鍛え直すべき21世紀の戦略的抑止力

今日は篠原常一郎さんのお話です。

戦略と戦術

戦術とは、目の前の敵と戦う時に使う兵器や部隊のことを指し、戦略というのは相手の国の領土(相手が支配している資源が多い植民地や統治地域)を直接攻撃する、もっといえば長距離爆撃や核ミサイル攻撃をするということです。

この、長距離爆撃や核攻撃をする軍隊を戦略軍といいます。

そのアメリカの戦略軍第11代司令官のチャールズ・A・リチャードによって書かれた論文が「鍛え直すべき21世紀の戦略的抑止力」です。

「戦略的抑止力」とは「核抑止力」のことです。

恐怖の均衡

今の核抑止力とは、もし相手が核兵器を持っているならば、こちらも報復できる核兵器をきちんと備えて報復力を作り、その報復力の「恐怖の均衡」の上で核戦争を抑止するというものです。

しかし、リチャード提督は、そのバランスが今崩れそうであり、バランスが崩れると核戦争が起きると提言しています。

チャイナの核の脅威

今、アメリカは冷戦が終結して30年間、小さな紛争(イラク、アフガニスタン、スーダン、シリアなど)に対応している間に、チャイナはGDPを増幅させ、軍備を著しく増強させました。
チャイナの国防費は日本円にして25兆円。これは、「日本の防衛費が増えた」といって騒いて出いますが、その日本の防衛費の5倍です。
世界全体の国防費は約70兆円なので、その3分の1はチャイナなのです。

そして、この10年で増えたのがチャイナの核ミサイルです。

冷戦時代に核をたくさん持ちすぎた米ソ両国およびNATOは、当時各数千発持っていた核兵器を、お互いの話し合いで数百発規模にまで縮小しました。
これは、当時の核戦争回避へ大きく貢献しました。

それを尻目に、チャイナは独自に各開発をし、アメリカとロシアが知らない間にこの10年で2倍以上にまで核ミサイルを増やしました。

こんなに核戦略が増えた国というのはありません。

私たちはよく「北朝鮮の脅威」といいますが、本当の脅威はチャイナです。
あまり知られていませんが、2005年からアメリカでは太平洋地域の大型再編が行われており、沖縄の海兵隊が沖縄からグアムやオーストラリアに下がった本当の理由は、チャイナのミサイルが沖縄に届く数がものすごく増えたからなのです。

チャイナのミサイルが届く範囲内に、アメリカの戦力を集中して置かないという理由で再編が行われたというのです。

このチャイナの核戦略に対して、適切な対処をしてこなかったというのが一つです。

ロシアと西側諸国

もう一つは、旧ソ連の国境付近の情勢が悪化しているということです。
2014年にロシアがクリミア半島を併合してからというもの、アメリカやEU諸国、日本までもが経済制裁を課しました。
その時にプーチン大統領は「今世界は核戦争の危機に直面している。我々も核戦争を覚悟しなければならない」と言明しました。
「これ以上、ロシアの存続が脅かされるのであれば、核兵器使用も考えなければならない」という、一種の脅しを世界に向けて発しました。

そういったことが現実味を帯びてきたため、今までは配備をしていればそれが抑止力になったが、今回リチャード氏は、より具体的に、核戦争になればこうやって戦うという内容を詳細に詰めて核戦争態勢を取らない限りより危機が深まるんだということを言っています。

日本の役割

我々日本人が考えなければならない点は、アメリカと核を以て戦う国は、ヨーロッパは別にして、チャイナ、ロシア、北朝鮮と、「隣国」ばかりです。しかも日本にはアメリカ軍の基地もあります。

この基地はなくせばいいのかというとそうではなく、それが抑止力を構成しているのです。

それを踏まえた上で、日本としてはどう振る舞っていくのか、どう提言をするのかということです。

人物の考え方とは

今日は林英臣先生のお話です。

綜学についてはこちらをご覧ください。
講義体系「綜学」

「見る」と「観る」

「綜学」とは全体をみることです。
全体をみるということは、さらにどこをみていくのかということに繋がります。

この時の「全体をみる」は「観る」と思ってください。

普通にみるのは「見る」です。
「見学」などに使います。

「見学」は目で見て学ぶ、「観光」は光を観ると書きます。

この「光」とは、その土地や地域の伝統・文化・人情、さらには水・空気・食べ物など諸々のことを含めて、これらはその土地の「光」であり、その光を観るというのが観光です。

では「見」と「観」では何が違うのかというと、「観」は「心で観る」ということであり、ただ目で見るだけではなく、心でどうやって受け止めるかというところまでを含んでいます。

「国家観」「歴史観」「世界観」「人間観」という言葉がそれにあたりますが、「国家見」や「歴史見」などという言葉は存在しません。

なので、全体を見る時には「観」という字を使います。

全体を「観る」

その時、人より一段高いところに立つということが重要です。

人より一段高いところに立つと全体が見渡せます。

具体的には、「わが社」を考える時には「地域」から考えます。
「地域」を考える時は「日本」から考え、「日本」を考える時は「世界」から・・・というように、一段高いところから考えるようにすると、全体が見えてきます。

行き詰まった人は、この考え方ができていない場合が多いようです。

核心を掴む

もし、問題解決を練っているとするならば、核心を掴むことをオススメします。

問題解決であればその問題の根っこの部分です。

さらに、問題解決の鍵を握っているキーパーソンを探し出すことです。

それらを洗い出すことで、問題解決のきっかけを掴むことができるようになります。

流れを読む

さらに、綜学的には「流れを読む」ということをオススメしています。

「流れを読む」というのは具体的には「直線思考ではなく、曲線思考で物事を捉えてください」ということです。
「直線思考」というのは「このままいったら悪くなる」「このままいったらどこまで増えてしまう」というものです。
「このまま人口が減れば日本人はいなくなる」という考え方です。

しかし、現実的には、ある段階で底をつくとか、ある所で天井に到達してまた下がってくるとか、上がってくるという「波による変化」があるわけです。

その「波による変化」というのが「曲線思考」になります。

動いているものは必ず波があるということです。

心臓の鼓動、呼吸も「波」であり、一日の「昼と夜」「四季のめぐり」も「波」です。

問題解決をしている時に「あとどれくらい上がるのか」「あとどの程度下がるか」ということを、経験も踏まえながら、歴史に学びながら、ともかく予想をするということです。
もちろん、予想通りにいくかどうかはわかりませんが、ここで肝心なのは直線で捉えないことです。

方法と手順

もう一つは、方法と手順です。
そもそも、問題解決は指導者の仕事です。
どういう手順・どういう方法で問題解決をはかっていくか、また、新しい物事を進めていくかという「工程表」をとにかくつくってみることが大切です。

これもつくった通りに物事が進むかどうかは分かりませんが、工程表があるほうが遅れが少ない、いや、むしろ早く進むということがままあるということです。

まずは全体を見る、そして核心を掴み、流れを読み、そして方法と手順を練る・・・というのが綜学的な考え方の基本です。

この考え方は、あらゆる分野に応用ができると思います。

みなさんもご参考にされてください。

五族協和を実現した理想郷の満州国

1週間にわたり、様々な分野の方のお話をご紹介していきます。

今日は小名木善行さんのお話から。

満州というと、「州」という字を書きますが、実は本来は「洲」が正しい表記です。
満洲というところは作物が取れないところでした。
水がなかったからです。
ところが、満洲は土が非常に肥えていました。
ということは、水を引きさえすれば、作物が採れるようになることを意味します。

そこで、昔からこの地で細々と栽培されていた大豆を栽培しようということになりました。

この「発起人」が当時の三井物産の上海支店でした。
さらに、収穫した大豆をシベリア鉄道に載せてヨーロッパに販路を開こうとします。
それに先駆けてヨーロッパでは大豆を使った料理の紹介を始めました。

そして水路を開き、大々的に大豆の栽培の乗り出しますが、これが当たり「満洲大豆」という名で、世界の大豆の約半分のシェアを誇るまでになりました。

この大豆を効率よく運ぶため、鉄道が網の目のように細微されました。
その線路と線路が交わるところにはターミナル駅ができ、そこでも大豆の取引が行われていたために大きなお金が動く関係から銀行ができるようになり、ひとつの大きな街ができるようになりました。

こうして満洲は目覚ましい発展を遂げます。

ビルの中には当時では珍しいエレベーターができ、エレベーターガールまでいたそうです。

大豆畑を開墾するにあたっては、本来であれば耕運機で耕すのですが、当時の盛況ぶりを聞きつけた朝鮮半島やモンゴルの人たちがこぞって移り住んで来たため、その人たちの「人力」を使って作業を進めたました。

その賃金は、半年くらいで彼らの一生分くらいを稼げたそうです。

鉄道も目覚ましい発展を遂げます。

「特急アジア号」は、蒸気機関車ながら時速100kmで走行し、客室は冷暖房完備、豪華なフランス料理なども出されました。
路線の計画も、ヨーロッパはもちろん、北京、上海、ベトナム、マレーシア半島を通ってシンガポールに至る構想もありました。

また、当時は自動車もけっこう普及しはじめていたので、満洲には世界初の高速道路も建設されました。
その規模は、片側8車線(!)
残念ながら、戦争で負けてから規模を縮小して建設が再開されましたが、日本の経済協力金によって完成されました。
弾丸特急については、その技術が新幹線に応用されて現在に至っています。

そんな満洲ですが、「どこの国」ともつかない状態でいるのはいいことはないだろうということで、「五族協和」を掲げて国をつくろうとします。
満洲はもともと、女真族(清)の土地であり、チャイナの辛亥革命以降自分たちの国を持てていなかった清の元皇帝・愛新覚羅家の溥儀を擁立して満洲を治めてもらおうということになりました。

残念ながら、日本が戦争に負けてから満洲国はなくなってしまいましたが、非常に短期間に高度成長を遂げたという事実は残っています。

大切なのは、日本人も朝鮮人もモンゴル人もロシア人も漢民族も、すべて協和をし平和に暮らすという目的を掲げていたということです。

歴史を学ぶときに重要なことは、当時の先人たちがどのように考えてどう行動したのか、そこから私達はこれからどういう日本をつくっていかなければならないのかということであり、ただ単に「日本が満洲を侵略した」ということを学んでも、そこから何を学ぶことができるのかということです。

どんな時代にもいいところと悪いところがあります。

たとえば、今般のコロナショックで自粛を強いられたおかげで助かった人もいます。
バブルの絶頂期でも倒産した会社があったわけで、結局は「どこを見るか」なのです。

満洲についても同じで、「なぜ五族協和が実現したのか」ということが、この歴史の中で一番学ぶべきことではないでしょうか。

小名木善行さんのお話がつまった、こちらの本もオススメです。

庶民の日本史 ねずさんが描く「よろこびあふれる楽しい国」の人々の物語

知識の武装

新型コロナに罹ってから、早くも1週間がたちました。
すでに熱が下がってから5日たっています。
あとはたまに出る咳が治まれば完治なのですが、これはもう少しかかりそうです。

べつに「言ってくれ」というわけではありませんが、罹患中「大丈夫ですか?」と声をかけてくれた人はほんの一握りでした。
こういった人がおそらく、最後まで私に付いてきてくれる人なんだろうなと思った次第です。

病でわかる、人の本質。

それに触れることができたこの1週間でした。

結局わたしの場合は、4日間の発熱、倦怠感、下痢、咳といった症状が見られ、最初の2日間は何も食べずにひたすら寝るという状態でした。

しかし、人間は自然免疫力が備わっていますので、寝てれば治るんです(笑)

薬はあくまでもその補助であり、完治させるのは薬ではありません。

今の医療に必要なのは、「罹ったら薬」という対症療法ではなく、「どうすればならないか」という「未病」という発想です。
東洋医学ではこのことについては、西洋医学よりもずっと進んでいると思います。

また、今の医療のシステムでは、誰かが病気にならなければ儲からないようになっていますので、この根本を変えないと、この先もずっと西洋医学に未病という考えは起こらないでしょうね。

以前ご紹介した「五六七の仕組」という本の中にも書かれていますが、日本の上に乗っかっている西洋の真似事の仕組みが、この先一旦崩壊するようです。
これは医療に始まったことではなく、あらゆる分野で「西洋かぶれ」になっている現行のシステムがなくなり、新たに平和な世が来ることが示唆されています。

【オススメ書籍】五六七(ミロク)の仕組

なんでもそうですが、根本を変えなければいくらやってもいたちごっこです。
少子化対策もそうです。
いたずらに保育園を増やすというより、もっと根本に潜んでいる問題ごと取り除かなければ、いつまでたっても保育園をつくり続けなければならないでしょう。
少子化問題についてはこちらの記事をご覧ください。
女性の社会進出と少子化について①
女性の社会進出と少子化について②

会社も以前は社長と従業員のものでした。
しかし、今は株主のものとなってしまっています。
利益を配当金に充てなければならないため、従業員に満足な給料を払えなくなっています。
日本の賃金がこの30年間上がっていないのはこのためです。
株主が日本人であればまだいいのですが、結構な比率で外国人が持っているため、せっかく日本人が働いて儲けたお金が海外に流れ出てしまっています。

日本がこのようにおかしくなったのは、戦争に負けたからです。
日本はいまだにGHQの呪縛から抜け出せてはいません。
月2回、東京の「ニュー山王ホテル」では日米合同委員会が開かれ、そこには日本の官僚とアメリカの軍人が会議をしているそうです。
ここでは日本の政府や国会より上位の位置づけです。
日本の官僚は、アメリカの言う事を聞かなければなりません。
ニュー山王ホテルの敷地もアメリカの領土です。
いまだに、日本はアメリカの言いなりになっているのです。

この事を知らなかった人は、やはり勉強不足としか言いようがありません。

「知らない」ということは聞こえがいいかもしれませんが、これは時に「放棄」と同じ意味になります。
自国を守るのは日本国民しかいません。
自分の体も結局は自分で守るしかありません。
「知らなかった」では済まされません。

みなさんも、ぜひ、「◯◯へ行った」とか「うちの庭に◯◯が実った」など、どうでもいいSNSのタイムラインをダラダラ見ている時間があれば、本の3ページでも読んで知識をつけていただきたい、そう思う今日このごろです。

一人ひとりが賢くならないと、このままでは日本は本当に潰れてしまいます。

【熊野古道紀伊路】紀伊内原駅~西御坊駅⑧

【紀伊路】紀伊宮原駅~西御坊駅①
【熊野古道紀伊路】紀伊宮原駅~西御坊駅②
【熊野古道紀伊路】紀伊宮原駅~西御坊駅③
熊野古道紀伊路】紀伊宮原駅~西御坊駅④
【熊野古道紀伊路】紀伊内原駅~西御坊駅⑤
【熊野古道紀伊路】紀伊内原駅~西御坊駅⑥

【熊野古道紀伊路】紀伊内原駅~西御坊駅⑦

岩内王子

岩内王子跡は、岩内コミュニティ館の敷地内にひっそりと佇んでいます。

正面 無格社 焼芝王子神社旧跡

裏面 明治四十一年十月二十二日
   村社熊野神社ニ合祀ス

焼芝王子(岩内王子)は、もともと日高川を渡った近く(字 王子周辺)に鎮座していたと考えられています。岩内の地は、日高川を挟んで西の小松原宿とともに重要な位置を占めていました。
王子は元和元年(1615年)の大洪水で滅没し、字 田端(現在地より南方)に移動、明治時代に熊野神社に合祀されました。

舞妃蓮

天皇・皇后両陛下ゆかりの蓮

アメリカ黃花蓮明仁殿下(当時)1960(昭和35)年、ご成婚間もない継宮明仁殿下がご訪米された際、日系アメリカ人の小川一郎氏がミシシッピー川中流域で採集されたアメリカ黃花蓮の果実を殿下に献上した。
殿下は帰国後、その果実を蓮の第一人者である大賀一郎氏に託したのである。
翌年、博士は、その発芽育成に取りかかり、1962(昭和37)年にできた蓮根を教え子の阪本祐二氏に(1925-1979 当時日高高等学校教諭)に分根。
黃花蓮は殿下に因み、大賀博士により「王子蓮」と名付けられた。

「舞妃蓮」の誕生

阪本氏は思い描いていた色調豊かな蓮を作り出すべく、1966(昭和41)年、王子蓮と大賀蓮の交雑を試みた。
試行錯誤の末、交雑は成功し、1968(昭和43)年6月21日三つの鉢のうち、第1の鉢で最初の花が開いたのである。
阪本氏はその様子を「黄色地にほのかに大賀蓮の紅がかかり、色調は穏やかな今までにない色をなして咲いた。しかも両親より花径は大きく、35cmにもなる大輪種で豊かなものであった」と雑誌「京都園芸」に記している。

この年、阪本氏は、王子蓮との所縁から東宮御所に献上すべく、第3鉢を運送業者に依頼し東宮御所まで運んだ。
果たして蓮は6月28日に東宮御所で開花し、両殿下と礼宮様にご覧いただいたのである。また、2輪目の開花時には昭和天皇・香淳皇后にもご覧頂いている。

色合いの特徴のほか、これまでの蓮になかった2日目の花が閉じる際の捻れの様子から「舞うがごとき」特徴を目につけた阪本氏は、美智子妃殿下(当時)の優美なお姿を重ねて「舞妃蓮」と名付けた。

「舞妃蓮」が皇居に1996(平成8)年、明仁天皇陛下「舞妃蓮を皇居に導入したい」との依頼が阪本家にあり、翌年春に分根。
1999(平成11)年には皇居花陰亭で開花したとの報告が阪本家に届いている。

その後皇居で大切に育てられ、2010(平成22)年に出版された「御所のお庭」(扶桑社)には「皇后陛下に捧げられた女神の花」として掲載された。

御坊生まれの舞妃蓮「中山の蓮池」

御坊生まれの蓮ながらこれまで定植されなかったことから2008(平成20)年、阪本家からここ「中山の蓮池」に移植され、「御坊生まれの舞妃蓮」として新たに出発したのである。

舞妃蓮誕生までの経緯が詳しく書かれています。
大賀蓮は、上記文中でも登場する蓮の権威・大賀一郎氏によって発見された蓮で「2000年蓮」とも呼ばれています。
現在は日本各地に分根され、紀南地方では上富田町岡の田中神社、白浜町富田、熊野古道沿いの発心門地域などで見ることができます。
大賀蓮発見の経緯についはこちらをご覧ください。
大賀ハス

西御坊駅

日本一短いローカル私鉄・紀州鉄道の最終駅。ここから御坊駅までは2.7km。
駅も西御坊→市役所前→紀伊御坊→学門→御坊でおしまい。
しかし、独特の揺れがなんとも心地良いです。

堀河屋野村

建物がすでにいい味を醸し出しています

紀州鉄道西御坊駅の近くには、醤油の老舗・堀河屋野村があります。
私達が訪れた時は閉店していましたので中を見ることはできませんでしたが、本物の醤油を昔ながらの伝統を守りながらつくっています。

以前、外国のお客様が醤油を作っているところを見たいと言われ、こちらを紹介したところ大変気に入ってくれたとのことでした(私がガイドに行ったわけではありませんので)

一度足を伸ばしてみても面白いと思います。

堀河屋野村

【熊野古道紀伊路】紀伊内原駅~西御坊駅⑦

【紀伊路】紀伊宮原駅~西御坊駅①
【熊野古道紀伊路】紀伊宮原駅~西御坊駅②
【熊野古道紀伊路】紀伊宮原駅~西御坊駅③
熊野古道紀伊路】紀伊宮原駅~西御坊駅④
【熊野古道紀伊路】紀伊内原駅~西御坊駅⑤
【熊野古道紀伊路】紀伊内原駅~西御坊駅⑥

一応おにぎりは持っていましたが、可能であればせっかく街の中を歩いているのでどこかで美味しいものがあれば食べようとレストランを探しながら歩いていました。

野口新橋を渡ったところにイタリアンのレストランがあったので行ってみると満席。
この日は5月5日だったので仕方ないですね。
この時すでに13:30。レストランの営業は14:00ラストオーダー。
しかし、すでに橋の向こうから歩いている時にすでに「パスタの口」になっていたので諦めきれません。
店員さんに「あと何分くらいで空きますか?」と聞いたところ「さぁ・・・わかりません」と言われました。
もう食べ終わっているグループが見えたから聞いたのですが。
「少し待たせてもらってもいいですか?」と食い下がりましたが「すみません、もう終わりなので」と言われあえなく撃沈。

ラストオーダーまで時間あるやろ。ヤル気あんのか?

まぁ、小麦を食べなくて結果的には良かったかも。

気を取り直してトボトボ歩き始めました。

熊野古道から少しコースアウトしますが、岩内1号古墳があります。
ここで遅めのお昼。

岩内1号古墳は、横穴式石室を持ち、墳丘に沿って北・東・西の三辺に周溝をめぐらした一辺の最長が19.3mの方墳で、7世紀中頃以降に造営された県内での数少ない終末期古墳の一つです。

昭和24(1949)年の発掘調査で、漆塗木棺(うるしぬりもっかん)、銀線蛭巻太刀(ぎんせんひるまきのたち)一振、六花型の鉄製棺飾金具(かんかざりかなぐ)などが石室内で発見され、昭和54(1979)年度の調査では、版築(粘土を突き固める)という技法で墳丘の盛り土が造営されていることや、被葬者を安置した床面が7世紀後半に作り直されていることなどがわかりました。

昭和57(1982)年度に、石室・墳丘を現状のように復元し、史跡としての環境整備を行いました。

被葬者は、木棺に棺飾金具や全国的にも少ない漆塗りの装飾がされていること、副葬品(銀線蛭巻太刀)・造営の技法(版築)などから、大変位の高い人物であったと考えられています。

その候補の一人として、658年蘇我赤兄(そがのあかえ)の謀略あるいは中大兄皇子(のちの天智天皇)の謀略によって、紀伊牟婁の湯(今の白浜温泉)滞在中の中大兄皇子のもとに謀反の罪で連行され、処刑された悲劇の皇子「有間皇子」(640~658年)があげられています。

「そうではないか?」と思うことについてはノーコメントです(笑)

何かしらこの地方で有力だった方のものなのでしょうね。

有間皇子の墓は藤白坂にもあります。

終末期古墳とは、古墳時代から飛鳥時代にかけての7世紀古墳のことを言います。
有名なところでは奈良県明日香村のキトラ古墳や高松塚古墳などがあります。

この古墳は「方墳」すなわち四角ということです。
よく私達が耳にする「前方後円墳」は仁徳天皇陵古墳がありますが、あれって、どう見ても「前円後方墳」ですよね。
丸い方が前(というか、上)に見た方が自然ですよね。

学者さんの感性の鋭さ?には驚かされます。

この前方後円墳の意味について東北大学名誉教授の田中英道先生はこのようにおっしゃっています。

前方後円墳の円は「天」、方は「大地・土」を表します。

(中略)

前方後円墳は円の部分がまるで山のように盛り上がり、方形(四角)の部分はそこに至る里のようにつくられています。

高く盛り上がり天に向かっている山のような円の部分は、「高天原」を思わせます。
方形の部分は大地を表し、「葦原の中国(なかつくに)」と呼ばれているこの世を思わせます。

棺があるのは円の部分ですから、本来は前円後方墳と呼ぶべきでしょう。

田中英道先生の著書はこちら
日本国史(上)

「日本人の平均寿命 10年ぶりに縮む」は本当にコロナのせい?

8月24日付けの紀伊民報の記事より。

10年ぶりに縮む 日本人の平均寿命 コロナ影響

2021年の日本人の平均寿命は女性が87.57歳、男性が81.47歳となり、女性で0.14歳、男性で0.09歳縮んだことが厚生労働省公表の簡易生命表で分かった。

前年を下回るのは東日本大震災があった11年以来で、男女ともに10年ぶり。新型コロナウイルスの影響とみられる。

紀伊民報さん、ここまではっきり「コロナ影響」って書いていいのかな?

2021年の新型コロナによるとされる死亡者数は14,926人。
https://www.mhlw.go.jp/stf/covid-19/kokunainohasseijoukyou.html

この数字だけで平均寿命を押し下げる要因になるのでしょうか?

たしかに、東日本大震災の場合は年齢を選ばずに無差別に約18500人(行方不明者もふくむ)の命を奪っているのでさもありなんですが、今回のコロナでは死亡者が高齢者に偏っているので、そこまで数字に影響があるのかどうか疑問です。

また、交通事故で亡くなっても、ガンで亡くなっても、その後のPCR検査で陽性になれば「死因はコロナ」というカウントの仕方をしているので、どれくらいが「本当に」新型コロナで亡くなったのかはもう分からなくなっています。
そんな「水増し」をしないで、きちんとした死因別に区切っていたなら、明らかにこの数よりも少なくなって当然です。

もし、それでも百歩譲って新型コロナが原因で14,926人亡くなったとすれば、あれだけ国民が盲信して打ったワクチンが効いていないという結論をさらけ出す結果になると思います。
政府は最初「2回打てば大丈夫」と言っておきながら日本や世界各国で「ブレイクスルー感染」が起き始めると、今度は「重症化を防ぐため」と、いとも簡単に「軌道修正」をして3回目を打たせました。

重症化を防ぐことができれば必然的に死亡者数も減りますわな。
「コロナが原因で死亡者数が多い」「平均寿命が縮んだ」と言いたいのであれば、「ワクチンは重症化予防にも効果がなかった」ということを認めることになりませんか?

あろうことか、岸田総理は「3回目を打つことで感染そのものを予防できる」などと、言って国民に3回目を打たせようと必死になっていました。
・・・そして4回目接種をした自分が罹ってしまうという笑えない状況。

しかし、その国民の盲信ぶりをあざ笑うかのように、感染者数はもはや世界一。

もっと他に問題があるでしょう。

昨年と今年、何が共通しているかを探れば・・・もう探らなくてもわかりますが、超過死亡数です。

昨年の超過死亡数は67745人で戦後最多。今年は1月~3月ですでに38630人。うち、新型コロナで亡くなった人は9704人。
国内死亡数が急増、1~3月3.8万人増 コロナ感染死の4倍

数字が合わない。

去年も同じ。数字が合わない。

圧倒的に新型コロナによる死亡者の方が少ない。

去年と今年で共通していえるのは、ワクチン接種のタイミングと見事に重なっていること。

原因はこれしかないのでは?と素人が考えてもわかりそうなことを、マスコミは決して口に出さない。

日本人の平均寿命は縮んだのも、ワクチンだと私は思っています。

新型コロナなんかではない。

「過去最多」が大好きな紀伊民報さん、超過死亡数のことは報道しないのですね。

情報も経験

本日、ようやく平熱まで下がりました。
発熱から丸4日。
もう少し早く収まると思っていましたが、まぁ下がったのでこれでよしです。
このまま夕方に再び熱が上がって来なければもう大丈夫ですね。

今回の症状は、最初に悪寒があり、その後発熱。少しの咳と下痢でした。
インフルエンザと比べてどうかと聞かれれば、やはりインフルエンザの方がキツいです。
最近は、インフルエンザも聞かなくなり、新型コロナに置き換わったようなので、言い方は悪いかもしれませんが、こっちのほうがずっとマシです。

さて、私はあまりというか、ほとんどSNSをしていませんが、Twitterのアカウントは持っています。
しかし、これは自分の思ったことをつぶやくというよりは、情報を得るための一つの手段としてという意味合いです。

健康、政治、新型コロナ関連の情報の入手が主な目的ですが、今回はその中で、CS60東大阪健康サロンさんのツイートに共感を得ましたのでご紹介します。

健康に目覚めた人がやめがちなもの

①病院通い
②薬
③ジャンクフード・ファーストフード・コンビニ
④砂糖・小麦・乳製品・加工食品
⑤健康診断
⑥予防接種
⑦電子レンジ
⑧テレビ
⑨ウォッシュレット
⑩歯医者での定期メンテナンスでフッ素塗布

⑨以外は「同感!」という内容でした。
⑨はわたしもなんとなくですが「かえってお尻の状態が悪くなった」と感じることも多かったので、「やはりそうだったのか」と思った次第です。
⑩は私の行く歯医者ではやっていません。

ここではあえて一つ一つ丁寧に解説することはしませんが、病院の病床数が激減した夕張市では健康なお年寄りが増えたとか、薬に頼らずに自己免疫と自然治癒に任せたほうが、後で再発した時に軽症で済むとか、砂糖、小麦、乳製品はガンや鬱を引き起こすとか、健康診断はただの「あらさがし」だとか、電子レンジで加熱すればそれはもはや食べ物ではなくなるとか、テレビの情報は番組のスポンサーの都合のいいことしか言わないから信じてはダメだとか、会員向けの通信では結構「これでもか」というくらい言ってきたことだったので、これを読んだ時自分の言っていることは間違っていなかったのだとスッキリしました。

しかし、ここまで読まれた方で

なんでそんなネットの情報を鵜呑みにするのだ?

という疑問を持たれた方も多いと思います。

たしかにネットはフェイク情報もありますので、気をつけて情報を取らなければいけません。
では、何を基準に決めているのかと言えば、ありません(笑)

自分自身が情報を判断する能力を身に着けているかどうかです。

わたしは普段から、ネットや本から多くの情報を仕入れていますが、それが「経験値」となり、聞いた情報が正しいのかどうか、言い方は悪いですが感覚的にわかるようになってきました。
不動産関係の仕事に携わっている人の本にも書いていましたが、色んな不動産情報に触れていれば「不良」を掴まされる確率は低くなるそうです。
それこそ、感覚的に「これはマズい」ということが分かるとのことです。

こうやって、普段からたくさん(多方面から)の情報に触れておくことで、判断能力が備わってくると思っています。
情報も経験なのです。

もうひとつ。
普段からPCを触っている人であれば、「あなたのPCは今ウイルスに感染しました」というメッセージが出ても慌てないでしょう。
そんなメッセージを過去に見ているからです。
しかし、これに慣れていない人は見事に引っかかります。

むしろ危ないのはテレビの情報を「絶対に正しい」と思い込んで「牛乳が体にいい」「お肉をもっと食べましょう」と聞けば実践している人です。

ネットの情報はフェイクだと言っている人に限って、テレビの情報を鵜呑みにしている人が多いのではないでしょうか?
もちろん、テレビの情報がすべて嘘だとは言っていません。
あなたが聞いたテレビの情報の中にも嘘はあるということを言いたいのです。

これはネットもテレビも同じことではないでしょうか?

結局は情報判断能力だと思います。

ブーメランを喰らう者、矢を射る者

微熱になってからというもの、そこからなかなか熱が平熱まで引かず、ずっと微熱続きです。
昨日は日中起きていましたので、今日はひたすら寝ることにします。

普段休みらしい休みを取っていなかったので、心と体と休めるいい機会だと捉え、思いっきり、こころゆくまで寝ます(笑)

そういえば、岸田総理も新型コロナに罹ったんですね。
ご愁傷様です。
「感染そのものを防ぐことができる」とはよく言ったものです。
こっちはブーメランを喰らった形。

そして、長渕剛さんも罹ったようですが、こちらは痛快です。
長渕さんは矢を射った感じ。
https://www.instagram.com/reel/Chjm5i4prNE/?igshid=MDJmNzVkMjY%3D

こういった声がもっと拡散されることを願っております。

私のコロナの感想は、完全に回復してからにしますね。

寝込んでいました

おとといの夕方から今朝まで、熱で寝込んでいました。
原因は明確です。

寝冷えです。

いつもは27度に設定していたエアコンを26度にしてしまい、タイマーをかけるのを忘れて朝までつけっぱなしにしていたからです。
起きた瞬間「やばいかな?」と思いましたが、案の定、その日の夕方から熱が上がってきました。

一時は38度7分まで上がりましたが、その後は徐々に下がり、今は37度ちょうどくらいです。
わたしはもともと平熱が高い方なので、いつもより少ししんどいかな?という程度にまで回復しております。

ただ、何に対してもヤル気は全く出ませんが(笑)

寝込むこと自体が久しぶりでしたが、やはり油断が一番良くないですね。
高をくくっていた時にやられてしまいます。