてみてはいかがですか?