英語の歴史から考える 英文法のなぜ

今回のおすすめ書籍は、
英語の歴史から考える 英文法のなぜです。

今日はその一部をご紹介します。

449年、ブリテン島(イギリス)に侵入した部族は、アングル(Angels)、サクソン(Saxons)、ジュート(Jutes)。
この中で大勢を占めていたのがAngles。「England」は「Engla land」であり、Anglesの土地のことであり「English」は「アングルの言葉」という意味。

複数形の由来

「cyning」の主格・対格の複数形は「cyningas」です。
現代英語の複数語尾「- (e)s」は、この「- as」に由来します。

また、古英語には「-an」という形もありました。
たとえば、「nama (=name)」の複数形は「naman」、「eage (=eye)」は「eagan」、「steorra (=star)」は「steorran」、「sunnne (=sun)」は「sunnnan」といった具合に、「- as」とは別の複数形もありました。

現代の英語では「brother / brethren」「child / children」「ox / oxen」などがその名残です。

「children」に至っては、少し経緯が違います。

もともと、古英語には「chldru」という複数形があったのですが、それに「- en」がついた形が「children」なのです。

「man / men」は特殊のようです。
古英語では「mann / menn」なのですが、これは古ゲルマン語の「manniz (マンニズ)」の「niz」が前の母音「あ」に影響を与え「え」という音を引き出したからなのだそうです。
日本語の「無い」を「ねえ」といって発音する方法と似ています。
この手の複数形は「foot / feet」「goose / geese」「tooth / teeth」に見られます。

所有格とアポストロフィー

英語にはもともと、アポストロフィーがありませんでした。
アポストロフィーは18世紀にフランスからやってきます。
それまでは、先出の「cyninges」のように、属格(所有格)を語形変化させていました。

これが中英語には「kinges」となり、現在の「kings」となりました。

「fox」の複数形は「foxes」ですが、アポストロフィーが入って来たことによって「fox’s」となり、この用法が他の語にも広がり、所有格も「’s」で表すようになりました。

ただし、世の中には必ず例外があります。

アメリカの2月第3月曜の「大統領の日」は「President’s Day」と「Presidents Day」の両方の標記があります。
また、イギリスの高級店などでは 「’s」 と標記しないお店があります。

英語は聞き取りにくい

英語が聞き取りにくい最大の原因は、単音節の単語が多いからです。
古英語では複数あった音節が、時代とともに単音節になったという経緯があります。

例えば、nama (name) は2音節、nama の複数属格は namena(ナメナ)と3音節ありました。
これがすべて「name」となりました。
他には cnotta → knot、foda → food、mona → moon、sunne → sun などがあります。
これは名詞のみならず、動詞でも同じ現象が起こっています。

このように、英語でよく使う単語500のうち、1音節の単語はなんと400、8割にのぼります。

もし、現在の英語が古英語のまま残っていたなら、私たち日本人にとっても、もっと英語が聞き取りやすかったでしょう。

などなど、英語やその時代背景から、「なぜ、そのようになったのか?」ということが詳しく書かれています。

ちょっと違う英語の勉強ですが、英語の成り立ちを知ることは、さらに理解が深まるのではないでしょうか?


【熊野古道紀伊路】紀伊内原駅~西御坊駅⑥

過去の記事はこちら
【紀伊路】紀伊宮原駅~西御坊駅①
【熊野古道紀伊路】紀伊宮原駅~西御坊駅②
【熊野古道紀伊路】紀伊宮原駅~西御坊駅③
熊野古道紀伊路】紀伊宮原駅~西御坊駅④
熊野古道紀伊路】紀伊内原駅~西御坊駅⑤

湯川子安神社

所在地 御坊市湯川町小松原89番地

祭神 木花咲耶姫命由緒安産の神、子授けの神、母性保護の神、育児の神

沿革 
湯川氏が当地を支配していたとき、邸の一隅に明神社を祀っていたが、天正年間に静岡県大宮に鎮座の元官幣大社浅間神社より、その分霊を亀山城内の明神社と共に勧請し城主湯川直春公が息女の安産をご祈願され、無事ご安産なされました。

その後天正13年(1585年)豊臣の兵火にかかり全焼した後、現在の地に再興して子安神社と創建せされ多数の参拝の方々がご加護を賜って居ります。

明治になって再び火災で全焼し、明治15年(1883年)再興がし、昭和10年(1935年)9月本殿を修復し拝殿を新築した。

お参りの皆様方は、祭神木花咲耶姫命様に、お産が軽くありますように、また、立派な赤ちゃんが授かりますようにと、心をこめてお祈りください。

明治42年神社合祀令により13社合祀す

祭神の木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)様は、記紀神話に登場する神様のお一人で、瓊々杵命(ニニギノミコト)のお妃様です。
木花咲耶姫が一夜にして瓊々杵命の子を身ごもったことから、瓊々杵命は妻を疑います。
信じてもらいたかった木花咲耶姫は、「わたしの孕んだ子がもし天神の子でなかったら、必ず焼失せよ。もし天神の子なら、損なわれることはないでしょう」と言って産屋に火を放って3人の子を無事に産みました。

このお話から、安産の神、子授けの神と言われるようになったのでしょう。

木花咲耶姫姫様のお父様は大山祇命(おおやまずみのみこと)です。
大山祇命には、磐長姫命(いわながひめのみこと))と、妹の木花咲耶姫命がいました。
大山祇命は、娘二人を瓊々杵命の元に嫁に出すのですが、容姿端麗な木花咲耶姫にくらべて、磐長姫は醜く、瓊々杵命は木花咲耶姫だけを娶り、磐長姫を大山祇命の元へ帰してしまいました。

これを知った大山祇命は大変恥じ、「磐長姫をお送りしたのは、天津神の命が常に石のように変わらず動きませんように、木花咲耶姫をお送りしたのは、木の花が咲くように栄えますようにとの願いをかけたからです。木花咲耶姫一人が残ったのであれば、天津神の命はもろくはかないものになるでしょう」といいました。

これ依頼、天皇の命が限りあるのものとなり、寿命が短くなったといいます。

さて、木花咲耶姫が産んだ3人の子は、古事記・日本書紀はもちろん、日本書紀の中でも大きく呼び名や当てられた漢字が違います。
その理由はよく分かりませんが、日本書紀一書(第二)から引用します。

火を着けて焼いて初めて炎を出た時に生まれたのが火酢芹命(ホスセリノミコト)、次に炎お盛んな時に生まれたのが火明命(ホアカリノミコト)、次に生まれた子が彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト)でした。

この3番目に生まれた彦火火出見命の子孫が鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)で、そのご子息が神日本磐余彦尊(カムヤマトイワレヒコノミコト)またの名を神武天皇と言います。

和歌山県内で木花咲耶姫様をお祀りしている神社は?

和歌山県内で、木花咲耶姫様を主祭神として祀られているお社は結構少ないです。

串本町田原の木葉神社が有名ですが、あとは那智勝浦町内の椙吉神社、そしてこの湯川神社くらいでしょうか。

配祭神も含めて祀られているお社はこちらをご参考にされてください。
木花咲耶姫様が祀られている神社(和歌山県内)

上記は、和歌山県神社庁に登録されているお社なので、地元の小さいお社などを含めるともっと多いかもしれません。
「子安神社」と呼ばれているお社は、まず、木花咲耶姫をお祀りしていると思ってもいいと思います。
ちなみに、あまり知られていないかもしれませんが、伊勢の内宮の境内にも「子安神社」がありますよ。こちらは、お父様の大山祇命が祀られているお社もあります。
大山祇神社・子安神社

山の神の話

浅間神社は有名なのでご存知の方も多いでしょうが、もちろんこちらの御祭神は、木花咲耶姫様です。
木花咲耶姫は富士山の神とも言われています。
また、よく熊野古道でも話題に挙がる「山の神」の話ですが、この神様も木花咲耶姫様だそうです。

山仕事に行く人達は、入り口にある小さな祠にやお社にお参りしてから入るところもあるようです。

「山の神は女性の神様なので、女性が祭りや祭りの準備に参加してはならない」
「お供え物は美しい女性を連想させる鯛などではなく、見た目の醜いオコゼを供える」
「祭りやその準備などはすべては男が執り行った」

という話を聞いたことがあると思います。
しかし、これは後付けの作り話でしょうね。

これは私見ですが、祭りを汚さないことと、女性を大切にしていたからではないかと思っています。

男女の性の乱れは今に始まったことではありません。

あの空海も、高野山を女人禁制にしたのは、女性がいると湧き上がる性欲に負けて修行の妨げになるからだったと聞いたことがあります。

上皇・法皇も、熊野に参る前には約1週間の精進潔斎をしますが、この期間中は性交も断ちます。

祭りは神事であり、神聖なものですので、そこに女性が入ると良からぬことを考えて場(あるいは気)が汚れると考えた末に生まれたものではないかと思います。

赤ちゃんを産み、育てることができるのは女性だけです。
山仕事は肉体的な危険が伴いますので、そういったところへ入って万一事故でも起これば子孫を産む人が減るわけで、村の存続にも関わってくることだったと思います。
なので、女性を大切に思い、危険な山に入れないように戒めたのが女人禁制だったのかもしれません。

昔から、日本は女性にも、子供にも平等に大切にされてきました。
和泉式部や紫式部、清少納言が文学作品を書いたのは今から1000年前です。
こんな時代に、女性が文学作品を書いた例などというのは、海外ではありません。
また、ある外国人が来た時には、「子供も非常に大切に扱われている」と驚き、日記か何かに書いています。
子供の人身売買が日常だった外国に比べれば、日本の女性は子供は、格段に平等に扱われていたのです。
もちろん、日本にも人身売買がまったくなかったわけではないようですが。

ここからは信じる人だけでかまいません。
そんな木花咲耶姫様ですが、あるお方を通してメッセージを降ろされています。
こちらにその「神示」を掲載しています。
世の中のことを的確に指摘され、これから人はどう生きていくべきなのかということを伝えています。
興味のある方でかまいませんよ。
木花咲耶姫様の御神示 -令和編-

【熊野古道紀伊路】紀伊内原駅~西御坊駅⑦に続きます。

ちゃんと言いましたからね

「逆張り主張」の理由

このブログや、会員向け通信などでも様々なことについてお話をしています。

いつも妻からは「あなたが言っていることはいつも逆張り」とか「嫌われるようなことを言わなくてもいいのに」などと言われていますが、私は頑固なのでやめるつもりはありません(笑)

「ことなかれ主義」も大嫌いです。

それには2つ理由があります。

ひとつは、せっかく縁をいただいた方々なので、できればなるべくみんなで楽しく過ごしたいという想いがあるということです。
そのためには、もちろん違う意見も必要ですが、共通した認識や知識が必要だということです。

・・・おせっかいですかね?

もう一つは、責められないようにすることです。

・・・は?

と思いました?

「逆張り」を言えば言うほど責められる可能性は高まりますよね。

多分、今までこのブログや会員向けの通信で私がお伝えしていることは、一般の人々にとっては本当に「逆張り」だと思います。

繰り返しお伝えしていることですが、物事を常に多面から見て判断しなければならないということは非常に重要だと思っています。

テレビや新聞だけから情報を取っていると、本当にマスコミのいいように洗脳されてしまいます。
ネットや本では全く逆の主張もあり、テレビや新聞では、まずこういった情報を聞くことはありません。
なので、こういったまったく違う角度からの情報も取り入れた上でご自身で判断していただきたいと思っています。

ネット情報がフェイクだと言っている方は、本当にネット情報をきちんと聞いてからそう判断したのでしょうか?
以前の記事で、行動に移さないのは「できない」ではなく「やらないだけ」とお伝えしましたが、もし、あなたがきちんとネットの情報を「門前払い」で聞いていないのであれば、まずはきちんと聞いてみることから始められてはいかがでしょうか?

ネットにも本当の情報はたくさんあります。

そうした上で「やはりテレビの言っていることが正しい」と思うのであれば、それはそれでいいと思います。

私が言いたいのはそこです。

話がそれましたが、「責められない」とはどういうことかというと、「あの世に行ってから」という言葉がその前に入ります。

「お前、知っていたのに何で教えてくれなかったんや?」

と言われないようにするためです。

本気でそう思っています。

知っているのに伝えないことは罪だと思っています。

穴があるよ!

たとえば、友達と歩いている時に、その友達の前にもし穴があれば

「穴があるよ!」

と教えてあげますよね?

自分からは見えているのに、友達はおしゃべりに夢中になって気づかない場合だってあります。

自分からは見えているのに、友達に「穴がある」と教えてあげないことはないでしょう。

教えてあげれば、その友達も気をつけるでしょう。

人の忠告を無視しておしゃべりを続ける人はいないでしょう。

熊野古道を歩いている時でも、先に歩いている人が危ない箇所を発見したら後続の人に教えてあげるでしょう。

その感覚と同じです。

穴があることが見えていて友達がその穴にハマったとしたら、「知っていたなら何で言ってくれなかったんや!」と言われるかもしれません。

それでもしらを切って「いや、自分は知らなかった」とか「気づくのが遅かった」といって言い訳をすることはできるでしょうが、自分は自責の念に駆られるでしょう。

「知っていたけど言わなかった」とか「俺も一回落ちたからお前も落ちろと思った」なんて、口が裂けても言えないですよね(笑)

そうなりたくはないのです。

その人がみすみす穴にハマるのを黙って見ていられないんです。

歩いている時に目の前に穴があることを言ってくれた人には感謝するでしょうが、こと新型コロナやワクチンや健康の話や、特に政治の話などになると迷惑がられます。

それが顕著に現れるのがSNSです。
今は仕事の関係で、いったんやめたアカウントを渋々再登録しましたが、SNSにかまっている時間がもったいないので今はほとんどやっていません。

以前やっていた時にはイイネの数に本当に差が出ました。

どうでもいいような「◯◯に行ってきた」というような投稿はイイネの数も多いのですが、自分の主張や、特に政治の話になると極端に減ります。

人の自己満足の投稿をダラダラ見ている時間ほど生産性のない時間はありません。
健康や政治など、きちんと何かの主張をしている投稿なら読む価値はあるかもしれませんが、そういった投稿は皆無です。
人それぞれ価値観が違いますので、人のことをとやかく言うつもりはありません。
私はそう思っているだけなので。

SNSについてはもっと言いたいことがありますが、主題とは内容が外れますのでまたの機会に。

本当に迷惑?

会員の中にいるかどうかわかりませんが、

「別に私はガンになっても他の病気になってもいい。知ったこっちゃない。大きなお世話だ」

と思っている人もいるかもしれません。

はっきり言います。

私も、あなたがどうなろうと知ったこっちゃありません。

もし、そう思っている人がいるならば、少なくともその中に「新型コロナが怖くてワクチンを打っている」という人はいないでしょう。

そうですよね?

ワクチンを打っていながらこんなことを言っているのなら、自分の言っていることの矛盾に気づいていない、かわいそうな人です。

あなたがガンになれば、高額な医療費を税金から使われます。
迷惑を被っているのは、きちんと健康に気を付けながら医者の世話にならず、毎月高額な社会保険料を払っている人です。
それだけは認識しておいてください。

SNSのグループの中でも「そんなことは自分のタイムラインで言えばどうか」と言われました。
特に、私の言いたいことが見事に合致している参政党のことだったのでなおさらだったんでしょう。
はい、言われなくてもタイムラインでもちゃんと言っています。
迷惑がられても仕方ないですね。

まぁ、そんなグループにいても仕方ないので脱退しましたけどね。
ハナから聞こうとしない人には、何を言っても無理ですから。

聞こうとしない人は、私から言わせれば

「穴?落ちても構わないから、今はおしゃべりが楽しいので邪魔しないでくれ」

と言っているようなものです。

しかし、私は自分の信念を曲げずにこれからも「逆張り」を伝え続けます。
できればすべての人に気づいてもらいたいというのが本音ですが、それは土台無理な話ですので、その中で一人でも多くの人に気づいてもらえればそれでいいと思っています。

信じようと信じまいと、その人の勝手です。

しかし、穴は確実に目の前にあります。

私はしっかりと言いましたからね。
落ちてもあの世で文句は言わないでくださいね(笑)

牛乳を飲んではいけない

「牛乳を飲んではいけない」

こう言われて「え?そんなことない、牛乳は骨を強くするし、タンパク質もいっぱいの栄養満点の飲み物」と思われている方は、今からご紹介する動画とブログをご覧ください。

少しその内容を抜粋しつつ、わたしの体験や知識なども交えてご紹介します。

牛乳は「牛の乳」

なんか、どこかの国の元環境大臣のような言い方ですが、牛乳は牛の乳なんです(笑)

そもそも、ある動物が他の動物の乳を飲みません。
牛乳は白いですが、あれはお母さん牛の血液であり、本来子牛が飲むものです。
もっというと、古来より日本では水が豊富だったため、そういったものを飲むという習慣はありませんでした。

外国の、水が少ないところに住んでいる人たちは、飼っているヤギの乳を仕方なく飲んだり、ワインを作ってそれで補っていましたが、我々日本人にはそういった習慣がなかったため、腸も乳糖を消化できるようになっていません。
日本人の約8割が乳糖不耐症です。
外国人が海苔を吸収できないというのと似ているかもしれません。

牛乳に含まれる発がん性物質

母乳が出る時って、人間でもそうですが妊娠して子供を産むタイミングです。

大量に牛乳が必要になった時に、飼っている牛の妊娠を待っている時間はありません。
アメリカでは牛にホルモン剤を打って強制的に妊娠した状態にさせ、乳を出しています。

このホルモン剤の「エストロゲン」が強烈な発がん性物質なのです。

人でも、妊娠中はお酒を飲むなと言われます。

胎児に影響があるからですよね?

では、牛に打つホルモン剤は、人体に影響がないのでしょうか?

また、牛乳自体に含まれているカゼインも強烈な発がん性物質です。

私が極真空手をしている時、筋肉にとって重要なのがカゼインとホエイと聞いていたので、それを含んだプロテインをガンガン飲んでいました。
今は力をさほど必要としない空手をやっていますので、プロテインはまったく摂っていませんが、あれと牛乳を飲み続けていたら、この先、いや、いまごろどうなっていたかわかりません。

あのポパイのような前腕を持っている久場良男先生でさえ、「プロテインを飲んでいる」とは聞いたことがありません。

あ、これは余談でした。

骨粗鬆症のリスク

牛乳にはたくさんのカルシウムが含まれています。
これは事実です。
しかし、牛乳にはカルシウムの吸収に必要な鉄とマグネシウムがあまりありません。

牛乳が体の中に入ると、吸収されずに体外に排出されてしまうのです。
それだけならまだしも、体内のカルシウムも一緒に流れ出てしまいます。

結果、牛乳を飲むと骨粗鬆症になるのです。

欧米ではすでに「牛乳離れ」

欧米では牛乳は体に悪いということが常識となりつつあり、牛乳の消費量が50%減ったそうです。
特に、牛乳と乳がんの関係が指摘されてから減り始めました。

吉野敏明先生の話によると、乳がんになった人の多くは、牛乳、チーズ、ヨーグルトなどの乳製品が大好きな人が多いそうです。

旦那さんの喫煙のよる副流煙が原因ではありません。

現在では腺がん(胃、腸、肺、乳房、卵巣、前立腺、膵臓、胆のうのガン)が圧倒的に多いのですが、タバコと腺がんは関係ありません。
現に、喫煙率が下がっているのに、肺がんや乳がんの患者数がうなぎ登りで増加しています。
腺がんの原因は、乳製品やトランス脂肪酸、砂糖、小麦粉です。

Follow the money

では、なぜ日本ではいまだに牛乳が体に良いと勧められているのでしょうか?

どうもそれは利権が絡んでいるようです。

その利権とは、ビッグファーマ(大手製薬会社)です。

牛乳を飲ませることによって国民を病気にし、薬が必要な状態にしてしまうという「マッチポンプ」をやっているわけです。
牛乳だけではありません。小麦もトランス脂肪酸もそうです。
小麦は「いらないから」と廃棄できないようになっています。「絶対に日本人の胃袋にぶち込め」となっているのです。

ワクチンも同じです。

いらないからといって廃棄できないようにされています。
ワクチンには使用期限がありますから、岸田様は「打て打て」と言っているのです。
ワクチンを打てばビッグファーマは儲かります。
打てばさらに「感染者」や副反応で苦しむ人が増えます。
ビッグファーマはさらに儲かります。
人も死ぬので、ビル・ゲイツが言っている「人口削減」の目的も叶います。

「Follow the money」という言葉がありますが、物事の本質をお金の観点から探っていくと、その「裏事情」が見えてきたりします。

土佐藩の下級武士出身の坂本龍馬が、なぜあれほどまでの軍備を整えることができたのか、お金の流れを追うと見えくるものがあります。

牛乳にも、こうした利権が絡んでいるのです。

嗜好品として

かといって、私は酪農家を敵視しているわけではありません。

ご紹介するブログと動画でも述べておられますが、嗜好品としてたまにありがたくいただけばいいと思います。

「あれもダメ、これもダメ」と言っていては、「食の楽しみ」というものがなくなってしまい、人生もつまらなくなります。

なんでもそうですが、「中庸」が肝心であり、健康にいいからといって過剰に摂取するのはやめておいたほうがいいですよ、と言いたいだけです。

結局、なにが良いか悪いかは、様々な情報を自ら取りにいって判断するしかないということです。
今、ネットでさえも言論の自由が奪われつつありますが、それでも、求めれば様々な情報を得られます。
一番いいのは本ですが、忙しくて読む時間がないとい方は、こうした有益な動画もたくさんありますので、テレビや新聞などの「お偉い方」の言うことを鵜呑みにせず、「情弱者」にだけはならないようにしていただきたいと思います。

今回参考にさせていただいたブログと動画はこちら
【衝撃】牛乳を飲んではいけない4つの理由とは?知らずに飲み続けると骨が脆くなります

ありがとうございました。

低体温症とその予防

低体温症とは

低体温症と聞くと、冬のイメージをお持ちの方が多いかもしれませんが、夏にも起こり得ます。

低体温症とは、深部体温が35度以下になった状態を言います。

夏は汗をよくかきますが、その状態で山の稜線などで風に晒された場合や、長時間雨に打たれた時などに起こるようです。

とは言っても、発汗は体温上昇を抑える働きがあるため、夏に汗をかかない方が難しいです。

低体温症の原因としては、

①低温環境

②熱の過剰な喪失

③疲労や栄養不足

④体温調節機能の低下

が挙げられます。

低体温症の初期症状は、体の震えです。体が震えることによって体温を上げようと働きますが、症状が進行してくるとその震えもなくなります。
そうなると、歩けなくなったり反応が鈍くなったりします。

有名な痛ましい事故として、トムラウシ山遭難事故がありますが、これで亡くなった方8名は低体温症でした。
内容についてはテレビでも紹介されていたのでご存知の方も多いと思いますが、詳しく知りたい方はこちらをご参照ください。
トムラウシ山遭難事故

軽く見るべからず

「それって、北海道の話でしょ?熊野古道ではないでしょう?」と思われる方がいるかもしれませんが、私も低体温症の一歩手前の経験をしたことがあります。

この日は大雨の中の研修でした。

前日に大雨が降る予報が出ていたにも関わらず、そのことを講師さんとお話し、当時のうちの代表に指示を仰いだところ「最悪の天気の中で行っておけば、あとはどんな天気でも行ける」のようなことを言われ、強行。

翌日は本当の大雨で、出発からすぐに靴には浸水、手は濡れてそこからどんどん寒くなってくる感覚がありました。

中間地点についてお昼を食べようとしましたが、冷たいおにぎり(3月初旬だったと記憶しています)を食べるとさらに体が冷えて震え始めました。

しかし、そこで講師さんがお湯を沸かしてカップヌードルを分けてくれたのです。
そこから見事に復活し、何とか研修を終えることができました。

一歩間違えれば事故につながったケースです。

最悪の天気の時は、絶対に行ってはいけませんよ。

最善の方法は予防すること

一番いい方法は、低体温症になる前に予防をすることです。

予防は衣服をうまく調整することで防ぐことができます。
防風機能や保温効果のあるものを用意しておくといいです。
体表の水分を外に逃がすドライレイヤーや、濡れても保温機能が高いウールなどのアンダーウェアもいいです。
先日のトレッキング研修でも、講師の方がアンダーウェアの重要性を説明してくれました。
アンダーウェアにはお金をかけましょう。

低体温症になってしまったら

それでも、予防の甲斐もなく、低体温症になってしまったら、山小屋やテントで暖を取る方法がいいのですが、熊野古道ではほとんどありません。
また、テントを持っていくこともほぼありませんが、ツェルトかブランケットくらいは用意しておいたほうがいいかもしれません。
あるいは、あづまやであればコース中にある程度ありますので、そこで暖を取るかです。
しかし、そこが吹きさらしでは意味がありませんが。

あとは着替えができればかなり違います。

みなさんも、雨に濡れた状態から服を脱いだ時、濡れた服を着ていた時よりもかえって暖かく感じたことがあるかと思います。

レインウェアの重要性

レインウェアも重要です。

ガイドともなれば透湿防水機能のついたものをお持ちかと思います。
ゴアテックスなどは本当に快適に雨の中でも歩くことができますが、普段のメンテナンスをしておかないと、その機能が十分に発揮されません。

レインジャケットの表面には細かい毛のようなものがあり、それが立った状態なのですが、これが汚れなどがつくと寝てしまいます。
「毛」が立った状態であれば水滴が落ちても水玉になって弾いてくれます。
新品のレインジャケットが雨を弾いて水玉ができるのはこのためです。

この水玉ができている状態が重要なのだそうです。

この状態の時に、体内の湿気を逃してくれるからです。

しかし、透湿防水のゴアテックスはレインジャケットの表面にあるわけではなく、レインジャケットの下の層に施されています。
せっかくゴアテックスが雨を防いで体内の湿気を体外に放出しようとしても、表面の生地の「毛」が寝た状態だとその湿気をブロックしてしまいます。

こうして行き場をなくした湿気が内部に戻り、体内が濡れてしまうのです。

ゴアテックスの苦情でもっとも多いのが、この「メンテナンス不良による汗蒸れ」だそうです。

自分の汗で濡れているにもかかわらず、「雨が通ってきたやないか!」という苦情です。

苦情の大半は、ゴアテックスがしっかりと機能している場合が多いそうです。

なので、レインジャケットが汚れてきたら、そこに書かれている指示に従って洗い、陰干しをしたあとにアイロンをかけると元通りの毛が立った状態にもどります。
面倒な人は、洗ったあと、少しぬれた状態でもいいので、コインランドリーの乾燥機に入れて少し回して乾かせば元に戻ります。

これもプロの方に教えていただきました。

とにかく、初期症状を軽く見ず、早めの対応を心がけるようにしておきたいところです。
なんでもそうですが、なってしまってからでは対処が大変になります。
常に予防を心がけることが、事故を未然に防ぎ、古道歩きを楽しむ最大の心得だと思います。

今回はこちらの記事を参考にさせていただきました。オススメのアンダーウェアやジャケットも紹介されています。
冷え・低体温症から身を守る(YAMAP STORE)

國破れてマッカーサー②

前回の記事はこちら
國破れてマッカーサー①

「マッカーサー直筆」憲法

1945年10月11日、マッカーサーは幣原首相に明治憲法の改正を命じます。
同じ日、近衛文麿は天皇から憲法草案に着するように正式に命じられます。

同じ日に憲法改正の公式委員会が2つ出来上がりました。

幣原首相は、松本烝治(じょうじ)を委員長に任命します。

同じ日に同じ委員会ができたため、2つの委員会の長は犬猿の仲でした。

近衛文麿がまず憲法草案をマッカーサーに提出しますが、却下。
その結果、マッカーサーは近衛を戦犯容疑者の一人に指名し、巣鴨刑務所の出頭するように命じます。
近衛は、これを「耐え難いことである」と服毒自殺。

続いて、松本草案が提出されますが、これも「即死」

「却下」の一番大きな原因は、天皇に関する内容が、マッカーサーの考えと違っていたからです。

さて、マッカーサー自身はどれだけ憲法草案に「肩入れ」をしていたのでしょうか?

以下引用です。

「私は憲法問題調査委員会の審議に全く関与しなかった。私の部下も誰も関与しなかった」とマッカーサーは「回顧録」の中で断言している。

彼の回想は、己の偉業を守るための大失態の隠蔽か。

マッカーサーが、1945年12月26日のモスクワ協定(極東委員会設立)により、「憲法問題は自分の占領業務ではない」と言ったが、これは外交辞令を述べただけだ。

(中略)

モスクワ協定に基づき、憲法改正について、自分はいかなる行動もとらないと言ったのは、嘘だった。

事実、マッカーサーと彼の部下たちは、新憲法草案に関して日本の指導者とたびたび会い、協議をしていたので、マッカーサーは松本が、自分の考えを反映するものと期待していた。

裏切られたと思ったマッカーサーは、憲法改正に手を出さないとの態度をかなぐり捨て、第一分子の民政局長ホイットニーに、自分の直筆のノートを手渡し、憲法草案を書けと命じた。

そうして、民政局は6日で憲法草案を作成します。
それを松本と外相の吉田に手渡しました。

吉田はその時のことを忘れたくても忘れられない。

「ホイットニー准将は私に、GHQが松本草案に満足していないので、このモデル草案をもってきた。この草案に基づいて、できるだけ早く、改正案を作成せよと命令した。草案はアメリカ政府ならびに極東委員会の承認を得るものであろうと言い、もし日本側が即刻改正案を提出しなければ、天皇になにが起こってもGHQがは知らないぞ、とまで言った」

ホイットニーは、「内閣が草案を差し出さねば、マッカーサー元帥はこの草案を(政府を通さずに)国民の前に提出する用意がある」と言った。

日本保守派は、天皇を救うためならば何でもすることを、GHQは毎日のように見ていた。

「マッカーサー草案」を手渡された時、ホイットニーによれば、吉田と松本は「目に見えてうろたえ、問題を閣議で議論しなければならないと言った」

「48時間以内に返答せよ」とホイットニーは吉田に命令する。内閣も大衝撃を受けた。

こうしてとうとう、「新憲法」が誕生します。

幣原首相を閣僚は、その内閣案を読んで涙に噎(むせ)んだ。

しかし、幣原はAP記者に、「日本側が天皇の新しい定義として国家の象徴を提案した」と語っている。

そう言え、とマッカーサーからの厳命だったのだろう。

天皇が「国家の象徴(シンボル)」という発想は、当時の日本人には不可能な考え方だ。「シンボル」はアメリカ人の発想だ。

このあと、マッカーサーは声明を発表します。

「私は、天皇ならびに日本政府によって作られた新しい憲法が、私の全面的承認を得て、日本国民に提示されたことに深い満足をもつ」

しかし、自責の念に駆られたのか、マッカーサーの死期が近づいてきた時に自伝にこう書いています。

「私は、アメリカ製の日本憲法を作って日本側に押し付け、それを私の命令で採択させるということはしなかった。憲法改正は日本人自身が強制されずに行なうべきものだった」

どの口が言っているんでしょうか。

第九条・軍人の白昼夢

「新憲法」の特徴として、西先生は2点挙げています。

一つは人権・市民権の保障、もう一つは9条です。

第二の特徴は、「戦争放棄」の第九条である。

「特徴」ではない。第九条は昭和憲法の礎石である。

第九条の上に「戦後日本」が作られた。

敗戦直後の虚脱状態にあった日本国民から、平和という甘い言葉を使い、「愛国心」と「誇り」を誘い出し、マッカーサーは素手で扼殺(やくさつ)した。

その死体が第九条だ。

マッカーサーは後に言い訳をしています。

マッカーサーは自分にその責任がないと断言し、釈明をする。

最初の釈明。
マッカーサーがトルーマン大統領に解任された三週間後、1951(昭和26)年5月5日、アメリカ会議の公聴会で、第九条は「幣原首相が新憲法の中に書き入れた」と断言した。

第二回目は、彼の「回顧録」の中で少々込み入った言い訳をする。
「(幣原首相は)1945年1月24日正午、私の司令室に来て、ペニシリンについて礼を言った。私は彼がどこか当惑げで躊躇しているのに気付いたので、言いたいことがあるなら率直に話すように勧めた。すると、彼は新憲法が最終決定する時には、いわゆる戦争放棄条項を含めるよう要求した。彼はまた、いかなる軍事機構も禁止するように提案した」

理由は明白です。

マッカーサーが自衛放棄第九条と自分との関わりを否定しようとしたのは、己の名声にとって都合の悪い現実が次々と出てきたからだった。

冷戦が激化し、中国が共産主義の下に大革命を成功させ、ソ連が原爆実験に成功し、朝鮮半島がいまにも戦争になりそうになり、あたかもアジア全土が共産主義の下に屈服されられるのではないかという情勢が目の前に展開したので、吉田首相に命じて警察予備隊を創設し、共産主義に対して国防・自衛をするようにと命じた。

日本を弱体化させ、自衛権を奪ったツケが早くも顕現化したのです。
言い訳はまだ続きます。

即ち、マッカーサーは自分の「読み」の甘さをさらけ出した。

それ故に、マッカーサーは逃げ口上を並べ立て、責任を回避しようとする。

「世界情勢が変わり、全人類が自由の防衛のため武器をもって立ち上がり、日本も危険に晒される事態となった時には、国の資源の許す限り、日本も最大の防衛力を発揮すべきである。憲法第九条は最高の理想から出たものだが、挑発しないのに攻撃された場合でも自衛権を持たないという解釈は、どうこじつけても出てこない」

「私はこのことを憲法採択の時に声明し、後に必要になったときに提案した」と「回顧録」の中で説明しているが、真実は、憲法採択の時ではない。それから3年以上たった、1950(昭和25)年1月1日、日本国民への念頭メッセージの中で初めて名言した。

そしてとうとう、戦後わずか5年の1950年6月25日に朝鮮戦争が始まります。
もはや「戦争放棄」などと言っていられなくなりました。
現に機雷掃討で日本がすでに駆り出されています。

大きな戦争が終わり、戦場で輝かしい偉業を成し遂げた征服者が、敗戦後の瓦礫と化した首都に立ち、自分が想像できる最も理想的な憲法を綴り、永久平和の夢を書き込んだ。この夢は、生後1164日にして厳しい現実に晒され、崩壊した。

マッカーサーは「失敗者」です。
日本がなぜチャイナや満州を守っていたか、分からなかったんでしょうね。
ただ単に「俺たちがそこの資源を得るためには日本の存在が邪魔だ。追い払ってやれ」という、目の前の利益しか見えていなかったのでしょうね。

朝鮮には当然自国を防衛するような国力がない。
チャイナが共産化すれば、すぐに日本は危なくなる。ということが日本にはすでに見えていたのです。

そして、ソ連はアメリカと日本を戦わせ、両国の国力を奪って疲弊したところに攻め入るという「漁夫の利」をまんまと得たのでした。

九条は、いまだに日本を縛り付けています。

自分の家を守るのに、近所の強い人にお金を払って守ってもらうんですか?
その人は、本当にあなたを守ってくれますか?

強盗が押し入って来ても「話し合えば分かる。話し合おう」と言えば相手は納得して話し合いに応じてくれると思いますか?

「私は武器を持っていません」と言えば相手は強盗に来ないのですか?

「武器を持てば強盗に入られます。武器は持つな!」
もっと言えば「傘を持つと雨が降ります。だから傘は持つな」と言っているのと同じです。

滑稽ですよね?

共産党や公明党が言っているのは、これと同等のことです。

国防についてはまたの機会に触れたいと思います。

本は戦後の悲劇「平和教育」、そして終わらぬ「戦後」の始まりへと続きますが、続きはぜひ書籍を読んでいただければと思います。

この本の中で、日本占領初期にGHQの労働部で労働法立案に関わったヘレン・ミアーズは至極真っ当なことを言っています。
アメリカの鏡・日本

最後に、この本に書かれている彼女の見解が紹介されていますので、それをご紹介して終わりたいと思います。

戦後から、占領中にかけ、アメリカ政府およびマッカーサーのGHQが「極悪・残酷日本人」観を創り上げ、それがアメリカ国民の常識となっていたが、ミアーズはその日本人観をぶち壊した。

彼女によれば、ペリーの黒船から終戦までの日米関係は次のようなものだ。

アメリカ政府は、日本が朝鮮半島やアジア大陸へ侵略をしたから日米戦争になったとアメリカ国民と世界中に言い触らしているが、世界地図を見れば、どの国がアジアへ進出したか歴然としている。

我々アメリカが遠く離れたアジアへ乗り込んでいったのだ。

日本は、アメリカ大陸へも、ヨーロッパ大陸へも進出していない。
アメリカは、アジアで日本が邪魔になったので、無理難題を投げつけ、日本を窮地へ追い込んだ。

日本は、自衛のために闘うより他に生きる道はなかったのだ。

アメリカは、勝つことの解っていた戦争に日本を引き摺り込み、日本を徹底的に破壊し、力尽き果てた日本兵と一般市民を殺しまくり、勝敗のついた後でも、原子爆弾を二発も使い、さらなる大量殺戮を実行した。

占領下、GHQは狂気の軍国主義日本を民主平和国家にすると独善的な言葉を使っているが、すばらしい文化と長い歴史を持っている日本に武力でアメリカ様式を押し付けているだけだ。

私たちの国と子孫を守るため、勇敢に散って行かれた英霊の方々は、今の日本の姿を見てどう思っておられるでしょうか?

「私たちが残したかった日本ではない」

という答えが返って来そうです。

身を挺して我が国のために戦ってくれた英霊の方々、すべてに感謝を申し上げます。

國破れてマッカーサー①

明日は終戦記念日ですね。
今回は2回に分けてオススメ書籍をご紹介いたします。

國破れてマッカーサー」です。

著者は西鋭夫(にしとしお)先生。
西先生は、フーバー研究所の研究員として、またいくつかの大学で教鞭を執っている方です。
詳しくはこちら。
西鋭夫

西先生は私見をほとんど挟まず、淡々と戦況について書かれています。
淡々と事実が述べられているからこそ、余計に戦争の酷さが浮き彫りになるということが皮肉です。

今回ご紹介する本は合計500ページ以上もある「大作」ですので、もちろん内容のすべてをお伝えすることはできません。

今回は、触りの部分を部分的に引用してご紹介いたします。
これを読んで少しでも興味を持っていただけたら、ぜひ購入をして読んでみてください。

はじめに

1946年春、アメリカから教育施設団が来て日本の学校教育を見学。結果「日本語は難しすぎる」という理由で「日本語をローマ字にせよ」と迫った。50年後の1997年、文科省は小学1年から、ローマ字ではなく英語を教えると発表した。

首相が「参勤交代」をするかのようにアメリカを訪問し、ワシントンDCにあるホワイトハウス招待され、その後必ず隣の国立墓地と無名戦士の墓に参る。連れていかれる。
日本にもアーリントン国立墓地に匹敵する場所がある。 ところが、首相が帰国して、祖国の英霊が眠っている靖国神社に足を運ぶのか。 運ぶ首相もいる。
だが、近隣諸国の感情を逆撫でしてはいけないと細心の気を配り、あたかも悪いことをしているかのように人目を避け、終戦記念日を避け、こっそりと英霊に黙祷する。
近隣諸国は、待ってましたとばかりに「戦争犯罪人を擁護している」と日本を攻撃する。敵兵の英霊に頭を下げ、祖国の兵を無視する国は、もはや「国」としての「誇り」も、いや、その「意識」もないのだ。

アメリカの大統領も日本に来る。彼らは靖国神社に表敬訪問しない。

占領中、日本での公用語は英語だった。 日本政府の全文書、マスコミの全印刷物、NHKの全放送内容は英訳されGHQの判断を仰がなければならなかった。 日本の政治家の発言、演説もすべて英訳された。

玉砕

マッカーサー率いる勇猛果敢な海兵隊は、1944(昭和19)年6月15日、サイパン島(日本帝国の重要基地)に猛攻撃を開始した。 サイパン島の日本兵、31000名は23日間戦い続け、弾尽き、玉砕した。

日本人の子どもたちも、母親と共に島の北に追い詰められ、Suicide Cliff(自殺の絶壁)から次々と飛び降りる。その数、5000名という。

サイパン沖での海戦も悲惨な結末となる。日本海軍の航空母艦9隻の内、3隻が撃沈され、 473機あった零戦 は956機のグラマンF6Fとの空中戦で、ほぼ全機撃ち落とされる。このサイパン島から、ボーイング社の新型B29爆撃機が福岡、名古屋、大阪、東京へ空襲をかけることになる。

神風特攻隊

西先生は、ワシントン大学に在籍中にアメリカ海軍水兵たちの神風特攻隊に関する回顧録を何冊も読んだそうですが、それには、皆があたかも同じ艦に乗っていたかのように、同じことを語っていたそうです。

現場にいなければ分からない、生々しい記述がそこにはあります。

アメリカはレーダー探知機を持っていた。
レーダーに「点々」が現れる。神風はまだ肉眼では見えない。

しかし、その点々の方向に全ての機関銃を、全ての対空砲を、撃ち始める。十機ぐらいの神風が肉眼に見える。

まっすぐ航空母艦に突っ込んでくる。水兵たちは、気が狂いそうな恐怖に震えながら、機関銃を撃ち捲る。
ほとんど30分くらいで撃ち落とす。だが、時折、一機だけが幾ら機関銃弾を浴びせても落ちない。
銃弾の波間を潜り、近づいてきては逃げ、そしてまた突っ込んでくる。

日の丸の鉢巻が見える。

祖国のために死を覚悟し、己の誇りと勇気に支えられ、横殴りのような機関銃の弾雨を見事な操縦技術で避け、航空母艦に体当たりして撃沈しようとする恐るべき敵に、水兵たちは深い畏敬と凍りつくような恐怖とが入り混じった「感動」に似た感情を持つ。

命をかけた死闘が続く。ついに、神風は燃料が尽き、突っ込んでくる。
その時、撃ち落とす。その瞬間、どっと大歓声が湧き上がる。
その直後、耳が裂けるような轟音を発していた甲板上がシーンとした静寂に覆われる。

水平たちはその素晴らしい敵日本人に、「なぜ落ちたのだ!?」「なぜ死んだのだ!?」「これだけ見事に戦ったのだから、引き分けにして、基地に帰ってくれればよかったのに!!」と言う。

占領独占

敗戦後、GHQによる統治が行われます。
GHQの最高司令官・マッカーサーは本気で日本人をキリスト教の国にしようと思っていたらしく、

私が持っている権力を使えば、天皇と7000万人の日本人を一夜にしてキリスト教徒にできる

と曰わっていたそうです。

日本には古来より神道があり、中世には仏教が入り、神道と仏教が見事に融合して日本人に溶け込んだという歴史をまったく知らないのか、この発言には思い上がりにもほどがあります。

そしてそれだけではなく、次のようなことも曰わっています。

もしアングロサクソンが科学、芸術、神学、文化などの分野において45歳だとすると、ドイツ人は我々と同様十分成熟している。

しかし、日本人は歴史の長さにも拘らず、まだまだ勉強中の状態だ。

近代文明の尺度で計ると、我々が45歳であるのに対し、日本人はまだ12歳の子供のようだ。

勉強中は誰でもそうだが、彼らは新しい手本、新しい理念を身につけ易い。
日本人には基本的な思想を植えつけることができる。

事実、日本人は生まれたばかりのようなもので、新しい考え方に順応性を示すし、また、我々がどうにでも好きなように教育ができるのだ。

差別、侵略、支配、略奪が得意な、いかにもアングロサクソンが考えそうな発想です。
日本人を完全に馬鹿にしています。

そしてこのマッカーサーの考えが、今なお日本の教育に居座り続けています。

天皇とマッカーサー

天皇とマッカーサーについては、実際に本を読んでいただくとして、この章の中で真珠湾攻撃に関する興味深いことが書かれていましたのでご紹介いたします。

日本海軍が秘策に秘策を練った真珠湾奇襲につき、ワシントン大学で私の担当教授アレックス・エデルスタイン博士から興味深い話を聞いた。

彼は、真珠湾内に停泊していたアメリカ太平洋艦隊の航空母艦(3隻)の水兵であった。

1941年(昭和16年)12月5日、金曜日の朝の話。

「俺たち、上官に大声で文句を言ったんだ。『日曜日は外出禁止だ』と命令されていたからだ。その上、『明日、土曜日の朝から演習がある』とのありがたいご命令をもいただいた。俺には美しい彼女がいたんだ。週末した会えないのに!それも、空母3隻だけに演習命令だ。土曜日、パール・ハーバーからずっと離れた海原へ一晩かけてお出掛けしましたネ。パール・ハーバーに帰ってきて、俺たち水兵は助かったと思ったと同時に、なぜ空母だけを助けたんだと不思議に思ったよ」

ルーズベルト大統領は、日本が真珠湾に向かっていることを知っていて、製造するのに時間と銭(かね)がかかり、戦略上重大な機動力を持つ空母だけは隠していたのだ。

しかし、アメリカが日本の暗号を解読している日本側に感付かれないように、他の軍艦を湾内に残しておいた。

アメリカ海軍史上、日曜日に演習をしたのは、この時が最初で最後だ。

日本の零戦は、3隻の空母を沈めに来たのだ。

必死になって探したのだが・・・。

ルーズベルトは、日本海軍があれほどの大打撃を与えるとは思ってもみなかったのだろう。

日本人大嫌いのルーズベルトにとって、神からの贈り物が絶妙のタイミングで届いた。

アメリカはすでに早い時期から日本の暗号を解読しており、日本の作戦は筒抜けだったと言います。
日本はこのことに無頓着で、暗号が解読されていたことも知らずに、ずっと暗号を変えずに終戦を迎えてしまいます。

ルーズベルトは反戦を掲げて大統領に当選していた手前、アメリカが参戦する決定的な口実が必要でした。

ABCD包囲網で日本を経済的に追い込み、ハル・ノートでさらに追い込み、必死の日本の開戦回避の交渉はことごとく無視されました。

日本を戦争に誘導したのは、このルーズベルトです。

ハル・ノートの「コーデル・ハル」という人物はソ連のスパイだったことが明らかになりましたが。

結局、終戦後に朝鮮戦争が勃発したのは、日本が負けたからです。
焦ったのはアメリカです。
国力や軍事力のない朝鮮はもとより、日本まで共産化されてしまう可能性があったからです。
しかし、その頼りの強い日本は消耗しきっていて抵抗する力もない。
朝鮮は一時、落ちる寸前まで攻められました。

結局、アメリカも結局はソ連の「漁夫の利」のためのシナリオ作りに利用されただけということになります。

飢餓と暴動

戦後、極度の飢餓にあえぐ日本。
そして、ついに暴動が起き始めます。

マッカーサーはこれに苛立ち、本国に「食料を送るか兵隊を送れ」という強烈な電報を送るまでに事態は悪化していました。

「食と教育は密接に繋がっている」ということを証言している記述があります。
「食と健康」と「教育」が繋がっているということは、参政党が掲げている3つの重点政策の一つでもあります。

大学生の受けた影響も大きかった。

政治顧問事務室付きのエマーソンは、学生たちと対談し、彼らの発言を内部メモに記し、ワシントンへも報告している。

「殆どの学生たちは、体力の消耗を防ぐために日曜日は寝ている」

「学生たちの誰一人とて、日に2食以上は食べていない。良書を読み、勉強し、政治活動に参加したいと思っていても、食物のことで頭が一杯で、本を読むなどの意欲が起きない」

「現在日本国民の頭の中にあるのは、衣食住のことのみだ。民主主義について考える余裕はない。腹も十分満たされていないのに、民主主義への建設的な足取りを踏み出せるはずがない」

こうした現状を、マッカーサーは元大統領で基金緊急委員会長のハーバート・フーバーに報告をします。
フーバーはそれを聞き日本への食料不足は日本再建の妨げとなると言っています。

このフーバーが、フーバー研究所の創設者です。

最近は「一日2食」とか「3日間断食」などをする人も増えてきました。
期限が分かっているものであれば何とか頑張ることができますし、かえって体調が良くなったりするようですが、戦後の人々は慢性的な飢餓状態だったわけで、こうなれば話が違ってきます。

自由枠の枠・「ダメ」の十項目

1945年8月10日、マッカーサーは「報道・思想の自由」に関する司令を発します。
マッカーサーは、これによって日本国民の間で天皇に対する批判が巻き起こることを期待していたからです。

しかし、これを聞いた日本のマスコミは大混乱を起こします。

こぞって「アメリカの原爆による日本人虐殺」「占領軍による治安の悪化」などの記事を出しました。

至極まっとうなことだと思います。

これを知ったGHQは、日本政府の河合達夫、NHK会長・大橋八郎、同盟通信(時事通信および共同通信の前身)社長・古野伊之助を呼びつけます。

「マッカーサー元帥は日本政府および新聞ラジオの9月10日の司令に対する対応に満足されていない」と前置きし、「元帥は報道の自由に強い関心を持ち、連合国もそのために戦ってきた。しかし、お前たちは、報道の自由を逸脱する行為を行っており、報道の自由に伴う責任を放棄している。従って、マッカーサー元帥はより厳しい検閲の実施を指令された。元帥は、日本を対等と見做していないし、日本はまだ文明国の仲間入りをする資格はない、と考えておられる。この点とよく理解しておけ。新聞、ラジオに対し百パーセントの検閲を実施する。嘘や誤解を招く報道、連合軍に対するいかなる批判も絶対に許さない。同盟通信社は昨日、公安を害する報道を行ったことで業務停止処分を受けた」と通告した。

ここから9月19日に「プレス・コード」が始まります。

①ニュースは絶対に真実でなければならない。

②公共の治安を乱すことは掲載してはならない。

③連合国に関して、破壊的または誤った批判をしてはならない。

④占領軍に対して破壊的な批判を加えたり、疑いや怨念を招くようなものを掲載してはならない。

⑤公式に発表されない限り、連合国軍部隊の動静を報道してはならない。

⑥ニュース記事は、事実通りに掲載し、意見を完全に除いたものでなければならない。

⑦ニュース記事は、いかなる政治宣伝とも結びついたものであってはならない。

⑧ニュース記事の一部を特定の宣伝のために誇張してはならない。

⑨ニュース記事は、事実の一部を省略することで曲げられてはならない。

⑩新聞作成において、特定の政治宣伝をするために一つのニュース記事を不当に大きくしたりしてはならない。

マッカーサーは、9月22日、「ラジオコード」を発表した。プレス・コードと酷似していた。GHQは、日本放送協会(NHK)を完全に支配下に置く。

日本はいまだにこの影響を引きずっています。
NHKの言うことを信用できないという理由はここにあります。

國破れてマッカーサー②に続きます。


行動力

以前の記事、人は変えられないでもお伝えしましたが、人って本当に自分で気づかなければ変わらないです。

そして、変わる人、変わらない人の差は何なのかと考えた時に思うことは、

すぐに行動に移すか、移さないか

によるところが大きいです。

行動力の問題です。

成功している人に言える共通点は、まさにここです。

成功している人を見ていると、本当に行動力があります。

たとえば、読書のやり方について、たとえ本を読んでいる途中でも、「これ」と思ったことはすぐに実行する、一通り読んでからでは遅い、というようなことをある方が言っていました。

この差だと思います。

おそらく多くの人は、本を一通り読んでから

「良いことが書いてあったなぁ」

で終わっていると思います。

そして、時間をかけて一通り本を読んでも、ほとんど内容が入っていないというのが現状ではないでしょうか?

「内容が入っていない」というのは「その本の要約が言えない」ということです。

極端な話、その本を全部隅から隅まで読む必要はありません。
全部読んでいなくても、その本の要約が言えることが「読んでいる」にあたります。

話が少しそれましたが、このことは何も本に限ったことではありません。

人が言っていたことの中で「これはいい」とか「ちょっと試してみよう」と思ったらすぐに行動することです。

You Tubeの動画でも、先輩と話をしている時でも、いいと思ったことや、自分で「これはどうかな?」と気づいたことはすぐに行動に移すことを愚直にやってみるという姿勢が、成功につながると思っています。

その中で、やってみて自分に合わなかったらそこでやめればいいのです。

とにかくやってみる

という姿勢が成功には欠かせないです。

私はいろんなガイドの方を見ています。
特に新人さんについては、行動力を見て伸びるか伸びないかを判断しています。
学んだことを愚直にしている人はやはり伸びます。
そして、いつまでも学ぶ姿勢を持っています。

逆に、私が説明している時に

「あ、それについてはこうですよ」

みたいなことを言って上から説明を被せてくるような人は、残念ながら伸びません。

私は「じゃあ、このことについても知っているな」と判断して説明をやめます。
そして、逆に今度は知らないフリをして質問をしまり、その人がどれくらい知っているのかを見ます。

嫌なヤツですよね(笑)

でも、私も知らないことがあったりするので、学びになることも多いのは事実です。

上から来る人に対しては、私はこういうやり方をして自分の知識をストックしています。
こうして、「教えてやる」ではなく、常に学ぶという謙虚な姿勢を持ち続けることが大切です。
結局それが自分の成長につながるからです。

話がまたそれましたが、いいと思ったことはすぐに行動することを心がけてください。

「できない」という人は「できない」のではなく「やらない」だけです。
すでに出発点で差が出ていることに気づいてください。

【熊野古道紀伊路】紀伊内原駅~西御坊駅⑤

過去の記事はこちら
【紀伊路】紀伊宮原駅~西御坊駅①
【熊野古道紀伊路】紀伊宮原駅~西御坊駅②
【熊野古道紀伊路】紀伊宮原駅~西御坊駅③
熊野古道紀伊路】紀伊宮原駅~西御坊駅④

道成寺までの道中、コース沿いに川が流れていますが、この川にはカメがたくさん泳いでいました。おそらくほとんどすべてがミシシッピアカミミガメです。
ミシシッピアカミミガメは昔の夜店などで「ミドリガメ」として売られていました。
このカメが大きくなると、飼いきれなくなった人が放したことがきっかけで爆発的に増えてしまいました。
今は日本全国に分布が広がっています。
これによって在来種のイシガメの生息域が追いやられ、その数が激減しています。

カメの外来種ではクサガメがいます。
以前は日本でも自然に分布していると考えられていましたが、どうやら人為的に離された可能性が高いということのようです。
「クサガメ」という名前の由来は、本当に臭いからです(笑)

外来種の放流は在来種を駆逐してしまうことがよくあります。

この川も「異常事態」でした。

ちなみに、外国から持ち込まれた種を「外来種」と言いますが、その土地に元来いない種が国内から持ち込まれた例もあります。

これを「国内由来の外来種」、略して「国内外来種」と呼んだりします。
たとえば、北海道にはもともとカブトムシはいませんでしたが、誰かが離したことによって繁殖しています。

外来種が入ることによって懸念されるのは、在来種の駆逐(捕食)、ハイブリッド(混血)、競合などです。

熊野古道沿いでよく見る棕櫚(しゅろ)の木も、在来種と外来種がありその交雑種があるといいます(なかなか見分けが難しいですが)

子供の頃にはセイタカアワダチソウが最盛期を迎え、周りのススキを駆逐し始めました。
これは先出の「競合」にあたります。
しかし、最近はセイタカアワダチソウの勢いが衰え、在来種のススキが勢いを盛り返しています。

外来種については、またの機会に。

海士王子

熊野九十九王子の一つでくわま・クハマ・クリマなどと呼ばれ小松原宿所を控えた要所で御幸記建仁元年以後由緒ある王子社であった。

「九海士の里」のいわれ

神功皇后、三韓征伐の凱旋のときに日高の港で産気を催され、めでたく安産されたのが十五代応神天皇です。

その時、産湯に使われたのが「産湯」、胞衣(えな)を埋めたところが「衣奈(えな)」といって今も地名に残っています。

産後の肥立ちもよく、都へご帰還されるときに「地を開き、民を愛せよ」と九人の兵士を残し、この土地を与えられました。

九人の兵士は漁を業としたのでいつしか「九海士の里」というようになりました。

神功皇后が三韓征伐の時にどんなルートを通ったのかは私は分かりませんが、朝鮮に向かって目的を達成されたあと、凱旋で日本各地を回ったということなんでしょうかね。

産湯は日高町、衣奈は由良町にあります。

【熊野古道紀伊路】紀伊内原駅~西御坊駅⑥に続きます。

山の日に想う、そもそも祝日とは? Thinking about Mountain Day, what is the meaning of the holiday?

There is an English version in the second half.

今日8月11日は山の日ですね。

今日の趣旨って、なんだと思いますか?

「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」

なのだそうです。

以前は地方自治体がそれぞれ独自に山の日を決めていましたが、その後、日本山岳会など山岳団体が「山の日」制定協議会を開き、さらには超党派議員連盟が設立され、2016年に、8月11日を山の日と制定しました。

趣旨は分かりますが、その由来や、なぜ8月11日なのかについては分かりません。
8は「八」で山の形を連想させ、「11」は山に立ち並ぶ木々だからという由来もあるそうですが、すみません、私見ですが

絶対に違うと思います。

こんな由来を聞くと「日本人はここまで落ちぶれたのか」と思わざるを得ません。

こじつけにもほどがあります。

違うというか、由来自体はそうなのかもしれませんが、本来祝日というのはそんな安直な理由で決められていないからです。
その日がなぜ休日になったのか、ちゃんと理由があります。

どうも、単に「8月に祝日がないから作ってしまおう」という安易な理由があったような気がします。
その証拠に、本来は12日に制定するという案もあったらしいですが、あいにく?この日は痛ましい日航ジャンボ機墜落事故のあった日だったので11日になったという経緯があります。
単純に「お盆とくっつけて連休長くしよう」ということです。

は?

開いた口が塞がりません。

現在祝日と呼ばれていますが、元は「祭日」であり、宮中祭祀や神社の祭りなど、宗教儀式を行う日を国民の休日としていたのです。
なので「祭日」なのです。

紀元節→建国記念の日

春季皇霊祭→春分の日

昭和天皇誕生日→昭和の日

秋季皇霊祭→秋分の日

明治節(明治天皇誕生日)→文化の日

新嘗祭→勤労感謝の日

春季皇霊祭と秋季皇霊祭は、歴代天皇をお祀りする日です。
あまりにも歴代天皇が多すぎるので、春と秋の年2回にまとめてしましょう・・・くだけた言い方をすればそういう位置づけの日です。

いまだにご高齢の方は「祭日」と呼んでいますが、昔は「祝日」ではなく「祭日」と呼んでいたことの名残です。
私もいまだにたまに「祭日」と呼んでしまいます。
いや、私の場合は意図的か(笑)

・・・体育の日(今はスポーツの日)はちょっと違いますが、あれも東京オリンピックが開催された日を記念して制定されたもので、当時の日本は戦後の復興からわずか19年でオリンピック開催という、特別な時代だったことも大きかったのではないかと思います。

当時のオリンピックはまさに戦後復興の象徴とも言えたと思います。
それを記念して制定されたとなれば、納得はいきます。

対して山の日は

「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」

・・・なんか薄っぺらくなですか?

もちろん、山は日本人の暮らしの上で非常に重要であり、遠い昔から山とともに暮らしてきたという歴史はありますし、先人たちが植林をして山を守ってきてくれたからこそ、今の日本があったと言っても過言ではないと思います。

現に「昔文明があった」とされていたところが、ことごとく砂漠になっている地域を見れば、日本の先人たちがいかに山を大切にしてきたかということをうかがい知ることができますが、どうも胡散臭い。

山岳団体がこの日の制定に絡んでいるのも、なんだかなぁという感じです。

この日の制定の理由は、登山人口を増やそうとする山岳団体と政治家の利権が絡んだこじつけだと私は思っています。

考え過ぎか?(笑)

そもそも、今の祝日法が制定されたのは1948年です。

もうお分かりだと思いますが、1945年に終結した大東亜戦争の後です。
日本はまだGHQの統治下にありました。

先出の「祭日」が「祝日」に変更されたのもGHQの仕業ということです。

大東亜戦争後、アメリカは日本人が本当に怖かったのです。

バンザイ突撃、神風特攻隊など、おおよそアメリカ人には理解できなかったことを目の当たりにし、「こんな怖い民族が二度と私たち欧米諸国に刃向かえないように骨抜きにしてやろう」というWar Guilt Information Program(WGIP)の元、様々な「日本人骨抜き政策」が行われました。

愛国者を追放し、牢屋に入れられていた左翼の人々を釈放して要職に就かせ、教育委員会や日教組を作って教育界を牛耳り、新聞や雑誌はすべてGHQの検閲が入り、愛国的な書物はことごとく焼かれ、徹底して日本が侵略戦争を起こしたという洗脳教育を国民に施しました。

また、昔は人々の会合は神社でしたが、公民館なるものをつくってそこに集まらせるようにしました。

おかしなものでは、武道の禁止と床の間の禁止などというものもあったそうです。
祝詞まで変えられています。
現在神社で奏上されている祝詞は、本来古神道で奏上されていたものとは少し違います。

その「骨抜き政策」の一つがこの祝日法です。

GHQは、日本人の強さの根源は天皇と国民の結びつきだと考えていました。

そこで、天皇と国民を切り離すようにしたのです。

祭日もターゲットになりました。

先に挙げた祭日の名称を見れば、なぜだかもうお分かりですよね。

先程のこじつけにしか思えない理由も、そういった祭日本来の意味をまったく知らないことに起因すると思います。
こういう残念な人たちを「圧倒的多数」にしてしまったのはGHQです。

教育と情報が操られることの恐ろしさに、気づいている日本人はいますが、まだまだ少数派です。
今回の新型コロナも、はっきりいって情報によって人々が操られた「インフォデミック」です。
ロシアのウクライナ侵攻も、一方的にロシアが悪いわけではありません。

人々が本来知るべき多方面からの情報は西側諸国に牛耳られ、私たちが自分から情報を求めなければ決して正しい情報や西側諸国と反対の情報は入って来ない仕組みになっています。

教育と情報の取り方を変えていかないと、将来的に6月や12月に変な祝日を制定するような残念な日本人が今後も出てくる可能性は十分にあります。

あなたも目を覚ましませんか?

参考サイト
山の日 Wikipedia
山の日とは?2022年はいつ?なぜ8月11日が祝日になった?由来・意味
体育の日は「戦後の復興を祝う日」
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Today, August 11, is Mountain Day.

What do you think the purpose of this day is?

It is said that the purpose of this day is to “take the opportunity to become familiar with mountains and appreciate their benefits”.

In the past, local governments decided on their own mountain days, but later, the Japan Alpine Club and other mountaineering organizations formed a council to establish a “Mountain Day,” and then a bipartisan Diet members’ caucus was established, and in 2016, August 11 was established as “Mountain Day”

I understand the purpose of the day, but I do not know its origin or why it is on August 11.
I’ve heard that the 8 in “8” in Knaji character reminds people of the shape of a mountain, and the 11 stands for the trees that line the mountain, but sorry, in my opinion,

it is definitely not true.

When I hear this kind of origin, I can’t help but think, “Have the Japanese people fallen so far?”

It’s too much of a stretch.

Or perhaps the origin itself is true, but holidays were not originally decided for such a simple reason.
There is a good reason why the day became a holiday.

It seems to me that the reason was simply that “there were no holidays in August, so let’s make one”.
As evidence, there was a proposal to make the holiday on the 12th, but unfortunately? the tragic crash of a Japan Airlines jumbo jet on that day led to the 11th.
The idea was simply to make the holiday longer by combining it with Obon holidays.

What?

I can’t keep my mouth shut.

Although they are now called national holidays, they were originally “festival days,” a day on which religious ceremonies such as court rituals and shrine festivals were held, and were designated as national holidays.
Therefore, they are called “the festival day”.

Kigensetsu→ National Foundation Day

Shunkikoreisai → Vernal Equinox Day

Emperor Showa’s Birthday → Showa Day

Shukikoreisai→ Autumnal equinox Day

Meijisetsu (birthday of Emperor Meiji) → Culture Day

Niinamesai→ Labor Thanksgiving Day
Shunkikoreisai and Shukikoreisai in spring and autumn are the days when successive emperors are enshrined.
Since there are too many emperors, they should be held twice a year, once in spring and once in fall… In a casual way, these days are positioned as such.

Older people still call it a “Saijitsu (festival day),” but it is a remnant of the fact that it used to be called a “Saijitsu” instead of a “Shukujitsu (national holiday)”.
I still sometimes call it a “Saijitsu” myself.
Or, in my case, it is intentional (laugh).

Sports Day is a little different, but it was also established to commemorate the day when the Tokyo Olympics were held, which was a special time in Japan at the time, as the Olympics were held only 19 years after the postwar reconstruction. I think it was also significant that the Olympics were held only 19 years after the postwar reconstruction of Japan.

The Olympics at that time could be said to be a symbol of postwar reconstruction.
It makes sense that the day was established to commemorate the Olympics.

On the other hand, Mountain Day is a day to “take the opportunity to become familiar with mountains”.

…….doesn’t that sound a bit frivolous?

Of course, mountains are very important in the lives of Japanese people, and it is not too much to say that we have been living with mountains since the distant past, and that Japan exists today because our ancestors planted trees and protected mountains.

In fact, if you look at the areas that were once considered “civilized” but have now turned into deserts, you can see how much our ancestors cherished the mountains, but it all smells a little fishy.

The fact that a mountaineering organization is involved in the establishment of this day is also something of a mystery.

I believe that the reason for the establishment of this day is a complication between mountaineering organizations and politicians who want to increase the number of climbers.

Am I thinking too much?

To begin with, the current national holiday law was enacted in 1948.

As you probably know by now, it was after the Greater East Asia War ended in 1945.
Japan was still under the rule of GHQ.

The change from “Saijitsu” to “Shukujitsu” as mentioned above was also the work of GHQ.

After the Greater East Asia War, the U.S. was really afraid of the Japanese.

Americans witnessed the Banzai Assault, Kamikaze Pilots, and other things that Americans could not even begin to comprehend.
The War Guilt Information Program (WGIP) was created to “make sure that such a scary people will never be able to defy the West again,” and various “policies to eliminate the Japanese” were implemented.

Patriots were expelled, leftists who had been jailed were released and placed in key positions, the Board of Education and the Japan Education Association were created to control the education world, all newspapers and magazines were censored by GHQ, all patriotic books were burned, and the people were thoroughly brainwashed to believe that Japan had caused the war of aggression.

In the past, people used to meet at shrines, but now they gather at community centers.

Some strange things were done, such as banning martial arts and tokonoma (alcove).
Even the ritual prayers were changed.
The ritual prayers performed at shrines today are slightly different from those originally performed in the ancient Shinto tradition.

One of the “bonehead policies” is the National Holidays Law.

GHQ believed that the root of the strength of the Japanese people was the connection between the emperor and the people.

Therefore, they tried to separate the emperor from the people.

Holidays were also targeted.

You can already see why by looking at the names of the holidays I mentioned above.

I think the reason why it seems to be only a complication mentioned earlier is also due to the fact that they are completely unaware of the original meaning of such national holidays.
It was GHQ that made these unfortunate people the “overwhelming majority”.

There are some Japanese who are aware of the horror of being manipulated by education and information, but they are still in the minority.
The new Corona is clearly an “infodemic” in which people were manipulated by information.
Russia’s invasion of Ukraine is not unilaterally Russia’s fault either.

The information that people need to know from various sources is controlled by the West, and unless we seek information ourselves, we will never receive correct information or information that is opposite to what the West has to offer.

If we do not change our education and the way we get information, we will continue to see those unfortunate Japanese who establish strange holidays in June and December in the future.